ある日、エミリアが少ないながらも一応配られていた配給を受け取り、当時住んでいた集合住宅の部屋の前に到着した時のことだった。
隣家の扉の前に、数人の、紺色の生地の中央に鎮座する大きな白い菱形、そしてその中に漆黒の獅子を描いた紋様が入った腕章を黒服の腕につけ、銀獅子の飾りが輝く帽子を被った男達、エミリアはゲットーに押し込まれた時ぐらいでしかしっかりと見たことはなかったが、忘れるはずもないその特徴的な姿をした、帝国の親衛隊員達が立っていたのだ。
エミリアは出来るだけ目を合わせないようにして、家に滑り込むように入る。
家にいた母親に伝えようと口を開きかけたその時、扉の外から怒鳴り声が響いてきた。
「いるのは分かってるんだぞ!ゲシリスキー!大人しく出てこい!」
ガチャガチャとドアノブを回す音や、扉を蹴る音が続け様に聞こえる。
「早くしろ!10秒以内に出なければ、扉を破壊する!」
そこから数秒程の静寂。
ガチャリ、と扉の開かれる音が小さく聞こえ、その後は再び怒号が飛ぶ。
「やはりいるではないか!」
「大人しくしろ!劣等の分際で我々に楯突きおって!」
隣家の住民の呻き声がドア越しに聞こえた。
何か重いものを蹴りつけるような音、怒鳴り声。
ドアではなく、次は隣家に面した壁の向こうから、ガチャガチャと何かを物色する音、ガラスが割れた様な音がひっきりなしに聞こえ続ける。
キッチンにいた母親が、玄関前で震えるエミリアに漸く気付いたようで、彼女の元へと走り来た。
母親はエミリアと手を繋ぎ、娘の前で不安そうな顔を見せるまいと身体の震えを必死に抑えながら、エミリアを住居の隣家とは反対側、既に彼女の五つ下の弟が踞っていた部屋の奥隅へと手を引き、連れていく。
その後、数時間に渡って親衛隊は隣家の捜索を続けていたようだったが、ついに引き上げていったのかドカドカと足音が彼女らの部屋の前を横切って以降、隣から音はしなくなった。
そこから10分程、部屋の隅に留まり続けた彼女達は、漸く震えの止まった足で玄関の扉を開け、隣家を確認した。
エミリアと弟は、玄関で母親に見るなと押し止められたため、詳しくは見えなかったが、部屋の前の廊下には血の跡が幾つも付いており、割れてぐちゃぐちゃになったメガネが転がっているのを扉が閉じる前に視界の端に捉えた。
直ぐに母親は部屋に戻ってきたが、その顔は青ざめていた。
余程酷いものを見たのだろう。
漸く止めることが出来ていた身体も再びカタカタと震えだしていた。
その日は、"それだけ"で終わった。
次の日も、その次の日も何事も起きなかった。
だが、3日後、再び親衛隊がやって来た。
その日の朝、コの字型に並んだ三棟の集合住宅の真ん中にある各棟の廊下に面した中庭から拡声器を通した咆哮の様な声が全棟に響き渡った。
『全住民に告げる!!!全住民に告げる!!』
エミリアはその声に叩き起こされ、周りを見ると、青ざめた両親の顔が目に入った。
何が起きているのか寝ぼけた頭では把握出来ず、両親に尋ねようとしたが、その必要は直ぐに無くなった。
『この集合住宅から反逆者が出た!!レジスタンスグループに協力していた住民がいのだ!』
『他にもこの住宅に関連した幾つかの通報があった。よって、この住宅は解体する!貴様ら劣等のために全員を捜査するなど、無為なことはしない。貴様らには全員、総帥閣下の計画の礎となって貰う!ありがたく思え』
その声が終わると同時に、中庭から、二階にあるギャズダ一家の部屋にまで聞こえる程、多くの足音が動き始めた。
続いて、悲鳴、怒号、そして銃声。
エミリアの父親は恐怖から泣き出しそうなエミリアの弟を、母親はエミリアを抱き締め、自身らは扉に背を向ける格好を取った。
数分も経たない内に部屋の前まで足音がやって来て、扉を蹴り開けた。
両親は両手を上げ、抵抗の気が無いことを示しつつ、子供らを隠すように立ち上がる。
だが、そんな小細工は意味をなさず、部屋にズカズカと侵入してきた親衛隊数人は、二手に別れ、一方はエミリアらを拘束し、一方は部屋中をひっくり返すようにして他に誰かいないかを捜索する。
そして、一通り捜索すると、親衛隊らは、彼女達を連行し、既に多くの住民が乗せられたトラックに押し込むのだった。