地球に出現した光りの渦はダンジョンへの出入り口で、生きて戻ってきたのは風見町に住む少女が最初である、というのが地球の言い分であり公式記録となった。
自衛隊員の一部は
どういう事なのか地球に向かって苦言を呈しても何も答えてはくれなかった。
少女に手柄を譲ってもいいじゃないか、と神崎は寛大な心で言った。区尺も後ろめたい気持ちがあるので目立つ事を避けられてよかった、と。
政府としても神崎に大々的に目立ってもらうのは何かと不都合があったので、この件に関しては黙認する形に収める事になった。
(……
簡単なプロフィールを自衛隊から教えてもらった。
彼女は堂々とマスコミに自身をアピールしてしまい、日本で一番有名な――当時――女子中学生として世間にもネット界隈にもデビューしてしまった。
個人情報保護の観点から身の回りの警護に多大な人員が投じられる事になったが、本人は未知のダンジョンからの帰還にも関わらず、
他人事のように情報を眺め、本格的なダンジョン調査に向けて意識を傾け始める。
「兄ちゃんが散歩に出かけていた間、世の中凄い事になったね」
そう声を掛けてきたのは神崎家の次男、
歳が離れているのは次男からで長女の
弟は少し不良っぽい風貌だが品行方正で通している。兄には及ばないが力が強く、彼を慕う学生はかなり多い。実際、ボランティア集団のまとめ役もこなしている。
長男が白髪なのは心因的なもので本来は赤みがかった黒髪である。
「うちの周りで死人が出なかっただけマシか」
「外国では未帰還者がたくさん出て困っているみたいよ」
朝風呂から上がった次女
家族だけの時はかなり大体な行動をとる。
これに三女の
「興味本位で入ろうとするなよ。ダンジョンの中では電波が遮断されるからな」
「……ああ、そうなってんだ……。了解……」
「M・サテラでも遮断されるの?」
「そうだ」
それを聞いてあからさまに赤龍はがっかりした。通常のスマートフォンや軍仕様の形態電話ならばなんとかなると思っていただけに失望感が重い。
とりとめのない会話を交わした後、神崎は外に出る。――猛獣の
世の中にダンジョンという不可思議なものが現われ、ニュースでは地球の真意を考察する意見が多数出された。だが、こちらからの質問に地球は沈黙を保ったまま。
一方的な宣言のみでしか情報を得られない。
神崎は日を置いてから改めて土手の渦に挑戦する為に向かった。
連れを用意するより自分一人の方が安全度が高い。だが、一人で入ると多方面に心配されてしまう。なにより中からの連絡手段が不明。
警戒態勢を敷いていた自衛官たちに挨拶し、仮設テントに入る。
「おはようございます」
何人かの自衛官は敬礼し、責任者が姿を現す。
今日の目的は事前に運び込んでもらった運搬用の荷物だ。中には数日分の水と食料が入っており、テントの設営機材もあるが設置できるかは実際に行って確かめるしかない。
かなりの重量――総計約三〇〇キログラム以上――で神崎ならば問題なく運べる。
唐突に世界の
分かっている変化は投擲物と飛行能力だ。
どんな剛速球を投げても相手に当たる時、衝撃が緩和される。
航空機もいずれ飛べなくなってしまうとか。
ミサイルも銃も製造過程で
「出来れば撮影隊や記録係を付けたいところですが……。安全が保障されていない今、上からの許可が下りません」
人を死地に追いやる行為なので自衛官と言えど命令で送り込むには色々と手続きが必要だ。それを巡って上層部が議論を交わしている。
他で少女が大活躍をしようと大人は安全策を取りがちだ。誰もが責任を負いたくないと考えているから。
善行を積めばカルマが増える。そうであっても及び腰になるのは致し方ない。
一般市民である神崎に警護を使うのは
あくまで彼は協力者という
超法規的処置が適応されている一般人。
目と耳を疑うような立場だが現実に存在する。政府の依頼で彼に協力せよ、と自衛隊に命令が下されていた。
内容的には暴動鎮圧などの人に向けたものではなく、天変地異に関連したものとなっている。今回のような未曽有の事件においてはうってつけだ。
話題が
大きなリュックを背負い、特注のリアカーに残りの荷物を載せた後、平然と引っ張っていく。
現場から遠ければかなり目立つ格好だ。
重装備の神崎は周りから見えないように覆いに隠された光りの渦まで進むこととなった。
モンスターが蔓延るダンジョンを野ざらしにする事は基本的に出来ない。だが、このような処置を全国にまだ施せていない。そもそもどれくらいの数が存在しているのか分かっていないからだ。
こういう混乱時でも一週後にはだいぶ落ち着いてくるのだから日本の自衛力は民間が思っている程、低くないと言える。
ただ、早く対応しろと苦情が出るのは致し方ない。
自衛隊のお陰で外部から見られる事無く現場にたどり着き、マスコミからの質問責めも受けなくて済むのは神崎としても非常にありがたかった。
一度、振り返り隊員たちに頭を下げて荷物を持つ手に力を込めて渦に突入する。
一拍の空白期間の後に瞼を開ければダンジョンの中だ。
辺りを軽く見回した後、荷物を壁際に置いておく。
(前回と通りの雰囲気が違う。突入ポイントは毎回違うのか。……そういえばダンジョンについて聞いてくるの忘れたな)
今更だが異空間であるという事は前回と同じダンジョンに見えて実は違う、と言う事がある。
全く同じダンジョンが一定期間ごとに入れ替わる事で飽和状態を防ぐ、というものだ。
同じようで違う。その場合、現場に荷物を置くと次に取りに来ようとすると消えている可能性がある。――そのような事をうっすらと思い出し、しまったな、と苦笑を漏らす。
どれくらいの同一ダンジョンがあるのか分からないし、壁に番号を振っても突入ポイントの違いで後々混乱しそうだから書く事も出来ない。
(……だが、全体の造りが同じなら地図くらいは書いても大丈夫か)
まずは
四方を落ちていた小石で押さえて放っておけば自動的に縮尺図を描いてくれる。結構便利なツールだ。
狭い通路の迷路型だとテントの設営も難しい。ゴール付近の広い部屋まで行かないと駄目なのか、それとも下層に安全地帯の様な場所があるか確かめるか。
そんなことを考えつつ壁に大きな丸をスプレーで描く。まずはスタート地点をはっきりさせるところから。
一定距離に記号を描き、それと地図を対応させれば別の場所に出たとしても照合がしやすくなる。
問題は別のダンジョンに切り替わった時だ。――それはその時に考える事にした。
三〇分後に早速獣型のモンスターが一体現れた。前回と同じく大きな狼だった。出会って数秒で倒れてしまったが。
討伐すると身体が消えて何らかのドロップアイテムを落とす。それによって現場に腐った肉が散乱する事が無い。
どういうメカニズムかは分からないが、ダンジョン内に生息する生き物はゲーム的な要素で出来ていると見て間違いなさそうだ。
地図は二時間後に出来た。モンスターは二体ほど攻めてきたが返り討ちにした。
いくら
地図を片手に探索を開始するが、全体を満遍なく歩くのではなくゴール地点を掌握しておく。
次の階層に向けての進行は今回はしない。してもいいんだろうけれど、政府の依頼を無視する事も出来ない。家族の安全がなにより優先される。
(前回と同じくモンスターの数はそれほど多くないな。大型だから戦闘に手間取ると厄介ということか……)
深く進めば数も増えるだろう。今はまだ試練の
数が少ない内に経験を積んでいき、多数との戦闘に備える。正しくゲームだ、と神崎は変わってしまった世の中に苦笑する。
しばらく徒歩にて進むと前回と同様の広間に着いた。
部屋の中央奥に台座があり、赤と青の光りの渦があった。今回はバーゲストの姿は無いようだ。
このダンジョンが人類への試練だとしても凶暴なモンスターをいきなり倒せるものだろうか。自分だからこそ楽に対処できているが、と思わないでもない。
壁際に荷物を纏てめてテントを設営する。
モンスターがどこから湧いて出るのか分からないが、今のところ壁から
M・サテラを取り出して現在の時刻を確認する。彼は腕時計を付けない。――戦闘の邪魔になるから。
手慣れた様子で布団を敷いたり、簡易トイレを設置したり、食事の用意を整えていく。
プレハブの資材を持ってきていないので荷物の重量的には軽い方だ。これは一人分ではなく六人ほどのパーティを想定している。――今回は寝床一人分だけ。
無機質な迷路型。地面は硬質的な石。気温は暑くもなく寒くもない。
準備が終わったら通路に出て、モンスターを捜索する。前回は楽をして宝箱を回収したが今回は目視のみで探す。
(集めた宝箱の空き箱が無くなっているから別のダンジョンと見ていいのか? それとも時間経過で消えるとか)
それを確認する為には最低でも一つは見つけておく必要がある。
箱の中に入って怯えていた
壁面に矢印を付けつつ小一時間ほど探したが宝箱は見つからなかった。代わりにモンスターには会えた。
三時間ほどの探索を終えて広間に戻る前にステータスの存在を思い出した。
モンスターを倒すと経験値が得られるならば今はどのぐらいだろうか、と思って念じてみた。
ゲームでありがちのモンスターを倒すと経験値をどれだけ取得したかのメッセージは表示されない。
| 29歳 | |
| ジョブ | 《変更可能》 |
| カルマ | +134 |
| レベル | 7 |
| 魔力量 | 33/33 |
| スキル | |
【お兄ちゃん】 | |
| 称号 | |
【地球さんを祝福した者】 【 | |
レベルが増えていた。
モンスターの討伐数はそれほど多くないと思っていたが獲得経験値が多かったのだろうか、と首をひねる。
それとジョブが変更できるようになっていた。――問題は各項目の操作の仕方が分からない事だ。
今見えているのは目蓋の裏。または視界に映っているのであって目の前の空間に浮遊しているわけではないこと。当然、触れない筈だ。
分からない時は分かった人に聞くのが一番だ、と判断しステータスを消す。念じるだけで消えるがふとした拍子に出てくると困るので今度は忘れないように練習しようと思った。
広間に戻ってから壁に釘を打ち付けてみる。破壊不能かどうかと可能であれば鉱石のサンプルを得る為だ。
いずれ多くの探索者がやってきて壁などを破壊していく。もし、全ての壁を破壊した場合は迷路の
外の様子が全く分からないダンジョンで一夜を過ごし、本当に一日経過したことを寝起きに確認する。
武骨な空間内での就寝は身体や精神を疲弊させる。まずは体操から。
寝ている間にもモンスターが来たらしく、出入り口にドロップアイテムが散乱していた。
貴重な飲料水で顔を洗ったり、朝食の支度を整えたり、アイテム整理に壁の修復具合の確認などをしているとあっという間に一時間が経過した。
放置されている物品がダンジョンに取り込まれた形跡はなく、損壊もそのままだ。
入場者が居る限り修復されないという事もあるかもしれない。それらを手帳に記載していく。
一日過ごしても肉体が存在している所から宿泊は可能である、と。
(……常備薬を忘れていた)
普段は忘れない薬箱を持ってきていない事に先ほど気づいた。
昨日の誰かに渡してしまったかもしれない。いつもは妹が持ってきてくれるので。
このまま次の階層に行くより戻る事にする。大荷物も持ったままであれば一緒にダンジョンに入れることが分かった。
モンスターの強さからも当面は立ち入り禁止で良いだろうと判断し、手早く荷物をまとめる。名残惜しいが無理は出来ない。
念のために無くしてもいい物品を広場の片隅に置いておく。それと目印を壁に描き、赤い渦に飛び込む。
目蓋を開けたままだと光りが強くて目に痛い。次に気が付けば仮設テントの中だと分かる。
戻る場所に変化は無いようだ。
「お帰りなさいませ」
と、神崎の帰還に気付いた自衛官の一人が挨拶してきた。
一先ず調べられる分だけまとめた手帳を後からやってきた担当官に渡す。
今後も調査するか攻略を本格化するのかは交渉次第として、まずは言えに帰る事にした。――検査が残っているけれど。
自宅に戻れたのは夕暮れ過ぎだった。
最初は何をするにも手続きが必要で、長期間の拘束も慣れたものだった。
守秘義務の観点から家族に話せる分は少ないが今のところダンジョンに一般人が潜れるような状態ではない事を伝えて自室に向かい、そのままベッドに潜り込む。
気を張る現場の後は身体が重く感じる。いつもならば部屋に妻と子供の姿があるのだが、今は居ない。世間が騒がしくなった事で今日のように呼ばれる事が多くなり、かえって邪魔になると判断された。
彼女に気を使うなとは言えない。別居というか家の中に居るので会おうと思えば会える。
妻の事で忘れかけていた薬の事を思い出し、薬箱の用意を始める。
(本格的に世間が騒がしくなったら手加減はしないが……。無数にある全ての渦の対処はどうしたらいいんだ?)
これからも光りの渦が生まれるならば神崎であっても手が足りない。
それと他の渦のモンスターがどうなっているのかも不明なままだ。
考える事はたくさんあるが神崎はこの日、熱を出して数日間自宅療養を余儀なくされ、看病の為に訪れた妻の顔で幾分か気分が良くなったとか。