「これが異世界の牧場! いや、牧道場・・・・・・」
灯花は牧道場を一望して歯切れの悪い感想を述べた。
青い空。白い雲。そして一面の緑の牧草、ではなく、畳。
牧道場の広大な敷地には、牧草ではなく、緑のタタミが敷き詰められていた。
「武道場の畳そのものだね」とねむが言った。
やちよ曰く、目の前のそれは『タタミ』と呼ばれる地下迷宮で手に入る不思議アイテムの一つらしい。
「わたし達は、あれを搾るのかな・・・・・・」
ういの視線の先にそれは居た。
タタミの上を、二足歩行の巨大なウサギが歩いている。
つぶらなブルーの瞳が愛らしい。
その外見は、ウサギと言うより、マスコットと言った方が良いかもしれない。
全身モカ色の毛に覆われていて、首に青い蝶ネクタイを締めている。
二頭身で、体よりも頭の方が大きく、太く長い腕に対して、足が異様に短くて細い。体長は1.3メートルから2メートルほどで、巨大な耳を含めると3メートル近い個体もいた。
ウサギ達はタタミの上で放し飼いにされており、石蹴りや、鬼ごっこ、だるまさんが転んだのように見える遊びでコミュニケーションを取っていた。
近くで破損した柵を修理していた女性がやちよ達に気付いた。かなりの高身長だ。165㎝のやちよよりも10㎝ほど高い。サイドテールに束ねたプラチナブロンドの長髪が陽光を受けて流れるように輝いている。
「ようこそ、つつじの牧道場へ。依頼を引き受けてくれた冒険者だね」
「初めまして、やちよです。私は付き添いで、依頼をこなすのはこの三人」
やちよは一歩身を引いて、手の平を灯花達に向けた。
「灯花だよ」
「ういです」
「ねむです」
「アタシは葉月だよ。よろしくね」
灯花達は声を合せて「よろしくお願いします」と言った。
牧道場を囲む柵の前には『土足厳禁。靴を脱いでください』と書かれた看板がある。
一同は靴を脱いでタタミに上がると、モカウサギを横目に見なががら、牧道場の納屋に向って歩き始めた。
「着ぐるみみたいだね」ういが言った。
「これ、中に誰か入ってない?」灯花が言った。
「ちょっと、怖いこと言わないでちょうだい」やちよが言った。
「モカウサギを初めて見る人は皆そう言うんだよねぇ。そんなに不自然な見た目かな」
移動中、葉月がモカウサギについて解説した。
モカウサギはユニコーンなどと同じく、聖獣の一種とされていた。
栄養価の高い『黒汁」を搾ることができるが、女性以外に搾られることを極端に嫌う。
間違って男が『黒汁』搾ろうと掴みかかると、その巨大な両手で容赦なく反撃してボコボコにするらしい。
「『黒汁』じゃなくて『モカ汁』って名前にして欲しいにゃー」
「『モカ汁』は『黒汁』を細かく分類するときに使う名前だね」
「モカウサギは搾る部位や、搾り方によって、色々な味と風味の『黒汁』を出すのよ」やちよが言った。
「『モカ汁』『キリマンジャロ汁』『ブルーマウンテン汁』『ブラ汁』とかね」
「あの、ずっと気になってたんですけど、具体的にモカウサギさんのどこを搾るんですか?」ういが訊ねた。
「どこでも、かな。搾れば全身どこからでも黒汁が出るんだよ。耳でも、腕でも、頭からでもね」
「雑巾みたい」灯花が言った。
「さすが異世界だね」ねむが言った。
「牛を絞れば白いミルクが出る。ウサギを絞れば黒い汁がでる。この世界の常識よ」
やちよいわく、味や香りはコーヒーそのもので栄養価は牛乳や豆乳よりも高いらしい。
「ところで、この牧道場でフェリシアって子が働いていないかしら」
「この牧道で働いているのはアタシとこのはとあやめの三人だけだよ」
「これだけの数のモカウサギをたった三人で?」灯花が言った。
モカウサギは空気中の魔力を吸収して生きる聖獣なので、餌を与えたりする必要はない。頭が良いので、牧場主の言葉を理解できるし、理不尽な要求でなければ言うことも聞く。納屋の掃除も自分達で行ってくれる。要するに手間が掛からないのだ。
「だから三人で大丈夫。やることと言えば、今日みたいな搾り時の日以外は、盗人の相手をしたり、モカウサギと一緒に遊んであげることくらいかな」
「魔力をつかった光合成のような反応の残りカスが黒汁ってこと?」灯花が言った。
「詳しいことは分かってないよ。ただ、専門家によるとモカウサギの中には人が入れるような空洞があって、その中に三週間ほどかけて黒汁が溜まるんだって」
「異世界ってこわーい」灯花が言った。
牧道場の納屋は、レンガ色の体育館をぐーっと引き延ばしたような建物だった。
三棟並んで建っている。
納屋の入り口で、四人の少女が背の高い化け物を囲んで話し合っていた。
モカウサギとは異なる、猫の着ぐるみのような化け物である。
その化け物を見るなり、ういが「子猫のゴロゴロだ」と叫んだ。
ういの声に、四人の少女が振り返る。
一人はこのは、葉月と同じ牧道場の経営者である。
もう一人はマチビト村のお隣さん、ちかだった。
残る二人の緑色の髪の少女は、
「やちよさん! ういちゃん!」
叫ぶなり、さなは駆けだした。やちよとういも名を叫ぶ。
三人は身を寄せ合って再会の喜びに浸った。
「あなた、記憶を取り戻しているのね」
「はい、アイちゃんと出会った時に・・・・・・」
さなはアイの方を見た。
アイの前にはねむが立っていた。
「まさか、君が転生しているなんてね・・・・・・」
「お久しぶりです、ねむ。こうして肉体を得て、再びあなたの本から出られる日が来るとは思いませんでした」
ねむは本を具現化させ、白紙のページをアイに見せた。
「前世で紡いだウワサの物語は、転生した僕の本には一つも残っていなかった。皆、君のようにこの世界に転生しているのかい?」
「わかりません。私はさなと出会って自分がアイであることを思い出すまで、一人墓地を彷徨っていましたから」
「桜子にも会っていないんだね」
「はい、残念ながら」
「・・・・・・アイ、君はもう僕のウワサじゃない。この世界に生まれた一つの生命だ。自分を好きに定義して欲しい」
ねむは本を胸に抱きしめた。溢れる感情を押さえ込むように。
「僕のことは気にせず、この世界で自由に生きてくれ。創造主として欲を言うなら、一人の人間として生きて欲しい」
「ありがとうございます、ねむ」
さなとアイを中心に、辺りがじんわりと良い感じの空気に包まれた。
事情を良く分かっていない、ちかとこのはまで雰囲気に流されて涙ぐむ。
「それで、どうして透明人間さんがここに? なんでちかがいるの? そのゴロゴロみたいな化け物は?」
灯花は迷わずその空気を壊す。
ゴロゴロとは、さなの大好きな猫のキャラクターの名前である。前世では、アニメ、絵本、子供向けの人形劇と様々なメディアで展開されていた。
着ぐるみのような化け物は、瓜二つとまではいかないが、ゴロゴロの特徴をよく捉えていた。
「この子はゴロゴロではありません。モンスターでもありませ。カースオーブの反応はありませんでした」ちかが言った。
この世界のモンスターはカースオーブと呼ばれる宝石を体内に宿しており、動物かモンスターかの線引きはカースオーブを宿しているか否かによって判別されていた。
カースオーブは無属性の者だけが行えるとある儀式に利用できるため、十種族の中でも、特に魔族が高値で買い取ってくれる。
「猫の着ぐるみのようですが、この子はモカウサギなんです!」ちかが言った。
「本当なの?」葉月がこのはに向って言った。
「うん、先日脱走したモカウサギで間違いないみたい」
「そっか。信じられないけど・・・、ま、あやめは喜ぶと思うよ」
葉月はゴロゴロを見上げながら言った。