■ ■
雨が降っている。ポタポタと、等という優しい音色を伝えるものではなく、空を飛ぶ鉄塊が落とす爆弾の様に大きな雨粒が降っている。
強く叩く。爆弾の様に大きな雨粒が、荒れ地と化したその国の瓦礫を。
そして、その中心に佇む一人の男と一匹の龍の体を、力強く叩いている。
『……』
見詰め、見据えている。白銀の龍が、たった一本の剣を持って自身の目の前に立っている男の赤黒い瞳を、真っ直ぐに見詰め、その先を見据えている。
力強い雨粒を、龍はものともしていない。その神々しい白銀の鱗と翼には、何の影響ももたらしてはいない。
寧ろ、その雨粒がより一層、かの龍の美しさを際立たせていると言える。
「……」
そんな龍を前にして、ボロボロの鎧を身に纏う男は、たった一本の剣を向けて立っていた。
立っているだけでもやっとの体だ。意識を保っているだけでも奇跡の体だ。
にも関わらず、男は立っていた。龍を前に、神を前に、絶望せずに立っていた。
剣を捨てず、構える。腰を落とし、剣の柄を、人間の手の骨を折らんとする力を込めて強く握り締める。
ミシッ――と。剣の柄が悲鳴を上げる。人間の骨を折る程の力を込めて握り締められた剣の柄が、悲鳴を上げた。
だが、知らない。男は、そんな事など知らないし、気にも留めない。
「―――はぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!」
雄叫びを上げる。曇った天まで届き、その世界に轟く程の大きな雄叫びを上げて、男は直剣一つで白銀の龍へと駆け出した。
不動。それは動かざること山の如く、一寸足りとも体を動かさず、ただ静寂を身に纏って佇んでいる。
駆けて行く。荒らされた地面を踏み締めて、男は憎悪の叫びを上げながら、音という壁すら越えて不動の龍へと駆けて行く。
詰めは一瞬。攻めは刹那。僅かな時が過ぎ去ったその直後、龍の眼前には刃が振り翳されていた。
だが、不動。龍は相も変わらず、山の如く優雅に佇んでいるだけで、回避する事はおろか動く事すらしていない。
余裕の表れか。それとも、目の前で憎悪を膨らませている男を、眼中にすら入れていないのか。
もしくは―――そのどちらもか。
「ッッッ――――――!!!!」
剣を振るう。万力の如き握力で柄を握り、長い間探し続けた怨敵を討つ想いを込めた全身全霊の憎悪を心と刃に込めて、男は憎悪と殺意を抱いて剣を振るう。
風を斬り裂き、天を劃かち、雨粒全てをも吹き飛ばす程の剣圧を解き放つ程の一閃は、並大抵の獣であれば即死する最速にして最強の一振り。
一寸の狂いも無く、ブレなど無く、綺麗な一直線の軌道を描いた剣筋は確かに龍の顔面を捉えた。
だが―――
パキンッ―――と、情けない音と共に、その剣は呆気なく砕け散った。
「―――」
武器は無くなった。そして、敵の間合いを取ったという事は即ち、敵の間合いに入り込んだという事でもある。
『シィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ――――――――――――――――――――――――』
それは、ただの吐息。溜息にも似た、龍の吐息。
だが、それだけで―――一人の人間どころか、街一つを吹き飛ばす暴風と化すのだ。
そんな暴風を人間が生身で受けれてみれば、その肉体は切り刻まれた玉葱の様にぐちゃぐちゃとなって肉片と血潮を蒔き散らし、骨の欠片すら残されはしないだろう。
つまりは、即死だ。
龍の吐息を一身に受け、その先に待っているのは、即ち死だ。
だが、だが、だが。
しかし、しかし、しかし…!
「か、っは――――――」
男は、生きていた。死が目の前に立っているものの、しかし、即座に死んではいなかったのだ…!
ボロボロの鎧は高価だった物。聖なる鎧。荒廃の地と化した王国の王が、直々に男に手渡した最高の防具。
だが、彼が死ななかった理由はそれではない。彼が暴風を耐えた理由は鎧ではない。
―――肉体強度。男が死ななかった理由は、防具でもなければ奇跡でもない。
ただ単純に、この男の肉体強度が、神とすら崇め奉られ、恐れられている白銀の龍の吐息に耐え切る程のモノだっただけなのだ。
もし、それ以外の理由を見付けたとすれば。
それは――――――必ずこの手で龍への復讐を果たさなければならないという、憎悪と殺意故の執着心だろう。
『―――』
龍が僅かに、宝石の様に輝かしい深紅の瞳を揺らした。
まさか、と。身を保ったまま、生きているのか、と。
龍は驚いたのだ。男の純粋な強さに。
龍は感心した。男の炎の如き憎悪に。
瓦礫の山に吹き飛ばされ、その骨の殆どを粉々にされようとも、未だ憎悪の炎と殺意の刃をその眼に宿す男に、龍は感動したのだ。
嗚呼…やはり、人とは実に愉快で、素晴らしい―――と。
「っは、ぅぁぁぁ…………」
意思は固く、強く。されど、その意思を反映させる為の肉体は既に脆く。
もはや動かす事など叶わない。指の一本すら、一寸足りとも動かせない。
男に出来る事は、憎悪と殺意を込めた眼で龍を鋭く睨むか、掠れた声を発するかの二つだけである。
「ぜっ、たいに……! オマエを、殺、すぞ……! 必ず、オマ、エを……!」
少しずつ途切れていく声。少しずつ途切れていく意識。
憎悪の炎を滾らせようと、殺意の風を息吹かせようと、残念ながら、もう既に男の体は限界を迎え終えようとしていた。
もはや、これ以上の生存は期待出来ない。どう足掻こうと、意味はない。それこそ魔法か奇跡でも起きなければ、男の生存は絶対に有り得ない。
男の命は、吹雪の中で奇跡的に残っている、僅かな灯火も同然だった。
枯れ果てる寸前の花も同然の、最期の花弁を残す花も同然の、儚い命だった。
暴風に肉体は耐えども。吐息に意識が耐えども。しかし、駄目だったのだ。
龍の暴風で殺されずとも、しかし結局の所は人間が命を失わず生き残れる程度の威力ではない。
つまる所―――最初から、男は詰んでいたのだ。
龍と対峙した時点から。否、そもそもとして、白銀の龍がこの国に降り立ったその時から、もう既に男の敗北は確定していたのだ。
国の破滅も、男の死亡も。全てが、その龍が降り立ったその時から確定された事象であり、どうやっても変えられない現実なのだ。
国が全ての兵士を掻き集めようが、国が全ての民を生贄にしようが、国が他国に支援を要請しようが、全てが無意味で無価値にしかならなかった。
男が全ての兵士と立ち向かおうが、男が全ての民を犠牲にして力を得ようが、男が文字通り死力を尽くして掛かろうが、どのみち男は龍に殺されるのだ。
だが―――例え、それを理解していても。それを理解していなかったとしても。
この龍が国を滅ぼす事を確定させた様に。どうしようもない現実と同じ様に―――
この男が、龍を殺すというだけの為に、神すらも驚かせる程の憎悪を積み上げるのもまた、確定していた事象である。
「うわ、こりゃすげぇ。オマエさん、とんでもない奴を作りおったな、“ ”。」
これが、男の復讐劇の始まり。
後に、迷宮都市オラリオにて【復讐者】としての名を轟かせる、“最凶”の冒険者―――「ベイリン・アヴェンデッタ」の序章である。