バーラト海峡での戦闘から四ヶ月後。
トイフル=シュナイダーは、苛立っていた。
バーラトの海戦で敗北したことに。
それによって、ヴァルクレイ作戦の実施が困難となったことに。
海軍戦力の大部分が喪われたことに。
そして、戦線が完全に膠着してしまったことに。
海軍戦力は喪ったが、レオン空軍は健在であり、グラディエーターもある。
故に、連合王国による上陸作戦の心配はない。
そう、負けることはないのだ。
連合王国への本土爆撃も続けている。
だが、勝つこともない。
今から海軍の再建を目指したところで、連合王国の建艦速度には追い付けるはずもない。
つまり、レオン帝国も連合王国も、完全に手詰まりとなってしまったのだった。
シュナイダー総帥は、政権を握ってから初めての挫折を味わっていた。
「どうにかして、国民の目を逸らさねば」
彼は、自身の権力基盤が、国民の支持にあることをよく分かっていた。国防軍は、親衛隊との対立を利用し、自身の権力強化に使ってきた。国民から見離されれば、国防軍は、簡単に離反するだろうことは、分かりきったことだった。親衛隊は、彼の支持者だが、弱い彼を支持するかは未知数。
彼を守ってきたのは成功と、それに伴う国民の支持。
それが、失われる可能性に晒されているのだ。
想像だにしない失敗で、行く末が危ぶまれていた。
勿論。報道規制と検閲により、大敗の事実は隠されている。敵の損害と自軍の損害を逆転して報じさせ、勝利したかに見せかけていた。
だが、勝利にも関わらず、一向に連合王国の攻略が進んでいない。そう、国民が疑問を持ち初めても可笑しくない状況だ。
「このままでは、私の野望が...」
"孤高の指導者"、彼の選んだその道は、誰も信用せず、出来ず、ただただ自らの思い込みを、鬱屈を、深めて行くだけだった。
そんな彼は、ひとまず、国民の目を逸らす為の方策を捻り出した。
レオン亜大陸の制圧を優先する、という策を。
そうして、レオン帝国は、未だに残る、古代レオン帝国の領域であった地域に残る中小国、これらの制圧に、動き出した。
旧ヤゲノ王国南部にある、ヘーゲリア王国、
ウェスティンレオーネ南部にある、ハロルド共和国。この二つが標的となり、一挙にレオン帝国に制圧されてしまう。
そして、宣言された。
レオンの統一が。
名実共に、古代の帝国が甦ったのだと、シュナイダーは、国民に喧伝した。
これによって、再び熱狂の燃料を与えられた多くの帝国人は、喜び、勇んだ。
シュナイダーが政権を握る前から、古代レオンの精神の復興を唱い、国民に刷り込み続けた成果でもあった。
よくも知らない古代帝国に郷愁を感じるようになっていた国民だからこそ、この宣言は効果を発揮したのだ。
こうして、シュナイダーは、一先ずの政治的危機、彼以外殆ど誰も気が付いてなどいなかった危機、を乗り越えたのだった。
レオン国民の熱狂が再び引き起こされていた頃、レオン帝国とリストニック共和国を挟んで北方にあるアグロムノイ連邦と、リストニック共和国を巡っての紛争が勃発していた。
そもそもアグロムノイ連邦は、10年程前までは、リョーク朝の皇帝が支配する帝国だった。
先の大戦後、オストレオンの皇帝に、自身の血縁を送り込み、大きな影響力を振るった国だ。
しかし、恐慌以降、大戦でただでさえ荒廃していた国が、更に貧しくなっていき、国民の不満が溜まっていった。
そうして、10年前に、激しい内戦の末、アグロムノイ連邦へと装いを新たにしたのだ。
そのアグロムノイ連邦が内戦中にリストニック共和国は独立を宣言していたのだが、この国の領土の大部分は、先の大戦で、アグロムノイ帝国がオストレオンから獲得した土地だったのだ。
オストレオン、現レオン帝国政府は、このリストニックの土地を取り戻したがっていた。
しかし、アグロムノイ連邦は、帝国との緩衝地帯として置きたがっている。
イデオロギーも、連邦と近しいため、あえてレオン帝国と国境を接してでも、再併合する必要性がなかっのだ。
だが、旧領の奪還をあくまで目指すレオン帝国とは日に日に対立が高まっていた。
この紛争は、大戦の勃発により、一時棚上げとなったが、戦線の膠着が明らかになると、シュナイダー総帥が再びこの地に目を向けた。
これによって、問題が再燃していたのだ。
勿論これは、シュナイダーの計画であった。
アグロムノイ連邦は、土地も広く、資源こそ豊富だが、革命が落ち着いたばかりで、まだまだ不安定、軍も弱い。
少なくとも、レオン政府はそう見ていた。
つまり、あくまで強硬に行けば、間違いなくリストニック共和国にある旧領を奪還出来るはずだった。
だが、そうはならなかった。
後に歴史家が明らかにしたところによると、この時、アグロムノイ連邦は、イデオロギー対立をしていたにも関わらずジェルト=ケッチ連合王国、そして、大戦には参加していなかったが、レオン帝国の伸張を苦々しく見ていたカルメリア連合の二国から、支援の約束を取り付けていたのだ。
この二国の支援を頼りに出来るアグロムノイ連邦は、あくまでも、レオン帝国の要求を拒否した。
ーレオン帝国 帝都 レオンスブルク ロイヒテンダー宮ー
「アグロムノイ連邦に宣戦布告する」
総帥は、臨時に集められた閣僚や軍幹部、親衛隊高官らによる、臨時帝国最高評議会の席において、そう宣言した。議場はざわついた。
親衛隊の面々は、当然だと言わんばかりの態度であったが、国防軍や閣僚の面子は、顔面蒼白といった対照的な様相だった。
「お、お待ちください。まずは、ジェルト=ケッチ連合王国に対する勝利を優先するべきでは...」
そう発言した閣僚を、シュナイダーは睨み付けるようにして、反論する。
「では、どのようにして勝利しろと言うのかね?船が足りないのだぞ?」
「ですから艦船の建造を最優先..」
閣僚の言葉は途中で遮られる。
「連合王国の建艦能力に勝てるほど我が国の造船能力は高くない。我々は陸軍国家なのだ」
シュナイダーは、そこまで言って、地図を広げ、ある場所を指差した。
「ここに、鉄鉱石が多くある」
そこは、リストニック共和国だった。
「そして、ここ」
彼は続いてアグロムノイ連邦の領土内に指を移す。
「ここは、石油が出る。我が帝国領では、奪還した領土も含め、さほど多くは採れない資源だ」
そして、彼は、議場を見渡し、勿体ぶりながら、口を開いた。
「つまり、連合王国に勝利するためにも、奴等の、アグロムノイ連邦の領土が必要なのだ。リストニック共和国の鉱山は、現在帝国全体の産出量の24%を産出する。これだけあれば、艦船の建造スピードも上がるだろう。そして、アグロムノイの油田は、工場の駆動や、輸送、その他兵器や諸々に使える。今は輸入で石油を賄っているが、アグロムノイは近日中に禁輸するだろう。カルメリアもその動きがある。分かるな?」
そこまで言った総帥は、一泊置いて、断言した。
「アグロムノイと戦争をせねば、我々が連合王国を倒すことは出来ない」
「そして、それは、我々の勝利に傷が付くということだ」
議場は、静まり返っていた。
余りにも危険な賭けだからだ。
だが、親衛隊の面々は、"強い総帥"の姿に感銘を受けたようだった。
「閣下の仰る通りだ!我々は完膚なきまでに連合王国とその同盟国どもを下すべきなのだ!傷のついた勝利など不要!最終的な勝利のために、アグロムノイを攻撃するべきだ!」
親衛隊帝都司令官が、そう勇ましく発言した。
「うむ。それに、勝算は高い。アグロムノイの軍隊は、未だに時代遅れの兵器を使っている。その上、つい最近まで政情不安だったじゃないか。軍の規律も乱れているだろう。少し脅かしてやれば、たちまちこちらの要求を呑むに決まっている」
「もし、全面戦争に至ったとしても、問題ありますまい。弱小のアグロムノイ軍など、我等親衛隊だけでも倒せてしまうかもしれませんぞ!」
総帥の言葉に、親衛隊長官が調子良く同意する。
馬鹿な。
財務大臣である、フィンツェンツ=フォン=ノーブルは、絶望的な思いでそれを聞いていた。
その"弱小のアグロムノイ"がどうしてここまで強気なのか、少し考えれば分かるはずだ。
後ろ楯がある。
そんなこと、総帥も思い付かないはずがない。
わざと、その可能性を排除しているのか?
それとも、何か別の理由が?
まさか、単にイデオロギー的理由から奴等が協力することなどない。という楽観的すぎる見方を採用し、それ以外を見ていないのか?
彼は、その懸念を口にする勇気はなかった。
会議の席で、反対を口にしても、あの調子では、ダメだっただろう。
きっと自分が失脚するだけで終わったはずだ。
最高評議会が、アグロムノイへの宣戦布告を決定し、解散した後も、彼は、一人でそう、自分に言い訳を重ねていた。
「ノーブル閣下」
呼び止められる声に彼は、始め、気が付かなかった。
「ノーブル閣下。すみません」
もう一度呼び掛けられ、彼は、漸く顔を上げた。
彼の視線の先には、同じく最高評議会に参加していた、軍人が立っていた。
「ノーブル閣下。この後、少しよろしいですか?」
ノーブルは、不安で顔を染めた。
「なんでしょうか..」
「実は、折り入ってお話があるのです。同じ、帝国の未来を憂う者同士、お話したいことがね」
軍人、ヨアヒム=ドーペルトは、そう言って、ニヤリと笑った。