アベルがエミリアと共に、ブレスコウから脱出し、逃げ回っていたのとほぼ同じ頃、オストレオン帝国は、再び世界に緊張を走らせる行動に出ていた。
ノルテンブルク公国に続き、その隣国であり、オストレオンとも国境を接していた小国、"ローズベル協同国"を併合してしまったのだ。
事の始まりは、先日の帝国最高評議会で決定した事項に基づき、行われたある発表であった。
『オストレオン帝国は、レオリカ人(帝国人)による民族統一国家の樹立を目指す』と明言されたのだ。
ローズベル協同国は、オストレオンにおいては、帝国人と通称されるレオリカ人と、少数民族ラズベル人による協同国家であり、彼らは先の大戦の後、列強の支援を受けてオストレオン帝国の支配を嫌った現地のレオリカ人と共に独立を果たした。
国家の土地はおおよそレオリカ人自治区とラズベル人自治区に二分されているものの、これは、民族の平等を現す象徴的措置で、民族対立は殆ど無いため、国中に両民族がまばらに居住している。
つまり、オストレオン帝国の発表は、ローズベル協同国に取っては死活問題であったのだ。
レオリカ人が国中に住んでいることは、帝国が全土の併合を行う口実になり得るからだ。
だが、これによってローズベル協同国で民族対立が深刻化したわけではない。
この国に住むレオリカ人は、"帝国人"であることを嫌った人々であるから、帝国に差別されてきたラズベル人とも仲間意識が強く、その逆もまた然であった。
つまり、彼らは帝国に対して協力して抗議活動を始めたのだ。
毎日、ローズベル首都では、オストレオン帝国に対する抗議デモが開かれ、オストレオンの公使館前には多くの民衆が詰めかけた。
レオリカ人抗議者の多くは『帝国人にNO!』『帝国人にはなりたくない!』等と同じ民族であってもオストレオンの支配下には入りたくないとする意思を示した。
これが、帝国に悪用されてしまったのだ。
オストレオン帝国内では、"帝国人"とレオリカ人は同義である。
故に帝国はこう報道した。
『"ラズベル"人がレオリカ人に対する迫害を仕掛けている』と。
帝国人を嫌がる、すなわち、レオリカ人を嫌っている、憎悪している。というロジックである。
当然、そうした文言を発しているのは、現地のレオリカ人であるのだが、そんなことはお構い無しである。
オストレオン帝国は国民に対して、『ラズベル人に差別されている哀れなローズベルのレオリカ人』を演出し、国際的にもそう主張し、自国の征服活動を正当化したのである。
そして、ついに、この日、エミリアにとって絶望の日となった同じ日に、オストレオン帝国はローズベル国民の殆どに、絶望を届けにいったのだ。
『迫害されているレオリカ人の解放』を掲げて。
そして、ローズベルはオストレオンに"併合"されてしま
う。
だが、事態はこれだけでは終わらない。
ノルテンブルク、ローズベルの二国をオストレオンと挟む形で、西に存在している、"ブーグリア王国"が二国の消滅により、オストレオンと長大な国境を接することになったのだ。
ブーグリアは先の大戦でもオストレオンと戦ったのだが、その際、国内は戦場となり、大きな打撃を受けた。
戦後は、その埋め合わせとばかりにオストレオン帝国から領土を一部割譲していた。
だが、それは列強と共に戦い、戦勝国に並ぶことが出来たからこそであった。
ブーグリア単体では、オストレオンには逆立ちしても敵わない。
故に、緩衝地帯的な役割を、ノルテンブルクとローズベルに期待していたのだ。
しかし、それらが消滅し、直接国境を接してしまった。
ブーグリアは、オストレオンで総帥が政権を握ってからというもの、外交を必死に行い、ブーグリアの南方、オストレオンの西方の隣国であり列強の一角、"ウェスティンレオーネ合同帝国"と相互援助条約を結ぶことには成功していた。
だが、これまで、条約こそ結んでいなかったが、合同帝国が利権を有する国々がオストレオンに併合されていくのを黙認し続けていたことで、ブーグリア王国全体が条約の実効性に疑問を抱くようになっていたのだ。
その懐疑の声は、国民、末端の兵士に至るまで、深刻な程に広がっていた。
それが災いし、オストレオン帝国軍が自国国境と向かい合ったことに対して、ある兵士が恐慌状態に陥ってしまう。
その兵士は、国境に向かって発砲してしまったのだ。
この時は死者もなく、オストレオン帝国側も軍を到着させたばかりであったことから、穏便に解決はした。
だが、ブーグリア国民はそれで安心はしなかった。
今回のことで、オストレオン帝国に侵略の口実を与えてしまったのではないかという考えが、恐怖が、広まったのだ。
そして、ブーグリア国民の間に過激な議論が巻き起こった。
『一か八か帝国に先制攻撃を仕掛け、ウェスティンレオーネを巻き込み、未然に侵略を阻止するべき』とする論である。
これは、オストレオン、ウェスティンレオーネ双方を刺激した。
オストレオンは先制攻撃の可能性に反応し、ウェスティンレオーネも、自国を積極的に戦争へ巻き込むことを望む向きに対して反応した。
そして、ウェスティンレオーネの国論にも影響を与えた。
今までの黙認による融和政策への批判である。
ウェスティンレオーネ合同帝国政府はこれらの緊張を解決し、事態を沈静化すべく、こう発表した。
『ブーグリアやその他の国々と結んでいる安全保障条約はあくまでも締約国が第三国に攻撃を受けた場合を想定しているものであり、締約国による先制攻撃は想定していない。ただし、締約国が攻撃を受けた場合は必ず条約に基づき行動する』と。
そして、ブーグリア、ウェスティンレオーネ、オストレオン、並びにウェスティンレオーネと同盟を組んでおり、地域に利権を有するジェルト=ケッチの四ヶ国首脳が集い会談を行った。
この席で、オストレオン帝国は、これ以上の拡大は行わないと宣言。代わりにブーグリアは先の国境での不祥事に対する補償、並びにオストレオン帝国との不可侵の締結、が約束された。
こうして、ローズベルという小国の犠牲は殆ど無視される形で、緊張は解消した。
しかし、この小康状態は、長くは続かない。
オストレオン帝国が、この約束を遵守することは無かったからだ。