ポケットモンスター 『移動カフェ"安らぎ"』 作:sisid
文字の読み書きが出来るというのは遥か昔では珍しいことだった。学校というものが極めて少ない上に、地域差も激しい時代だったからだ。
それが、例え栄えた都市であっても。
ーーカチャッ、カチャッ
タイプライターの音がする。そこは僕の家ではなく、彼女の、彼女達の家だった。
『"大切な子"の為に、名前を授けたいという意思を手紙に描きたいのですね。では、住所の方はどちらになりますか』
『僕から、直接お渡しするので、住所はなくて結構です』
『了解しました。……その子のことをとても愛おしく思っているのですね』
『そうですね。だから、夢物語でもそれを願っているのかもしれない』
『素敵なことだと思います。想いは、強く願えばいつかきっと叶うと……そう思います』
『想い……ですか』
その女性の瞳は、優しく包み込むようなものだった。それを見て僕は、人形のように美しく、綺麗だと思った。すると別の部屋から書類を持ってきた1人の男性が現れて、僕の隣の椅子に座った。
『この方が』
『はい。ギルベルト少……ギルベルト様です』
『はじめまして。今日は文字も覚えたいということで』
『はい。戦争も終わりましたしね。……僕は軍人ではありませんでしたけど、これから先、文字を覚えていけば、人間も、ポケモンも平和に暮らしていける未来があるかもしれない』
『戦争は残酷ですからね。……私や彼女は身体の一部を失った』
『そうですね。存じています』
『でも、いつかそんな未来が来るなら……それは、きっと戦争が終わった今よりも平和だ。では、始めましょう』
『ヴァイオレットさん、ギルベルトさん、本日はよろしくお願いします』
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「アンペル先生、何を読んでるんですか?」
「昔の手紙を読んでいました」
「昔の?」
「はい。僕がサナリス宛に書いた手紙ですね」
「サナ〜」
「懐かしいですねえ」
「へえ、どんな……」
覗き込もうとするリシテアには見えないように背を向ける。
「この前のリシテアさんを見て、時代の流れを改めて感じましてね」
「むぅ……見せてくれたっていいのに」
「あはは。恥ずかしいじゃないですか。当時は文字が書けなかったので、わざわざ人にお願いしたんですから」
「え、字が書けないとかあるんですか?」
「あるんですよ。……そうだ、今日は少し観光に行きましょうか」
「サナ!」
サナリスがテレポートをする。着いた先は、どこか古風な雰囲気を感じさせる都市だった。
車が沢山動き、港の方へではペリッパー達が鞄を背負いながら羽ばたいてく。
「あれ……あのペリッパー達はこの前見た気がします」
「以前、夕焼け空の中飛んでいましたね」
「あれは何をしてるんですか?」
「手紙を届けているんですよ」
「え……?」
「行きましょう」
アンペルに連れられ、リシテアは博物館のような場所に着いた。そこには門番、エルレイドが2匹いた。
「ここも……変わりませんね。変わったとすれば、エルレイドがいることと、中でしょうか」
「中……?」
「ここは昔、タイピストという職業があった時代で、一番有名なお店でした。しかし時が経つに連れ、文明が進化してタイピストという職業は失われてしまいました。ですが、こうやって博物館として残っているんですよ」
タイプライターを使い、清書を作成する職業。それは本人の代わりに手紙を書くこともあった。
「本人の代わりに……」
「アンさんのような、身体を動かせない人のみならず、自分ではどう表現すればいいか分からない人、字を書くことができない人にもこのタイピストは活躍していました。……ここ」
博物館内に入ってすぐ、タイピストの歴史について書かれている看板があった。
その内容には、当時は学校が少なかったことや、戦争があったことで充分な読み書きの勉強が出来る環境ではなかったことが記されていた。
「タイピストになりたい人は、養成学校に通わないといけませんでしたね。しかしなれる人は少なかったのです」
「文字そのものが書けないから……」
「はい。でももちろん、独学は出来ますし、文字を書ける人がいればそこはなんとかなります。……一番は軍人になることですけどね」
博物館内には歴史が中に詰め込まれている。まるでタイムスリップしたかのような空間。
「これは、切手ですか?」
「そうですね。年代物の切手にも価値がついたり、この都市にしかない特別な……あっ」
「どうしました?」
「いえ……」
アンペルの目に映った展示物の切手には、人物が写されていた。大きな鞄に、フリルの傘。
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『これでどうでしょうか』
読んでいると、文章に少し照れ臭くなっているのを自分で感じた。
"僕の大切な君へ。君はまだ人を許せないかもしれない。
僕には心を開いてくれたけれど、他はまだダメかもしれない。
それでも、僕は君と共に一生を過ごしたい。
いつでもそばに居てほしい。
そうでなくとも心の中に僕という人間がいることを記憶していてほしい。
放って置けなくて、勇敢で、僕なんかいなくてもきっと大丈夫なのだろうけど、珍しい石を見つけたり、ご飯を食べたり、そういった何気ない普通の日常を、平和な日常を、これから君と当たり前のように過ごしたい。
その時は、僕の願いを込めた名前を君につけさせてほしい。
ずっと、ずっと僕は君を想っている。"
『貴女は本当に素晴らしいタイピストだ』
『ありがとうございます』
『ギルベルトさんも、文字を教えてくださり、ありがとうございました』
『いえ。……上手くいくといいですね』
『大丈夫でしょう。ポケモンは、知性が高いですから』
『えっ』
家を出る。ヴァイオレットさんの紹介でギルベルトさんに会い、自分自身がそちらの家に伺うと決めてから数日。おかげで自分の意思がしっかりと固まった。
足を踏み出した途端、後ろから扉が開いた音がした。
『…どうしましたか?』
『その手紙は、ポケモンに送るものなのですか?』
『……はい』
『ポケモンに文字が分かると、お思いになっているのですか?』
『……その為に、僕は文字の勉強をしたんですよ』
彼女は黙った。即座に否定されるものかと思ったが、そんなことはなく、彼女はその後綺麗な笑みを魅せて、
『素敵なことと思います。"いつかきっと"が叶うことを、信じています。アンペル様』
その言葉に救われる。時が経てば、彼女は慕われる存在になっているのだろうと、心の中でそう思った。
『ありがとう』
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「……いやはや、まさかここまで……」
「え?」
「彼女は、ヴァイオレット・エヴァーガーデン。……いや、ブーゲンビリアですかね……とにかく、実在したタイピストです。……タイピストという言葉では少々物足りないぐらいの凄腕でした」
「サナァ……」
「?」
リシテアは首を傾げる。アンペルはサナリスと笑う。
ーー違う世界で、タイピストという言葉ではなく、その世界ならではの言葉があるとしたら、きっと、それこそが彼女にとって相応しい言葉であると、そう思います。
「あの……アンペル先生って、おいくつなんですか」
「秘密です」
「えぇ……」
「長生きしてるということだけ、お伝えしておきます」
ーー"想い"というのはなんなのか。戦争があった時代はこれが不思議で堪らなかった。しかし、こうやって長く生きて、生きて、色々なことと巡り合ってきた。そうして気づいたことがある。
博物館の展示物、そしてヴァイオレットさんの切手。歴史があるのはそういった"残したい"という気持ちがあるから……
"想い"は途切れず、受け継がれていく。
ヴァイオレットさん、ドルビーシネマでお会いしましょう。