翌朝。
紫煙を燻らすヒューレルさんに連れられ、自分は第08小隊が屯する建物に到着した。
「はーいここに君の新しい隊があるから。君で補充兵は最後かな。
あと言い忘れてたけど、小隊だけじゃなくて分隊も君と同じだから。君のこと知ってたのはそういうわけ。
じゃそういうことで。分隊長は奥にいるから、自分で報告しといてねー」
「分かりました」
彼女は、またもや一方的にそう捲し立てたかと思うと、手を振りながらさっさとどこかへ行ってしまった。
通常こういう場合は連れてきた人間が隊長にその旨を報告するのだが、彼女の場合そんな精神は欠片もないらしい。
しかし一々そんなことで突っかかるのもバカらしいため、素直に従うことにする。外れかけたドアを開け、建物に足を踏み入れる。
元がパン屋であったであろう建物の中では、兵士たちがそれぞれ何らかの作業をしていた。銃の点検をする兵士・朝食を摂る兵士・手鏡を片手に歯を磨く兵士。やることは違えど、誰も彼も忙しない。
ふと作業の手を止めて、何人の隊員がこちらに視線を向け訝しんでいるのを感じる。しかしほとんどは少しの間一瞥しただけで、すぐにそれぞれの作業に戻った。
その光景に若干の疎外感と漂流感を感じるが、気にせず足を分隊長の元へ進める。新入りなんてものは、得てしてこうなのだ。気にすることはない。もっとも、自分の場合は予め知られているようだが。
ヒューレルさんの口ぶりからして、男の自分が入るという旨は分隊に知らされていたのだろう。どんな紹介がされていたのかは知らないが、変な偏見や噂がされていないのを祈るばかりである。
分隊長の元へ至る。彼女は机に着いてこちらへ背を向け、なにか書類に記入しているようだった。
上官の仕事を邪魔するのは気が引けるが、この際仕方ない。自分は隊長の方を向き、踵をそろえ敬礼した。
「報告。ポール・ハインリヒ二等兵、ただいま到着いたしました」
「ん……ご苦労。待っていたぞ二等兵」
ん?
どこかで聞いたような、抑揚のない声だった。間違いなくつい最近に聞いた声だ。
こちらが既聴感の正体を突き止めようとしている間に、彼女は鉛筆の動きを止め席を立った。
つい先日に会話した女性。窮地に陥っていた自分を助けてくれた女性。どんなときも冷静沈着で、仮面を被っているのではないかと思えるほど無表情な彼女。唯一違うのは、一等兵を示す階級章が上等兵のそれに変わっていたことだった。
「また会ったな、ハインリヒ二等兵。
タチェンスキー隊へようこそ。我々は君を歓迎する」
俺は彼女と前世で何かあったのだろうか?
そうとしか思えないほどに、実に奇妙で強すぎる縁だった。
「本日付けで私の隊に配属されたポール・ハインリヒ二等兵だ。
各自、己の役割と名前を彼に覚えさせるように。何かあるか?」
屯所近辺の空き地。隊長は他の隊員を集合させると、横一列に並ばせて俺を紹介した。
隊員たちの反応は様々だった。特に驚いた様子を見せていない隊員もいれば、珍獣を見るような目でこちらを見つめてくる隊員もいる。
たとえ事前に聞いていたとしても、珍しいものは珍しいのだろう。男は専ら看護卒か事務作業に従事しており、戦う選択肢を選ぶ者は少ないのだから。
「質問があります! 分隊長どの!」
「なんだラウェル一等兵、発言を許可する」
一人の隊員が声を上げた。
彼女は隊長から許可を受け取ると、続けてこちらをニマリと一瞥してこう言った。
「ハインリヒ二等兵との
どう考えても軍規違反スレスレな彼女の発言に対し、ほとんどの隊員は特に反応を示さなかった。一人は意味を理解し頬を赤く染めていたが、他は全員『またか』とでも言うような、辟易とした雰囲気を漂わせていた。
タチェンスキー隊長が口を開く。
「言わなくてもわかっているであろうが、性交渉の対象としては見るな。軍規に触れているぞ」
「はい! 不肖ながら理解しているつもりであります!
しかし常に死に直面している突撃兵の身としては、このような目麗しい殿方が同部隊にいながら接吻も許されないというのは些か耐え難いものであります!」
「
「それもそうではありますが、あれを利用するには蛇のような列に並ぶ必要があるのです!
普段使っていらっしゃらない隊長はご存じないでしょうが、あれはどうにも我慢ならないものでありまして」
目の前で繰り広げられる舌戦に、自分は唖然とするほかなかった。
当人のいる場所で当人とする許可を、当人の意志を無視して隊長に求めているのだ。バカバカしいにもほどがある。というか外なのに憲兵に聞かれたらどうするんだ。
もっとも、隊員たちの雰囲気からしていつものことなのだろう。要するにこの女は、恥じらいもなくこんな会話ができる、大の好色女なのだ。
はっきり言って苦手なタイプである。
現在進行形で、顔を真っ赤にして目を不自然に逸らしている隊員とは大違いだ。
「分かった。男郎屋については私がいずれ融通してやる。
だからこいつには手を出すな。面倒なことになるからな」
「ハッ! 分隊長どのの心広い処置に、誠心誠意感謝いたします!」
そう考えているうちに、どうやら話はついたようだった。
上官相手に交渉を持ちかける彼女も彼女だが、それにマジメに対応する隊長も隊長である。普通なら張り手での制裁で無理やり黙らせるというのに、なぜここまで構ってあげてるのだろうか?
情や人間味の感じられない雰囲気に反して、面倒見のいい生活らしい。というか実際、先の塹壕で彼女に自分は気にかけてもらっていた。
「ほかにはあるか? ないな。では解散」
隊長はそう切り上げると、さっさと建物に戻ってしまった。
それより果たしてあの会話は必要だったのか? 隊長と彼女で内密にやればよかったのでは?
くだらないことで延々立っているのはキツイことだ。命令違反者や軍規違反者に対する懲罰の一つにそれと近しいものがあるのだから、軍人にとってもそれが耐え難いのは明らかだ。
案の定ラウェルさんは隊員に次々と足を踏まれていた。しかしその光景からは刺々しい険悪さは感じられない。学生たちのおふざけのような雰囲気を醸し出している。
やはり
「災難でしたね」
ふと、一人の隊員に話しかけられた。
自分より一回り小さな体躯と、うっすら浮かんでいる特徴的な微笑が目に入る。
戦場では体格のいい女性が大半を占めているので、小柄な女性を見るのは珍しい。というよりも初めてというのが適切だろう。
その点も含めて、不思議な印象を与えてくる兵士だった。
「いえ、そんなことは」
「ふふ。
遠慮しなくてもいいんですよ。階級は下でも、ここではあまり関係ないですから」
「そうなんですか?」
「ええ。
あっ、挨拶を忘れてましたね。
ディリー・シンです。階級は一等兵、一応狙撃兵です。年齢は17。多分ここでは一番低いですね」
自分はそれを聞き、素直に驚いた。
狙撃兵はそれなりにセンスと鍛錬を要する兵科だ。大戦でその重要性が認められてからは、軍によって育成訓練が設けられその数は著しく増大した。
しかし当然、誰もが成れるわけではない。自分も一度能力値を満たし訓練課程を受けたことがあるが、結果的には不合格だった。
それに自分よりも年下の少女が成ったというのだから、やはり才能が影響する兵科なのだろう。
「あんまり彼女のこと、嫌ってあげないでください」
そう考えているうちに、彼女が言葉を発した。
意識を内部から外部に戻し、耳を傾ける。
「ハインリヒさんにとっては気持ち悪かったでしょうけど、あれでも私たちのムードメーカーみたいなものなんです。
多分元々、あなたに手を出すつもりなんてなかったんですよ。隊長の融通の方がメインだったんでしょうね」
「……なるほど」
となるとラウェル一等兵は、計算高い好色者ということになる。
はっきり言ってそっちの方が厄介だ。なにをされるか分かったものじゃない。
これまで性的に狙われてきたことは何度かあったが、たいていは衝動的で計画性のない物で、すぐさま抵抗し憲兵に突き出せば済む話だった。
そうこうしているうちに、突然ラウェルさんがこちらに駆け寄ってきた。何度も踏まれ足はそれなりに痛んでいるはずだが、そんなことは微塵も感じさせない動きで歩いている。
とうとうこちらにたどり着いた彼女。帝国軍のツバのない円形軍帽を優雅に脱いだかと思うと、見事な所作で一礼をしてきた。
「これはこれは目麗しい御仁だ。どうか一つ、私とお茶でもどうです?
いまならコニャックと、胸いっぱいの愛も付きますよ?」
「結構です」
「ハインリヒさんやっぱり嫌っていいですよ」
前言撤回。
この人はやっぱり、ただの好色家だ。