政府筋の依頼を承諾するとしても即日現場に向かうわけではない。少なくとも同じ県内にあるわけではないので準備が必要だ。
常備薬は勿論だが、考え無しにダンジョンに挑むわけにはいかない。
まず、用意と共に探索するにあたって予定表を制作しなければならない。
少女達が最初に攻略した時は五日ほどかかったそうだ。学校の事もあるし、長期間拘束するわけにはいかない。
まず、神崎が先行し、モンスターとの戦闘に慣れてもらい、
ダンジョンは訪れた事のある階層――例えば二階層から始めたい場合など――を思い描いて入ると途中の階層から始められることが分かっている。ただし、未攻略者がパーティに交じっていると無効となる。
難易度変化型は広大な空間になっており、階層というよりは一つの地域が階層一つ分に当たる。
ボスが待ち受ける領域では一度入ると引き返せなくなり、討伐後も戻ることはできず帰還ゲートを潜るしかなくなる。
これから向かう予定のダンジョンの公開されている情報を黙読していると来客があった。ただ、その人物は来て早々
「……てめえ、定期健診に来いつったろ」
サングラスをかけた彼より少し背の高い女性が威圧してきた。
水色の髪に日本人よりも色白の肌で胸も割合大きな彼女は神崎にとって恩人の一人であり、頭の上がらない人物でもあった。
神崎家にとって高額な薬――実質タダ同然――を提供してくれるスポンサーともいえのだが高圧的な態度は恐れよりも懐かしさを感じさせる。
「行く暇が無かったんですよ。今回も政府から依頼が来てしまいましたし」
「……どの政党だ? ちょっと首絞めて来てやるよ」
「……それはやめて下さい」
政府が相手でも厚顔不遜な態度で臨むが、彼女は立場的には一般人に近いので国会議事堂や政府庁舎に赴けば普通に拘束される。
彼女の妹であれば真逆の対応をされると思う。姉より温和な性格なので荒事にはなりにくい。
愛知県に籍を置く彼女マリン=ヴァニラ=
見た目に反して神崎家を自分の家族のように大切にしている。それは
「世界の法則が変わってうちは大混乱だ。今のうちに対策したいがどうすればいいのか分からない。……で、お前に色々とやってもらおうとしたのに」
「すみません」
彼女は思考より口が出るタイプだ。見た目は欧米人だが日本生まれで国籍も日本だ。
振る舞いが外国人風で違和感がある。
昔から姉御肌で神崎にとって頭の上がらない人物の一人だ。――マリンの父親も同様に。
「それに何だ、地球の奴が動画を公開しただろ? 秘密にする事も難しいときている。かといって後手に回ってもらっては困るんだが……」
一方的に愚痴を垂れ流すが彼女はいつもこんな感じだった。
世界が変わってもマリンは昔のまま。それはそれで心が安らぐ。
神崎は自他供の認めるほど力か強い。そんな彼を恐れない存在は希少である。
小一時間愚痴を言った後、マリンは
ただ愚痴を言いに来たわけではなく神崎用の薬を持ってきていた。別に彼女が運ばなくてはならない理由は無いのだが顔を見に来たかったのだろう。
ダンジョンについて言及していたので彼女の下にあるダンジョンを攻略してほしかったのかもしれない。妹と弟の為に。
その後、いくつかの確認事項を済ませた後、風見ダンジョンに併設してある仮設テントに向かった。
今回、女子高生組の四人と神崎のほかに一名追加できるのだが、その人材を妻かそれ以外にするかで悩んだ。
何人か浮かぶが危険なダンジョンに連れていけそうな者が浮かばない。特に自分と共に攻略するとなると――
(数日間拘束できる者が居ない。学生が多いし、社会人も会社を休むわけには行かないだろうし)
世間には暇を持て余している人間がたくさんいる。それらは普段は家に居て肉体労働をしたがらない。よって足手まといになりやすい。
法整備が整ってダンジョンに関わる人材が増えてからならば――それが実現するのがいつになるのか分からないけれど。
当分は一人だ。少しずつG級に挑ませて経験を積ませるとしても今すぐ使い物にはならない。だから、妻や弟達、日奈森を連れてこれなかった。
急な仮病を使えば
あれこれ人物を思い浮かべてみたもののダンジョン攻略に連れていけそうな者は誰も出てこなかった。何人か居ると思ったのに会社と学校などを考えると平日の探索はとても難しい。
「こちらの追加人員は無しです」
「そうですか」
前回に引き続き、彼の担当官は馬場翔子女史だった。側には研究員の音井礼子女史の姿もある。
現場に女子高生組は居らず、神崎に先行してもらいドロップアイテムを可能な限り入手し、
一度入ればクリアするまで出られず、時間経過で難易度が変わるので攻略は日中が望ましい。――夜間は一番難易度が高くなる。
馬場は上層部からの重要書類が入った封筒を神崎に渡す。極秘と捺印された封筒を担当官の前で開封する時、彼女は現在時刻を復唱した。
内容は最後に控えるボスの居る領域には深夜に入り、これを討滅すること。つまり最高難度のボスを倒せ、というものだ。
もちろん、道中のモンスターが強すぎて歯が立たなければ諦めても良い、とされている。あくまで神崎個人の責任でもって事に当たれ、と。
こんな命令を一般市民に出すのだから極秘にしなければ大問題に発展する。
何度か熟読した後、書類を封筒に戻し、馬場に返却する。この封筒は中身を確認しないまま処分される。
(……女子高生を参加させるのは私に守らせるのが目的かな? 今までの傾向から安全な探索を心掛けていたはずだ。高難度の探索は彼女達にとっても未知数の筈……)
実質神崎一人でヤバイくらい強いボスと戦う事になる。
彼の実力ならば、あるいはと政府筋も期待しているのかもしれない。無理なら引き返してもいい、というのは実質無理だ。一度領域に入れば攻略するか死ぬかしかないのだから。
つまり――彼女達の前で本気を出してもいいからボスを倒せ、という
一般人が頑張ればなんとかなる事を羊谷達は身をもって証明した。ただ、彼女達が失敗した動画はまだ無い。かといって死んでもらうわけにはいかない。彼女達は人類の希望でもあるから。
一般向けに開放する場合、どの程度危険かも伝える必要がある。あまりにも隔絶した内容になれば誰もが二の足を踏んでしまう。
人類を守護する盾は一枚から五枚に増え、これからさらに増加する予定になっている。既に地球から賽は投げられた。
「受けるとしても見返りを要求する権利はある筈だ」
「……そうですね」
「大きな要求を一つ呑んでもらおうかな。内容については後日知らせるとして……。こちらの方はある意味、死刑宣告と変わらない事を忘れないでほしい」
馬場の立場からすれば命令書を渡すだけで神崎からの要望を受ける命令は受けていない。ほぼ一方的だが無茶なお願いに対して政府、または防衛省辺りは無視してはいけない筈だ。
善処しますとも言えない。
神崎の情報をろくに知らない馬場に責任を押し付けた、ともいえる。
「彼女達を同行させるにあたっていくつか用意してほしいものがある。無いよりマシな程度たけど……。治療魔法や回復薬の用意は出来ないけれど、それらはどうなっていますか?」
「いくつか当てはありますが、治療魔法はまだ確認されておりません」
まだジョブについて検証が進められている最中だからか、身の安全を
それらもダンジョンに潜る者が手探りで検証していく事になるのだろう。
まずは必要な物品の要望を伝え、大きな
風見ダンジョンから自衛隊車両に乗って風見山に向かう事になった。羊谷達には数日後に現場に来てもらうよう馬場は手配する事を神崎に約束した。
目的地である風見山は桜の季節が終わり、登山客で賑わう所だったがダンジョンの出現で見物人が増えた。
ここにも自衛隊による規制線が張られているが登山自体は許可されている。
既に見頃が過ぎてしまったが桜のお社というものがあり、そこは地元民に知られた観光スポットの一つだった。
「……ああ、そうか。別に……」
風見山に到着してから神崎は気づいた。
最初から同伴しなくても最終日から入れば六人目として使えた事を。――どちらにせよ、このダンジョンをある程度クリアしていない限り最終日に潜っても意味が無い事を彼は気付かなかった。
攻略の仲間が居るのは何かと便利だ。戦闘の役に立たなくても。
他人との予定を合わせるのは意外と難しい。
神崎には同年代の友人が離れた場所に居る。近くに居るのは
多少の力自慢が居ても未知のダンジョン攻略には心許ない。それに無謀な行動を控えるように我が家では教育されている。それが今回は裏目に出てしまった。
神崎と対等に戦えそうな人物は公式的にもただ一人『
彼は神崎龍緋を倒した唯一の人物して有名に
様々な条件と幸運が重なったとはいえ当人も認めてしまった。それゆえに当時は非常に居心地悪い思いをさせてしまった。
そんな不運を一身に背負ったかのような彼も神崎家の三女
ちなみに力関係で言えば鈴怜の方が――物理的にも――強かったりする。もちろん、彼女は兄に暴力を振るおうとはしない。
(強い女の子が多くなったな)
近代の男子は紳士的になり、ひ弱とは言いたくないが慎重派となりつつある。代わりに女性が地位も実力も上になった。創作物でも活躍の度合いは男性を凌駕している。
そして、今回のダンジョン騒動も女の子ばかりが大活躍している。
男性代表たる神崎としてはくすぐったい思いだ。
雑念を振り払いまずは目的地である山の中腹に向かう。
桜のお社は大きな桜の木の根元に空いた
季節が合えば桜吹雪が舞う幻想的な景色が拝める。今はまばらに桜の花弁が散らばっているのみ。
この社の背後に位置いるところにダンジョンの渦が存在する。
足元が桜の花びらで覆われている為に発見が遅れたところでもある。――この近くに自衛隊が設置した仮設テントや小屋がいくつかある。
まず神崎が要望した物資と持っていく大きな
予定期間は五日。地図を用意したので可能な限り急いで最終地点の
最初の地点ではモンスターが一体しか出ない。最終地点は五体編成となるので、効率を考えた結果だ。
水と食料と妖精店に泊まれなかった時の為の寝袋や風呂に入れない場合の匂い消しなどが詰め込まれることになった。
既に自衛隊の幾人かが難易度変化型ダンジョン――正式には『無限鳥居ダンジョン』――に挑んでいる。しかし、攻略は昼の内で夜間は避難しているのが現状だ。
無限鳥居ダンジョン内の
「入手してほしい素材と売却しても良いリストはこちらになります」
地図と共に手渡された書類は数枚にも及び、遭遇モンスターと基本的な戦い方などが記載されていた。
大元の情報源は羊谷達だが自衛隊も未知の敵は怖く、高難度の敵の情報はほぼ皆無と言っていい。唯一は目撃だけした天狗と百鬼夜行のモンスター達の一部くらい。
四人がかりで倒した
(……下手したらここで死ぬかもしれないな)
神崎は素直な感想を抱いた。
強化種のようなバネ風船ですら結構な攻撃力を持っていた。それよりも強いモンスターがまだまだ控えているとなるとご近所で強いと評判の神崎でも臆する。
本来はモンスターに対して強いわけではない。争いごとは苦手だし、政府の要望に従うのもあくまで地域住民を助けるための一助。
彼にとっての一番は家族、それ以外は本当に二の次だ。それでも――
役に立つならば頑張る。
神崎家の長男として生まれた彼の矜持だ。
敵が強大でも戦わなければ誰かが泣く。仮に自分が倒されれば家族が泣く。ならばダンジョンに行かなければいい、という考えは持っていない。
人の親になって守るべき者の数がかなり増えてしまった。それらを今更手放すことなど彼にはもう出来なくなっていた。
後がない彼に妻となってくれたベアトリーチェや気に掛けてくれるマリン達の存在が背中を押してくる。
皆に期待された
一つの仕事に取り組む時、自分を叱咤する。
気合は充分。ステータス的にはまだまだ弱い部類だとしても。
常備薬の確認と服用を済ませた後、持って行く荷物の様子を見に別のテントに向かった。
今回のダンジョンは見晴らしの良い山岳地帯となっており、何度か山登りする事になっていた。
行きは軽めの百三〇キログラム程度だが帰りはこの倍以上に嵩張るのでは、と試算している。
戦闘もこなさなければならないので過剰な荷物は持たない方がいいに決まっている。だが、何日も滞在する所なので万が一を考えると必然的に量が増えてしまう。なにより一人で持って行くものとしては重すぎる。
後から合流する少女達の分も含まれているのかもしれない。
「緩急のついた地形となっておりますが……、大丈夫ですか?」
一人で背負うには重すぎる荷物は自衛隊でも拷問レベルと評しそうだ。
重さの原因の一つは水だ。神崎は水魔法が使えない。もし、使えたらもう少し軽くできた。
いざ荷物を背負う段階で音井女史が姿を見せる。
普段は白衣を着ている研究者だが今は登山用の服装に着替えていた。迷彩柄の上下ジャンパーと厚めのブーツに軍手。個人用のリュックを背負っていた。
「私も同行します。戦闘には参加出来そうにないが、妖精店の交渉は私に任せてもらいたい」
彼女もG級ダンジョンでそれなりに経験を積み、【研究者】というジョブに就いている。
突然の要望にもかかわらず神崎は同行を了承した。
何にしても守る者が一つ増えた程度だ。――いつもの事として迷うことなく頷いた。
問題があるとすれば彼女の体力面だろうか。山道を行くわけだから足手まといになるのではないか、と見守っていた自衛隊員達は心配になってきた。
「急ぎで向かいますが大丈夫ですか?」
「研究者の足腰は弱いがフィールドワークの経験が無いわけではないよ。……いざという時は負ぶってもらおうかな」
自衛隊員達は揃って余計な荷物が増えた、とがっかりした。
ダンジョンに車両を持ち込めればもう少し楽な探索が出来るのだが、今まで通路型の迷宮ばかりだったので検討されてこなかった。それとモンスターの攻撃力の強さがネックとなっている。
ガス欠になってもガソリンスタンドは無いし、電気式にしても電力の都合は簡単にはつかない。
前途多難な探索が始まろうとしていた。
準備が出来た神崎は早速ダンジョン向かう。時刻はもうすぐ二時になる。あと三時間もすれば白い渦が色づき始めて桃色へと変わる。
音井女史としてもG級とF級のダンジョンについて知識はあったが桃色以上のダンジョンは未経験だった。いや、帰還者が居ない事で恐怖心が湧いてきた。
現在の自衛隊はE級を攻略し始めている。充分にレベルを上げて戦闘に特化したジョブについているからこそ挑める。
(……書きたくもない遺書を書かねばならないとは)
生還が保障されていないダンジョンに挑む時、自衛官は遺書を書く。万が一、命を落とした時の責任の所在だとか残された家族宛てだとか色々と理由はあるが、音井の場合は研究の引継ぎをスムーズにするためだ。
勿論、本人は生還する気があるが規則なので仕方がない。
そんな彼女の不安を他所に神崎は重い荷物を背負い、いつもの調子で歩き出す。
彼は様々な特例を得ているが命を落としたからといって政府が莫大な賠償金を家族に払うような事は無い。事務的に淡々と報告するだけだ。――『月』、それと太平洋上の国家から色々と言われるかもしれないが、責任は追及されないはずだ。
「では、行ってきます。攻略期間は五日を予定しています。自宅への連絡はその時期にお願いします」
「了解しました。お気をつけて」
自衛隊員たちに見送られ、音井と共に無限鳥居ダンジョンに飛び込んだ。
僅かな浮遊感と共に目蓋を開ければ夕暮れ間近の山間風景が見えた。
ダンジョン内の季節は現実と連動しており、四季があるらしい。まだ一年全て確認していないが、おそらく冬は雪景色が拝める。
(空がある全天候型か。まずは最初の
速度は分からないが彼女に合わせた方がいいのか、それとも置いて行ってもいいのか――
声を掛けようか迷っていると彼女は腕時計を確認したり、風景の写真を撮ったり、メモを取ったりと忙しい。
それらが終わると黙っていた神崎に急ぎましょう、と簡素に声をかけた。
「まずは武器を……。というより戦えますか?」
「出来れば貴方が全部戦って下さい。私は観察してますから。ちなみにレベル9です」
戦闘が苦手なのか、それでも研究者でレベル9というのは割りと高い。
そうですか、と神崎は呟きつつ地図を取り出して地形を確認してから歩き出し、音井は彼の後ろをついていく。
こうして二人の静かなダンジョン攻略が始まった。