自分が属する中隊は、塹壕突破戦術における攻撃の先鋒を務める大隊に属している。
今日まで続く膠着状態の原因である塹壕。一見無敵に思える防御力を持つ塹壕だが、その実それには弱い部分が存在する。
その弱点を突破し、敵地の奥へ奥へと浸透していくのがこの戦術の概要だ。
塹壕を突破後、敵抵抗を可能な限り避けながら陣地へ浸透。そして通信や指揮所を破壊し後続への道を作る──これが大まかな攻撃役の務めだった。
だが、この中隊に限っては話が変わる。
単純に、当初の見積もりと比べ戦力が減りすぎたのだ。
先刻自分たちが突破した塹壕は、他中隊が相手取った箇所に比べひときわ反撃が激しかったらしく。
これまでで既に半数が命を落としていた。
さらなる進軍など、到底不可能な話だった。
そんな自分たちに下された命令は、占領箇所の防衛。
奪還目的で襲来する敵を迎え撃てとのことだった。
こんな戦力での防衛任務。
とてもじゃないがやってられない。
それでもやるしかない。
塹壕の
土嚢は盾だ。これがあるだけで撃ち合いでの生存率は格段に上がる。ただ欠点として、視界が狭まることが挙げられていた。
だからこそ、兵の密度を高くして索敵性を上げることが求められているのだ。
「へーえ、私の左側はこのお坊ちゃんの腕にかかってるわけか」
皮肉げな声だった。
内心またかと思いつつ、三時の方向へ首を回す。
「ちょっとやめなよユーリ、そんなこと言ったらかわいそーでしょ」
「そうそう、それでやる気なくしちゃったらどうすんだよ」
「別に私はイヤミ言ったわけじゃないぜ? ただ責任を自覚してもらいたいだけなんだ」
「よく言うよ……ごめんね? こいついっつもこんな口きいてて。私たちも困ってるんだ。
私はハイネ。その嫌なやつはユーリ。ユーリの右にいるのはシャーデン。全員同じ分隊だよ」
よろしくね? とハイネさんが首を傾ける。ユーリさんはフン、と鼻で嗤った。シャーデンさんはこちらへ向けて手を振った。
「ポールです。よろしくお願いします」
「ポールくんか……そういえば、ポールくんの分隊は? 他の人はどこに」
「全滅しました」
ハイネさんが目を見開いた。ユーリさんは何も言わない。シャーデンさんは気まずそうにしていた。
「……ごめんね」
「気にしないでください。よくある話です」
「ハッ、よく分かってるじゃねーか坊ちゃん」
「おいユーリ」
「黙れシャーデン」
彼女の声が低くなった。
「私が言いたいのはな、死んだ連中のことを引きずって私の左をカバーできなくなるようなことだけはやめてくれってことなんだ。
ま、様子を見るに杞憂だったらしいが」
「御安心を」
ピタ、と言葉を止め、彼女がこちらを見つめる。
「ポール・ハインリヒ二等兵。この命に代えてでも、全力で、貴女様の左前方を死守いたします」
「……へぇ?」
彼女の顔に笑みが浮かんだ。
「男の分際で気持ちのいいこと言うじゃないか……。
いいぜ、守ってやるよ。こっちだけ守られるのは癪だからな」
「ありがとうございます」
なんと、彼女は俺を守ってくれるらしい。
先ほどまでの印象からして、どうやらイヤミったらしいだけの人間ではないのだろう。おそらく
「……うそ、信じらんない」
「ユーリの口がそんなことをきくなんて……」
「こりゃ明日には終戦かもね」
「うるさいぞお前ら」
俺を挟んで彼女たちがマンガのようなやり取りを繰り広げる。
この地獄で初めて聞いた、平和的な喧噪。
それが妙に心地よく、俺はそれを静かに聞いていた。
……。
……。
……ん?
これは。
「伏せて!」
数秒の金切り音と複数の着弾音。間違いない。敵の砲撃だ。
だが、どうもおかしい。破片での殺傷や破壊を目的とした砲撃とは異なる音だった。そう、まるでこれは──。
「ガスだー!」
誰かの悲鳴に、血の気が引いた。
動揺しながらも、震える手でなんとかマスクを装着する。茶髪の彼女はマスクのせいで死んだ。ハイネさんたちも、もしかしたらそうなるかも。
怖い、怖い、怖い。
二枚のガラスのみに狭まった視界で周りを見たところ、どうやら全員無事に装面できたようだった。マスク自体にも問題はなさそうだ。
ほっと胸を撫で下ろした。
「なに安心してんだ! 構えろ! 敵が来るぞ!」
マスクのせいでくぐもりながらも、刺すような張りのあるユーリさんの声。
慌てて銃眼に小銃を置き、敵襲に備える。
ガスが霧のように周辺に広がり、また視界が悪くなった。
十メートル先もあやしい絶望的な視界。吸えばたちまち絶命する死の気体。
敵の意図は、何だ?
カタカタカタカタと、地面が揺れ始めた。
地震ではない。これはそう、大型トラックが走ったときに生じる振動のような──。
もしや。
予想が外れることを願いつつ、滞留するガスの奥に目を凝らす。
ああ。
霧の中から表れたのは、鋼鉄をその身に纏い悠々と戦場を練り走る鉄の化け物。
強固な塹壕を打ち破るために生みだされた、戦うための車。
塹壕歩兵にとっての悪夢──戦車部隊だった。
「撃ち方始めぇ!」
小隊長の悲鳴に近い声が響き、俺たちは一斉に引き金を引き始めた。
戦車に向けて撃つ。コッキング。撃つ。コッキング。撃つ。コッキング。撃つ。コッキング。撃つ。コッキング。弾が、切れた
すかさず装填。ボルトを捻り弾倉を晒し、弾薬盒から取り出した挿弾子を専用の溝に填める。
そのまま弾丸を弾倉へと押し込み、用済みとなったクリップを投げ捨てた。
ボルトを押し戻し、装填完了。
ズダダダダと近くにある機関銃が唸る。
先の号令から一度も途絶えることなく銃声を響かせているその姿はまさしく歩兵の救世主。
だがその威光も、戦車が相手では到底通じない。
あの装甲を銃弾では貫けないことなど分かっている。それでも自分は撃ち続けた。
周りの皆もひたすら引き金を引いている。きっと必死な表情をしているに違いない。マスクのせいで確認はできないが。
もはや自分たちは、一種の恐慌状態に陥っていた。
突然、戦車が停止する。
もしや弾丸が通用したのではと淡い期待を抱いたが、それはほんの数瞬で掻き消された。
砲身が、ゆっくりと下に向く。
その狙いは、ただ一つ。
「下がれえええええ!」
ユーリさんに右肩を掴まれ、強引に塹壕の底へ降ろされる。
次の瞬間。
つい数秒前まで立っていた場所を、主砲の砲弾が土嚢ごと吹き飛ばした。