コジロウの言う通りチリに会おうと決めたものの、会ってどうするかまでは決めていませんでした。作戦のことを話す? 二人で逃げ出す? はたまた、二人でコジロウたちと戦うのか? なーんにも。
「てゆーか、なんでコジロウ、チリちゃんさんのこと……」
さっきのコジロウの、今にも泣きそうな顔を思い出します。なぜ彼は、あんなに苦しそうだったのでしょう。
考えているうちに、公園にたどりつきます。チリは出かけると言っていたから、もうここにはいないかもしれませんが……かといって手がかりはほかにありません。
しかし、その心配は杞憂に終わりました。尋ね人のほうから、こちらを見つけて近づいてきてくれたのです。
「ムサシちゃん! あー、会えてよかったわぁ」
「チリちゃんさん? どうしたんですか?」
「いやー、自分に伝えなあかんことがあったさかい」
チリは息を整えると、真っ直ぐにムサシと向かい合いました。見たことがないくらい真剣な表情は鋭くて、ムサシの心は射抜かれます。
「ムサシちゃん」
「は、はい」
これは告白では!? ムサシの期待は否が応にも高まります。どっすんばったんと乙女心が暴れています。コイキングが進化してギャラドスになったかのようです。
「あんな……うち、女やねん」
「はい! ……はい?」
ギャラドスがうるさくて、聞き間違えたに違いありません。ムサシが首を傾げると、チリは優しく言い直してくれました。
「うち、女やねん」
「おんな……おんな?」
言葉の意味を理解しかねて固まっていると、チリは済まなそうに眉をハの字にして、頭を下げてきます。どうやら謝られているらしいということだけは、なんとか理解できたムサシです。
「自分、やっぱし誤解しとったよな。女やてはっきり言わんうちが悪いんや」
「おんな……女性って、こと、ですか?」
「せやで」
「冗談、ですよね?」
「マジや」
「あー……」
ようやく理解が追いついてきたムサシですが、ちょっと言葉は見つかりませんでした。頭の中がぐしゃぐしゃで、自分の感情がわかりません。
気がつくと、くるりと彼―――いえ、彼女に、背を向けていました。
「そうなん、ですね。あははは、あたし、勘違いしてましたー」
「この通り、堪忍したってや」
「あははは、いーんですよー。こっちこそ、変な勘違いしてごめんなさいでしたー」
あははは、と乾いた笑いを上げながら、ムサシは歩きだしました。ギャラドスはすっかりひんしです。
「ムサシちゃん! どこ行くんや?」
「大丈夫、気にしないでくださーい」
涙で前は見えませんが、ムサシは笑顔でした。誰がどう見ても、それはからげんきでした。
追いついてきたソーナンスがムサシを見て、ぎょっとした様子で立ち止まりました。立ち去るムサシと、立ち尽くすチリを、見比べてオロオロしています。でも、ムサシに、それに構っている心の余裕はありませんでした。
「ソーナンス! ちょっと待ってや」
主人を追いかけようとしたソーナンスをチリが呼び止めます。
「堪忍な。うち、自分のご主人を傷つけてもうたかもしれん」
「ソーナンス?」
「うん……だからな、自分にこれ、頼みたいんや」
チリはソーナンスに、小さな包みを渡しました。ソーナンスが首を傾げると、チリは優しい手付きで頭を撫でてくれました。ソーナンスはこの手が好きでした。きっとムサシも好きに違いないと思っていました。
「ソー……」
「これ、ムサシちゃんに渡したってな」
「ソーナンス!」
ソーナンスが頷くと、チリは微笑みました。
「勝手言いおるけどな、うちはムサシちゃんと友達でいたいんや。もし、うちのこと許してくれるんなら、やけど」
「ソーナンス!」
許すに決まってるじゃないか、とソーナンスはチリの肩を叩きます。だってムサシはあんなにも、チリのことが好きだったのですから。安心しろ、と何度も肩をぽんぽんしていると、チリが軽く吹き出しました。
「なんや、元気でたわ。おおきに」
「ソーナンス!」
よろしい、とばかりに頷いて、ソーナンスは改めて主人のあとを追うのでした。
「コジロウ! ニャース! さっそく作戦を立てるわよ!」
「ムサシ……」
「まったく、どこ行ってたニャー!」
アジトに帰るなりそう宣言したムサシを、コジロウは心配そうに、ニャースは呆れた目で、見つめます。ムサシはふんと鼻を鳴らすと、ソファにどっかと座りました。
「ムサシ……いいのか?」
「いいって何がよ」
「だから……チリちゃんのことだよ」
ムサシは半眼になってコジロウを睨みます。なぜこの男は、こんなにオドオドしているのでしょう? 自分がこう言ってるんだから、気にしなけりゃいいのに。
「アンタがなんでチリちゃ……チリのこと知ってんのか知らないけど、あれはただの気の、そう、気の迷いなのよ」
「気の迷い……」
「さっさと作戦立ててよね。チリは強敵なんだから、気合入れなさいよ」
「う……うん」
ムサシは天井を見つめます。気を抜くと浮かんでくるチリの笑顔を、必死でかき消します。このまま作戦を決行すれば、もう二度と会うことはなく。たとえ再会しても、二度とあの和やかな時間は戻ってこないのだから、考えるだけ無駄というもの―――そのはずなのに。
チリは女性なのだから、ムサシの恋は破れたわけです。もう、忘れてもいい存在なのです。だというのに。
「はぁぁぁぁぁ」
大きなため息を吐き出すと、隣のコジロウがビクッとしました。
そのとき、アジトの扉が開いてソーナンスが入ってきました。ソーナンスは部屋の妙な雰囲気に戸惑ったようにキョロキョロしていましたが、気を取り直すとムサシの元へ駆け寄ってきます。
「ちょっとソーナンス! 一人でどこ行ってたのよ」
「ソ、ソーナンス」
「ソーナンスはおみゃーが心配でついて行ったのニャ。その言い方はあんまりだニャ」
「ふんっ」
ニャースの言うことは最もなので、言い返すこともできず、ムサシはそっぽを向きます。ただのやつあたりだという自覚はありました。
「ソーナンス」
「おみゃーに渡したいものがあるそうニャ。なんだニャ?」
横目で見てみると、ソーナンスは小さな包みを大切そうに両手で持っています。
「ソーナンス」
「あたしに?」
「チリちゃんから、って言ってるニャ。待つニャ、なんでここでチリが出てくるニャ?」
チリ、の名前を聞いたとたん、ムサシの目はその包みに釘付けになりました。外野で何か言っているニャースの言葉など、聞いている場合ではありません。
「貸しなさいっ!」
ソーナンスの手からひったくるようにそれを奪い取り、開けるのももどかしく中身を取り出します。出てきたのはピアスが一組。そのピアスに、ムサシは見覚えがありました。
「これ、チリちゃんさんの……」
チリが着けていたものと同じデザイン、でも色が違います。ムサシのために、お揃いのピアスを用意してくれたのでしょう。目の奥が熱くなって、ムサシは目頭を抑えました。
「ソソ、ソーナンス、ソォーナンス」
「なになに、チリちゃんはムサシと友達でいたいって言ってた? 許してほしいって?」
「ソー、ナン」
「許すって……そんな、あたしが勝手に勘違いしてただけじゃん……」
「ソー?」
「許してもらうのはこっちだっつーのに……」
それ以上は言葉にできませんでした。感情が目から溢れて、世界が歪みました。コジロウとソーナンスの暖かさを両方の肩に感じました。
「そろそろ誰か、何が起こってるのかニャーに教えてくれニャ」
ニャースの呟きだけが、耳に残りました。
―――――
「チリちゃんさん!」
「お、ムサシちゃん……と、コジロちゃん?」
ムサシがいつものように偶然チリに会いに行くと、チリはちょっとだけ気まずそうに、でも嬉しそうに、挨拶をしてくれました。一緒にコジロウがいるのに気がつくと、不思議そうに首を傾げます。
「一緒におるんや」
「はい! コイツが私の後を付けてチリちゃんさんと知り合ったってのも聞きました!」
「さよかー」
コジロウの耳を引っ張りながらそう言うと、チリはクスクスと笑います。
「仲、ええんやな」
「違いますよ、ただの腐れ縁です! 仲良しってのは、あたしとチリちゃんさんみたいなのをいうんですー!」
言いながら、自分の耳を示します。そこには、チリとお揃いのピアスが光っていました。
チリが息を呑みました。
「チリちゃんさん、勘違いしててごめんなさい。あたし、かんっぜんにあなたのこと、男性だと思ってました」
「あー、うん。ええんや。勘違いさせたうちも悪い」
「いいえ! 悪いのはあたしです!」
ムサシは頭を下げました。
「謝るので許してください。そんで、できれば、これからもチリちゃんさんとはお友達でいたいです」
「ムサシちゃ……ううん、それはうちから頼みたいことや。これからも友達でいてくれるん?」
「もちろん!」
ムサシは顔を上げて、正面からチリを見ました。やっぱりイケメンで、ムサシの好きな顔です。それは、チリの性別が何であろうと変わらないことです。
そして、そんなチリと過ごした時間も、変わらないものです。チリが何者であっても。
「……あの、チリちゃんさん」
「ん?」
「あたしたち、そろそろ街を離れなくちゃならなくって……寂しいですけど、お別れです」
「……さよか」
チリは寂しげな微笑みを浮かべました。ムサシは上手に笑えているでしょうか。自分ではよく分かりませんでした。
「ま、どこにおってもうちらは友達。それは変わらへん。せやろ? きっとまた会えるさかい、そんな顔せんといてーな」
「……はい」
「コジロちゃん、ムサシちゃんのことよろしゅうな。うちが側におられへん分、自分がきばりぃよ」
「おう、任された」
「コジロウのくせに生意気」
コジロウがチリと妙に親しげなのが何だか気に食わなくて、ムサシはその腹に裏拳を入れてやりました。コジロウがむせて、それを見たチリが笑います。ムサシも釣られて笑います。ぽん、とボールから出てきたソーナンスも笑いました。辺りは和やかな空気に包まれました―――
「あれで……良かったんだな?」
「うん。……ごめんね、あんたたち。せっかくの作戦パーにしてさ」
「まあ、仕方ないのニャ。おみゃーらにあそこまで頭下げられたら、無下にもできないニャ」
「ソーーーナンス!」
青空の下、ソーナンスの声が響きます。
「まあ、四天王とのつてができたってことで、許してやるのニャ」
「よっ、ニャース、懐が広い!」
「恩に着るわー、ニャースさまー」
「ソーナンス!」
「にゃはははは」
ムサシはそっと、自分の耳に触れました。いつもとは違う小さな感触が、存在感を放っています。心の中にあの笑顔を思い浮かべると、ほわほわと温かいものを感じます。
本当なら、恋には破れ、作戦は失敗……どう見たってやな感じのはずなのに。
「なんだかちょっと、いい感じ、ね」
ムサシはそう、呟くのでした。
もーちょっとだけ続くんじゃ。