戦場で男は珍しい   作:ウニダコ

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第十話

 

 

 夜の闇と、泥に覆われた道をトラックが駆けていく。

 

 前世と違いアスファルトに覆われていない道路は雪解け水の影響をモロに受け、ぬかるみが一面に繁茂していた。

 

 そんな道路を走るトラックの乗り心地は最悪で、五秒に一回は激しい振動が乗客の体を襲っている。

 

 自分のような、敵の砲火の豪雨で掩蔽壕を揺らされる感覚に慣れている兵士にとっては何ということのない揺れだ。揺らされるたびに臀部が痛むのは、いささか我慢しがたいが。

 

 しかし、新兵に限ってはそうではないようだった。

 

「うえエ……おえェ……」

 

「そーそー全部しっかり吐き出しちゃって……ほい水」

 

「はぁ、はぁ……あ、ありがとうございます」

 

 トラックの最後部から、流れゆく地面へ向けて吐しゃ物を落とし続ける新兵。ゼイゼイと喘ぐその背中を撫でながら、ヒューレルさんが水筒を差し出した。

 

 震える指で水筒を掴み、瞳に涙を浮かばせながら喉にへばりつく胃酸を水分で流し戻しているのはエリカ二等兵。

 

 このタチェンスキー分隊、唯一の新兵だった。

 

「ったく。大事な衛生兵さんがそんなんで、あたしたちは大ジョーブなのかよ」

 

「ぼやくなオーゼフ、この揺れでは仕方がないだろう。大目に見てやれ」

 

「……りょーかい、タット隊長」

 

 突撃衛生兵、という兵科がある。

 

 ありったけの火力と共に敵陣を強襲し、塹壕突破の要を作る突撃任務。しかしその性質上、当然死傷率は他の任務と比べて段違いに高い。

 

 中でも上層部の頭を悩ませたのは、その死亡率だった。それまでは衛生兵が随伴することはなかったため、まともな治療も応急処置も受けれずに、治るものも治らず死んでいった兵士の数は少なくなかった。

 

 これに対し軍は新たな兵科を設立。攻撃分隊に随伴し、応急処置や衛生面の維持に努める兵科。常に隊のそばを離れず、精神的支柱となって戦闘力の維持や回復を支援する兵科。それこそ『突撃衛生兵』だった。

 

 そんな重要な役割の兵士が、新兵のひよっこで情けない姿を見せているのだ。オーゼフ一等兵が嘆くのも道理である。

 

 ちなみに、先刻の猥談で頬を染めていたのはエリカ二等兵だ。

 

「はーいそこまで。もう水は十分でしょ?」

 

ぐぷはっ。

 は、はい……ありがとう、ございました」

 

「いーのいーの。

 じゃ、あとでお礼頂戴ね」

 

「はい……」

 

 ヒューレルさんの言葉に辟易とした様子で答えた彼女は、フラフラとしながら己の席へと戻る。

 

 年齢としては18歳のはずなのに、その弱弱しい姿は分隊最年少であるシン一等兵よりも幼く見えた。当然と言えば当然である。彼女はまだ、高校を卒業したか否かという年齢で、しかも新兵なのだ。

 

 だがそれでも、彼女のこの有様には不安を抱かざるを得ない。

 

 なぜなら今現在、自分たちを乗せたトラックの行先は。

 

 共和国軍の重要拠点、その一つ。

 後に『デルダンの血の噴水』と称されるほど多くの血が流れ出た、デルダン要塞なのだから──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開戦間もなく膠着し、今日に至るまで大きな動きを見せていない西部戦線。

 

 いたずらに犠牲者ばかりが増えていく現状を打開すべく、参謀総長ヴァルケンハインはある作戦を考案した。それこそが、デルダン要塞攻略作戦である。

 

 西部戦線における戦いを、彼女はこう評した。

 

 曰く、戦場の支配者は塹壕・鉄条網・機関銃の三点セット。これらを完備した敵の防衛線を突破するのは不可能に近い。

 

 東部戦線にて東方帝国が使用した戦術から着想を得て編み出された浸透戦術も、実験的に用いてはみたが決定打には足りえなかった。

 

 そして彼女は考えた。突破が不可能ならば、突破しなければよいと。敵を可能な限り消耗させて、継戦が不可能なレベルまで追い込むしかないと。

 

 後の時代で、『消耗戦』と呼ばれるソレは。

 

 敵のみならず、味方にも多大な出血を強いる、悲惨な戦いとなることが確定されたモノだった。

 

 そうして、攻撃目標は選ばれた。

 

 現状、敵連合国の中で最も疲弊している共和国に所属しており。

 

 最もこちらの戦線との距離が近く、首都パリルラへと続く道に繋がっており。

 

 歴史的な背景からして、決して共和国が放棄しないであろう地点。

 

 帝国との因縁深き、デルダン城塞都市要塞群へと、白羽の矢が立てられた。

 

 攻撃は自分が属する第5軍が担当。

 

 機密保持のため、兵や物資の移動は攻撃予定日ギリギリに行われた。帝国軍は輸送をフル稼働させて、二百万発にも及ぶ砲弾と、千を超える重砲・野砲を数日で集結させた。

 

 総攻撃予定時刻までもう24時間もないというのに、未だ自分たちが移動中なのはそういう訳だった。

 

 

 

 闇夜に包まれ道を往くトラック。

 

 自分にはその闇が、こちらを食い殺そうとしているように、ひどく思えてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。午前7時。

 

 その時をいまかいまかと待ち望んでいた帝国軍の大砲たちが、雷のような音を轟かせながら秩序整然と敵陣地へ向けて火を吹いた。

 

 敵の塹壕、敵の堡塁、敵の陣地。射撃地区のありとあらゆる物へ向けて、嵐のような砲撃が降り注ぐ。爆発がひっきりなしに起き、地を揺るがしているその光景はこの世のものとは思えない。

 

 ひっきりなしに聞こえる轟音と振動を感じながら、突撃の任を着せられた自分たちは塹壕の中で待機していた。

 

 ふと、周りに目を向ける。談笑に興じる兵士、酒を飲む兵士、本を読む兵士──様々な兵士が、そこにはいた。

 

 その雰囲気はどれも楽しげで、とても十時間後に死地へ突撃することが決まっているようには見えない。小銃と軍服さえなければ、平和な地ならどこにでも見られそうな光景だ。まるで戦いなど、初めからなかったような。

 

 いや、戦いを認識しているからこそ、彼女たちはこう振舞っているのかもしれない。刻一刻と迫る現実から無意識に目を逸らし、明るく振舞うことで恐怖を忘れ去っているのだ。自分にはそう思えてならなかった。

 

「うわっすごいですね。初めて見ましたよ、こんな地帯砲撃」

 

「ここまで激しいのは、あたしも初めてだな。どれ、こっちにも見せてくれ」

 

「どぞ」

 

「せんきゅ」

 

 隣で塹壕潜望鏡を覗き込み、和気あいあいと会話しているシン一等兵やオーゼフ一等兵もそうなのだろうか。己より高い階級を持っている彼女たちも、心の底では怖がっているのだろうか。

 

 いや、自分には関係のないことだ。

 

 余計な考えを頭から叩きだし、ブリーフィングを回想する。

 

 デルダンの都市と戦線の間には、とある高地が横たわっている。

 

 最大標高380メートルの名もなき高地。付近で最も標高の高いそこは、山肌は多数の堡塁で覆われ、頂上には永久堡塁であるディオモン要塞が築かれるなど、攻め入るにあたって間違いなく難攻不落の陣地となっていた。

 

 これに対し帝国軍は、十時間に及ぶ猛烈な地帯砲撃で敵の防衛を麻痺させた後、歩兵で進軍。速度を保ちつつ堡塁と防衛線を潰し、一気に要塞を攻め落とすというプランを採用した。

 

 気軽に言ってくれるものである。

 

 

「あ、あの」

 

「……なんでしょう」

 

 記憶を蘇らせるのをやめ、横から飛んでくる声のほうへ振り向く。

 

 エリカ二等兵だ。赤十字の書かれた鉄兜を被った、癖のある金髪の衛生兵。その彼女が、体を震わせながらこちらを向いていた。

 

「きょ、今日はよろしくお願いします! 精一杯頑張りますので、どうかご容赦ください!」

 

 そう言って握手を求めてくる彼女。このような戦地には似合わない、丁寧で可憐な仕草だった。

 

「……ええ、こちらこそよろしくお願いします」

 

 そんな彼女の手を握り返し、微笑みかける。

 

は、はい……

 

 すると彼女は顔を真っ赤に染めると、蚊の鳴くような声で返事をした。どうやら男に対する免疫がないらしい。この年まで? いや、それは前世の自分にも言えることだ。

 

 今回の攻撃で、自分は分隊長より突撃衛生兵護衛の任を与えられていた。

 

 戦場では一般的に、衛生兵に対する攻撃はタブー視されている。非戦闘員である衛生兵を撃つことは人道に悖る行為であるとされ、大抵の軍規では禁止されているのだ。

 

 だが、戦場にもしもの話は付き物である。すべての兵士が軍規を守れるわけではない。敵にとって衛生兵とは、せっかく負傷させた相手を治し、再度戦場に送り込んでくるかもしれない存在なのだから。

 

 そのような万が一に備えて、衛生兵には基本的に護衛がつく。そして今回は、それが自分だったというわけだ。

 

 

 ふと、気になる。

 

 突撃衛生兵はその任務の危険性を考慮して、小銃など武器の所有が認められている。あくまで自衛のためであるが。

 

 たとえば。もしも。

 

 彼女が敵に殺されそうになったとき。

 

 この、軍服よりもドレスが似合うような彼女は、引き金を引く度胸があるのだろうか? 

 

 優しげな彼女は、敵を撃つことができるのだろうか? 

 

 試しに、聞いてみることにした。

 

「……エリカさんは」

 

「は! はい! 何でしょう?」

 

「射撃の訓練を受けていますか?」

 

「……ええ、はい。

 それが、何でしょうか?」

 

 彼女の顔が曇った。

 

 構わず続ける。

 

「では聞きます。

 エリカさんは、敵に殺されそうになったとき。

 その敵へ向けて、引き金を引くことができますか?」

 

 彼女の顔が、さらに曇った。

 

「……それは、どういう意味ですか?」

 

「そのままの意味です。自分は」

 

 声を出しかけて、息を詰まらせる。ぶっきらぼうだが面倒見のいい、ユーリさんの顔が浮かび上がった。

 

 浮かび上がる幻影を沈ませて、言葉を綴る。

 

「自分は、守ると言った相手を死なせました。

 カッコつけた結果、彼女を犠牲にして自分だけ生き残りました。

 自分には、自信がありません。もしかしたら、あなたを危険に晒すかも。

 死なせないという自信がありません。

 だから、あまり自分をあてにしてほしくないんです」

 

 もしものときは、己の身を己で守ってほしい。

 

 もし彼女が死んだら、分隊の生存率は格段に下がる。モルヒネも破傷風防止ワクチンも、彼女がいなければ誰一人として扱えない。

 

 自分には、その責任を負う自信はない。

 

「……正直、あまりわかりません」

 

 彼女の返事だ。

 

 黙って続きを待つ。

 

「訓練で的は撃ちましたけど、人を撃ったことはないので……新兵なんだから、当然ですよね。

 でも、撃ちたいとは思いません」

 

 彼女が答えた。

 

 それは。

 

「……それは」

 

「うぬぼれるつもりは、ありませんが。

 自分はここに、人を助けるために来たって思っています。

 死んじゃうかもってときなら撃てちゃうかもしれませんが。

 それでも、人は殺したくありません。

 ……戦争しに来てるのにおかしいですね。徴兵ですけど」

 

 彼女の言っていることは、間違いなく甘ったれなのだろう。

 

 新兵が抱きがちな、戦争への理想と同じだ。人を殺さないで済むと思っている。

 

 ああ、でも。

 

「……わかりました」

 

「……やっぱ、生意気ですかね、こういうの」

 

「いいえ、自分も同じ二等兵なので。

 ……まぁ、衛生兵ですし、敵と対峙する機会も少ないと思います。

 戦闘中は、常に俺の後ろにいてください。指示は俺が出します」

 

「はっ、はい! わかりましたっ」

 

 この意味のない泥まみれの戦争でも、彼女みたいなキレイな存在がいる。

 

 それを知れて、ただただ嬉しい。その純粋さを、守りたい。

 

 心からそう思った。

 

 

「やあやあ諸君! さっきから何を話しているんだい!」

 

 突然の大声とともに、背後から肩を組まれた。

 

 見ればそこには好色家。ラウェル一等兵がいた。

 

「美男の悩みは私の悩みさ。なんでも話してくれたまえっ」

 

「結構です」

 

「ハインリヒさん辛辣……」

 

 エリカさんの声が聞こえた。辛辣だって? 

 

 この人には、これが丁度いい。まだ会って一日も経っていないのに、自分はそう確信していた。

 

「うーんポールくんは随分お堅いな……それではモテるものもモテないぞ?」

 

「あなた限定ですので」

 

「うーんやっぱりぃ? 

 ……まぁ、でも」

 

 突然、ラウェルさんの声色が変わった。

 

 さっきまでのふざけた態度は鳴りを潜め、なにやら真剣さを醸し出している。

 

 二重人格を疑う豹変っぷりだ。

 

「あんまり、難しく考えない方がいいぜ? 

 兵隊などというのは、短絡的でなんぼだよ。なんたって明日死んでいるかもしれないんだからね。

 死にそうなら、なんとかして生き残る。そして生きてる間は思いっきり楽しむ。死んだらおしまい。

 それだけさ」

 

「……」

 

「ま! あくまで面倒な先輩の戯言ってことでヨロシク。

 私はいつでも君の誘いを待ってるよ! じゃそーゆーことで」

 

 そう言うと彼女は、いまだ賑わっている潜望鏡の方へ駆けて行った。

 

 

 

 取り残された自分たちの間には、先ほどまではなかった沈黙が漂っている。

 

 ふと、砲弾の炸裂音が耳に入った。会話に夢中で、いつの間にか意識より外していたのだ。

 

 塹壕の向こうでは、今なお無数の砲弾が着弾している。その一つ一つが命を屠るに十分な威力を持ち、雨となって敵に降り注いでいるのだ。

 

 それでも、塹壕と要塞に籠もれば死ぬ確率はぐっと下がる。元にそうやって、自分は今まで生きてきたのだから。

 

 毎秒約30発、合計にして百万発。

 

 後に分かった、この日に発射された砲弾の数である。

 

 数としては間違いなく規格外。この戦いが、大戦で最も激しい戦いの一つとして数えられている所以だ。

 

 しかしそれほどの砲撃を以てしてもなお、最終的に攻略するのは歩兵だ。

 

 今回は、何人死ぬだろうか。

 

 そんなことが頭をよぎると共に。

 

 自分の胸には、暗い澱が漂い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでエリカさん小銃は持ってますか?」

 

「え? 現地調達じゃないんですか?」

 

「え?」

 

「え?」

 

 どうやら、我々の前途は多難らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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