まれびと、王の領域より来たり 作:俺は太っているから行かないけどね
キングス側については独自解釈・設定多めに書いています。ご了承ください。
4/21:修正
5/3:修正
5/9:修正
5/12:修正
「神隠し?」
「ああ。その呼び方が正しいのかは分からないが……」
聞き返したアレフに、ジャンは執務室の机に両肘をついて頷いた。
最初に被害に遭ったのは、国の外れを
ジャンが治める小国ヴァーダイトの周囲には二つの国がある。それぞれとの関係は良好であり、人や物の往来も盛んだ。ある国の第二皇子が先触れなしで他国の王城にやってきても誰も気にとめない程度には、大陸北方は平和のただ中にある。
だが、それでもやはり国の端々まで目を行き渡らせることは難しい。隙間に潜むはぐれ者の対処については、ヴァーダイトだけでなく各国で頭を悩ませているところであった。
そんな盗賊が数人、ある日突然人里へ転がり込んできた。駐在する兵士や村の男衆が慌てて武器を手に取り囲んだのだが、警戒は早々に困惑へと変わった。
盗賊たちは武器も持たず、ひどく怯えていた。
ここまで逃げてくる時についたであろう手足の擦過傷のほかに
「ある者は腹に穴を開けられたのだ、と村人に手当てを縋った。またある者は喉を掻き毟りながら朱い霧に腐り溶かされたのだと震え続けていた。……彼ら全員が、錯乱しながらも致命傷になりうる怪我を負ったのだと証言した。その痕跡は一切認められないにも関わらずだ」
アレフは首を傾げ、無言で先を促した。彼の浮かべているであろう疑問はジャンとて承知している。
「盗賊たちの死は竜王草の実によって覆されたものではない。あの村の周囲に復活の拠り所となりうる泉や竜王草の木がないことは確認済みだ。シースの涙が関わった可能性についてもレオンに確認している。詳細は省くが、盗賊たちの人数からしてもほぼ有り得ないだろうということだった」
「仮に古代の遺産が残っていたとしても、盗賊たちが揃って身につけ、更に像を日頃から携帯するとは思えない、か」
アレフは首元から深緑色のペンダントを引っ張り出し、指で弾いた。ハイエルフの神の像とそれに死を転嫁する触媒を作り出せる水晶細工師は、アレフの友人レオン・ショアをはじめとして数えるほどしかいないと聞く。
「話を戻そう。盗賊たちを捕縛した後、ヴァーダイトでは隣接するグラナティキに魔物出没の一報を送り、しかるのちに部隊を出して山狩りを行った。その際にとある班が奇妙な像を発見し、異常事態に遭遇した。今回の一件はその像によって引き起こされたということが判明したのだが、詳細はまだはっきりとしていない」
「それが、神隠しだと」
「ああ。班の一人が像に触れた瞬間、金の光に包まれて姿を消した。それを他の班員たちが確認している」
同じ班の兵士たちからすれば数十秒のことだった。いなくなったことに驚いて周囲を見回し、緊急を知らせるために呼び子を鳴らし、そして再び金の光が溢れたかと思えば、消えたはずの兵士は像の前に倒れていた。
まもなく意識を取り戻した兵士は、盗賊たちと同様に強い恐慌に陥っていた。しかし彼もまたヴァーダイトの戦士である。すぐに正気を取り戻し、自身の体験したことを部隊長へと報告した。
金の光に包まれ、それが消えた時、彼は見知らぬ場所にいた。半分を石壁に、もう半分を背の低い塀で囲まれた円形の広場である。そこはたとえるなら闘技場か、あるいは異教の祭祀場に見えたという。かろうじて窺えた石壁の上には座席が並び、反対に塀側には巨大な石像が佇んでいたからだ。
混乱する彼の前に、予兆もなく人影が現れた。
「その者は一見してただの人間に見えたそうだ。見慣れぬ意匠の装束に身を包んだ、若い女に見えたと。だが誰何する兵に答えることなく、彼女は
そのまま、彼は噛み砕かれた。
「彼が覚えているのはそこまでだ。後日、ある程度落ち着いた盗賊たちから話を聞いた。彼らも像に触れ転移した先で、出現した者に殺された記憶があるとのことだった。……ここまでが今回の件のあらましになる。数日前にお父君に報告した内容から、調査はさして進んでいない。南方リキストリアで不穏な動きが続いている中で、更に心労をお掛けしたくはないのだが……」
「父上なら心配いらないさ。兄上もいるのだからな。……それにしても、また異変とは」
アレフの声にはジャンを
「直接的な人死にが出ていないだけ、王家墓所や教王の事件に比べてまだマシに思えるよ。像に触れなければ何も起きないと判明しているのもありがたい話だ。今後はどうなるか分からないが、現状では民が巻き込まれる危険は低いと見ていいだろう」
アレフがメラナット島から帰還して、そろそろ二年が経とうとしている。
彼が持ち帰った二振りの聖剣は古の塔に固く封印され、魔物の出没も事件以前とほぼ変わらぬ頻度まで落ち着いた。
しかしその平和の裏で、教王の事件の頃から感じていたジャンの悪い予感は、日を経るごとに朧気だった輪郭を少しずつ鮮明なものにしていた。
まだ猶予はある。だが決して遠くない将来、この国で騒乱が起こるだろう。母より受け継いだ
そんな折に、唐突に今回の異変が起きた。今まで感じてきた予感と関係があるのか、ジャンはそれを見極めるつもりであった。
「今回の件は私が調査に出ようと思っている。教王の事件とは違い、ヴァーダイトの端で起きているということもあるが……何より直感が告げているのだ。この一件、並の兵では手に負えぬと」
「ジャンの勘か。であれば、根拠としては充分だな」
アレフは頷き、そしてじっとジャンを見た。
「出立は?」
「明日、夜明けと共に。昼過ぎには戻ってくる予定だ」
「ならこちらの準備も間に合うか。その調査、私も同行させてくれ」
アレフの言葉に気負いは一切なかった。ジャンは呆気に取られて友を見つめ、慌てて首を横に振った。
「駄目だ、断る。前も言ったが、少しは自分の身分を考えろ」
「王であるお前に言われたくはないな。今回の調査についても、メルタあたりにずいぶん小言をもらったのではないか?」
まったくその通りなので、ジャンは何も言い返せない。だが黙っていてはアレフの思うつぼだと、視線をそらしながら論点を変える。
「だいたい、その格好では戦うどころか身を守るにも不充分だろう。連れていけるわけが……」
アレフの装いは丈夫な服に革の胸当てをつけただけの旅装である。当人もそれは織り込み済みだったのだろう。反論に悩む様子もない。
「今は城門の詰め所に預けてあるが、紫電は常に携帯している。鎧ならこれからレオンのところに行ってメレル・ウルの具足を持ってくればいい。真理の鏡もほら、この通り持ち歩いている。城の宝物庫から持ち出すための手続きを省けるぞ」
「しかし……」
アレフには教王の事件でさんざん迷惑をかけてしまっている。それに今回の被害者は皆生還しているといえ、どれほどの危険が待ち受けているかも分からない。そんなものの調査に彼を巻き込むのは憚られた。
どう断れば納得してくれるかと頭を悩ませるジャンを見ながら、アレフはふっと笑みを零した。
「実はな、先ほどノエル殿に頼まれたのだ。お前が今回の件で思い詰めている様子だから、無理をしないようにどうか見守ってくれないかと。それにライルたちからも同じことを言われてな。何があっても無事に帰すと約束したのさ」
陰日向から支えてくれる愛する妻と、可愛い盛りの息子達。彼らに心配をかけてしまっていた不甲斐なさを恥じるよりも先に、一刻も早く家族を安心させねばならない。かといって友を巻き込むのは、と揺らぐジャンに、駄目押しとばかりにアレフは笑みをどこかいたずらめいたものへ変えた。
「何よりも、今回の件について個人的に興味がある。どうせ同じものを見に行くなら、揃って向かった方が無駄がないだろう?」
顔こそ笑っているものの、アレフの目には確固とした意志が宿っている。こうなった時の彼が自分の考えを絶対に曲げないことは、長い付き合いの中でよくよく理解させられていた。
ジャンは深く嘆息した。
「……無茶だけは、絶対にしないでくれよ」
「お前もな。では、また後で」
手を振ってアレフはさっさと執務室を出て行く。その後ろ姿を見送りながら再度息を深く吐き、ジャンは意識を切り替えて執務へと戻った。
明朝。
朝ぼらけが去らぬうちに城を出て、到着した最寄りの村に馬を預け徒歩で山道を行く。枝に結び付けられた目印の布を頼りに目的地に着いた頃には、日は山の端からすっかり顔を出していた。
「なるほど。確かにおかしな像だな」
アレフは像を見て即座にそう言った。ジャンも頷き、手近にあった枝を手折って像の足下を掻き分けた。
「青草を踏んでいる。つい最近どこからか運ばれてきた証拠だ」
「かといってここに来るまでの道に運んだ痕跡はなかった。これだけ大きな像だ。担いだにせよ荷車に載せたにせよ、必ず地面に跡が残る」
ジャンよりも頭二つ分ほど大きな、たおやかに腕を広げた女性の立像である。塗装は剥げ落ちて素地が露わになり、腕や髪といった部位はところどころ欠けている。特に破損がひどいのは頭部だった。向かって左半分がごっそりと抉れており、かろうじて人相が分かる程度である。それでもなお、どこか近寄りがたい神聖さを漂わせている。
恐らく、この像は正面で膝をついて見上げるように意図されているのだろう。やや下向きの頭は、人が信仰を向ける先としてちょうどいい角度に思えた。かつては騎士見習いとして主君に膝をつく立場であり、今では王として相対する臣下に膝をつかせる側であるがゆえに、視線の高低がもたらす心情への影響というものは馬鹿にできないとジャンは深く理解している。己より大きく見える存在に、人は自然と畏敬を抱くものだからだ。
「さて。映るといいのだが」
アレフは腰の鞄から真理の鏡を取り出し、像にかざした。鏡面には本来映らぬはずの向こう側の景色が透け、数拍置いて揺らめくように文字が浮かび上がった。
「女王マリカ。狭間の地の神人、永遠の女王マリカを
「この大陸の話ではないことは間違いないな。地名にしろ人名にしろ聞いたことがない。……しかし、神人、か」
耳慣れない、詳細の分からぬ言葉だが、異変の原因であるこの像が
ジャンはアレフと目を合わせ、合図するでもなく二人同時に像へ触れた。
足元より立ち上った金の光に身を任せ、目を閉じる。転移の感覚はジャンの知るものとよく似ていた。梢の音が遠ざかり、靴の裏に感じていた下草と腐葉土の柔らかさが消える。
瞼の裏で透けた僅かな光が踊る中、ジャンはじっと時を待つ。ほどなくして呼吸に嗅ぎ慣れない匂いが混じった。潮の匂い、それからほのかに、だが確かに漂う異国じみた香の薫り。合わせて髪を揺らす強い風と足裏の硬い感覚が順々に伝わってくる。
目を開ける。薄れてゆく光の向こうには石造りの広場が広がっていた。
報告にあった場所と同じであろう。半分を石壁に、もう半分を人の背丈ほどの塀に囲まれた円形の広場である。一見して堅牢かつ豪奢な造りであったが、石畳は所々がたつき、隙間から潜り込んだ太い木の根がところ構わず這っている。石壁に掲げられた古びほつれた戦旗の下では、槍や戦斧が金色の落ち葉に無造作に埋もれていた。かつての栄光の面影は、ここが打ち捨てられて長いことを示していた。
ジャンは軽く周囲を見回し、少し離れた位置で金の光と共に現れたアレフへと近寄った。
「無事か」
「……ん、ああ。不調はない。魔法も問題なく使えるようだ」
アレフの手の中に小さな光が灯り、すぐに消えた。物珍しそうにあちこちに視線をやる友から離れ、ジャンはそれと向かい合う。
塀側の中央、石舞台に佇む見上げるほど大きな女性の石像である。
意匠はここに来る前に触れた像と同じだろう。両脇に槍を構えた戦士の像を従え、大樹の如き威風でもって鎮座している。
ジャンは像の頭部をまっすぐに見つめた。こうして下から冷たい相貌を見上げると、転移の前に感じていたものとは異なる印象――違和感を覚える。
薄曇りの空を背に広げられた両腕。広場を見下ろすように傾いた頭部。それは本当に信仰のために意図されたものだろうか。衣から覗く足は地に着いておらず、これは降臨というよりは、まるで見えない磔柱に吊されているかのような――
「ここは王都闘技場、だそうだ。詳細は分からなかった」
アレフの声に、思索を止めて振り返る。
「メラナット島深層のように表示されないというわけではないようだが……ここは本当にどこなんだ?」
困惑と共にアレフは空を見上げていた。その視線を追ってジャンも顔を上げ、そして息を呑む。
最初、それは残照に燃える雲に見えた。頭上の半ばまでを覆う鮮やかな金のきらめきは夏の夕暮れによく似ている。だがそのはずがないのだ。その更に向こうには、薄曇りの淡い灰色にけぶる空と、不可思議なほど大きな真昼の月が覗いているのだから。
それは黄金の梢であった。
あまりにも巨大な、急峻な岩峰の如き幹が遙か天を衝き、雲に迫る高さで枝葉を繁らせている。本来なら陽光を受け止めるために伸ばされるそれ自体が光を放ち、遮られた太陽に代わって大地を遍く照らしていた。
天を支え地を知ろしめすかのような、まるで現実味を感じさせぬ、その偉容。
「これは……なんとも凄まじい」
アレフは真理の鏡を掲げ、しかし何も映らなかったのだろう。首を振りながら鞄へ戻した。
「さすがに遠すぎるか。……メラナット島の竜王草の木に少し似ているが、大きさは桁違いだ」
「メラナット島のものは、ヴァーダイトで見られる水晶のような枝振りではないのだな」
「探索の最中、たまに実をつけるところを見たことがあるから、もしかしたらあれは雌木なのかもしれない。ただ、葉の形は全く違うな」
その時、金属が擦れる重い音が広場に響いた。
予兆と言えるものは何もなかった。警戒するジャンたちの対面に茫洋とした人影が現れ、すぐに鮮明な像を結ぶ。
それはただの人のように見えた。ジャンの常識と照らし合わせても、身なりにおかしなところは何一つない。纏う全身鎧の意匠に見覚えはないが、どこかの国の騎士と説明されれば納得するだろう。
この者は巻き込まれたのか、それとも自らの意志でこの闘技場を訪れたのか。報告にあった朱い霧や竜の顎を用いるのか。アレフと違い、金の光を伴わずに現れたのはなぜか。次々に浮かぶ疑問を脳裏に除け、いつでも抜剣できるように構える。
戦士は俯いていた顔を上げ、予期せぬものを見たかのように一瞬動きを止めた。だがすぐに軽く一礼し、迷うことなく腰のロングソードを抜き放つ。この者が戦うためにこの場に現れたことは間違いないようだった。
「闘技場……であれば、戦うのが道理ということか」
「まず私が出よう。アレフは観察に徹してほしい」
「無理は絶対にするなよ。今のお前の身は、お前だけのものではないのだから」
アレフが一歩下がろうとした直後、短刀が二人の足元に深々と突き刺さった。
咎めるかのようなその一撃。二人の視線が向かう先で、短刀を投擲した戦士は投げたその手で腰の鞄からほかほかと湯気を立てる蟹の爪を取り出し、兜の隙間から口にねじ込む。騎士然とした鎧にはそぐわぬ荒々しさで蟹の身を噛み千切りながら、戦士はじっと二人を見つめていた。
――まとめてかかってこい。
兜の奥から突き立つ視線は、言葉なくそう言い放っていた。
「血の気の多い……」
呟くアレフの口振りはほとんど呆れていた。ちらりとこちらを窺うアレフに視線で返事をし、ジャンは一歩前に出て愛剣トリプルファングを正眼に構える。
「ヴァーダイトが王、ジャン・アルフレッド・フォレスター。我が友、グラナティキのアレフ・ガルーシャ・レグナスと共に、貴公に手合わせ願う」
戦士は小さく頷いた。食い終わった殻を足下に捨て、静かな動作でロングソードを構える。
遙か頭上から降り注ぐ大樹の梢のさざめきが、風と共にふ、と止む。
それが開戦の合図となった。
「アレフ殿もアルフレッド王も、とても不思議な体験をなされたのですね」
今回の一件を話し終えたのち、ジャンの対面に座った水晶細工師レオンは静かに頷いた。そして卓に広げられた数枚の粗描を手に取る。
「職業柄、また母方の種族柄、彫刻や装飾の題材として用いられる神話伝説、そしてそれらが必要とされる建築様式についてはそれなりに詳しいという自負があります。スケッチを拝見しましたが、現在この大陸で確認されている中で、このような様式の闘技場、あるいはこれに類する大型の石造建築が設計・建造されたことはありません」
あの闘技場の風景を紙に落としたものと、直接観察しながら描いた像の粗描。闘技場の方は記憶頼りゆえに簡潔なものだが、レオンが判断できる程度の情報は持ち帰れたようだった。
「またこちらの像については意匠もですが、女王マリカや狭間の地、ローデイルという名称が語られる神話については耳にしたことがありません。ただ私もエルフの中では若輩ですから、族長のオーデであればまた違う返答があるやも分かりませんが」
そこで言葉を切り、レオンは薄く微笑んだ。
「一細工職人としては、その闘技場を直接見てみたいものですね。それに聳え立つ黄金の大樹も。私が今想像している以上のものでしょうから」
その言葉に、壁に寄りかかっていたアレフは苦笑して首を横に振った。
「さすがに連れてはいけないな。守りきる自信がない」
「分かっていますよ。いくら転移した先では死なないといえど、私は戦えぬ身。お二人の足手まといにはなりたくありませんから」
二人の様子を眺めながら出された茶を一口飲み、ジャンはレオンからの回答を反芻した。
「様式も、像も心当たりなしか。……突飛な考えではあるが、あの場所は異邦の神か何かの住まう世界なのかもしれない。黄金の大樹もそうだが、その向こうに浮かんでいた月が異様に大きかった」
どれほど天に近ければ、ああも月が大きく見えるものだろう。あの地がこの大陸と同じ空の下にあるとはとても思えなかった。
「そうであれば前例に行き当たらない説明はつくだろうがな。しかしそうなると、やはり今回の異変を引き起こしているのは随分な大物ということになるか」
「ああ。……もし再度調査に向かうなら、聖剣の封印を解く必要があると私は考えている」
「それは……」
レオンの目に強い疑念が浮かんだ。先に話を共有していたアレフもまた、笑みを消し真剣な表情で二人を見つめている。
「理由をお伺いしても?」
「我々が遭遇したかの戦士が見せた魔法はすべて、精霊とは別の存在の力を借りていた。紅炎と怪我を伴わぬ衝撃については心当たりもないのだが、雷からは確かに竜の気配がした」
「雷――光を操る竜、ですか。なるほど、それで」
レオンは頷いた。その声には深い納得と、それ以上に強い警戒が滲んでいる。この場にいる三人とも、光を司る竜とは深い
魔導器ムーンライトソードの創造主にしてダークエルフが信ずる神。メラナット島に強者を誘い、殺し合わせ、その戦いで生じる力によって傷を癒やし復活を目論んでいた“眠れる者”。――光の黒竜、ギーラ。
アレフに退けられた後の消息は杳として知れないが、あれで死んだとは思えない。どこかで生き長らえているのだろうというのが三者共通の見解だった。
「しかしダークスレイヤーならばいざ知らず、黒竜にはムーンライトソードでは打撃を与えられないのではありませんか」
「そのことだが、かの戦士の雷とやつの気配は似ているが根本は違うものだと思う」
あの事件の当事者であり、唯一ギーラと直接相対したことのあるアレフが口を挟んだ。
「これはジャンも同じ意見だ。彼の纏った雷の結界も、近くで観察した限りでは光の魔法を軽減する力はないようだった。あれなら大元の竜は別としても、眷属相手ならムーンライトソードでも通るだろう。……ただそうなると、やつと同じような力を持つ竜がほかに存在する、ということになる」
果たしてどちらがマシだろうな、とアレフは呟いた。その目は遠く北方を見つめていた。
アレフがメラナット島深奥で目撃したものについてはジャンも聞き及んでいる。硝子の筒の中で妖精や魔物が胎児の如く育まれ、肉を金属で置換された魔物たちが徘徊していたという。ギーラの恐ろしさは竜の強靱さや宿す強大な魔力だけではなく、深淵にも似た智恵にもあった。
そのギーラと同等の力を持つであろう竜がいる。それは重大な脅威に他ならない。
「あげく、その竜が果たしてこの異変の元凶か、という疑問もある。女王マリカなる人物とどのような関係なのかも不明だ」
「帰還してから像の破壊も試みたが、アレフのメテオでも傷一つ付けられなかった。今は像に触れた者にのみ限定されているものの、いつその対象が無差別になるか。無辜の民が巻き込まれる前に、この一件を引き起こした者が何を目的としているのか早急に確かめなければならない。だが結論を出すにも対策を立てるにも、情報を得るために今後何度も調査に向かう必要がある。そして神に近しい存在が引き起こしているこの異変に、可能な限り全力で当たりたいのだ」
アレフの紫電もジャンのトリプルファングも強力な魔法を宿し、それは現にかの戦士へ通じた。だが、彼は腐り溶かす朱い霧を用いることも、竜の顎を喚び出すこともなかった。彼の行使した魔法がジャンたちの見知ったものとよく似ていたからこそ対処できたのだ。
今後かの戦士以上の強者が、あるいはこの異変の元凶が出現した時に抗い打ち勝つためには今以上の力がいるだろう。現状で死者が出ていない理由は異変にある。元凶に刃を向け、無事で済むとは思えなかった。
それに、とジャンは内心で独りごちた。
今回の一件は、以前からの騒乱の予感とは無関係だ。そう直感が告げている。
だからこそ、今回の異変は早急に解決しておきたい。やがて来る騒乱に巻き込まれ、その中で戦い続けることになるであろう人々のために。
「ムーンライトソードは、その出自を鑑みれば決して正しいものとは言えない。だが神と渡り合うために、今はその力がいる。……聖剣の封印を解く許しを得たい。ムーンライトソードだけでなく、ダークスレイヤーも含めてだ」
封印自体はジャンが行ったものであり、解放も独力で行える。その上でレオンから許可を得ることは一つのけじめであった。
ムーンライトソードと対をなしうる魔力を秘め、今は共に封印されているもう一振りの聖剣、ダークスレイヤー。それを白竜シースの黒水晶より削り出した細工師であるレオンは、一つ息をついた。
「異邦の神々が各地より戦士を呼び出し、何らかの目的を以て戦わせている。……アルフレッド王の懸念は尤もです。そういうことであれば、私がその判断に口を挟む理由は何もありません」
ただ、と彼は言葉を続けた。静かだったその顔にはっきりと、心配の色が浮かぶ。
「どうか無理はなさらぬよう。今のヴァーダイトは王あってこそなのですから」
「ああ。よく分かっている」
返事をするジャンの傍らで、アレフが小さく笑いをこぼした。つられて集う視線に動じることなく、親指でジャンを指し示す。
「皆に同じことを言われているのさ。ノエル殿からも、側近たちからも、あとは事情を知らぬ兵士や文官たちからもな」
据わりの悪さを覚えたジャンの前で、レオンは微苦笑を浮かべていた。
「私もしばらくヴァーダイトに
アレフは笑う。それは戦場にあって鼓舞するためのものと同じ質の笑みであり、その目には確固たる意志が宿っていた。
「……再びダークスレイヤーを振るうことになるとはな。それもあの時と同じ理由でだ」
帰り際、畳んだ粗描を鞄に戻しながら、アレフはふと呟いた。
「かの戦士……戦いの前に蟹を食い出したのは、あれはなんだったのだろうな」
「ああ……」
思い出してしみじみ頷いたジャンの前で、レオンはただただ困惑していた。
「蟹、ですか? それは、沢蟹を素揚げにしたような……?」
「いや、それなりの大きさであろう蟹の、爪の部分だったな。それにかなりの手練れが茹でたものだ。あの身のぷりぷり感は間違いない」
あれほどのものは実家でもなかなかお目に掛からないぞとのアレフの返答は、レオンの疑問を解消するどころか一層深めたらしい。一目で混乱していると分かる顔は、いつも落ち着いている彼には珍しい表情である。
「茹で……茹で……?」
「単なる挑発の一環だと思っていたが、もしかしたら蟹の身に何らかの魔力が
「疑問に思うのはそこか?」
三人揃って首をひねる。会合は、最後の最後でなんとも締まらないままお開きとなった。
◆
「ローデイルの闘技場に近頃奇妙な集団が現れるが、君は遭遇したことがあるかね?」
百智卿ギデオン・オーフニールからそう問われた時、褪せ人の脳裏に浮かんだのは曲り棍棒を股間のあたりで屹立させて歩み迫ってくる覆面全裸の変質者の姿であった。馬鹿野郎
それかと聞き返せば、ギデオンは鼻で笑った。まさに小馬鹿にした態度の手本とも言うべき、まったく見事な嘲笑であった。
「不愉快なことだが、そういった連中は褪せ人にはさして珍しくないだろう。私が言っているのは奇妙な集団だ。この意味が分からないほど君が愚かだとは思いたくないのだがな」
百耳どのは相変わらずのようで安心すると憎まれ口を返し、褪せ人は改めて思考を巡らせた。
狭間の地の各所にある闘技場は、それぞれに異なるルールが定められている。そのうち王都ローデイルにあるものは、一対一での決闘を望む者達が集う場所だ。
そこに集団が現れる。それも、百智卿をして奇妙だと言わしめるような連中が。
ギデオンは一つ頷き、淡々とした普段の口調へ戻る。
「まず予め伝えておくが、集団と言っても彼らは複数の異なる文化圏から呼び出されているようだ。ある報告では、報告者を無視して互いに殺し合いを始めた者達もいた。人数も単独から十人弱とばらつきがある」
それはすべてローデイルの闘技場に限定して起きているのか。褪せ人の問いをギデオンは首肯した。
「彼らには出現条件があるらしく、これまでの報告では円卓の像からではなくローデイルの闘技場に直接足を運んだ場合にのみ遭遇している。現時点で判明している共通事項は二つ。装備が狭間の地のどの勢力にも属していないものであること。そして魔術、祈祷とも戦技とも判断のつかない術、もしくは狭間の地には存在しない技術を扱うことだ」
二つ目の共通点について褪せ人は首を傾げた。人間が相手である限り、術の分類は手元の触媒を見れば明らかなことだからだ。
その問いに、ギデオンは忌々しそうに
「分類を
独りごちたその声にうっすらと滲むのは皮肉か、あるいは別の感情か。それを判断する前にギデオンはさっさと話を戻した。
「例を挙げれば、教王と名乗った男は触媒を持たぬ拳から着弾箇所で大きく炸裂する光の矢を撃ち、また大地を伝う衝撃波を放つ。板と見紛うばかりの黒い特大剣を振るう騎士は、黒炎とは性質の異なる昏く重い炎を自在に操った。技術の方の例としては、角錐状の金の兜を被り車輪を担いだ半裸の男と、血の君主の配下どもと似た戦技を扱う銀の鎧の男。彼らは片手で使用できる小型の砲を用いていた」
炸裂する光の矢と衝撃波。黒炎ではない昏い炎。片手で扱える小型の砲。百智卿が判断がつかないと言うのだ。褪せ人がぼんやりと想像したものよりずっと異様な代物なのだろう。
「そして特に君に伝えておくべきだと判断した情報は、本来闘技場に招かれるはずのない魔物のことだ。翼の生えた人間大の異形なのだが、人語を中途半端に発する。エターナルリング、俺のものだ、と不明瞭に繰り返すだけだがな」
エターナルリング。
目を眇めた褪せ人に対し、ギデオンは首を横に振った。
「エルデンリングとの関係は不明だ。対話は不可能であり、奴もまた魔術とも祈祷とも判断のつかない術を用いる。だが奴の狙いがエルデンリングであるにせよ、あるいは全く別の何かにせよ、
わざわざ頷かずとも、褪せ人がどう答えるかなど分かり切っているのだろう。ギデオンは確信を以て言葉を続ける。
「元々君はあまり闘技場を利用していないようだが、もし魔物以外でも何か変わった事態に遭遇したなら報告してほしい。何、もたらされた情報が有益であれば、相応の報酬を用意しよう。これまでと同じようにな」
そんなことを言われたが、褪せ人はどうしたものかと少しばかり悩んでいた。
魔物の討伐は確定事項である。奴が祝福に呪われていないのであれば、大半のデミゴッドたちと同様にきちんと殺せば死ぬだろう。問題は目撃証言が闘技場に限定されていることだった。
引き当てるまで参加を繰り返す必要がある。そしてこちらは単純に礼儀の問題であるが、相手が目当ての魔物ではないとしても、それを理由に手を抜くなどあってはならない。
更には遭遇できたとして、ただ一回の邂逅で勝ちを狙えるほどの実力を褪せ人は持っていない。狭間の地の各所に君臨していたデミゴッドたちを下したとはいえ、それは偏に諦めの悪さによるものだ。幾多の死闘を経て確かに強くなったものの、生憎と戦いについてのセンスは凡庸であるという自覚がある。闘技場に集う精強たちと比べれば、彼の腕は数段劣るだろう。
魔物を討ち取るまでにどれほど復活を繰り返すことになるのか。そしてギデオンが求めるだけの水準の情報を得られるのか。正直なところ、あまり自信がない。
とはいえ、今の褪せ人にやるべきことがほとんど残っていないのも確かだった。
女々しくも永訣を惜しんでいることは、当の少女には悟られている。
いつかは必ず迎えねばならぬ別れを遠退かせる言い訳になるなら。褪せ人は気分を切り替えるために騎士の鎧を身につけ、なるようになるの精神でもってローデイルの闘技場へと向かった。
そうして一度目にして出会った彼らは、かつて道半ばで倒れていった知人たちを思い起こさせるような、二人の清廉な戦士であった。
長い金髪を頭の後ろで束ねた、どこかの王だと名乗った剣士。気品を感じさせる顔立ちと立ち振る舞いの一方で凄まじい剛剣の使い手であり、致命の一撃すら耐えて戦い続ける
風と氷を自在に操る、快活な魔術剣士。戦いにおいては後衛に徹していたが、一瞬の剣戟から感じ取った限り剣の腕も確かなものだろう。最後に魅せたあの氷の竜を喚び出す魔術は、いかなる理論に基づくものだろうか。
ギデオンへの報告のために手札をなるべく晒させようと挑発したのだが、あの様子なら時間切れまで対話することもできたかもしれない。
あの後闘技場の入口で拾った石英の羽を眺めながら、褪せ人はそんなことを考える。
もしまた会う機会があれば、今度は勇者の肉塊やゆでカニを手土産にして話を聞いてみよう。そう心に決める程度には、褪せ人は彼らのことを気に入っていた。
「なるほど。君の相対した二人組は今までの報告にはないものだ」
淡々としているギデオンの声に、ほんのわずかばかりの喜色が滲んだ。手渡した石英の羽を卓の上に置くと、つらつらと報告を口頭でまとめていく。
「ヴァーダイトにグラナティキ。私が確認できている限り、狭間の地の内外どちらにも存在しない地名だ。アレフと呼称されていた人物が教王の名を出していたなら、彼らは同じ文化圏で生活している可能性が高い。由来不明の祈祷に似た術に、暗月にもザミェルにも由来しない冷たい術。それからおそらく術として行使された嵐の業を操る、か。……ますます興味深い」
褪せ人は騎士の鎧から普段の装備に着替え、椅子に腰掛けてその様子を眺めていた。すっかり人気の失せたこの円卓の城館で、ギデオンの部屋はいつでも暖炉の暖かな光に満ちている。部屋の主がもう少し温厚な性格かつ義娘と同じ倫理感を持っていれば、褪せ人はここに入り浸っていたことだろう。
「しかし惜しいな。彼らを打ち倒してより詳しく観察できていれば、更なる情報が手に入っただろうに」
半殺しにして装備を漁ってこいと暗に言うギデオンに、無理を言うなと返す。
二対一という不利な状況で、あそこまで引っ張れたこと自体が奇跡に近い。その上褪せ人は彼らにまともな痛打を与えられていない。致命の一撃は入れたそばから回復され、牙突きはどんな絡繰りか見えない衝撃に無理矢理逸らされた。触媒が手元にない状態で術を使う場合があるとは聞いていたが、術を使う際の予兆や予備動作がまったく見られないのは初めてのことであった。視界に収めているのに不意を打たれるあの厄介さは筆舌に尽くしがたい。
そんな不利な状況で切り札のグランサクスの雷に対して即座に氷の竜を喚び出され、攻撃ではなく迎撃を選ばざるを得なかった時点で、彼の負けは決まっていたのだろう。
そこまで考えて、褪せ人はふと違和感を覚えた。
アレフと呼ばれていた魔術剣士。あの氷の竜を喚び出す時に声を張り上げた理由は何だったのだろう。あの時褪せ人は警告を発した金髪の剣士を狙うつもりだったから、黙ってさえいれば魔術剣士は金髪の剣士と引き換えに褪せ人を殺せていたはずだ。彼らからすれば褪せ人一人を落とせば勝ちである。あそこでわざわざ注意を引きつけ、確実な迎撃に手番を消費する必要はあったのだろうか。
複数人がいたことで王都闘技場のルールが適用されていないと勘違いしていたとしたらどうだろう。それなら撃破阻止と己の竜雷の加護を剥ぐことも兼ねて、手数を増やすことはありえるだろうか。
だが、何かが噛み合わない。――そもそも彼らは闘技場にあって、最初は片方だけが戦おうとしていた。それに戦いはじめてからも、魔術剣士はことあるごとに大声を出していた。不意打ちも充分狙えるタイミングで、なぜわざわざ注意を引くような真似をしていたのか。本当に彼らは闘技場のルールを知っていたのか?
褪せ人は腰に差したロングソードの柄に触れる。狭間の地に来る前、かつてただの騎士だったころから命を預けてきたこの愛剣だけが、今では故郷を偲ぶ唯一のよすがである。
あの時、動揺してしまったあの言葉。彼らには帰る場所があるという事実がどうにも気分をささくれ立たせ、いかんいかんと気持ちを切り替えた、あの言葉。
――ノエル殿やライルたちと約束したのだ。お前のことは必ず無事で帰すと。
無事で、帰す。
無事も何も、祝福に呪われている以上は死んだところで何が変わるわけでもあるまい。――否、彼らは
「考えはまとまったかね」
顔を上げる。ギデオンは兜の奥からじっとこちらを見つめていた。
褪せ人はやや躊躇いながらも、先ほどの直感を口に出した。
あの二人は死を警戒していた。
祝福により蘇り、その後何度も復活を繰り返す中で、死への躊躇は褪せ人から失われて久しい。一つの手段として割り切ってしまった現在、
だが、彼らはそうではなかった。直接相対した二人だけでなく、無事で帰すと約束したという相手もだろう。彼らの常識として、死は忌避するものだった。戦い始めの慎重すぎる立ち回りは、それが理由だったと考えれば辻褄が合う。
彼らの勝利条件もまた、敵対者の殺害ではなかった。二人揃っての生還だったのならば、いくつかの不可解な点に説明が付けられるのではないか。
あの二人は祝福に呪われていない。普通に生きて死ぬことのできる、ありきたりの人間だった。
褪せ人の推測を聞き、ギデオンは否定するでもなく頷いた。
「なるほど。……しかしそうであれば、あの報告は……」
ぶつぶつと、聞き取れない声で何事かを呟く。やがて顔を上げ、褪せ人がまだ対面に座っていたことに気づいたようだった。
「……ああ、すまない。耽ってしまった。君のもたらした情報は想定よりも有益だった。約束通り、私の識る秘術を授けよう。前回渡した祈祷の、より能率的な運用理論だ。使用者の素質にもよるが発動時の威力を大幅に底上げできる」
渡された紙片に軽く目を通し、すぐに畳んで腰の鞄へと納めた褪せ人を、ギデオンはじっと見つめていた。
「……やはり、君は同志だ。ずっと、そうであってくれたまえ」
手を軽く振って応え、褪せ人は椅子から腰を上げた。
少し仮眠を取ったら再び闘技場へ向かうとしよう。願わくば、次もまた彼らのような戦士と戦いたいものだ。そんなことを思いながら、彼はギデオンの部屋を後にする。
紙に隠れた石英の羽から、じわり、と小さな影が零れた。
影は誰にも見咎められることなく床に滑り落ち、床板の隙間に染み込んで消えた。
色々書きましたが、だいたいの仕掛けは一度死ねば終わりの方でも安心して心ゆくまで殺し合える空間を提供するためのものなので、正直なところそこまで深く考えてないです。
時間軸はかっちり固定するとライルたちを呼べなくなるので非固定としています。よってストーリー上死亡したキャラや既に打倒した敵とかもなんかこう呼べる。エルデンリング側も同様に呼べるとドリームマッチ感あって楽しい。
会場提供者についても、この褪せ人でなくとも構わないし、なんだったら会場提供者が現地にいなくてもゲスト同士でマッチングしてもいいと思います。