エミリア=ギャズダが、ナジェルノスク警護の任務に当たっている、ジャック=コワルスキーの下で働き始めて数週間が経っていた。仕事にもそれなりに慣れてきていた。
とは言っても、殆ど自由には動けず、街の外へは出してもらえていない。
ジャックという男は悪い人でもないし、無能でもないが、情が深すぎ、かつ彼自身も直情的すぎる。そして、まだ馴染めない彼女を気にかけ、夕飯をご馳走してくれるような優しさを持っている人。それが、エミリアがここ数週間彼と接してきて感じていたことだ。
エミリアはジャック以外の同僚にはまだ余り信用されていないことを察してもいた。
やっぱり、大規模な反乱組織ともなると、その辺りの警戒は普通はしっかりしているよね。と思いつつも、行動の難しさに辟易してもいた。
ただ、彼らもエミリアが話しかけると、疑いなどおくびにも出さず、普通に接してくれる。
その上、エミリアがパトロール中に転びそうになった時等は、咄嗟に身体を支えてくれたり、他にも生活の困り事で何度も助けてくれたりと、彼らも又、優しい人達なのだとも感じていたのだ。
その日も、エミリアと他数名で組まれた小隊で、ナジェルノスク内をパトロールをしていた。
ジャック率いる街の警護部隊は、ナジェルノスクの警察機能も担っているため、こうして街で何か問題が起きていないかもパトロールする必要があるのだ。
いつも通り、街を回っていると、通りの先で起きている騒ぎに出くわした。
見ると、別のパトロール隊の隊員らに一人の中年の男が囲まれている。
「大人しく投降しろ!」
男を囲んでいる隊員らが、そう男に呼び掛けているが、一向に男を拘束しようとはしない。
エミリアらは不審に思い、更にその騒ぎに近寄ると、隊員らが動いていない訳が分かった。
一人の青年がその中年に刃物を突き付けられ、人質とされていたのだ。
「うるせえ..早くおれをここから逃がしやがれ。こいつがどうなってもいいのか?」
中年の脅しに隊員らが怯む。
「逃がすわけにはいかん..こいつはスパイだぞ!」
中年を囲む隊の隊長が人質の効果によって後退りをしてしまった隊員らを引き留めるように叫んだ。
「スパイ!?」
エミリアのいる隊の者達にもそれは聞こえ、驚きの声を上げる。
エミリアはスパイという単語に一瞬びくりと反応してしまったが、幸い誰にも気付かれなかった。
「そうだ!おれはスパイさ!だが、おれを逃がさなきゃ、この罪のない青年は死ぬぞ?」
これ見よがしに人質の青年の首もとに刃物を更に近付け、男は叫ぶ。
「早くしろ!おれには金がいるんだよ!ギャンブルでスッちまって出来た借金も、お前らの情報売れば返せるんだ!」
エミリアは、その男の言葉に、酷い軽蔑と嫌悪感を覚えた。
彼女は、家族の為に、優しい人達を裏切っているという罪悪感に包まれながら、日々を過ごしている。
にも関わらず、この中年の男は、自身の身勝手で作った借金の為に、祖国を裏切り、助けてくれた人達をも平気で裏切っている。
更に、それがバレるとみっともなく人質をとり、叫び、抵抗している。
そんな姿に、彼女は結局、していることは自分と同じなのだが、それを凌駕し、棚上げしてしまうほどの嫌悪を感じたのだ。
その後も中年とパトロール隊の膠着状態は続き、数分が経った。
エミリアは、その間に自身の感情を落ち着け、この膠着を打破する為の方法に考えを巡らせる。
あのくだらない男のせいで自身の任務にも支障が出かねないので、早く解決せねばならない。
「....あの、隊長。私に考えがあるのですが」
そして、エミリアは、意を決したように自身の隊長に、そう切り出した。
「いい加減にしろ!早く退きやがれ!」
中年はなおも叫んでいたが、隊員達は退かない。
そこに、「待ってください」とエミリアが割って入る。
「なんだぁ?」
中年に睨まれ、隊員達の注目も集めた彼女は、口を開いた。
「私を、代わりに人質にして。その男の人は解放してください」
それを聞いた中年は、「あ?」と一言発した後、しばし、考えを巡らせているのか、黙りこくり、やがて、ニヤリと口角を上げた。
「いいだろう。男より女の方が効果がありそうだしな。それに...」
中年はエミリアの身体を眺め回し、舌なめずりをする。
「逃げた後も使えそうだ」
「ま、待ちなさい。なぜ君が!!」
周りを囲んでいた隊員達は驚いていたが、エミリアは気にせず話を続ける。
「じゃあ、その人は解放してくれるのね?」
「ああ、お前がこっちに来たら解放してやるよ」
エミリアは頷き、両手を挙げながら、中年に近付く。
そして、中年の前に立った。
中年はエミリアの首に手を回し、刃物を彼女に突き付ける。
人質にされていた青年は捨てるようにして解放され、何人かの隊員が彼を保護。
エミリアは青年が離れたことを確認すると、少し離れた位置で見守る自身の隊長の方へ中年に気付かれないよう目配せした。
隊長が頷いたのを確認した瞬間、エミリアは、中年が反応するより早くその場にしゃがみこむ。
次の瞬間、銃声が辺りに響き、中年はその場に崩れ落ちた。
周りを囲んでいた隊員達も、何が起きたのか理解出来ず、数秒固まっていたが、「確保!」という声が聞こえたので、彼らはほぼ反射的に中年を拘束した。
「上手くいったな。ひやひやしたよ」
確保と叫びながら、エミリアの元へかけてきた彼女の隊長がそう言うと、中年を囲んでいた隊の隊長がどういうことだ。と尋ねてきた。
「簡単だよ。彼女を人質にさせたのは、万が一にも無関係な人を巻き込まないように。そして、彼女の合図と共に、ウチの隊員に狙撃させただけさ」
なるほど。とその隊長は頷き、エミリアに感謝を告げ、拘束した中年を治療の為に病院施設へと搬送するべく、その場を去っていく。
エミリアは、その後、その場に残った隊員や、近くで様子を見ていた住民らに口々に褒められ、感謝をされた。
彼女はそれを、酷く心苦しく感じていた。