ポケットモンスター 『移動カフェ"安らぎ"』 作:sisid
「マツタニ君!この案件の資料作りまだ終わってないのかい!?」
「すみません。先程、部下に資料の添削頼まれて、並行してやってるので…」
「ああそうなのか!すまないが少しペースを上げてくれないか。定時までには済ませておきたいんだ」
「承知しました」
言われたことを言われた通りに。清楚正しくスーツが似合う。メガネをかけたそのインテリの見た目に違わないその行動力と会社の貢献度の高さに、部下含め信頼を集めているマツタニは、今回も言われた通りに事を済ませる。
「ありがとう。マツタニ君、後はこれをよろしく頼むよ」
上司に渡される更なる資料。残業がそこで確定したが、彼は表情を変えずその資料を手に取った。
「承知しました」
そう言うと、またデスクトップと向き合い始めた。
周りの内緒話が始まる。
「さすがマツタニさん。表情ひとつ変えてないぜ」
「ああ。知ってるか?噂だと、あの人のポケモン、ヤルキモノらしいぜ?」
「そうなの?私が聞いた噂だとジュカインだって…」
「うわーどっちのポケモンもありそうだなあ」
その内緒話が内緒話にはなっておらず、マツタニの耳に届いていた。
「お前たち。仕事は済ませたか?もう退社の時間だぞ」
「は、はい!おかげさまで…」
「なら、早く帰るといい。私はこれを済ませてから帰るから、忘れ物だけはしないように」
「なら、手伝いましょうか?さすがに残業続きなのは…」
「構わない。慣れている。君たちは私の部下なのだから、しっかりと休みなさい」
「か、かっけぇ…はい。ありがとうございます。お疲れ様でした!」
部下のみんなはそうして帰っていく。そして上司も帰る。マツタニだけが会社に残り、それもようやく終了する。一時間弱の残業で済ませて伸びをした後、退社する。
「ふう……」
だーれが俺の手持ちがヤルキモノだジュカインだとか言い出しやがったんだ!!
マツタニは誰にも見られていないことを確認してから地団駄を踏む。
俺がそんな可愛くないポケモンを手持ちにするわけねえっての!!
俺だって別に残業したくしてしてるわけじゃねーっつぅのよ!なんか成り行きでエリート感出すようになってからこういう立場になったたけだっつーの!ハァー代わってもらえるなら代わってもらいてえよ!!
こう言う時はちょっと早いけど、今日は公園まで行ってもう癒されよう。会社内にポケモン出すのダメなの窮屈だけど、出すまでの我慢を解放できるこの時間は至福だぜ。
マツタニは手持ちのポケモンを外へ出した。
マツタニのパートナーは、イーブイ。
「ブイ!」
「はぁぁああお前は相変わらず可愛いなあ!?」
「イーブイ!!」
「最高!生きる理由だよイーブイ!!」
ベンチに座ってはぎゅーっと抱きしめて、麻痺はしないがマツタニのほっぺすりすりが炸裂する。
「…あの」
「あはあはは…ハッ!!」
そこにアンペルとサナリスが現れる。
ーー見られた!?公園内に人はもういないと思ってたのに!!
「これ、落としましたよ」
「えっ!?あ、これはこれは…ご親切にありがとうございます」
いつの間にかハンカチを落としていたらしく、それを届けに来てくれたようだ。
いやしかし…人前で恥ずかしいところを見られてしまったな…
「隣、いいですか?」
「はい。どうぞ」
マツタニは会社にいるように振る舞い始める。無表情に、どうぞと言って見せたが、内心はそんなところではなかった。
良いわけねえだろうがよぉ!俺はイーブイに元気をもらう為に家に帰るより先にここに来たってのに!今からイーブイにご飯もあげようと思ってたのにそんな姿見せられねえしくそぉおおお!!
…かと言ってハンカチを拾ってくれた人に対してそんなこと言えねえ!
「サナ?」
「ブイ。イーブィィイ!ブイブイ!」
「サァナ…サナ」
「ん?どうしましたか、サナリス」
サナリスの何かしらの問いかけに、イーブイは返答し、それに対して少し思考した後、サナリスはアンペルに声をかけた。
その後はただ二人、見つめ合っているのみで、ただただマツタニは気まずいだけだった。
何この時間。え、どうしましたか?の後無言ってありえる?普通なんか声掛けあったりしない?サーナイトってそういうポケモンなの?ええ、不思議すぎるが?
「失礼、すぐ戻りますので、お待ちいただけますか」
「えっ…はい。構いませんが」
「…ありがとうございます」
そう言って少しサナリスと共にどこかへ行くアンペルを見送った後、マツタニは自己嫌悪した。
違うじゃん?なぁにが構いませんなの?構うよ??なんで俺待たなくちゃいけないの?怖すぎるよさっきからあの人。何かを見透かしてるかのように俺を見てくるし。あの綺麗に透き通った青い瞳が怖いわ。
そう思いながら気を張るのは社会人故なのか…俺は今、イーブイに抱きつくことが出来ない…!!くぅ、おすわりしてるイーブイも可愛いなあ…!
しかし表情は一切変えることをしない。アンペルとサナリスが何かを持って戻ってきた。マツタニは先程とは違って姿勢良く、ベンチに座っていた。
「お待たせしました」
「全然待っておりません」
「そうですか」
「はい。ところで、そちらはなんでしょうか」
「これはですね、自家製の食べ物です。実はですね、試食して欲しいなと思いまして」
「試食?」
「はい。僕、実は移動カフェ"安らぎ"というお店をしておりましてね」
「なるほど、それが新しいメニューというわけですか。しかし…そういうのは私のような人間ではない方が良いのでは?私は移動カフェがどのような仕組みで経営されてるのか知りませんが、上司に当たるものがあるのであればその方に…」
「あはは。いませんよそのような方は。移動カフェというのは、自分の自由に出来るのです」
「そ、そうですか。しかし…初対面ですから、その…」
「怖いですか?」
ぐっ、図星だ。その優しい表情には何かしら裏があると思ってしまう…!だが、何故か安らぐな…なんだ?
アンペルは無表情のマツタニを見て、優しく微笑む。
「初めて会ったばかりの貴方と僕ですが、僕は貴方がどういった方か、なんとなく分かります」
「え?」
「貴方も、なんとなく分かってませんか?」
「そ、それは確かに…。貴方が悪い人とは思いません。しかし…」
「それだけですか?」
「と、言いますと?」
「僕は、貴方が仮面作りをし過ぎて心を痛めている方に見えます」
「!!」
「貴方から見て僕は…なんでもお見通しのような気がしてませんか。それでいて信頼しても良いと思っている」
また図星だ。もはや驚くことでもない気がする。
信頼も確かに…俺を何か貶めるつもりなら、この場から離れることもしないし、サーナイトとイーブイが話をすることもない。
「方向性は違えど、同じ社会人同士。いつの間にか、人間を品定めするようになってしまって、そうすると、自分がどう見られているかを考えるようになって、それはそれは窮屈な一日を過ごすことになる…僕もそうでした」
「貴方も?」
「はい。ですが、サナリスが自分らしくて良いよと言ってくれてから、あまり仮面作りをしなくなりまして、それ以来人生が楽しくて仕方ない」
「……」
「最初に貴方を見た時、なんて自分に素直なのだろうと思いました。ですが、今は堪えている。我慢や無理は禁物ですよ。いずれ心が病んでしまう。どうかこれを」
そう言って袋から食べ物を取り出す。それは誰もが見ても分かるサンドイッチだった。しかし、それはこの地域のものではないサンドイッチで、何やら少しパンの生地が硬い。
「これはパルデア地方というところから仕入れた食材達でして。ポケモンも食べることが出来ます。ガケガニスティックは特に絶品ですので、それを使った試作品のサンドイッチです。二つありますので、イーブイにも」
「…では……あっ」
イーブイがサナリスの膝の上で丸くなっていた。マツタニは手に持っていたサンドイッチを持ちながらキュンとする。
かっ、可愛いぃい…!なんという美!美しさと可愛さが備わっているではないか!暗くなかったら写真に収めていたところだ!
「サァナ。サナ」
「ブゥイ?ブイブイ!」
イーブイはサナリスの元を離れ、マツタニのところは駆け寄っていく。そして膝の上で座り、手に持っているそれの匂いを嗅いだ。
「…食べるか?」
「ブイ!」
小さい身体の割に大きく口を開けて、ガブッと中の具が顔を覗かせる。それを気にせずムシャムシャと食べてゴクンと飲み込むと、目を輝かせて、一気に食べる。
「こらこら、落ち着いて食べなさい」
「ムゥイ!」
「ふふっ。可愛いですね」
アンペルがそう言うと、マツタニはグッと右拳を握った。
「そうでしょう!この愛らしさは誰にも勝てない!貴方はよく分かっていらっ…あっ」
「良いですよその調子で。そもそも一度見てますし」
「あはは…」
マツタニは照れ臭そうに頬をカリカリする。
「いや、ね。どうしてもと言いますか、周りは私のことをエリートだと思っていて、感情も表に出さず、言われた業務を淡々と熟す男だと思われているんですよ」
「そうでしょうね」
「私はそれに応えないといけない。そう思ってしまうんです。それが周りの求めていることならば…と」
「ふふっ。やはり僕と貴方は似ている。僕もこの移動カフェを始めた時は、お客様が求める店員を演じようと必死でした」
アンペルは優しく微笑みながらそう言った。
「だからこそ、本当の自分を曝け出してみるのも良いと思います。貴方なら大丈夫だと思いますよ。僕が保証しましょう」
この人に言われると、本当に大丈夫なような気がする…いや、大丈夫なんだろうな。今までやってきたことを全部変えることは出来ないが…それでも少しずつ変えていくことなら、出来る。
やってみよう。心が病む前に。
「ところで美味しかったですか?サンドイッチ」
「ええ。とっても」
「ブイ!」
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…よし。俺は覚悟を決めるぞ。我慢の方向性を変えてみたんだ。俺は、今日!早く帰る!!
「マツタニ君!これ頼んだ!」
「すみませんが部長。今日は定時には帰らせていただきます」
「えっ」
周りがざわっとする。マツタニが部長の頼み事を断ったのは初めてだからである。
「ど、どうしたんだ?体調でも悪いのか?」
「いいえ。ですが今日は家に帰らねばならない理由があるので」
「それはなんだ?適当な理由なら…」
「いやいやいや!部長!今日は僕らが残ります!」
「な、なに?だがこれは…」
「大丈夫ですよ!僕らマツタニさんの部下ですから!!」
「あ、ああ…まあそういうことなら」
部下がマツタニにサムズアップする。マツタニはキョトンとしたが、その後少し口角を上げた。
「ありがとう。助かった」
「いえ!いつもお世話になってますから!」
「いつも助かってるのに、恩返しできないの、ほんとモヤモヤしてたんです」
「ところで、僕らには教えていただけませんか!定時に帰る理由!」
休憩時間にそう迫られ、マツタニはスマホを取り出した。
「私のポケモンが、家で待っているのでな。いつもは連れてきているのだが、今日はあえて我慢することにした。定時に帰る為に」
「と、なると…ヤルキモノ?ジュカイン?」
「いや、イーブイだ」
スマホの写真を見せる。それは、移動カフェ"安らぎ"の新商品、ガケガニサンドイッチを美味しく食べているイーブイの写真だった。
「か、かわええ…」
「だろう!?私の癒しなんだ」
「私、こういうのお嫌いなのかと…」
「大好きだぞ」
「意外な一面かも…!でも良いですねえそういうギャップ!」
ギャップ…そういう見方もできるのか。
フッと笑う。みんなに打ち明けていなかったポケモンを初めて見せて、マツタニは少しだけ心が軽くなった気がした。
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「申し訳ありません。ガケガニサンドイッチはもう品切れです…」
「えぇ〜!」
こんなに売れるとは…
サナ…
二人の移動カフェ"安らぎ"の営業はまだまだ続く。