「ええと、これで全部かな?」
配られたプリントを頼りに持ち物を準備する。正直初日から教科書とか使わないだろうし、全部置いていってもいいような気もするけど。
ただ、中学の時にそれをやって怒られたことが朧気に思い出されるので、必要そうなものを片っ端からリュックサックへ詰めていく。
物品購入や教科書を買いに行った時には既に覚悟していた事だが、かなりの総量だ。予め登山用の少し大きいリュックを買っておいてよかったと思う。
教科書類や必要なプリントをまとめたファイルを入れると、それでも奥行はかなり狭くなる。どんなリュック持って歩くの想定してるんだ?
背中に予想以上の重みを感じながら階段を降りて、母からお弁当を受け取る。ハーブのいい香りに、今すぐ食べたいという強い思いをぐっとこらえて、潰れないよう慎重にしまい込む。
本当ならお弁当は毎日自分で作るはずだったのだが、こちらへ来て母の仕事の勤務時間が変わり、自分の分と合わせて作ってしまうこととなった。残念だけど、美味しいからそれでいい。
「それじゃあ、行ってきます!」
玄関を開け外に出ると、まだ微かに残る朝の匂いとのんびり木に留まる雀が私を出迎える。
カラスたちが集会を行う狭い未舗装路を抜け、鹿が道草を食べ鳩がその後ろを着いて歩く踏切を超え、私は歩き続ける。この道であれば自転車があってもいいかもしれないけど、こうして草木のざわめきを聞いたり動物たちを眺めながら歩くのが私には合っている。
一口に自然と言っても、そのあり方は毎日少しずつ変容していくから飽きることもないし、仮にそうなってもそのあと考えればいい。
30分ほど歩き続けると建物の規模も変わってきて、ようやくまともに人の姿を見つける。少し古びているが手入れの行き届いた赤レンガの建物、その前を箒で掃除している。会社の人なのかな?
「おはようございまあす」
「あら、おはようございます!珍しいですね、高校生になって挨拶だなんて、いい心掛けですよ!」
都会の人は挨拶しないのだろうか?それとも、皆歩いてないせいかな。
そういえば、この辺りは街の規模の割に生身の人を見かけない。皆車に乗っているか、ゴミ投げに出てすぐ帰るくらいのものだ。
人と人との繋がりが薄れてきていると何かで読んだ気もするけど、ここへ来て初めてそれを実感したのかもしれない。地元では、有り得ない感覚だ。
そんなことを考えながら歩き続けると、少し離れたところにあったはずの駅の方から見知った顔が近づいてくる。
「よっ、みすちー!」
「いぇーい。この時間なのね」
「そうそう!会えて良かったぁ!」
リグルにレイセン、数少ない私と同じ中学の出身だ。
「どう、馴染めそう?」
「うんにゃ、やらかしたわ」
「あっもしかして入学式で寝てたのってミスティア?」
「なんでそんな話が広まってんのよ」
「居眠りったらみすちーってのはこっちでも通用しそうだね」
「気も知らないで〜〜」
少しの間顔を見ていなかっただけなのに、かなり懐かしいように感じてしまうのは何故だろうか。新天地での心細さが少し和らぐのを感じながら、皆で学校へ向かう。
暫く歩けば少しずつ人は増え始め、僅かなどこかで見たような面々や、多くのどこでも見ていなそうな面々の賑やかな生活の営みを感じつつ歩みを進める。
「おはよう! ミスティア!」
学校ももうすぐと言ったところで横道から来た人に声をかけられる。橙だ。
「あぁ、おはよう! 昨日はごめんね?」
「いや、全然全然。驚いちゃっただけ!」
「なになに、他にもなんかやらかした?」
リグルは楽しそうに笑いながら聞き出そうとする。レイセンはふにゃふにゃしている。
「ミスティアの知り合い? 私は橙、よろしく!」
「リグル、1組よ。よろしく〜」
「私レイセン! よろしくね!」
「それでそれで、何やったのみすちー?」
「いやぁ、昨日一緒にカラオケ行ったのよね」
「あー、なるほどなるほど。それは確かに驚くね」
「周知の事実なの? 私もうビックリしちゃってさぁ〜」
「そうそう、私も最初驚いた! 意外よね〜」
何故だろう、こいつら初対面なのになんか馴染んでる。というか、何故私の歌が驚きとして共通認識なのか。色々と納得がいかないままに学校へ着いてしまう。
「そういえば、購買って朝もやってるのかな?」
「覗いてみる?」
しまった、お金持ってくるの忘れた! 学校内の施設だし、全部タダでくれたりしないかな?
そんな訳もなく、商品には値札が乗っていて、私の僅かな希望は打ち砕かれる。
「いらっしゃい、まだ準備中だけど欲しいのあったら売れるよ」
レジスター横に置かれている招き猫が可愛いけど、あれは売ってくれないのかな。
「どうする?」
「やっぱり購買って言ったら焼きそばパンじゃない?」
「ジャン負け奢りやる?」
「ごめん、私お金忘れた」
「勝てばいいだけよね? 負けたら借金で」
そんな無茶がまかり通ってしまい、私も参加する羽目になった。何故だ、これで負けたら許さないぞリグル。
勝敗は案の定私の一人負けだった。あいこにもならず一撃で。
場に微妙な空気が流れるのを感じる、無理にでも断ればよかった。
「ようしホームルーム始めるぞー、席につけー」
朝っぱらから憂鬱な気分で外を眺めているとSHRが始まったが、どうせ大した内容じゃないから聞き流しながら窓を見続ける。そうしていると、別の教員が入ってきて何かを話している、何事だろう?
少し聞いて見た感じ多分、身だしなみに関する説明かな。なんでそんなこと話してるのかな。なんにせよ、髪色は堂々と地毛で、スカートも長めが好みの私に死角など無い。
そのまま短い休み時間を挟んで1時間目が始まる。数学だ。
「おはよう、おはよう。私がこのクラスの教科担の八雲藍だ。よろしくな」
数学かぁ、嫌だなぁ。しかもこの教師、めっちゃ顔整ってるし。なんたら比の何とか対数とかが良いんだろうなぁ。
ボケっとしているとプリントが回されてくる。最後尾だからいいものの、席替えをしたら迷惑になりかねないな。
「それじゃあシラバスの説明を始めよう。まずは〜」
あぁ、もう何言ってんのかわかんない、なにそれまじで、ギリシャ語? ブラックバスの仲間では無い事だけわかる。
とりあえずプリントを見る限り、計算能力だけじゃなくてそこに至る考え方とかの評価割合がそこそこ高めに設定されてるから、式さえ作れれば何とかなるんだと思う。
「〜という訳だ。わかったな?」
わかんない。
「よし、それじゃあ今のお前たちの理解度を見るために、小テストを始めるぞ。教科書しまえ〜」
えっなにそれは聞いてないんだけど。不平不満の声がそこそこ聞こえる。
「初日からいきなり授業するよりはいいだろ?それに、このテストの出来によっては今後の授業は楽になるぞ」
悪くない交換条件に思えるけど、あいにく私は数学が大の苦手だ。理科と同じかそれ以上に。無理だ無理だ無理だ。
配られた大きめのプリントの問題は表には連立方程式とか二次方程式とか何とかかんとかって空欄を埋めたりするやつで、裏面は実際に計算をするようだ。
せめて四択とかなら希望があったものの、勘や運でどうにかできるものでは無い。
しかし困ったな、受験は部分点と勘で押し通った私に死角は多すぎる。
さすがにそんなことも言っていられないからシャーペンを取りだし名前を書く。いっその事名前を書かなければ私が答えられなかったことバレないかと思ったけど、他の誰かと共謀できそうな雰囲気は無さそうだ。
「はぁ〜マジ疲れたぁ〜」
地獄のような時間が終わり休み時間になる。テストの採点は授業中に行われ、その場で突っ返された。
しかし、凄かったな。教師はプリントを眺めたかと思うと、あっという間に丸つけを済ませてしまっていた。人間コンピュータだよあれ。
手元にある34点のテストを限界まで折って月を目指して、それでもまだ時間があったから橙の所へ行ってみる。
「あっミスティア、見て見て!」
「96点!凄いじゃん!」
「えへへ〜」
「逆に何間違えたの?そこまで点取って」
「えっとここのね〜」
あっ駄目だ何言ってるかわかんない。なんで私とこいつ同じ学校なんだ? ・・・・・・いや、これもしかして私が異端か? そう思い周りを眺めてみても、全然絶望感とかそんな雰囲気を醸し出してるやつはいない。と思ったら一人だけいた。
幽谷響子、って言ったっけ? 昨日のこともあるし、単に周りと馴染めないで暗くなってるだけかもしれないけど。
「あれ、聞いてない?」
「えっ、いや、聞いてたよ。聞いてたけど、わかんなかった」
「あー、なる。結構難しいもんね、円周角」
「えっなにそれ」
「えっ」
「円なのに角があるの?」
「・・・・・・」
あっヤバい、馬鹿だと思われたなこれは。
右瞼と右口角が僅かに痙攣しながら微妙な顔をしていた橙は直ぐに笑顔を取り戻して話を続ける。優しいなこいつ。
「あっそうそう、昨日忘れちゃってたんだけど、RIN交換しようよ!」
えっと、確か携帯でできるSNSだったはず、多分。ただ私は……
「ごめん、スマホ無いんだぁ」
「えっスマホ持ってないの!?」
まさかここに来てその弊害が出てくるだなんて思ってもいなかった。でもそんなに驚くほどだろうか。
「うん、スマホかパソコンのどっちか買ってくれるって言われて、パソコン選んじゃった」
「あー、それは確かに悩んじゃうかも」
私は即決したけど。正直その二択でわざわざスマホを選ぶこともないだろうと思ったんだけどそうでも無いのかなこの感じ。
そんなところでチャイムが鳴り2時間目が始まろうとする。
「あっ、じゃあ、また後で」
「あ、うん、後でね!」
少しばかり消化しきれていないような反応を受けながら席へと戻る。
2時間目は国語だ。国語は小学生の時からやること変わらないから割と気楽で嫌いじゃない。
「おはようございます、皆さん。私がこの1年2組の国語科教科担当の茨木華扇です。よろしくお願いしますね」
国語教師って変なやつが多い印象だったけど、こいつはすごく真面目そうだなぁ。小テストとかし始めなきゃいいけど。
「突然ですが、皆さんは何故国語を学ぶのかと考えたことはありますか?」
そう来たかぁ、めんどくさい奴だ。やだやだ。考えたことないよそんなこと!
「〜〜ですから、特に難しく考える必要はありません。好きな本を読んでそれをより楽しめるようになったり、自分が好きな作品の感想をより伝わりやすく書けるようになる、それくらいの目的で構いません」
なんかプリント回ってきた、なにこれ。オススメの本とか書いてある。動物や自然がテーマっぽい作品が多い、趣味なのかな。
そういうのも嫌いじゃないけど、なんかもっと面白そうなのないかな、と裏面を見たりしていると、
「そこ! ちゃんと話を聞きなさい!」
「ひっ、はい!」
怒鳴られてしまった、プリント来たら見るじゃん。
ああ、なんか退屈だなぁ。プリントも教科書も外も見ちゃダメとか、なんの時間よこれ。
国語教師は2時間目が終わってもくどくど話し続け、3時間目の教師がやってきてようやっと我に返り、そそくさと次のクラスへ向かっていった。
「あー、難儀じゃったのう? 悪いヤツじゃないんだが、少々説教臭くての。どれ、今から10分好きに休んで構わんよ」
やったぁ、振替休み時間で授業時間短縮だ!この先生好きかも!ちょっと喋り方気になるけど!
「また怒られてたね、ミスティア」
「あはは、ちょっとプリント捲っただけで怒られるとは思わなかったなぁ」
「ねぇねぇ、驚いた?」
「驚いた驚いた。手癖みたいなもんじゃんあんなの?」
「なるほどなるほど、勉強になりますなぁ〜」
前に座っていた小傘がバッとこっちに向いて話に入る。さすがにこれくらいじゃ驚かない。
「そういえば、昨日のアレなんだったの?」
「あっそうそう! なんで歌えるのかも気になるけど何より、どうして私にマイク渡してきたの?」
「んー? 何となく!」
おおっと、これは私完全に被害者なやつか? 訴えていいやつか?
「皆も驚いてただろうけど、私もビックリしたんだ! 私は今度なんかの時に披露しようと思って練習してたからできたけど、ミスティアこそ何で平気で歌えたの?」
「あー、とね?」
心の中に迷いが生じる。わざわざ自分から言葉に出して言うのは憚られる。ただ、今更言い逃れとかしてもしょうがないし、多少趣味がアレでも嫌われるようなこともないような気がする。
「結構、よく聞くの、ああいう感じの曲」
「へぇ〜意外〜。あーでもロックとか歌ってたもんね!」
「そうそう。寝る前に丁度いいんだ〜」
「えっ寝る前に聞くの、あれを!?」
「またまたビックリ!」
あれくらいなら子守唄みたいなものだもん。これで良かったんだ。
「ようし、そろそろ始めるぞ。席に戻りなされ」
「はーい!」
「さて、儂の名は二ッ岩マミゾウ、地理の担当じゃ。ま、そう難しい事は無いでの、気楽に行こうじゃないか」
あんまり海外とか詳しくなさそうだけどちゃんと地理教えられるのかなあの人。アレでしょ地理って、サバンナとかモンスーンとか出てくるやつ。
「時に、この中に旅行が好きな人は居るかね?おお、おお。良きことじゃ、何処へ行きなすったんじゃ?」
なんか楽しそうに会話してる。後ろの方の席で寛いでいる私には関係が無い事には少し寂しさを覚える。
結局、3時間目は特になんの説明がある訳でもなく、楽しく雑談しているのを眺めて終わってしまった。しかしあの人、色んな話題について行って話していたし何者なんだ。人生経験の差を見せつけられたのかもしれない。
休み時間は有効に使うべき、橙たちの所へ行こうかとも思ったけど、さっき話したばかりだ。それに、なんだか眠気も出てきたから席でぼーっとする事にする。
いつの間にか眠っていたようだ。目を覚ますと、なんだか騒がしい。
何事かと眠い目を擦り前を見るけど、教師はいない。まだ休み時間だったかと安堵しようとするも、時計は12時半を回っている。何事だ? 小傘のビックリリストがまた増えちゃうよこんなの。
そこから暫くして、このまま教師が来ないまま終わるのだろうかと思っていた頃、なんだかド派手なやつがすました顔で入ってきた。
「Hello somebody,Me is Clownpiece!! How the hell are you?」
なんだなんだ、ALTかなんかかな?
「Did anyone think it would end without no one coming ya? I bet there is nobody there.」
なんにもわかんないんだけど、とりあえず陽気な感じがする。全体的に崩れた印象の発音は何となく好きかもしれない。ふと気になってレミリアの方を見てみると、なんだか福寿草のお茶を飲んだような顔をして前にいる人を見つめている。
「Heh、まぁ冗談はそれくらいにしてね、授業始めるよ」
何事も無かったかのように日本語で喋り始め、黒板に何かを書出す。もしかしてアレが教師なのか? 先程の粗雑で品の無い物言いからは考えられないが、黒板に向かう指はしなやかにチョークの軌跡を生み出していき、あっという間に何かのイラストを描き上げる。
「今日は何をしようかなって思ったんだけどまぁ、これだけ覚えてもらえればいいよ」
「ええっと、何を覚えたらいいんですか?」
「んー、この雰囲気。これは同じ人ね、昔と今と未来。どれも時間は違うけど起きてることはそう変わらないよねって話」
なるほど、今度はイメージとか感覚で教えてくるタイプだ。理解不能な文章を書き連ねられるよりよっぽどいい。
ただ、ちゃんとやる気があるならなんでこんなに遅れたんだろう。まさか、こうすることで印象に残りやすくする作戦? もしかしてこれ覚えたら1年間勉強いらないくらい大切なやつなのかな?
完全にやる気なく机の上に上げもしていなかったノートを取りだし、1ページ目に可能な限り真似て記録しておく。何気に今日初めてシャーペンを握った。
写し終える頃にはチャイムが鳴り、教師は陽気に教室を去っていく。なんなんだよこの学校。
それはそうと、4時間目が終わった、終わったのだ。それ即ちご飯の時間! バンダナにくるまれたいくつかの包みをワクワクしながら解いていく。
「わっ、なんかいっぱいあるんですね!」
ふと目を上げると小鈴さんが弁当箱を持ってこちらを興味深そうに眺めている。そんなに驚く量でもないと思うんだけど、そう言われると多く見えてくるかもしれない。
「あっ、ここいいですか? 一緒に食べたいなって」
「いいよ、いいよ! なんなら椅子使ったって良いですよ!」
「えっ、そうしたらミスティアさんはどこに?」
「なに、暖房の上とか窓とか、座るところいっぱいありますから」
そう言ってそそくさと机の中央を明け渡し窓枠に座り込む。端の席でよかった、角度によってはスカートの中が見えかねない状態だ。まぁ、見えたとて問題は無いけども。
「あぁ、ありがとうございます?」
「いぇいぇ」
中断されてしまった神聖なる儀式を続けるため包へ手を伸ばし、ゆっくりと開く。どうやらこれはホットドッグだ。私が選んだハーブで香り付られパリッと焼かれた自家製ソーセージが、お母さんの焼いたライ麦パンに挟まれ私に食べられるのを今か今かと待ち望んでいる。
誘惑を振り切り、他の包みも開ける。こちらの包みはマスにパプリカの香りをつけて焼いたもの、そしてそれに合わせる薄切りライ麦パン、後は野菜の乱切り。
「すごい、なんだか別の国に来たみたいです!」
「そうなのかな、確かに、給食とかだとこういうの出なかったですけど」
小鈴さんのお弁当へ目をやると、楕円形のかわいいお弁当箱に少しのご飯と、キャベツと玉ねぎにさつま揚げの炒め物、豆腐ハンバーグ。何より目を引くのが、淡い黄色と白色、そして食欲を掻き立てる焼き目の茶色のコントラストが見事な卵焼きが見える!
「わぁ、卵焼きすごい綺麗!」
「えへへ、実は私が焼いたんですよ!良かったら少し食べてみます?」
「うん! あっそれじゃあ、どれか食べたいのあります?」
正直どれも渡したくは無いが、あの卵焼きと交換だとすれば話は別だ。何故だか分からないけれど、心が少しざわめく。きっと魅せられたせいなのだろう。
「あっじゃあじゃあ、そのソーセージ少し貰ってもいいですか?」
「うん!」
お弁当のおかず交換という一大イベント、いずれやってみたいとは思ってたけど、まさかこんなにも早く体験できるとは思いもしなかった。
野菜のために付いていたプラフォークで卵焼きを少量切り取り、口へ運ぶ。だし巻き玉子、煮干しだしだ。味わい深い香りがスっと抜けていき、その後に甘みが来て心が穏やかになるのを感じる。全てが調度良い塩梅のこの卵焼きに、小鈴さんは一体どれだけの努力をしたのだろうか?
「わっ、美味しいですねこのソーセージ! 何処のやつですか?」
「私の手作り。この卵焼きもすっごく美味しいよ!」
「えっ自家製なんですか!? すごい!」
止め時の分からない、互いの褒め合いが始まる。どうしたものか、でも実際めちゃめちゃ美味しかったからなぁ。終わりのない会話の中でふとホットドッグに齧り付く。わっめっちゃ美味い何これヤバっ。
その後も雑談したりおかずを分け合ったりして食事を終える。
「「ごちそうさまでした!」」
「あっ、もし良かったらこの後図書室に行きませんか?」
「図書室?」
「ええ! ここの学校蔵書の量が多くて面白いって評判なんですよ!」
図書室に評判とかあるのか。折角だし、見るだけ見てみよう。
「いらっしゃい」
扉を開け中へ入ると、入口近くの机で勉強をしていた人が振り向かずに声をかけてくる。図書委員だろうか。たくさんの本を縦積みにして何かを必死に書いているが、ふと辺りに目をやるとその数が雀の涙に見えるほど多くの本が立ち並んでいる。
「なるほど、これは確かに、評判にもなるわ」
「ですね、どこから見たものでしょうか」
一応ジャンル分けの札は置かれているもののかなり大雑把なもので、初見で目的の場所へたどりつけそうな感じはしない。何をどうしていいかわからず小鈴さんの後ろを追って小説コーナーへ入っていく。恐らく、この図書室で1番大きく、入り組んでいる場所だ。
棚を流し見して歩くと知っている名前や読んだことあるものも多少はあるものの、殆どは全く知らないものだらけだ。
「こ、これがまさかこんなところにあるなんて! あっこれも! こっちのやつもだ!」
しかし、小鈴さんはなんだかすっごいイキイキしている。なるほどね、やっぱりそういうタイプか。
「そこ、図書室で騒がないの」
「あっ、ごめんなさい・・・・・・」
奥から顔をのぞかせる大人しそうな紫色の人から注意を受けている、それもそうだ。聞き流してたけど、色々喋り続けだったもん。
シュンとなっている小鈴さんを横目に見ながら、何気なく目の前にあった本へ手をかけてみる。『ゴーストリード 著・西行寺幽々子』、なんだこれ。ホラー小説の類かな。美しい蝶の舞う様子が表紙に描かれている。
「ミスティアさん、それは?」
「わかんない、でも、面白そう」
あまりこういう本を読むこともないけど、不思議と引き込まれそうになる。怖いもの見たさだろうか。
「決めた、これ借りてくる!」
棚の木に本の葉が生い茂るジャングルを引き返し、貸し出し端末のある所へ向かう。誰もいない。勝手に扱ってしまっていいのだろうか?
「借りるのか? 少し待ってくれ」
バーコードリーダーへ伸ばしかけた手を引っ込め、諦めて踵を返そうとしたところでふと、後ろから声を投げかけられる。先程入口で勉強していた人だ。
数十秒待っていると、広げた本を手早くまとめてこちらへ歩き出す。
「ん、お前、どっかで会ったことあるか?」
「ええと、わかんないです」
「そう、か、まあいい。名前は?」
ナンパだろうか。
片おさげにしたセミロングの金髪はかなり手入れが行き届いており、スッキリとして整った顔立ちと共にカッコ良い雰囲気を持っている。特段悪い気はしないけど、かと言って別に良い思いでもない。
「あいよ、貸出期間は一週間。それまでにこの横にある棚とかに突っ込んでおいてくれ」
それだけ言うとさっさと元いた所へ戻っていく。あれ、何もないの。
本当にただ私に見覚えがあったのだろうか? だとしたら何時、どこだろう。この辺りに来たことは無かったし、知り合いもほとんど無い。
5時間目は化学、特に面白い人でもないし、興味もないからパスだ。さっきの本を読もう。
私を出迎えてくれたのは丁寧で儚げな文体。情景の表現が豊かで、描かれる様がありありと伝わってくる。何度も見返し少しづつ読み進めていくと、私の頭の中にこの世界がだんだん生まれていくのを感じる。
気がついた頃にはもう6時間目が終わったところで、帰りのSHLが始まろうとしていた。こんなに本に熱中することも中々ない、楽しい経験だ。まだ100ページ程度しか読み進めていないが、非常に興味深い内容で、私にも楽しめるものでよかった。
「これが前期の時間割表だ、無くすんじゃないぞ」
何かプリントが回ってくる、高校だと毎週変わったりしないものなのか、ゴミが少なくて助かるわ。
「それと、うちは置き勉禁止だからな、全部持って帰るんだぞ」
マジかよ、ケチなヤツだなぁ。
それ以外大した連絡もなく、学校は終わりとなる。何だか今日という一日がすごく長かった気がする。
掃除当番では無いから早々に教室を追い出され、教科書全部持ってきたであろう愚かな民を横目に帰路に着くことにする。昨日よりも帰る人が多い、やっぱり入学式の放課後は特別だったか。
歩きながらふと、先日出会ったフランドールの姿を探してみるが、見当たらない。まぁ違うクラスだし、そうそう出会えるものでも無いか。
これから先、私の生活はどのように変化していくのだろうか。明日はどんな風に過ごすのだろうか。
そんな思いを抱きながら1人のんびりと、今朝歩いた道を逆に進む。
僅かに感じた肌寒さはもう面影もなく、過ごしやすい陽気に包まれている。
挨拶を交わした人の影は当然だが見当たらず、段々と人気がなく歩道も無い道を、我が物顔で歩いて進みつづける。
「ただいま!」
誰もいない家の中で私の声が響くのを聞き届けると、自分の部屋へ駆け込み机に向かう。
少なくとも今日は、この本に費やすこととなるだろう。
こんな感じで進んでいきます、多分。