追手を振り切ったアベルらは少し遠回りをして、車を停めた場所へと戻ってきていた。
幸運にも、街に入った時点ではまだ監視されていなかったようで、車は無事であった。
しかし、街の幹線道路は既に塞がれている可能性が高い。車に乗って逃げるのはリスクが大きすぎるだろう。
その為、アベルは車内に置いてあった首府の情報を集めた書類等を手に取り、車を捨ててその場を離れた。
そして、街の西側の外れから地平線の向こうまで続く巨大な森林へと潜り込む。
「ここなら暫くは見つからないか」
アベルはボソッと独り言ち、エミリアを背負ったまま森の中を走って行く。
「どうして、助けたんですか..」
走るアベルの背中からポツリと声がする。
「私のせいだって、分かってますよね..なのに、なんで..」
「何か事情がありそうに思えたから」
アベルは振り返りもせずに、そう言った。
「...助けてもらっておいてなんですけど、置いていってくれませんか。私、足手纏いですし..」
それに、と言った後、エミリアは暫く黙り込む。
そして、絞り出すように言った。
「私は、もう、生きる意味を失いましたから...」
「お父さん..お母さん..ジェームス..ごめんね..ごめん..」
再び泣き出してしまった彼女に、アベルは何も言わず、走り続ける。
「悪いが。俺は、いや俺達は君に聞きたいことがあるんでね。まだ死んでもらう訳にはいかないんだ」
獣道も殆どない未整備の場所から漸く少し開けた場所に出たアベルは、そう言うとほぼ同時に魔力を使った跳躍を行った。
「.....なら、今、話します。だから..」
跳躍し、周囲に追手がないことを確認して、少し離れた場所に着地した直後、再びエミリアがそう、口を開いた。
アベルは少し考えた後、なら、とエミリアに質問をする。
「君はスパイなのか?」
「はい。帝国に命じられて潜入しました」
「他に仲間は?」
「同じ様な人が何人かはいると思います。詳しくは知りません」
「何故、帝国のスパイを?」
「......家族を人質に取られて、助けたければ協力しろ、と..」
「家族を..?」
エミリアの言葉を聞き、おうむ返しの様に呟いたアベルの声には思わずエミリアが萎縮してしまう程の怒気を含んでいた。
「は、はい。家族を生かす代わりにスパイになれ、と」
「なら、何故、さっきは親衛隊に狙われていたんだ?」
「そんなの私だって聞きたいです。突然、『お前は処分だ』って。家族..」
エミリアの声が詰まる。
「家族も、『既に処分』したって..」
「わ、私は、家族を守る為に、短期間で、スパイとして最低限必要な技術を叩き込まれた時も、我慢してきたのに。良い人達な、ジャックさんや、皆を裏切る様な真似をしてきたのに。突然、全部、奪われた..」
「そうか..だから..」
「何が、いけなかったんだろう。どうして..でも、だから、私は、もう生きる意味がないんです。全部話しましたから、降ろしてください。もう、いいんです」
アベルは背中に乗せているエミリアをチラッと一瞥し、再び前を向いて、言った。
「君はさ、どうして、家族の為にと自分を犠牲にしたんだ?」
エミリアは、アベルの唐突な質問に少しキョトンとしながら答える。
「そんなの。大切だからに決まってます。皆、優しくて、お父さんお母さんは私のことを大切にしてくれて、ジェームスとはとても仲が良かったから、助けたかったんです」
「そっか。良い家族だったんだな」
「だから..!」
「うん、だから、尚更死なせる訳にはいかない」
アベルは再びエミリアの方を向き、そう、優しく言った。
「どういう..」
「少し頭を冷やせってこと」
アベルはそう言うと、再び跳躍した。
「少し急ぐぞ。まだ遠いが、奴らが迫ってきてる」
先程よりも低く飛んだアベルは、後方を指差しながらそう言った。
見ると、すっかり暗くなった森に薄くだが、何本かの光の筋が浮かんでおり、それらがアベル達が飛び去った方向から近付いてきていた。
跳躍で追手から再び離れたアベルは今度はジグザグ、いやもっと複雑に森を歩き回り始める。
どちらの方向に行ったのか分かりづらくするためだ。
そして、再び跳躍し、今度は着地した衝撃で出来た跡を丁寧に消し、跳躍。
次は元来た方向に走り出し、足跡をしっかりと付け、上手く後ろに向かって跳躍。
こんな調子で、追手がアベルらがどこに向かったのかを特定出来ないように動き、すっかり真夜中となり、空に星が煌々と輝きだした頃、ついに森を抜け出した。
そして、その後は、出来る限り魔力を使った跳躍で移動し、痕跡を残さない様に動き、時には方向を変え、足跡を消し、と移動していった。
「さすがに、もう魔力は使えないな..」
ゼエゼエと息を切らしながらアベルはそう苦笑する。
「だけど、漸く着いた..」
既に空には太陽が昇っており、すっかり明るくなっていたが、彼らはついに、本部のある山地へとたどり着くことが出来ていた。
「後は、ボスに報告するだけ...」
既に追手はすっかり振りきっており、撒くことに成功している。
それもあって気が抜けたのだろう。
魔力を大量に使用し、夜通し走り続けていたアベルは山の中腹辺りで、ふらふらと怪しい足取りとなっていた。
「あの、アベルさん。降ろしてください..倒れちゃいますよ..?」
「死なせる訳にはいかないって言ったろう」
足取りは不確かであるのに、その言葉ははっきりと言い切り、アベル進んでいく。
「私、もう大丈夫ですから」
その言葉にアベルは足を停めた。
「考えてたんです。一晩中。頭を冷やせってどういう意味だったのか」
彼女は、すーっと息を吸って、続ける。
「私が、命を賭けて、家族を助けたかったのは、皆に大切にしてもらったから。なら、皆も、同じように、きっと私には死んでほしくなんかない。そう、思ったんです」
「うん」
アベルは肩で息をしながら、相槌をうつ。
「今も、辛いです。皆がもういないって考えると、私もそっちに行きたいって思います。でも、私が皆に死んでほしくなかったのと同じように、皆も、私には死んで欲しくないんじゃないかって..そう、思って..」
そこまで聞いたアベルはしゃがみこみ、エミリアを彼の身体に留めていた紐を外した。
「...君は凄いな」
アベルはそう言うなり、その場に倒れ込んでしまう。
「アベルさん!」
「頭を冷やせとは言ったが、一晩でそこまで考えるとはね。本当に、凄いよ」
アベルは激しく呼吸をしながら途切れ途切れにそう言った。
「強いね。君は」
アベルはそう呟き、気を失ってしまうのだった