帝暦1934年8月22日
-レオンスブルク 臨時政庁-
「そうか。ありがとう」
アベルは、受話器を置き、険しい顔をしながら、ヴェルナーのいる議長室へと向かった。
彼は、動揺を部下達に気取られぬよう、出来る限り急ぎつつも、普段と同じ歩き方を意識し、歩いていく。
だが、その焦燥は、ヴェルナーのいる議長室の扉までたどり着くと、抑えられなくなっていた。ノックをし、「どうぞ」とヴェルナーの返事が聞こえるが早いか部屋へと滑り込むようにして入った。
それを見たヴェルナーは、まさか、という顔をアベルへと向ける。
「ヨアヒムの裏切りです」
アベルも、そんなヴェルナーの様子に嫌な予感を覚えつつ、開口一番そう報告した。
「やはり、か」
ヴェルナーは、最悪だといった反応をする。
遅かったのか。
アベルは、直感的にそう悟っていた。
「今、報告があった」
ヴェルナーはそう前置きしてから苦々しげに口を開いた。
「ノルトクライムの研究施設が帝国軍残党に襲撃されたそうだ」
「まさかそれがヨアヒムの!?」
アベルのその反応を手で押し止めつつ、ヴェルナーは続ける。
「ヨアヒムの軍旗は掲げていなかったらしい。その帝国軍が施設を攻撃しているので、援軍を頼む、と二時間前に連絡が来た」
そして、とヴェルナーは頭を抑える。
「今さっき、ヨアヒムの軍が援軍として助けに来てくれた、とノルトクライムから連絡が入った」
ぞっとアベルの背筋に悪寒が走る。
「私は...ルーカス=ウェーバーから、ヨアヒムの企みの報告を受けたのです。どうにか隙を見つけて連絡した、と」
アベルの反応を見たヴェルナーは、やはりな、と呟いた。
「余りにもタイミングが出来すぎだ。マッチポンプと見るのが常道だろう。そして、君の受けた報告でそれが裏付けられた」
「まさか、もう既に行動を起こされているとは...」
「悔やんでも仕方ない。どうにかして阻止せねば。研究施設の者達は、急なピンチを救ってくれたヨアヒムらを信じてもおかしくはないし、例え多少怪しくても無下には出来ないだろうからな」
「そうですね。とりあえず、既にルーカス=ウェーバーには行動を起こすよう伝えてあります」
「さすがだ。では、軍を率いてノルトクライムへ向かおう。我々が直接乗り込み、奴等が反乱軍であると即座に理解出来るようにせねば」
ヴェルナーの案に同意しようと、頷きかけたアベルは、瞬間、視界の端に、キラリと光るものを捉えた。気のせいに思える程度の、太陽光がガラスに反射したものだと片付けられる程度の、光。
だが、アベルは反射的に身体を動かしていた。
突然、アベルに突き飛ばされたヴェルナーは、倒れた自身の身体の奥に、赤いものを吹き出すアベルの姿を捉えていた。
「は?」
理解が追い付いていなかった。
何が起きた?
いやに、周りの景色がゆったりとして見えていた。
胸の辺りから、赤黒いものが滲んでいるアベルは、ヴェルナーを突き飛ばした影響で、体勢を崩しており、倒れそうであったが、苦しそうな顔をしながらも、どうにか踏みと止まり、窓外に、掌を向けていた。
アベルの魔力が、いつの間にかヒビ入り、穴の空いていた窓を割りながら、数百メートルは離れたビルの屋上目掛けて飛んでいく。
爆発。
屋上から爆炎が上がり、炎に包まれた人影らしき真っ黒なものが、ビルから落ちていく様子を、ヴェルナーの現実感のない目はぼんやりと捉えていた。
漸く、ハッと現実に引き戻されたヴェルナーが横を向くと、仰向けに倒れているアベルの身体をしっかりとその目に捉えられた。
「アベル!!」
「無事ですか?ヴェルナーさん」
息をするのも苦しそうなアベルは、どうにかといった様子で、そう絞り出した。
「君のおかげで無事だ!待ってろ。直ぐに医局の人間を..」
ヴェルナーが立ち上がろうとしたところで、議長室の扉が勢いよく開かれた。
「凄い音がしましたが!」
フロアを護衛している兵達だった。
「アベル司令!?」
「医局の者を呼べ!」
ヴェルナーの命令に、護衛数人が大慌てで駆け出していく。
「とりあえず傷口を抑えます」
残った兵は、そう言って、自身の制服を破き、アベルの胸にある傷口へと当て、強く抑えた。
「持ち合わせがこれしかありませんで」
無念そうにその兵士は呟いた。
「ありがとう」
アベルは、いつも周りの者へと向ける笑顔を浮かべていた。
「諦めるなアベル。直ぐに助けがくる」
アベルは言葉では返さない。だが、その目は、自身の終わりを悟っていた。
「どうしてもう老人と言われるような、私を助けた...!若い君が、必要なのに..」
「合理的に考えれば...そうかも...しれません。でも、勝手に動いてたんです」
「.....」
ヴェルナーが何も言えずにいると、幾人もの人達が、再び部屋へと駆け込んできた。
「アベル!!」
エミリアと、医局の医者達、そしてそれを呼びに行った護衛達であった。
医者達は、直ぐ様アベルの横に付け、傷口を抑えていた兵士に代わって、応急の処置を始める。だが、その顔は、アベルの容態が絶望的なことを物語っていた。
「もう、助からんのだろう」
アベルは、確認するように、医者達に尋ねた。
「.....直ぐに、担架が来ます。数十メートル先に病院もあります。何とか、手を尽くします」
医者達は、唇を噛み締めながら、そう答えた。
「アベル...」
エミリアは、アベルの頭を覗き込むようにして、座り込んだ。
「エミリアか...ごめん。...ジャックに伝えといてくれ...ありがとうってさ」
ゲホッと血を吐いたアベルだったが、なおも口を動かし続ける。
「ローベルトさんにも、よろしく言っといてくれ」
いつもと変わらない笑顔で、彼は、淡々と告げていく。
「民主国家連合のことは...ヴェルナーさん。任せます。どうか、平和な国に...」
ヴェルナーは、静かに頷いた。
「エミリア...今までありがとう...それと、後を...頼む」
そこまで言い切ると、アベルは満足した、とでも言うかのように、大きく息を吸って、小さく、最後に吐き出した。
帝暦1934年8月22日 共和暦0年、後に建国の父と称えられる、アベル=オイゲンは、彼の同盟者と、信頼する者、そして、彼に付き従うことを決めた、多くの人に見守られながら、息を引き取ったのだった。
-民主国家連合 ノルトクライム-
「さて、我々の勝ちだな。そろそろ、アベル共も死んでるころだろう」
ヨアヒム=ドーペルトは、自軍の一部を敵に偽装させ、それと戦うことで、救援に来た風を装って、研究施設へと入り、掌握しようとしていたのだ。
彼らは、丁度、施設を襲撃していた"帝国軍"を撃退し、『援軍が来るまでの間、施設内で防備を固める』という名目で、施設の入り口を開けるよう要請しているところだった。
-研究施設内-
「だ、そうだ。ここの防衛に当たってる人間で一番の高位はあんただ。ジャック。俺はどうも信用出来んが、助けてくれた事実がある以上、無下には出来んが...」
ローベルトが、そうジャックに自身の見解と共に報告する。
「一応仲間だしなあ...入れ...」
そこまで口にしたところで、ジャックは突然押し黙った。
「どうした?」
「いや、入れない。援軍が到着するまで、ノルトクライムの地上を防衛してもらう」
「いいのか?かなり強く要請してきてるぞ」
「ああ。俺の勘がそう言ってる」
いや、とジャックは首をかしげた。
「これは勘じゃねえな。なんだか分からんが、アベルがそう言ってる気がするんだ」
「...オカルトか?」
ローベルトは訝しげにジャックを見たが、彼もそんなオカルトを僅かに信じざるを得なくなる報告が、数時間後にもたらされることとなる。
-地上 ヨアヒム軍臨時司令部-
ノルトクライムの町役場に陣取ったヨアヒムは、参謀からの報告を聞き、眉を潜めた。
「何だ?奴等、察したのか?入ることすら拒否するとはな..」
少し考えた後、よし。とヨアヒムは立ち上がった。
「こうなれば直接奪おう。外から攻撃し、雪崩れ込むぞ。奴等の援軍が来る前に制圧せねばならんからな」
参謀も敬礼し、ヨアヒムの前へと出で、扉を開けようとする。
だが、扉は、参謀が手を掛ける前に、自動に、いや、外から開かれた。
「閣下」
そこには、10人近い兵士を従えた、ルーカス=ウェーバーが立っていた。
「いや、ヨアヒム=ドーペルト、貴方を反乱罪の容疑で逮捕します」
「貴様!」
事態を察した参謀は、瞬時にルーカスへと掴みかかろうとした。
だが、控えている兵に即座に撃ち抜かれてしまう。
「裏切ったのか...」
ヨアヒムの怒りの籠った視線に、ルーカスが動じることはなかった。
「はい、随分前に」
「何故だ...貴様は、私の部下となった時に、帝国を守りたいと言っていた。あの言葉を嘘だとは思わなかった。だから、側に置いていたのだぞ...」
「最初はそうでした。しかし、あの日以降、私の心は、貴方を離れたのです」
ルーカスは、自身の願いを、無下に、吐き捨てるようにして否定された時のことを思い出していた。
ヨアヒムは、同じ瞬間を思い出しはしなかったが。
「何の話だ...?」
彼にとっては、何でもない部下の戯れ言でしかなかった。ましてや、それが自身の運命を狂わせる要因となったなどとは思いもしない程に、ささいなことだったのだ。
だが、ルーカスにとっては、僅かな希望が断たれた日であった。そして、新たな希望と出会う切っ掛けとなった日だったのだ。
ルーカスは、ヨアヒムが覚えていないことに僅かな悲しみを覚えたが、それも当然か。と思い直し、再びヨアヒムに視線を合わせた。
「閣下にも恩はあります。しかし、それを上回る、大きな、大きすぎる恩が、アベルさん達にはあるのです」
ルーカスは視線を落とし、拳を握りしめる。
「私の優柔不断で、恩人を死なせてしまった。貴方が裏切ろうとしている、という物的、状況、その両者の証拠を揃えてから、行動を起こそうと、悠長なことを考えたせいで...」
ヨアヒムはルーカスのそんな様子をせせら笑った。
「はっ。奴は死んだか。ざまあないな」
「.....ですから、私はせめて、彼らの役に立たねばなりません」
「殺すなら早くしろ。君のポエムに付き合わされるのはたまらん」
はあ。と諦めたのか、椅子に身体の力を預け、だらんとヨアヒムは脱力した。
「いえ、殺しません。貴方は、民主国家連合最後の敵となって頂きます」
言いながら、ルーカスは腕をヨアヒムへ向けて伸ばす。
それを合図とし、彼の背後に控えていた兵の内二人が、ヨアヒムの腕を的確に撃ち抜いた。
「ぐっ...!?」
「自害されてはかないませんから」
ルーカスは背後を振り返り、指示を出す。
「拘束しろ」
「くそったれ...だが、アベルのいない民主国家連合など、直ぐに崩壊する。貴様はその泥舟にっ..!」
強く押さえ付けられたヨアヒムは、嫌味の代わりにうめき声を上げた。
「その為の貴方です」
冷たい目で、ヨアヒムにそう言い残し、ルーカスはヴェルナーに連絡するべく、その場を後にするのだった。