歪の天使 作:やんでれてんし
お待たせして申し訳ない。怒んないでほしい
都内のとあるビルの一室にて、魔王と天使が邂逅する。
「……その子が例の?」
「うん。私のフィアンセのひーくんだよ」
高級且つ荘厳な雰囲気を感じさせる室内で、2人の女性が向き合って言葉を交わす。
1人は俺のよく知る人物で、幼馴染の百城千世子。今日もふわふわの銀髪を揺らして楽しそうに微笑んでいる。可愛い。
そして、もう1人は初対面だが……俺はこの女性を知っている。
流れるような金髪に鋭い目つき、幾度となくテレビ越しに見た顔。誰もが知る大女優にして、千世子が所属する芸能事務所の社長。
「君」
「……っ、は、はい」
その金髪の女性――星アリサから不意に声をかけられると同時、鋭い目つきで射抜かれる。
思わず「うおっ」みたいな声が口に出そうだったが、それは流石に失礼なので何とか堪えた。
「名前は?」
底冷えした声音が俺を突き刺す。あまりの威圧感にちびってしまいそうだ。
なぜ俺がこんな魔王みたいな女性と対峙することになったのか。話は数時間遡る。
ーーー
「うわあ……」
土曜日の昼下がり。冷蔵庫の中を覗き込んだ俺は、呆れた声を吐き出した。
腹が減ったので何か食べようと冷蔵庫を覗いてみれば、中には驚くほど何もない。食べ物はおろか、飲み物すら入っていない始末だ。
普段は空っぽになる前に買い出しに行くのだが、どうやら忘れていたらしい。はて、最後に買い出しに行ったのはいつだったか……それすらも思い出せないということは、随分昔の話らしい。
冷蔵庫がすかすかになるまで買い出しに行かないなど、自分のだらしなさに頭痛がしてきそうだったが、最近は色々あった(主に幼馴染の天使関連)からしょうがないのかもしれない。
「はあ……」
冷蔵庫の扉を閉めて溜息をひとつ。今日は一日中家でだらけるつもりだったんだが、食料がないという問題を見過ごすわけにはいかない。ここだけの話だが、人は何も食べないと死んでしまうのだ。
夏が近づいているからか、最近は気温の上昇が著しい。本当は外出なんてしたくないのだが、餓死するのはもっと嫌なので、仕方なく外に出向くことにする。
ちゃっちゃと着替え財布を持って玄関の扉を開けると、そこにはちょうどインターホンを押そうとしている天使が居た。
「あ、ひーくん。おはよ♡」
「…おはよう、千世子」
天使の笑顔を見せるのは、世界で一番可愛い女である百城千世子。本日は白のTシャツにショートパンツという涼しげな格好。生足が眩しいぜ。
千世子と顔を合わせるのは先週の事件以来だ。あんなことしちゃったから少し気まずいな……などと考えていると、そんな雰囲気を全く感じさせない笑顔で千世子が口を開いた。
「どこいくの?」
「ちょっとスーパーまで買い物に。冷蔵庫がすっからかんなのよ」
「へ~。ね、私も食べてって良い?」
こてん、と首を傾ける千世子。可愛すぎて国も傾きそうだ。
「いいけど、あんま凝ったものは作れないぞ。文句言うなよ」
「やった。じゃ、一緒にスーパー行こ」
千世子はそう微笑むと、どこからか取り出した帽子とサングラスを装着して変装を完了させた。
正直、帽子とサングラスを着けても千世子の可愛さは微塵も隠せていないと思うんだが……こんな変装で本当にバレないのだろうか。
「何作るの?」
「俺は何でもいいかな。千世子は何食いたい?」
「ん~……じゃあ、エモいやつがいいな」
「なにそれ、全然分かんないんだけど。めんどいし炒飯でいい?」
「インステ映えする炒飯ならいいよ」
「インス……?え、なんて?」
インステ映えする炒飯とは…?天辺にタピオカでも乗せればいいの?
「あ、そうだ。ご飯食べたら出掛けようよ。行きたいところあるんだよね」
「どこ行くの?」
「ん~…秘密♡」
秘密かぁ……。まあ、楽しみにしておこう。
ーーー
楽しみにしてた結果がこれ。新手の詐欺かもしれない。
いやあ、まさか行きたい場所ってのが芸能事務所の社長室だなんてな。流石に予想外にもほどがあるなあ。予想外すぎて笑っちゃいそうだ。はっはははは!
と半ば無理矢理に現実逃避をしてみるも、目の前の現状に何も変化はなく。このまま黙っていても埒が明かないので、魔王…じゃなくて、星アリサの質問に答えることにする。
「水無瀬千尋…です」
「良い名前だよね。アリサさんもそう思うでしょ?」
「…そうね」
俺の声に真っ先に反応したのは星アリサではなく千世子だった。千世子は何故かテンションが高い。
緊張する俺の姿を見て楽しんでいる説がある。くそ、ドSの千世子も最高だな。
「で、どう?いいでしょ?」
「…貴女、本気で言ってるの?」
「うん、本気だよ」
何か俺の知らない話が始まった。話の中身は何も分からないが、聞いた感じ俺が関わってるのは間違いないだろう。
……あの、俺に関する話なのに当の本人は何も知らないのはどうなんですか。
「…本当、貴女の我儘には参るわね」
「我儘?違うよ」
千世子の顔から笑みが消え……いや、笑みは消えていない。先ほどまで浮かべていた無邪気な表情から一変、蠱惑的で妖艶な笑みを浮かべている。
見ているだけで心が引きずり込まれるような、そんな表情。尤も、隣に立っている俺からは横顔しか見えないが。
「そういう約束でしょ?」
「……………いいでしょう、認めます。好きにしなさい」
「そう言うと思ってたよ。ありがと、アリサさん」
渋々といった様子だったが、星アリサが何かを認めたようだ。何を認めたのかは知らない。だって何も聞いてないんだもん……。
もう何も分からないので大人しく思考を放棄しようと思う。あ~~……寿司とか食べたいなあ。
「水無瀬くん、だったわね」
「……あ、はい」
俺が寿司に思いを馳せていると、星アリサが声をかけてきた。先程よりも声音が若干柔らかい気がするが、眼光は全然鋭いままだから多分気のせい。
「千世子の話は認めたけど、周りの迷惑になるようなことはしないように。いい?」
「え?いや、あの……」
「ひーくんなら大丈夫だよ。ね?」
「千世子さん?大丈夫っていうか、そもそも何のはな」
「よろしくね、ひーくん!」
「…あ、うん。よろしく~」
質問さえ許されず、もう俺には何も分からない。分からないから取り敢えず話を合わせておく。もうどうにでもなれ。
「じゃ、ひーくんは来週から1ヶ月、学校休んでね♡」
「なんで?」
なんで?
「あと、しばらく家には帰さな……………………帰れないから、よろしくね♡」
こちらに体を向け、まさに天使といった表情を見せる千世子。その笑顔に魅せられ、思考が停止する。
今、帰さないって言おうとした?というツッコミすら忘れ、俺は無意識に首を縦に振っていた。
「ふふ、ありがと、ひーくん」
優しく微笑む千世子。あまりにも愛おしくて、彼女の為なら全てを捨てても良いとさえ思える。
これから一生、俺は千世子に勝てないんだろうなと、それを改めて実感し、小さな小さな溜息を吐いた。
ーーー
スターズ本社ビルの会議室に12名の男女が集められていた。彼らは次週より撮影が始まる映画・デスアイランドに出演する予定であり、凄まじい倍率の一般オーディションを潜り抜けた役者たちだ。
本日は、そんな一般オーディションを合格した彼らと、スターズに所属する俳優の顔合わせ日……なのだが、待てど暮らせどスターズの俳優陣は一向に現れる気配がない。
「いやあ、ごめんね、折角時間通り顔合わせに集まってもらったのに。、ウチの俳優がまだ1人も到着してないんだ」
スターズの俳優を待つ彼らに向かって、へらへらと笑みを浮かべるサングラスの男……デスアイランドの監督である手塚が言葉を投げかけた。
顔合わせ当日だというのに、スターズの俳優…大手事務所所属の人気俳優たちは来れないかもしれない、などと嘯く手塚に対し一部からヘイトが集まる。
そんな中、1人の少女は胡散臭い髭面の男から言われた言葉を頭の中で反芻していた。
『特に百城千世子。あいつの技術は異常だ』
少女はその言葉を信じ、その技術を…そして人柄を間近で見るためにこの場に来たといっても過言ではない。
が、どうやら百城千世子に会うのは無理そうなので、少女―夜凪景は分かりやすく落胆していた。
(天使……会えると思ってたのに……)
胸中で呟きながら、以前テレビ越しに見た天使の姿を思い描く。
同じ人間とは思えないほどに美しい姿と立ち振る舞い。そして何より…顔が見えない。
髭面曰く、自分の目を捨てた客観視のバケモノ。その技術を盗み役者として更なる高みを目指すために、夜凪はこの映画に出演するのだ。
「じゃ、台本でも渡そうか?本読みでもする?」
手塚が軽い調子で言った瞬間、会議室の扉が音を立てて開かれる。
中に入ってきた人物を認めた瞬間、その場の全員が―勿論、夜凪も―が目を剝いた。
「遅れてしまってごめんなさい。ちょっと社長と話してて」
雪のように煌めく白金の髪に、透き通るような白い肌。すらりとした肢体に、息を飲むほどに美しく整った容姿。
スターズに所属する俳優でもトップオブトップ。日本で知らない人間はいない人気女優。
百城千世子が、柔らかな笑みを携えて入室してきた。
「ちょっと監督。スターズ私以外来てないじゃん。ダメだよ、こんな日に顔合わせしちゃ」
「別に顔合わせしなくても大丈夫でしょ。どうせあっちで会うんだし」
「大丈夫じゃないよ。というか、こんなことしたら皆に失礼でしょ」
監督に苦言を呈す千世子を見た内心は様々だ。
千世子の美貌に溜息を吐く者もいれば、お前も遅れて来ただろと悪態を吐く者もいる。
様々な感情が渦巻く空気を一蹴するように、千世子が口を開いた。
「改めまして、遅れてすみません。百城千世子です。よろしくお願いします」
美しく、心を揺さぶって離さない天使の微笑み。テレビ越しに見ていた表情に、誰もが目を奪われていた。
「……全然違う」
そんな中、半ば無意識のまま夜凪が呟く。周りが静かだったため、夜凪の呟きは全員の耳に入った。
室内にいる人間の視線が全て夜凪に注がれる。無論、千世子の視線も。
「違うって何が?え、私どっか変?」
可愛らしく首を傾げる千世子。それに対し、夜凪は慌てながら弁明を口に出す。
「あ、えと、ごめんなさい。変じゃないわ。貴女はとても綺麗」
「そう?ありがとう」
「けど……テレビで見た時と同じくらい綺麗なのに、全然違う」
「おい、夜凪。どういう意味だよ」
夜凪の意味深な……というより意味不明な発言に、隣に座っていた源真咲が口を挟んだ。
しかし、夜凪は千世子から一切目を離すことなく言葉を続ける。
「テレビで見たときは、全然顔が視えなくて、人間じゃないみたいだった。けど…今の貴女は、同じくらい綺麗なのにちゃんと人間に見える」
「ふぅん」
千世子から笑顔が消えた。次の瞬間、ふわりと地面から足を離し、夜凪の目の前の卓上に降り立つ。
「それはつまり、私の演技が人間じゃないってことかな?」
夜凪を見下ろしながら言う千世子。綺麗な琥珀の瞳に射抜かれながら、夜凪は小さく息を呑む。
―顔が視えなくなった。
「夜凪さん。貴女の芝居はちゃんと人間だったね。不自然なほど自然な激情……だけどあれは、酷く自己中心的だよ。私達、俳優の使命は観客を虜にすること。素顔を晒してありのままに演じることを人間だっていうなら、私は人間じゃなくていい」
千世子は机から飛び降りる。音を一切立てず床に降り立った天使は、くるりと―まるでバレリーナのように優雅に回転すると、再び夜凪へと体を向けた。
「カメラの中に"私"はいらない。"私"は全部、大切なところに置いてきたから」
そう言って見せる表情は、天使の笑顔とは程遠く、どうしようもないほど蠱惑的な笑顔……まるで、誰かを想う少女のような表情。
それを見た誰もが脳を揺さぶられ、心を奪われる中、夜凪も同じようにその笑顔に心を奪われて目が離せない。
ずっと見ていたい。一瞬たりとも目を離したくない。そう思わせるほどに綺麗だった。
「よろしくね、夜凪さん」
今、夜凪の目の前にいるのは天使ではない。
恐ろしいほど魅力に溢れた、1人の恋する乙女だった。