ロイド達が砂漠に向かってから二日目。ソフィはネルダを散策していた。
父に手紙を出したついでだった。
ロイド達の行く末が気になり、ついていくことは許可されたが、手紙は出せと言われていた。
ロイド達の砂漠探索についていけないのは残念だった。ソフィは乗馬と弓の才能がある。愛馬のヒースは類い希な名馬だ。人馬一体となれるソフィとヒースは並のハンターより強い。ただし騎乗での戦闘は地形の影響を受けやすい。騎乗して砂漠に入れても自由に動けなければ、足手まといの荷物でしかないのだ。
そうソフィは考えた。正しい選択だった。
街でビリー、ヒースをはじめとする馬達と留守番をすることになった。親しい友人となったアーシアやマドカがいないのは寂しいが、ソフィはソフィはこの散策を楽しんでいた。
知らない地というのは少し緊張するが、それ以上に興味深い。
先ほどは街の外、ロイド達が旅立った砂漠を眺めた。
一面に広がる砂の海、連なった奇岩、晴れ渡った青い空が幻想的だった。
だが、この美しい砂漠も不用意に踏み入れば死を招く。先に進めば日差しを遮る岩場も減り、休む場所も限られるとアシュレイも言っていた。
また夕方見に来よう。日が沈む光景、夜の砂漠は見応えがありそうだ。
今のネルダは賑やかだ。だが、喧噪にまじり焦燥が感じられた。
人混みの中には深刻な顔つきの人間がいる。
何かあったのかもしれない。
そう思いつつ、通りの人混みを避け路地に入る。
喧騒が遠ざかり、人通りはめっきり減った。露店も無くなり、生活感が溢れている。
だが。
(少し、浅はかだったかな……)
この道は宿までの近道になるが、人目が少ない。とは言え、民家に囲まれているので滅多な事は無いだろう。
そう思ったのだが、今回は当てが外れた。
少し離れて後ろからつけてくる男が一人。前方の離れた位置に男が二人。
(追い剥ぎかな?)
ソフィは多少の危機感を感じた。
自分の身なりは取り立てて裕福には見えないが、少女が一人だけというのは恰好の獲物なのだろう。
持ち物だけでなく、自身の身も危ない。
ソフィは元来た道を引き返す。つけてくる男を無視して再び通りに出ればいいだけだ。
すれ違うはずの男は立ちふさがった。陽気な声で話しかけてくる。
「ねぇ君、少しお茶しない?」
ナンパを装っているのか、本当にナンパなのか。後者であればまだいいが、後方でさっきの男達が動いた気配があった。単なるナンパとは思えない。
目の前の男をのしてしまいたい。弓があれば可能だが、今は持ってない。しかも弓は手加減が難しく相手に重傷を負わせてしまう。そこまではしなくてもいい。
愛馬のヒースも、ビリーも宿にいる。
ソフィの運動神経は同年代のそれを上回るが、腕力で男に勝つ見込みなど無い。
前方、目の前の男の後ろにまた何人かの男が現れた。
(囲まれた)
普通は焦る場面にあって、ソフィは冷静だった。危機に陥って冷静に働く思考はソフィにとって最大の武器だった。
過去に何度か飛竜にばったり出くわした。逃れられたのは冷静な思考があったから。
飛竜に比べれば人間の追い剥ぎなど恐れるにも値しない。特に、無力な獲物を狙おうとする者など。
視線巡らせる。ここは路地だ。近くの家に飛び込む等、脱出方はいくらでもあった。
男の後ろ、民家の脇に木で作られた古い戸がある。拳で相手の急所を奇襲し、その隙に戸を破って逃げるという手。民家と民家の間隔が狭く、一人ずつしか追って来れないだろう。
自身の左手に木箱。その上から跳べば対面する背の低い民家の屋根によじ登る事もできそうだ、
。
何より飛び込めそうな民家は幾らでもあった。住人は迷惑だろうが、あとで誠意を以て謝罪するつもりだ。
男達が包囲を縮めていく。ソフィが走り出すタイミングを計っていると、唐突に終わりが訪れた。
「そこまでにしなさい」
路地に凛とした女性の声が響く。
ソフィと男達が愕然と振り返る。視線の先にいるのは女性だ。
まだ若い。二十歳前後の容姿端麗な美女、というより美少女だろうか。
鋭いが愛嬌のある目つき。陶器のように白く、透き通るような肌。何より、炎の様な赤髪。伸ばした赤髪をポニーテールでまとめていた。髪に痛みはなく代わりにツヤがあった。人工的に染めた髪ではないのは明白だった。
高貴さを感じさせる青い服。よく見れば鎧だった。その背には諸刃の長剣があった。
ソフィはその姿、華麗さに息をのんだ。そして思った、誰かに似ていると。
「何だ、テメェは」
柄悪く男達が喚く。
「その娘の……」
少女はそこまで言い、
「えっと、騎士です。多分」
困ったように言葉を繋げた。
絶対に今適当に考えたに違いない。
「姉ちゃん、ふざけんなよっ」
「人がせっかく頭を絞ったのにふざけるなとは何事かっ!」
少女が言いながら放った左のストレートが、男の一人の鼻柱に激突。男は鼻血をまきながら吹き飛んだ。
「このヤロッ! やっちまえ」
仲間を倒された男達が激昂し、少女に殺到する。ソフィの事は最早眼中に無い様子だ。
「待った! 暴力は良くない」
先に手を出しておいて少女が言う。説得力は無いに等しい。
一分と立たない内に男達の半分が地に沈んだ。残った者はようやく勝てないと悟り、仲間を担いで逃げていった。仲間を見捨てない、その姿勢は素直に評価できると思った。
何事もなかった様にしている少女に話しかけた。
「危ない所を助けていただいて、ありがとうございます」
自力で逃げることも出来たのだが、助けてもらったことには変わりない。
「一人の女の子に男がつるんで囲んでるだから、ほっとけないよ」
少女は当たり前の様に言った。恰好も、その精神も騎士の様な人だ。
「でも、これからは気を付けて。君みたいな可愛い娘を狙う獣はいくらでもいるんだから」
少女が言うとどこからか、グルルル、と獣の唸りの様な音が聞こえた。
少女が腹を押さえた。
「お腹が空いてきたね。良かったら一緒に食事しない?」
「はい、喜んで」
(何、今の音は腹の虫? ……あり得ない)
ソフィは、ぐぅぐぅ腹を鳴らせる少女に名乗った。
「私はソフィです」
「よろしく、ソフィ。私はロイヤルナイトで、エンシェント・スレイヤーと呼ばれている」
少女と握手をする。
「名前は、クラウディア・セイクリッド」
「!」
少女の名前にソフィは納得が言った。
「呼び捨てで良いからね」
この少女は、アーシアに似ているのだ。
ソフィは自分の容姿に多少の自信はあった。だが、最近は自信が無くなる一方だ。
アーシアやマドカに容姿で劣る気がしてならない。
そして今目の前にいる少女、クラウディア。凛々しくて、可憐。
先ほどクラウディアはソフィを可愛いと言ってくれたが、言ってる本人のがかあいいんじゃないか、と思えてならない。
また自信が無くなってしまう。
ソフィとクラウディアはレストランのテラスで食事中だった。
「お金は腐るほどあるから、遠慮しなくていいよ」
とクラウディアは言うが、ソフィは十分に食べた後だ。食べたのは、水の少ない砂漠地帯ならではのタジン鍋料理。水を入れなくても野菜の水分で中の具材が蒸されるという。
「それともダイエット中?」
「いえ、そういうわけでは……」
クラウディアの食欲があり得ないだけである。あのアーシアさえ凌駕する勢いだ。
「だよねぇ。必要ないよね。健康美って言うか」
運ばれた特盛りランチ(五人分)を平らげたクラウディアの腹はまだ、ぐぅぐぅ鳴っていた。
「……、これでは古竜と戦えない」
クラウディアの食欲は、アーシアとロイドとルトガー、食欲魔神三人分のそれに相当する勢いだ。
クラウディアは更に五人分のランチ(特盛り)を注文した。
「クラウディアさんは、古竜ハンターですか?」
先ほど彼女はエンシェント・スレイヤーと名乗った。直訳すれば古代の殺人者。古竜を狩る者、と訳せなくもない。最もその場合はスレイヤー・オブ・エンシェントが正しいのだろうが。
「呼び捨てで良いって。私の異名は確かに古竜ハンターを意味するよ。だけど実際は古竜を纏うスレイヤーかな」
クラウディアは自分の鎧を示す。
「これはエンプレスメイルといって、炎龍姫の素材から作られている。脚には風翔龍の素材から作った鎧を付けている」
続いて脇に立てかけた剣を指した。
「私の剣、エクディシスも風翔龍の素材が無いと作れないんだ。エンシェントスレイヤーは私の装備が古龍から作られているから付いた異名。もちろん古龍ハンターの意味もあるけどね。何よりスレイヤー・オブ・エンシェントより語呂が良い」
クラウディアが注文したし品が運ばれてくる。机の上に並べられた品でバイキングが出来そうだ。
「クラウディアのファミリーネームはセイクリッドでしたよね……」
「はぐはぐ」
クラウディアが頷く。
名前は知らないが、アーシアには姉がいるらしい。アーシア・セイクリッドとクラウディア・セイクリッド。ファミリーネームは同じで顔立ちもよく似ている。アーシアの「ふがふが」と、クラウディアの「はぐはぐ」も似ている。二人が親類関係にあることは明白だった。
迷ったあげく聞いてみた。
「もしかして、妹がいるのではないですか?」
クラウディアの手が止まる。
「アーシアを知ってるの?」
クラウディアの視線に力がこもる。
「はい。以前に私の村が世話になりました」
ソフィはセレムでの事を話した。
「そう。アーシアは元気にしてるんだね」
クラウディアの表情は歓喜とかすかな悲哀がにじんでいた。
「ソフィはアーシアと仲が良いの?」
「はい。アーシアさんはとても良い人です」
同時にすごい変な人だけど。と心の中で付け加えた。変人さではクラウディアもアーシアに匹敵する。
「そう。あの娘はとても弱いから、ずっと心配だった」
やはり、アーシアの悩みにはクラウディアが関係しているのだろう。
「アーシアさんは、心に弱さを秘めています」
「……。あの娘はきっと、私を恐れている。誰も悪くないのに、一人で思い詰めて、家を飛び出して……。本当に、バカな娘」
クラウディアの肩が震えている。感極まったのか目にうっすらと涙が浮かんでいた。
「でも、あの娘は、私の妹。世界で一番大切な宝物。
ソフィ、次にアーシアに会ったら伝えてくれる? 何時になっても良いから、帰ってこい。って」
クラウディアが涙を拭う。
ソフィは自分がアーシアと旅をしているとは言わなかった。
姉妹の間には何か溝がある。
事情を知らぬソフィは、おいそれとアーシアがこの地にいるとは言えなかった。
「はい。必ず」
「ありがとう、ソフィ」
微笑を浮かべたクラウディアから肩の力が抜ける。
嘘は付いていない。だけど、この人を騙しているようでソフィは微かな罪悪感を感じた。
「ゴメン。湿っぽくなっちゃったね」
再び、クラウディアがランチを頬張る。
「これ食べたら仕事に行かないとね」
「仕事って、古龍退治ですか」
「はぐはぐ」
クラウディアが首を振った。
「今日この町の空気は張り詰めてるでしょ。シェンガオレンが近づいてるからなんだよ」
「あの大きなカニですか。だから人々に焦燥が感じられたんだ」
「うん。その進路はネルダの隣の町、市街地を通って砂漠に向かうみたいだね。私の仕事は市街地を守る事だよ。シェンガオレンがやってくるのは、明日だ」
「その町は、馬は走れますか?」
「大丈夫だと思うけど」
馬が走れるなら、ヒースとならソフィは戦える。大丈夫、かなわない相手なら足手まといになる前に逃げればいい。
「私もお手伝いしていいですか?」
「強がりで言ってるなら、止めた方がいい」
「馬が走れるなら、私は戦えます」
ソフィは引き下がらない。
「私はギルドの伝令でもあります。それに一個人として、一つの町の危機を見過ごせません」
「そう。なら止めない。でも一つだけ。アーシアへの伝言、絶対に伝えてね」
有無を言わさない強い口調でクラウディアは言った。
「勿論です。それに逃げるのは私の十八番ですよ」
ソフィの言葉にクラウディアも納得したようだ。ぐぅ、とクラウディアの腹が鳴った。
「食べないと、町は守れない」
ソフィは思う、セイクリッド姉妹の胃袋は宇宙に繋がっているのかもしれないと。
ネルダの街外れに、ソフィは佇んでいた。
「この荒れた道……」
大地は砂の海と岩の山。そこを通る街道もそれは変わらない。踏み固められて出来た道筋といった印象だ。
「走るならMTBかシクロクロスか……」
ソフィはそこを走る自転車を考えていた。
「どっちかじゃなくてどっちも試してみようかな」
幸い、どちらも馬車の荷台に載せてある。ロードバイクを含め三台の自転車を輪行しているのだ。
「シクロクロスがわからない皆はググって見てね」
何故自転車があるのか。そういう仕様だからだ。
「じゃあちょっと、ダート走行いってみようか」
その日、ソフィは砂の上のライドを堪能した。