01 特典無き武神
昭和から平成。平成から令和へと時代が移り変わる。
隕石の落下から始まった長大な歴史絵巻は新たな局面を迎えようとしていた。
即ち、地球のレベルアップである。
神より与えられし、様々なシステムは星々も活用できるようになるという。
「そろそろ地球もレベルアップする頃合いだろ? どんな世界にしたい?」
それは
受けるのは地球だ。自我に目覚めた彼とも彼女ともつかない地球は自らの内――表皮に相当する部分――に存在する『人間』達が創りし文化を参考にしたいと述べた。
それは神々の世界において比較的普及された概念であったため、要求はあっさりと通った。
転生はそれほど珍しくなかったが転移現象がこのところ頻発していた為に時空が少しヤバイ事になっていた。それらを解消するついでで地球に刷新を許可した。
――通常ならば
何故、
「難しく考えなくていい。そいつは
良く分からない要望というか要求を突き付けられたが地球は神の言葉に頷くのみ。
見逃せ、という事はおそらくカルマシステムを反映させると不都合があるから、それともスキルの方だろうか。
人類に対して報告する前にあれこれと悩む日が続く事になる。
時は流れ、全ての準備が整った時、地球全土が僅かに揺れた。大気がいつも以上に活発化し、海も少し荒れた。そして、満を持して発表する。
『うおぉ~! みんな~。地球さんはレベルアップしました~!』
それは男性でも女性でもなく、大人とも子供ともつかない声色だった。
全世界に存在する人類すべてに声が届いているので聞く人によって理解できる言語で伝わっている筈である。
もちろん、動物達にも。
街ゆく人たちは足を止めて空を見上げる。そこには怪しい動きをしている雲しか見えない。
大地から声を発しているとは誰も考えていないようだ。
『これから重要な告知をしますので、みんな心して聞いてください』
唐突に始まった異常事態に各国政府は当然反応する。
交渉の余地もなく一方的に話される内容は『地球の理が変化する』というものだ。威圧的ではなく、どことなく子供っぽい雰囲気から愉快犯を疑った。
音響兵器による無差別テロとも。
情報の錯綜は想定内。何者が声を発しているのか、会話を試みようとしても相手は応じない。
その間にも地球は情報を発信し続ける。その中には近代兵器を使用不可にする文言があり、少し後に自衛隊や軍に存在する装備が次々と土へと変化する事件が報告される。
ついで政府が危機感を抱くのは原子力を始めとした発電施設だ。今のところ爆発事故は起きていないし、パソコンも携帯電話やスマートフォンも問題なし。
『世界に新要素のマナを放出しちゃいま~す』
各国にとって不可解な単語ではあるが一部では聞き慣れた『マナ』というのは魔力の事だとサブカルチャーに精通する者が答えた。
マナによって地球上の生物に多様化を推進させる事で
毒ガスではないとしても未知の概念は多くの混乱を引き起こす。しかし、それを防ぐ手立てはどこにもない。相手は地球そのものなのだから。
『地球さんの上にダンジョンを出現させます。君たちの中に詳しい人居るよね? その認識で大丈夫だから。それとみんな大好きステータスシステムを実装します』
研究は後で好きにやってください、と無責任な言葉もあったが、次々と新要素が報告される。
ステータスの使い方。カルマについて。マイナスカルマは『花』というスキルを得る、など。
質問したい事が山ほどあっても人類側からのアプローチには一切答えない。もしくは音声が再生されているだけではないのか、と危惧された。
『これはみんなを強い生命体にする為の装置でもある。魔物を外に出したり、試練もたくさん与えていきます。だからダンジョンに果敢に挑んでください。もちろん、死ぬこともあるでしょう。それじゃあ報告は以上です。みんな、聞いてくれてありがとう~。それでは、地球さんの新たなステージをお楽しみください!』
最後は自画自賛しながら音声が消えていった。
色々言われたが詳しい事は自分で調べろ、という。
一方的な発表の後、嬉しそうな彼とも彼女ともつかない相手に拍手を送る者が居た。
相手の嬉しそうな様子に対して祝福するのは自然なこと。それが出来るのは心に余裕があるものか、それとも信心深いだけの宗教家か。
この日、
この後、地球全土にダンジョンが作られるとは夢にも思わなかっただろう。
それと、言及されていなかったが『月』の存在が無視された。――そう、月にも地球の発表の情報が伝わっていたのだ。
「んっ? どうした『さくら』」
「……グゥ」
川沿いの遊歩道を散歩していた最中だった彼は側にいる猛獣に鼻で突っつかれた。
人の少ない時間帯でペットの散歩としゃれこんでいたのだが唐突な地球の発表で予定を切り上げる事になってしまった。
彼の側に居る獣は『
温厚な性格で、見た目が
そのさくらに前方を見るように促され、顔を向けると地面に不思議な色合いの
一般的なダンジョンは洞窟が真っ先に思い浮かぶが、唐突に現れた物からダンジョン由来だと男性は理解した。ほぼ感覚的に。
すぐに突入する事はせず、常に携帯している『M・サテラ』という現代でいう所のスマートフォンに似た機械の電源を入れる。
通話相手は遥か上空――月である。
「
男性は冷静に対処し、次々と連絡を入れる。一人で出来ない事も仲間が居れば心強い。
その一番の仲間は家族であった。
通話している間も日本各地で騒動が巻き起こっているニュースが端末に表示されていく。それらに彼は対応できないので流し読み程度に見逃していく。
喫緊は目の前の渦だ。これがダンジョンであるならば調査隊を向かわせるのが安全策だが、男性はそんなことはしない。
「入った方がいいか?」
そう尋ねるとさくらは黙って頷いた。
知能がとても高い動物なので人間の言葉は喋れないが理解は出来ている。だから、何の違和感もなく尋ねた。
真っ白な髪の神崎という男性は腰に
興味本位で入る人間が少なからず現れるのは自明の理。であれば彼は救助に向かうべきなのだが、問題はダンジョンの中が全く分からない事だ。
個別に存在しているのか、全て繋がっているものなのか、と。迷っている間にも犠牲者が次々と現れてしまう。
しかもそれが世界規模で起こっているとすれば男性とてお手上げだ。
全ては救えない。目の前ならば辛うじて可能――そういう想定を即座に組み上げる。
あくまでダンジョンの中が繋がっていればここから潜っていけば誰かしら出会う事もあるだろうけれど、そうでなければ無謀な男性が勝手に渦に飲み込まれるだけだ。
「……規制線を張るよう依頼するから、お前は家に戻れ。こういう渦に気を付けろよ」
本来ならリード線を放してはいけないのだが緊急事態なので見逃してもらおうと思った。それに自宅までそう遠くないし、さくらの姿はご近所にも通達済みだ。
さくらを見送った後、現在位置を役所に通知して呼吸を整える。
一分一秒が惜しいが慌てても上手くいかないのは彼が一番理解している。
理屈ではなく感覚で行動する。完全武装する為に自宅に戻る暇も今は惜しい。
これは人類に課せられた地球からの試練だ。であれば、何があろうと乗り越えていかなければならない。彼には守らなければならない家族が居るのだから。
『神崎
連絡を終えた後、軽く運動を始める。
短期か長期か分からないが渦を放っておくわけには行かない。かといって戻れなくなっては捜索願を出されてしまう。安全対策を整える悠長な時間は無い。
(これがダンジョンならモンスターが居るんだろう。ゲームのような世界に変換されたと見ていいのか……)
普通なら先ほどの声を聞いて誰かの悪戯だと思って相手にしない。しかし、神崎は素直な性格ゆえか、それほど疑いを持たなかった。――だからといって彼を陥れるのは難しい。
先ほど自衛隊にも連絡を入れたが不用意に近づかないように警告された。それでも調査隊が来るまで時間がかかるのは事実。事は日本どころか世界規模での出来事となっているのだから。
リアルタイムで彼の端末に情報が送られ、光る渦の発見数はどんどん増えている。
(常備薬も食料も無し。これでは無謀と言われても仕方ないな)
端末に目を向け、近くに居る仲間に最低限必要な資材を持ってくるように依頼した。それでも五分以上はかかる。
散歩コースは自宅からそれほど離れていないのが幸いし、大急ぎで走り寄る男達の姿が見えたのは五分を少し超えた頃だった。無茶な要望を出したので僅かな小遣いを彼らに渡した。――急な用事用の資金、または控えは持っていた。
「来て早々悪いが、この辺りに規制線を敷いといてくれ」
呼吸がままならない彼らに指示を出す。
災害時の対応において彼らは神崎の無茶に振り回される事があり、ついていく場合は覚悟しろと彼の
彼らは日本全国に拠点を持つボランティア活動をしている若者達だ。主に神崎家の指示で動く。
彼らが規制線の用意を整えている間、神崎は手慣れた様子で薬を飲んでいく。その数は一般人が飲む量の十倍近い。それらは決して栄養剤などではない。
大量の薬を服用した場合、即座に動かず数分は黙っている必要があった。それはどんな焦っていたとしても、どんな苦境が待ち受けて入れても、突発的な自然災害が起きたとしても。
(……何時くらいに出られるのか。それとも、出られないのか。地球の声によれば試練だというから脱出不能ではない筈……)
何にしても飛び込まなければ何も分からない。調査隊といっても唐突な宣告に即時対応できる組織があるとは思えない。なにせ相手は地球だ。
軽く身体をほぐした後、様々な色に変化する光りの渦を見据える。
本当なら街中に発生した薄に向かいたいところだが、目の前の渦も無視できない。
あちこちに行くよりまずは生存確率が一番高そうな自分が行くしかない、と神崎は思った。ただ、周りの若者たちに言わせれば神崎こそが一番危ういと言っている所だ。
川沿いの土手に強風が吹きつけた。新しい風にしては些か強いそれは大人でも容易に転倒させ得る強さがある。そしてそれは作業をしている若者に襲い掛かった。
自然は気紛れ。まして先ほど地球が地上に住まう生命体に語り掛けている間にも海は荒れ、雲はものすごい勢いで流れていた。
衛星からは地球が緑色の光りの膜に包まれている様子を映し出していた。
「うわぁ!」
ボランティア活動を始めてまだ数か月程度の若者が風にあおられ、光る渦に向かって倒れ込んでしまった。
地面に着く前に身体が消え、渦の光りは桃色で安定した。
(……もう少し広がってもらうべきだったな)
命令した者の責任として神崎は周りの者達に渦から離れる事と各方面への連絡を告げながら渦に飛び込んだ。
人命救助に躊躇いは禁物だが二次遭難には気を付けなければならない。
――今回は不可抗力だとしても考察している暇はなく、
一瞬の暗転の後、気が付けば見知らぬ風景が目の前にあった。
無機質な石壁が延々と続く。誰が作ったのか、人工的なそれは迷宮の壁に見えた。
(……ここがダンジョンの中か。さっき落ちた
天井まで五メートルほど。二階建ての吹き抜けほどの高さだ。光源は不明だが明るかった。
前後左右を素早く確認し、腰に備え付けている黒い棒に手を添える。
室内の空気が少し埃っぽい事を除けば呼吸に問題なく、軽く気合を込める。
「……よし。おお~い!」
四方に声を掛けつつ通路を進む。飛び込んでからまだ時間は経っていない筈なので慌てて駆け出さなければすぐに反応がある筈だ。
もし、別々の場所に転移していれば捜索は困難を極める。
同一階層ではなく上下で別れていれば両方とも捜索範囲にしなければならない。
(闇雲に探すより地図の制作が先か……)
壁に印をつけ、それが時間経過とともに消えないかどうか手探りで調べながら探索する。細々とした作業はそれほど得意ではないが人命が掛かっているので弱音を吐ている場合ではない。
体感的に三〇分が経過した。それでも声も気配も痕跡も見つけられない。おそらく遠い場所か別の階層だと思われる。
ダンジョンについての知識はそれほどなく、創作物やアニメの知識もあまり無い。精々、人伝に聞いた程度だ。
通路を駆けながら敵性体の気配を探る。既に結構な時間が経過している筈なのに一匹も姿を見ていない。神崎に恐れをなした可能性も否定できない。
一通り巡り終わり、元の位置に戻った。索敵範囲はおよそ三百メートルほど。
血の跡もない。であれば別の階層に行くしかない、と即座に決断する。
(人命優先。では、頼む)
そう思いつつ腰から黒い棒を取り外し、へし折る。
これは神崎が良く使う『武器』であり、その特徴は彼の全力に十全応える事が出来る。
変形機構もあるが、それらは
特別な銘は無かったが呼称があった方が――格好いい――呼びやすいと言う彼の
材質は古木。補修する場合、植物であれば何でも吸収する。
特別な木を用意する必要が無い。場合によれば
それを平然と折ったり、砕いたりするが、使用する時の正式な方法である。ちなみに一般人は折るだけで重労働だが、認められた存在であれば彼の妻のようにひ弱な力でも簡単に折ることができるようになる。
折って砕いて混ぜ合わせ。それは今必要な道具をイメージするのに必要な儀式のようなもの。そうして出来上がるのは迷路を縦断する長大な黒い
敵性体が居れば触れる筈だ。それを彼は手の感覚だけで探り当てる。
迷宮探索において卑怯な手段だが四の五の言っていられないので躊躇いを捨てた。
(居ない? なら、次の階層に行かなければ……。宝箱? 今はそんなのに……、いや、その中に入っている可能性があるな。……結構数がありそうだが)
直接赴くより手前に引き寄せた方が早い。すぐに決断を下して黒い棒に指示を与える。
幻龍斬戟はただの武器ではない。意志を持ち、独自に判断する高い知性を備えている。彼がこの武器を取るきっかけは別の話しで、今すべきことではないので割愛する。
各地に広がった荊が宝箱を包み、即座に引き返してくる。その間、通路にモンスターの姿が無い事も確認した。
引き寄せた宝箱は高さが五十センチメートルほど。思っていたより大きくて神崎は驚いた。
「区尺君。居たら返事をしてくれ。モンスターなどは居ないから」
たくさんの宝箱に声をかけると、その内の一つが開いた。中から目的の人物が怯えながら顔を覗かせる。
孤独感で恐怖心を募らせていたようだが、神崎の顔を見て安心したのか、脱力したように宝箱の中に戻って行った。
「無事かい?」
「……はい。すみません、ご迷惑をおかけして」
ダンジョンと聞いて何も用意せずに飛び込む程、
モンスターが居るかもしれない恐怖心と戦いながら通路をさまよい、偶然見つけた宝箱に命運をかけて今に至る。
もし、その宝箱に罠があったら彼の人生はそこで終わっていた。
モンスターに襲われるか、どうかの選択なら宝箱の方が生存率が高いと何の根拠もないが思ったのだろう。
「モンスターは居ないようだから……。まずはこの宝箱を開けていこうか」
「……そういえば、たくさんありますね」
彼を励まして恐怖心をやわらげつつ折角集めた宝箱を一つずつ開けていった。
布や紙の切れ端。貨幣と小石のようなものと刀剣類が入っていた。
神崎の戦闘
細々とした宝箱のドロップアイテムを区尺に持ってもらい、出口を探す事にする。既にそれらしい場所は見つけてあった。
「そういえば、『ステータス』って見ました? 念じると見えるようになるんですけど……」
「いいや」
「俺のレベル、0でした。あと、外部と連絡は取れました?」
神崎が居るからか緊張が解け、色々んな事に気が付き始めた。
M・サテラは彼が使わなくても自動的に反応する事があるので、これが無反応ということは圏外か隔絶された空間内に閉じ込められている事を意味する。それと近代機器の操作は意外と苦手ある。
周りの安全を確認した後『ステータス』と念じてみた。すると頭の中――というか瞼の裏に光りの板状のものが現われて文字列が表示された。
「……これは目を閉じている間しか見えない物かい?」
「いえ、しばらくすると……」
と、区尺がもったいぶった言い方をした時、神崎の脳内を稲妻が通り過ぎるような衝撃が襲った。
思わずよろけたが踏み止まった。衝撃には驚いたが戦闘経験が豊富な彼を転ばせるには至らなかった。
今の衝撃でステータスの使い方が分かった。そういう仕様だとしか言えないが小難しい理屈が無い分初心者には助かる。だが、納得は出来ない。
「新しい項目を知りたいと思うと今の衝撃が起きると思います。それで細かい部分が理解できるようになるみたいですね」
「……親切設計というやつか」
「それで項目に注目すると細かい説明が出るようになります。新しい項目がこれからも増えるんでしょうね」
驚きはしたものの区尺の言葉を聞いている内にダンジョンの事が少しずつ理解でき始めた。元々、創作物やアニメで多少の知識を得ていたので割合理解しやすかった事もあるのかもしれない。
それらを知るきっかけは弟や友人連中の影響が多く、彼自身の好みというわけではない。
異世界帰還者である彼も概念こそ知っていたがステータスを見る様な仕様は初体験と言ってもいいだろう。
(なるほど。日奈森君がステータスと言えって言っていたのはこれが原因か……)
日奈森は目上の神崎に命令はしないが間違ってはいない。
ダンジョンが生まれる時、人々は魔訶不識なステータスというものを目の前に出せるようになる。そういう創作物があって、それがどうして出るようになるのか――理屈も含めて謎のまま。
項目ごとに衝撃が起こるわけではなく、試しに一つずつ説明を求めるように念じると確かに細かな詳細が別の
消したい時はそう念じれば消える。ウインドウの角に『×』印は無く、何度か練習が必要だった。
ただ、ステータスに時間がかかるとモンスターに襲われやすくなる。今は何も居ないからいいけれど今後の課題になりそうだと思った。
「宝箱の中で助けが来るまでステータスについて色々と検証してました」
「怖かっただろう? とりあえず、帰還を目的とするか。君は無防備だから」
「……そうですね。事故死なんてことになったら神崎さんに迷惑が……」
監督責任を問われることは間違いない。けれど、それは結果論だ。
地表ではすでに多くの犠牲者が生まれているかもしれないし、それらについて議論するにはダンジョンの調査はどの道必要だ。
まずは無防備である区尺の帰還を優先させ、調査は続行する。今の内でなければ色々と邪魔が入る可能性が高いからだ。
(政府の対応は常に後手後手。批判を躱すなら一般人の挑戦者が結果を届けた方が話しが早くなる)
そして、神崎であれば政府にも顔がきくし、今後の活動についての議論も加速させやすくなる。
その為にはボランティアの人員から犠牲を出すのは得策ではない。
それと大事な事だが神崎はダンジョン攻略について前向きである。モンスターとの戦闘よりかは未知の冒険に比重が傾く。
彼は見た目の真面目さからは想像できない程、若者特有の冒険心に溢れていた。