「さあ、ハルトマン博士。彼を解放して頂けますか?」
アベルは再び不敵な笑みに切り替え、ハルトマンを振り返った。
「了承するわけがないだろう」
ハルトマンは不機嫌に返し、アベルを睨み付ける。
「いいえ。貴方は了承するしかないですよ」
「何?」
怪訝そうに眉を歪めるハルトマンにアベルはニッコリと笑いかけ、口を開く。
「まず、第一の前提として、貴方は、お気づきになっていないのかもしれないが、私に命を握られている」
「丸腰で何が出来る?」
ハルトマンは、そう嘲笑するように言った瞬間、ハっと何かに気付いたようだった。
「そうです。貴方がその可能性を見落とすとはね。私は魔導士ですから」
アベルはわざとらしく掌をハルトマンに向けながら言う。
「さて、第二に、貴方は、ローベルトを違法な手段でここに連れてきたということだ」
何故それを、と思わず言いかけ、ハルトマンは慌てて口を閉じる。
「バレればどうなるか。しかし、誰も口外しなければ気付かれない程度でもある。だからこそ政府においては権限を有さない貴方でもここに連れてこれたのでしょうしね。そして、もしローベルトを解放しなければ..」
「.....」
その先は、言われずともハルトマンは理解出来た。
どこぞに、恐らく親衛隊にでもリークすると言うのだろう。
いくら政府における権限がないとは言っても、勲章を受け、総帥からも気に入られているハルトマンを心良く思っていない人間は間違いなくいる。
そうした者の耳に入れば...。
忌々しい。私がこの地位、主任研究員の地位に安住していることを知ってのことだろうか?いや、まさか。
そんな栓の無いことがぐるぐると考ぶ脳を叱咤し、彼はどうするべきか思案する。
「さて、どうされますか?」
「保証がない」
ハルトマンの呟きに、アベルは小さく頷いたようだった。
「と、言いますと?」
そして、アベルは、白々しく尋ねる。
「ローベルトを引き渡してしまえば、君は私に対してなんらしがらみを持たなくなる。用済みとばかりに、私を除去しない保証は何処にある?」
「それは、貴方に信じて頂く他ありませんが、ローベルトが逃げているという事実は私としても知られたくはないのです」
「それはつまり、私を共犯者にすると言っている様に聞こえるのだが?」
そうだ。実際に逃がしてしまった者を逃げていないかのように偽装し続けることは、何かが起きた際に、ハルトマン自身にも塁が及ぶことは確実だった。
「自身の罪を思えば、それくらいは妥当でしょう?それとも、一週間後には牢獄にいる未来をお望みですか?」
「罪...?私が...?」
「人倫に反する罪、ですよ」
「生憎だが燃料奴隷の開発者は私ではない」
「それを積極的に利用しているじゃあないですか」
ハッと嫌味な笑いを浮かべ、ハルトマンは反論する。
「倫理観など、我々科学者には不要だ。そんなものは、使う者の責任じゃあないか?」
「使い途も使い方も一つしかない物に、ですか」
アベルもすかさず反論した。
「これ以上は不毛な議論だ。好きにしたまえ。私としては、今の状況が崩されないのならなんでも良い」
ハルトマンが面倒くさそうに言うと、アベルの方も、呆れた様な顔をしつつ、同意した。
そうして、ローベルトは帽子を被せられ、気休め程度のような変装を年のために施されて解放された。
それを見送ったハルトマンは、大きく舌打ちをし、忌々しげに吐き捨てた。
「ローベルトめ。あの馬鹿に毒されたのか?」
解放されたローベルトを伴い、MdV帝国本社を出たアベルは、ローベルトと共に森を駆け抜けていった。
そうして、二時間程走り、本社から離れたところで、ローベルトが口を開いた。
「アベル。解放してくれたことには感謝している。だけど、俺はお前に付いていくつもりはない」
アベルは、驚いたようで、勢い良く振り向いた。
「ハルトマンの野郎に下るつもりはなかったし、あのまま殺されるのもまっぴらだった。だから、解放してもらえたのはありがたい」
だけどな、とローベルトは続ける。
「アベル、お前さん、逃げたよな?」
ローベルトの突き放す様な声。
アベルは、彼が何のことを言っているのか直ぐに分かった。
「確かに、俺は解放軍から逃げたように見えるかもしれません。いや、実際逃げました」
「そんなお前さんを信用は出来んだろう。前いた組織が危なくなったら逃げ出して、何食わぬ顔で新しい組織を立ち上げ?バカバカしい」
「そう、見られても仕方ないですね」
アベルは、寂しげに呟く。
「仲間も、恩人も見捨てる様な人間に付いていけと?」
「理想を追うことにしたんです」
アベルの言葉に、ローベルトは僅かに反応した。
「ローベルトさんもご存知でしょう。解放軍が帝国人に何をしたか」
返事を待たず、アベルは続ける。
「俺は、自分の隊にだけは虐殺しない様に指示していました。しかし、それは自己満足だっと思い知らされた。だから、俺は、理想を追うことにしたんです。今まで見ないようにしてきた事を、繰り返さないように。繰り返させないように」
ローベルトさんも、とアベルは、彼に目を合わせた。
「ローベルトさんも、見ないふりをしてきた自覚はあるのでしょう?」
「.......」
ローベルトは何も返さない。
「貴方は、色々と理由を付けて、帝国人が燃料奴隷として使われることがないように、鹵獲兵器を改造していた。もし、解放軍にそのまま使わせれば何が起きるか、分かっていたのでしょう?」
「そうだ」
ポツリとローベルトが呟いた。
「ですが解放軍の蜂起後、貴方は、兵器の修理をしていましたよね。帝国の民間人がそれによって虐殺されていることを知りながら」
「私に罪があると?」
ローベルトが怒り気味に言うと、アベルは首を振って否定した。
「少し意地悪でしたね。勿論、基本的には帝国軍との戦闘に使われていましたし、貴方に大きく責任があるとは言いません。ですが、貴方自身はどうでしょう。見たくないものを、見ないようにしていたのではないですか?」
「だったらどうすれば良かったと言うのだ!私が何を言ったところで無意味だった!アベル、お前程に権限もなかったし、V.Bにも気に入られてはいなかったからな!」
ローベルトは興奮した様子で捲し立てる。
「そう思います。だからこそ、ローベルトさん。今からでも、理想を追ってみませんか?」
アベルに真っ直ぐ見つめられたローベルトの脳裏には、幾つかの記憶が映し出された。
かつての恩師、いや、今では恩師と呼ぶ事は憚ってしまう、大学時代の教授。
彼の開発した技術に、ハルトマンともう一人の友人と共に目を輝かせたこと。
その技術に夢中になり、ハルトマン達と共に研究に明け暮れた日々。
そうして、そこから数十年後、総帥が政権を握った帝国に囚われたこと。
研究者は、特赦されることもあったが、運悪くローベルトを捕らえた親衛隊員は頭が固かったので、そのまま、奴隷にされてしまったこと。
そこにV.Bらが襲撃してきたこと。
そこで見た、自身が研究してきた技術の行き着く先を見たことを。
そう、彼は、魔導士のエネルギーを燃料とする方法を発明した男を師事し、その技術を研究してきたのだ。
そして、その研究してきた技術の行き着いた先、痩せこけた人間に、幾つもの管を取り付け、魔力を抽出し、魔力量の低い者から、死んでいく、そんな燃料奴隷の有り様を、目にしたのだった。
それが、自身が発展に寄与した技術が生み出した残酷な光景が、彼を変えた理由となったのである。
そうして、今、ローベルトには手が差しのべられていた。
アベルが真っ直ぐに差し伸ばした手。
それは罰を与える手ではなかった。
罪を、分かち合おうとする手であった。
ローベルトは、ゆっくりと手をのばす。
「私は、やはりまだ君への信頼を回復出来ない」
しかし、と続ける。
「私には、取らなければならない責任がある」
そう言って、彼は、がっしりとアベルの手を握り返すのだった。