底冷えするような唸り声とともに、戦車が塹壕へ迫り来る。
奴らには真正面からでは対処できない。歩兵相手には無類の強さを誇る機関銃も、先ほど戦車の主砲で吹き飛んだ。
倒す方法はただ一つ。死角から近づき無限軌道を爆薬かなにかで破壊。機動性をゼロにしたあと、乗組員を殺す。これしかない。
「いったんここでやりすごすよ! そのあとあの車輪を攻撃する!」
「攻撃ったってどうやって!?」
「手投げ弾を使うとか、物を挟み込むとかなんでもいい!! とにかくやるよ!!」
「そんなこと言ったって!」
ハイネさんも同じ考えのようで、そっくりそのまま俺の気持ちを代弁してくれた。こういうときにリーダーシップのある人は頼りになる。
対してシャーデンさんは冷静さを失っているようだった。
無理もない。自分は前世の記憶で戦車というものをある程度知っているから取り乱さずにはいるが、初見の人間にとっては銃が通用せず弱点もわからない鉄の怪物。
彼女が抱いている恐怖は、俺には計り知れない。
もっとも、恐怖を抱いているのは俺も同じだった。
マスクが息苦しい。
「いやっ! いやっ! やだやだやだやだやだぁ!」
戦車が轟音とともに真上を通過する。
無限軌道にこびり付いた泥土が降り注ぐ。
シャーデンさんは完全に錯乱したようだった。
「助けて! もうしません! もうしません! 神様ー!」
「うるさい落ち着けシャーデン!」
ダダダダダダダダと戦車の側面の機関銃が火を吹いた。
射線上にいた兵士たちがなすすべもなく倒れていく。塹壕という直線状の空間において、一方向からの射撃は強力だ。
戦車が俺たちの真上を通過したのは、運がよかったとしか言いようがない。
戦車が塹壕を突破した。
「みんな行くよ!」
「っはい!」
「おい立てシャーデン、攻撃だ!」
「ううううううううううう……!」
ハイネさんの掛け声に応じ塹壕を出る。
シャーデンさんはかなり弱っているようだったが、ユーリさんの発破が効いたらしい。ユーリさんと共に塹壕を脱してくれた。
外を見ると、多くの兵が自軍の塹壕へ駆けているのが見えた。撤退命令が下ったのかもしれない。もはや指揮系統が維持されているとは思えないが。
必死に逃げ回る兵士を嘲笑うかのように、戦車側面の機関銃が唸る。屍体と重傷者がまた生まれた。
ハイネさんが戦車の死角より接近し、無限軌道にピンを抜いた手投げ弾を巻き込ませた。
どん。
狙い通り、戦車は前進不能となった。
間髪入れずにユーリさんが、覗き窓と思われる穴から内部に手投げ弾を押し込む。
どん。
爆発音に数舜遅れ、敵兵士のくぐもった悲鳴が内部より伝わった。
戦車の搭乗口が開かれ、あちこちに手投げ弾の破片が突き刺さった兵士が複数転がり出てくる。
すかさず彼女らに向けて発砲する俺たち。手を出す必要はないようにも思えたが、敵を前にしてそのようなことを考える余裕はなかった。
敵兵士が動かなくなったのを確認し、ようやく息を大きく吸った。マスクのせいで呼吸が阻害される。こんなガスマスクはさっさと外して、新鮮な空気を吸いたい。
「ポールくん……ポールくん!」
ハイネさんが俺の後方──先ほどまで潜んでいた塹壕を見ながら叫んだ。
今度は何だという思いを胸に抱きながら、後方へ目線を向ける。
薄れてきたガスの合間から、微かにそれは見えた。
塹壕が、燃えていた。
いや、正確には──敵の無数の火炎放射器が、塹壕内を焼却していた。
中には逃げ切れなかった味方兵士がいたようで。
炎に身を包まれながら、のたうち回って絶叫していた。
敵の銃弾が飛んでくる。
「……っ! ここはいったん戦車の陰に隠れよう! なんとかして味方塹壕へ」
「うああああああああーっ!!!!」
「シャーデン!?」
突然絶叫したかと思うと、シャーデンさんが敵に向けて走り出した。
「くそっ、ポール来い! 隠れるぞ! あいつはダメだ!」
ダメ?
また、死ぬのか。知っている人が目の前で。
俺は何もできず、何もせず、ただ見ているだけ?
そんなのは、いやだ。
「シャーデンさんを連れ戻します! ユーリさんとハイネさんは援護を!」
「はあっ!? ポールお前おかしいのか!? どう考えても死ぬぞ!!」
「お願いします!」
「ちょっとポールくん……ああもう仕方ない!」
銃や荷物を捨て身軽になり、シャーデンさんを追う。
薄れてきたとはいえ、まだガスは残留している。それがうまい具合に煙幕として働いてくれたようだった。
なんとか狙い撃ちされることなく、シャーデンさんへと辿り着く。
彼女は膝立ちになり、一心不乱に弾丸を放っていた。狙いをつけて撃っているのかは分からない。
「シャーデンさん退きますよ、さあ!」
「撃たなきゃやられる! 撃たなきゃ!」
「そんなこと言ってる場合じゃ──まずい」
ガスが晴れていく。煙幕として役立っていたガスが消えるということは、つまり。
一人の敵兵が、こちらを視認した。
小銃が向けられる。向けられる死への恐怖のあまり、俺は目を瞑った。
バン。
響き渡る発砲音。頭から血を流し、その屍を大地に晒したのは──敵兵だった。
「なにボサっとしてんだ!」
「さっさと逃げるよポールくん!」
俺の後方より発砲しながら現れたのは、ユーリさんとハイネさんだった。
ユーリさんは流れるようにシャーデンさんの後頭部を銃床で殴打し、気絶させて錯乱を無理やり止めさせた。そして小銃を俺に渡したかと思うと、俺に向けてこう話した。
「いいか、こいつは私が運ぶからお前はハイネと援護しろ!」
「っ! わかりました!」
「よし、行くぞォ!」
ユーリさんがシャーデンさんをレンジャーロールで背負い、予定方向へ走り出す。俺とハイネさんもそれをカバーしながら後退する。
どちらかの弾丸が敵の火炎放射器タンクを貫いた。一瞬にして爆炎が巻き起こり敵の一隊が怯む。停止戦車まで残り約三十メートル。
敵の弾丸が自分の鉄兜をかすった。衝撃を感じたが何とか踏みとどまる。残り約二十メートル。
砲弾が自分たちと敵の間に着弾した。土煙で視界が遮られる。残り約十メートル。
意を決して、背を向けて走り出す。ハイネさんも同じことを考えたようだ。二人そろって走り出す。
顔のすぐ横を弾丸が通り過ぎた。だがそんなこと関係ない。
十秒にも、一時間にも感じられる時間を走り──ついに戦車の陰にたどり着いた。
陰には既に、シャーデンさんとユーリさんの二人がいた。シャーデンさんは意識を取り戻していたようだった。
「やっと戻ったかお前ら!」
「遅れてすみません!」
「うん、なんとかね!」
「三人ともごめん、私のせいでみんなが危険に……」
「謝るのはあと! 逃げるよ!」
ハイネさんの掛け声に合わせ、全員が一斉に駆けだす。全力疾走だ。
走れるということは、生きているということ。
みんなが生きてる。
今度は死なせなかった。
俺はやった。
二人を危険に晒してしまったが、助けること自体はできた。
俺は間違っていない。
命を諦めず救うことは、正しいことなんだ!
……なんだ、この音は?
音のした方向である後ろを向く。
そこには。
俺たち四人へと向けられる、止めたはずの戦車の砲身と。
覗き穴から姿を晒し、
「え?」
困惑で立ち止まる俺を突進で押し倒し、覆いかぶさるユーリさん。
そのあとに続く、閃光を伴う轟音と衝撃が。
気を失う直前に、最後に感じたものだった。