アドマイヤベガIF ~もしも妹さんが生きていたら~ 作:トマリ
少しシリアス気味です。今まで以上に好みが分かれるかもしれません。
───そこは、奇妙な空間だった。
まるで煙の中にいるかのようだった。
上も下もわからない。地面があるのかすら怪しい。
見渡す限りの真っ白な世界。そんな中でせめてもの賑やかしのように、灰色の霧のようなものが漂っている。
間違いなく現実ではない。かといって、夢と評するには少し薄暗い。
そんな空間に、いつの間にかアドマイヤベガは立っていた。
「……ここは、どこ?」
言葉を向ける相手はいない。それでも呟かずにはいられなかった。
目を開けたら、ここにいた。どうやって来たのか、何故ここにいるのか、何もかもがわからない。
体も、まるで『軸』を引っこ抜かれたようにフワフワとしていて落ち着かない。
本当に奇妙な空間だった。
とにかく、歩き回れば出口が見えるだろうか。
そう考えてアヤベが歩きだそうとしたときだった。
『……ここは、どこ?』
また別の声が聞こえた。
その声に、アドマイヤベガの耳が思わず反応した。
……無理もない。
なにせその声は、先程の自分と全く同じ声だったのだから。
山彦ではないだろう。
山もないし、なによりこの空間に『山彦』なる概念が存在するようにも思えない。
アヤベはすぐに声がした方を向いた。
そして同時に、『声の主』もアヤベの方に目を向けたようだった。
───そこにいたのは、アドマイヤベガと瓜二つの容姿をした、もう一人のウマ娘だった。
「……リラ?」
『もう一人の……私?』
同じ唇が、違う言葉を発した。
それによって目の前にあるのが鏡などではなく、独立したもう一人の人間なのだと証明される。
アヤベは一瞬妹であるアドマイヤリラと見間違えたが、違う。そこにいたのが自分と同じ『アドマイヤベガ』なのだということを、遅れて認識する。
「もう一人の、私?」
『……りら?』
また同時に唇が開く。奇しくもお互いの台詞が交換されたようだった。
……そのままどちらとも何も言わず、しばらく自分同士による睨めっこが続いたが……埒が明かないと判断したかやがて『アヤベ』が一歩前に出た。
『……私は、アドマイヤベガ。トレセン学園のウマ娘よ。あなたは?』
誰よりも聞き慣れた声のはずなのに、聞き慣れない声だった。自分の声は自分で思ってるより二割ほど低い、と聞いたことがあるが、どうやら本当らしい。
「……私も、『アドマイヤベガ』なんだけど」
『……でしょうね』
ともかくアヤベが答えると、『アヤベ』は困ったように腕を組む。
見れば見るほどアヤベと『アヤベ』は同じだった。右側だけに着けられている耳カバーや、ややむくんでいる左手、平均よりも細い腰や手足。
誰かの変装などではなく完全な同一人物であることは、もはや疑いようがないだろう。
『これは……夢……なのかしら? これは』
「……夢だとしても、自分自身と出会う夢だなんて……。ひょっとして、ドッペルゲンガーという奴かしら?」
『ドッペルゲンガー……出会うと死ぬっていう……? でも……失礼かもしれないけど、あなたからは、そこまで禍々しさや威圧感は感じない』
「自分に向けて言ってるのだから失礼にはならないと思うわよ。なにより、私も同意見だし」
二人して頭を悩ませる。すると、今度は『アヤベ』が口を開いた。
『……そういえば、以前トップロードさんと話をしたことがあったような気がするわ』
「トップロードさんと? なにを?」
『「パラレルワールド」というヤツよ』
「パラレル、ワールド……?」
アヤベには耳馴染みのない言葉だった。
『簡単に言うと……自分が存在している世界とは別の世界のこと。世界は複数存在するっていう説があるの。「なになにをした世界」と「なになにをしなかった世界」、みたいに。その二つの世界には、似たような人物がいても、細部は少し違う。その二人が出会ったのだとすれば……』
「……なるほど。つまり、今の私とあなたは同じ『アドマイヤベガ』だけど、厳密には違う世界のよく似た人物同士、ということになるのかしら?」
『そういうことよ』
あまりに突拍子な話だが、一応それなら今のこの状況を説明することができた。少なくともドッペルゲンガーよりかは納得できる。
なにより、『こちらの』アドマイヤベガはトップロードとそんな話をした覚えはない。その食い違いこそがまさに『違う世界に生きている者』ということなのだろう。
その後『アヤベ』の提案によって、二人は勉強の成績や友人と昨日行った会話などを軽く共有することになった。するとやはりというか、大まかな要素は似通っていたが、細部が微妙に異なっていた。
まるで間違い探しの二つの絵のように。
どうやらこの現象はパラレルワールドという説で間違いなさそうだ。
しかしだとすれば、また別の疑問が出る。
「……何故なのかしら」
『……なにが?』
「あなたの説通りなら、パラレルワールドは他にもたくさんあるはずなのに、何故わざわざ『この私たち』が出会ったのかしら? それはなにか……意味があることのような気がするのだけれど」
『……別に、ないかもしれないわよ。単なる三女神様の気まぐれかもしれないわ』
しかし、そこで『アヤベ』はふと思い出したように声を上げた。
『いや……そういえば……あなた、言ってたわよね?』
「なにを?」
『さっき私と初めて顔を合わせたとき……「りら」って』
「ああ……確かに言ったかもしれないわね」
『「りら」って……一体誰のことなの? 普通は真っ先に「もう一人の私」と思うんじゃないの?そのリラって人は……それほどまでにあなたに似ているの?』
「え?」
もう一人の自分からの意外な言葉に、アヤベは首をかしげた。何を言っているんだこの自分は、というような表情である。
「『リラ』が誰って……私の大切な妹のことじゃない。忘れちゃったの?」
『っ!? ……いも、うと……?』
瞬間、『アヤベ』が目を見開いた。
雷に打たれたように体を震わせたかと思うと、心配するアヤベを余所に何やら黙り込んでしまう。
アヤベはバクバクと鳴っている『アヤベ』の動悸が聞こえたような気さえした。
『……ああ、なるほど。そういうことだったのね』
一分ほどかけて、ようやく『アヤベ』は呼吸を整えた。
「どういうこと?」
『……私の世界に、妹はいないわ。……いなくなってしまったから』
「えっ」
もう一人の自分が発したもう一つの現実の存在に、アヤベは息が止まった。
「妹が……リラが、いない……!? そんな、そんなの、嘘でしょ……!? あ、あなたが気づいてないだけでっ、どこかにいたとか……!」
『……りら。その妹は、フルネームはなんていうの?』
「……アドマイヤリラ」
『アドマイヤ、リラ……』
震える声で発した妹の名前を、もう一人のアヤベはゆっくりと噛み締めるように呟いた。
『……覚えがないわ。たぶん、「私の世界」にはそんなウマ娘はいない』
「そんなっ」
わなわなとするアヤベを後目に、『アヤベ』はまた名を呟く。
そして、
『アドマイヤリラ……良い名前ね』
───そう言って微笑した彼女の心中には、どれほどの感情が渦巻いていたのだろうか。
一応は同じウマ娘であるはずなのに、アヤベには想像もつかなかった。
妹が、いない。
……いや、正確には。わざわざ「いなくなってしまった」という表現を使ったことから、おそらく存在はしていたのだろう。
しかし、『アヤベ』の世界では、何かしらの理由でいなくなってしまっている。
それもたぶん……二度と再会できない形で。
事故? 病気? それとも───
それらの可能性を考えた瞬間、まるで半身をもがれたような痛みがアヤベに襲いかかってきた。
妹が、いなくなる。
もしそんなことになったら、自分は───
「……ごめんなさい」
ほぼ直角に頭を下げる。
知らなかったとはいえ、無神経にも程があることを言ってしまっていた。
自分が『アヤベ』の側だったら殴りかかっていたかもしれない。
『いえ……いいのよ。むしろあなたと私の違いがわかってスッキリしたわ』
だが、目の前の『アヤベ』は言葉の通り本当に納得したような表情を浮かべていた。
そのことに、アヤベは『アヤベ』の器の大きさに感服してしまう。……いや、この場合は自画自賛になってしまうのだろうか?
『妹がいるかいないか……それが私たちの世界の違いだったのね。それなら出会ったことにも何かを感じるわ』
「……ごめんなさい。本当に、無神経なことを。なにか、償えることがあれば」
『……だからいいって言ってるでしょ。菊花賞でのあれから時間も過ぎたし……いや』
再度謝るアヤベに、『アヤベ』はなにかを思い付いたようだった。
『……じゃあ、あなたがなにか償いたいと思ってるのなら……一つ。……その妹のことを、もっと私に教えてくれないかしら?』
「え?」
『もちろん、あなたが良ければだけど』
「……私は、いいけれど……あなたの方こそいいの?その……」
『……せっかくそんな世界の自分と出会えたのだもの。これもきっと何かの縁だわ』
「……わかったわ」
長くなるし座りましょうか、と提案し、二人のアヤベは腰を下ろして話し出した。
「───それであの娘ったら……ホラー映画が始まる前はあんなにウキウキしてたのに、いざ始まったら私にしがみついてばかりになったの。夜にも寂しいからってベッドに潜り込んできて……」
『……快活で正直な娘ね』
「そう言うと聞こえはいいけど……その場の感情だけで動いてるような感じよ。それに最近はあの娘、オペラオーなんかと頻繁に絡むようになって……」
『……オペラオーと?』
名前が出た瞬間、『アヤベ』は一気にジト目になった。
「私も必死に止めようとしたけど、何故かウマが合うみたいなのよ。どんどんオペラオーのノリに染められていって……二人でいるときとか、まるでオペラオーが二人いるみたい」
『……それは困るわね』
その光景を想像したか、『アヤベ』は思わずといったように額にシワを寄せた。
「……まぁオペラオーを抜きにしても、課題は忘れるし、授業も寝てばかり、変なことして泣くこともしょっちゅうだし……良くも悪くも子供の頃から何も変わってないから、ずっと手を焼かされてるわよ」
『……ふふっ』
かと思うと、今度はシワをほどき小さく笑いだした。
『……その割にはあなた、楽しそうだけど?』
「……まぁ、手のかかる妹ほど可愛いのは否定しないわ。確かにあの娘のお陰で退屈はしないし、楽しくもあるわね」
『……そうね。……毎日、本当に楽しそう』
虚空を見上げながら『アヤベ』は言った。
……そのときの彼女はどのような感情を抱いていたのか。やはり、アヤベにはわからなかった。
……だから、その感情を、少しでも知りたいと思ったからかもしれない。
「……どうしてなの?」
アヤベは思わず質問してしまっていた。
『なにが?』
「どうしてあなたは、そんな風に笑えるの? 妹が、いなくなってしまっているのに」
『…………』
「あなたは……寂しくないの?」
妬みだとかマウントだとか、そんなつもりは一切ない。心からの疑問。
ある意味自分自身が相手だからこそできた質問だった。
妹のことに言及した瞬間、またあの半身をもがれたような痛みが来る。
アドマイヤリラ。可愛い可愛い、自分の妹。
これまで自分は妹の世話をして、妹を可愛がって、妹のために生きてきたと言っても過言ではない。
そんな妹が、いなくなる。
もしそうなってしまったら、きっとアヤベは自分の人生の意味がわからなくなってしまう。
なんのために生きればいいのか、明日からどうすればいいのかすらわからなくなるだろう。
そしてたどってきた道に違いこそあれど、似たような感覚は『アヤベ』も味わったはずなのだ。
なのにどうして今彼女は自然に、自分と同じように笑ってられるのか。
どうして───
『……そうね。寂しくないと言ったら……嘘になるわ』
たっぷり時間をかけた後に、『アヤベ』は口を開いた。
『幼い頃に「妹がいた」と知ったときは本当に頭が真っ白になったし……罪悪感に押し潰されそうにもなった。だから妹のために私はレースを走り始めたし、一時は本当に独りになろうとしたり、脚を使い潰そうとしたこともあった。それが自分が妹にできる償いだと信じて疑わなかったし、そうすれば妹の存在をより感じることもできたから』
アヤベは思わず苦笑いした。
いかにも、自分がしそうなことだったからだ。
『でも、できなかった』
「できなかった……?どうして?」
アヤベが問うと、『アヤベ』は少しだけ───困ったように口角を上げた。
『周りの人たちが、私を独りにさせてくれなかったから。皆が皆、こんな私の元に集まってきた。トレーナーに、ドトウに、トップロードさん……まぁオペラオーも、皆が』
「…………!」
『余計なお世話をしに来たり、「ライバル」だと言ってきたり……そのうちにいつの間にか私は、本心で「走りたい」と願うようになってた。それは他ならぬ「私」の意思だったんだと、気づけた』
当時のことを思い出しているのか、『アヤベ』は遠い目をしていた。
『それで私は完全に消える前に自分を取り戻せた……いや……新しい自分として一から始まることができた。だから今笑えているのは……余計なお世話をしてくれた人たちのお陰。私がバカな迷走をしていたのを助けてくれたから。その人たちのお陰で、私は「妹に誇れるような姉になる」という新しい目標を見つけることができた。それだけのことよ』
「……そう、だったの」
アヤベは思わず顔を伏せる。
口では簡単そうに、あっという間に『アヤベ』は言ったが……それがとんでもない苦難の末にたどり着いた道だということは、表情の節々に混じった影から容易に想像することができた。
そして……それほどの困難を乗り越えたことで、多くのものを得ることができたということも。
『悲劇』なんて、普通は無い方が良いに決まってる。
だが『悲劇』を乗り越えた世界でしか手に入れられないものもある。
それはきっとどちらも正しくて、どちらも尊ばれるべきものなのだろう。
アヤベはぼんやりと、そんなことを思った。
「そうなのね……。あなたはたくさんの、支えてくれる人を手に入れられたのね」
『……えぇ。トレーナーやトップロードさんたちの他にも……ルームメイトのカレンさんも、こんな私をずっと見守ってくれていたから』
「かれん? ……え? 『かれん』ってもしかして、あのCurrenさん?」
『? そうよ、カレンさん。もしかしたら、あなたの世界のカレンさんとは微妙に違うかもしれないけど』
「Currenさんが……?」
アヤベは何度かCurrenに会ったことはある。いや、正確には会ったことはないが。
彼女の妹であるリラがCurrenの大ファンであるため、たまにウマスタの投稿を見せられて『Currenカワイイでしょ~!』みたいに言われるのだ。
アヤベはウマスタになど興味はないため、Currenのような人物は一生縁がない存在だと思っていた。
にも関わらず、『アヤベ』の世界ではルームメイトになっているという。一体どんな手を使ったのだというのだ、彼女は。
『……積極的で少し困ることもあるけど、あの人意外と甘えん坊でね。……まるで妹みたいに接してくるのよ』
「えぇ……」
徹底的にプライベートを明かさず、自由気ままに投稿をしている小悪魔のようなCurrenが、自分には甘えているだなんて。本当になにがどうなったらそうなるのだ。
……妹が見たらどんな反応をするのだろうか。『Currenの姿』と、『姉を取られたこと』の二重の意味で。
「……なんだか、運命って不思議ね」
『運命?』
「私もあなたも、元々は同じ存在だったはずなのに……少し歯車が欠けた、もしくは増えただけで、こんなにも変わるだなんて」
『……そうね。本当に、不思議』
最初はどちらの世界にもなれる可能性があったというのに、今ではもうどう足掻いてもどちらかの世界にしかなれない。
ポイントオブノーリターンというヤツか。きっとそれはとっくに越えてしまっているのだろう。
といっても、向こうの世界にいけなかったこと……自分の世界からもう引き返せないということに、お互いに後悔は微塵もないのだけれど。
『…………。そろそろ、終わりなのかしら?』
出し抜けに『アヤベ』が周りを見渡して言った。
つられてアヤベも見てみると……いつの間にやら空間に漂っていた霧は消え去っていた。代わりに、まるで降り積もる雪を逆再生したように、黄色い粒子のようなものが大量に天へと上っていっている。
視界も少しずつ歪み始めていた。まるで空間そのものが半透明になりつつあるように。
「時間切れ、かもしれないわね」
『……そう』
『アヤベ』はゆっくりと立ち上がり、アヤベもまたそれに続いた。
『……あなたと話せて良かった。久しぶりに、良い夢を見れた』
「こちらこそ。楽しかったし、興味深い話だったわ。またいつか、会えたら」
『えぇ』
言って、二人の姉はどちらからともなく……いや、二人は同時に手を伸ばし、そのまま握手をしようとした。
「あーー!! いたっ、いた!! やっと見つけたぁーー!!」
だがその時、一つの大きな声に遮られた。
ムードをぶち壊した無粋な声。
それに『アヤベ』は顔をしかめたが、アヤベは耳をピコピコとしながら振り返った。
すると、アヤベの予想通り───
「……リラ?」
「はぁ、はぁ、ひぃ……。やぁっと見つけたよお姉ちゃん~……。よかったお姉ちゃんがここにいて……」
やはりというか、そこにいたのはアヤベと反対の位置に耳カバーをつけた、大事な妹であるアドマイヤリラことアヤリだった。
相当走ってきたのか肩で息をしており、瓜二つの顔も汗で濡れている。
「あなた、どうしてここに?」
「それは私が聞きたいよ~……。ここどこなのぉ?なんか目が覚めたらここにいたし、走っても走っても全然景色が動かないしで、宇宙空間走ってるみたいだったぁ……。あー、お姉ちゃんと再会できて良かったぁ~……!」
どういうわけか、彼女もここに来ていたらしい。心から安心したように、アドマイヤリラことアヤリはいつものにぱっとした笑みを浮かべた。
久しぶりな気がする再会に、二人の間にはいつも通りの緩い空気が流れ始める。
『───え?』
だが、『アヤベ』は違った。
先程の雷に打たれたときのような───いや、そのたとえでさえ足りないと思えるほどに、驚愕に目を見開いている。
体の全てが、痙攣しているかのように震えていた。
『あの……あの、ウマ娘は……?』
「……そう。あれが私の妹よ。アドマイヤリラ。私はリラって呼んでる」
『アドマイヤ、リラ……あの娘が……』
我を忘れたように『アヤベ』は呟いた。
その瞳からは、一筋の涙がこぼれていた。
「ん? どうしたのお姉ちゃんジッとして……ってうわっ!? えっ、お姉ちゃんが二人!? なんで!? しかも片方泣いてる!? なんで!? お姉ちゃんがお姉ちゃんを泣かせた!?」
この状況のある意味の震源地といえるアヤリは、ようやく姉が二人いることに気づいたようだった。
しかし、そんな叫びも聞こえていないように、『アヤベ』はゆっくりと妹の方へ進んでいく。夢遊病患者のような、覚束ない足取りだった。
「お姉、ちゃん……? いや、ちょっと違う……? お姉ちゃんだけど、お姉ちゃんじゃない……?」
『……まぁそんなところ。パラレルワールドが……て言っても、急すぎてあなたにはわからないでしょうね』
「は、はぁ……?」
どこか自嘲するように、遠い星を眺めるように『アヤベ』は言った。
『……あなたも厳密には、「私の世界の妹」とは違うのでしょうね。
……だけど……だけどっ……!』
ふぇっ?とアヤリが声を上げる間もなく。
『アヤベ』は、アヤリを抱き締めていた。
誰よりも強く、優しく。
「ちょっ……!? えっ、な、なにっ、なにっ?? どういう状況なのこれっ? お、お姉ちゃん、この人は……私は……??」
「……今は、何も言わずに抱かれてあげて」
アヤリの耳元でアヤベはボソリと呟いた。
状況がわからないながらもその言葉と、そして姉とよく似ている目の前のウマ娘の容姿からなにかしら察しはしたのか、アヤリはやがて抵抗をやめた。
それを確認すると、アヤベは『姉妹』の輪を乱さないように一歩離れる。
『……ねぇ』
「な、なに?」
『今だけ……今だけでいいの。私も、あなたのことを「リラ」って呼んでいいかしら?』
「……うん。いいよ。じゃあ、私も今だけあなたのことは『お姉ちゃん』のつもりで話すね?」
『っ!!』
我慢できなくなったように『アヤベ』は抱き締める腕を強くした。「うぐっ。ちょ、苦しい苦しい」とアヤリが咳き込んだとこで慌てて手を緩める。
そして、ポツポツと口を開いていった。
『……リラは、走るのは楽しんでる?』
「……うん、すっごく楽しんでるよ! オペラオーちゃんやトップロードさんに併走も付き合ってもらってるし! 今デビューしたばっかりだから、これから頑張るとこ!!」
『そう……。その調子だと、トップロードさんやドトウとは仲良くできてるのね』
「うん! トップロードさんには委員長として助けてもらってるし……えへへっドトウちゃんは先輩として助けてあげてますしっ! あ、あとオペラオーちゃんとも」
『……オペラオーとは嫌になったら迷うことなく縁を切っていいから。勉強は、ちゃんとしてる?』
「うぇっ? え、ええと……ま、まぁ、ボチボチ……」
『……ボチボチじゃダメよ。ちゃんとするの。これから進路を選択するときに色々決められるように学力はつけておきなさい。課題もちゃんとやっておく』
「課題は、えっと……しょっちゅうお姉ちゃんに写させてもらってるけど……」
『ハァ……何やってるのよ、私』
「……次からは自分の力でやらせるわよ。前のが最後だから」
「お姉ちゃん、その手の台詞なんやで毎回言ってない───」
「黙って」
姉妹のやり取りに、『アヤベ』は少しだけ笑った。
『……食事も、朝昼晩しっかり食べるのよ。間食はあまりしないで、好き嫌いもせずに』
「そこは大丈夫だよっ! 私今育ち盛りだし! 間食したら走ればいいだけだしっ♪」
『……入浴はちゃんとして、夜更かしもしないこと』
「それも大丈夫っ! 早寝遅起きを心掛けてますのでっ!」
『……朝は早く起きなさい。脚に違和感があったら迷わず言うこと。病気にもかからないように。ちゃんと長生きするのよ』
「今のところ脚は異常なしですっ! んで後者は当然!だってお姉ちゃんは私がいないとダメだから、しっかり支えてあげないといけないからねぇ♪」
『……そう』
そこで『アヤベ』は抱擁を解いた。背中に回していた腕を、ゆっくりとアヤリの肩に乗せる。
そしてアヤリの目を正面から見据えて、彼女は最後に訊いた。
『ねぇリラ。あなたは今……幸せ?』
傍らにいたアヤベの耳が動く。
その質問に……アドマイヤリラは『姉』の目を正面から見返した。
「うんっ、幸せだよ!! だって、お姉ちゃんがいるんだもん!!」
アドマイヤリラは曇りのない瞳でハッキリと答えた。
そのことに、アヤベは心から安堵したように、微笑んだ。
『……ならよかった。あなたが幸せなら、私はそれで』
そう言うと『アヤベ』は名残惜しそうに……指先を震えさせながらも、アヤリの肩から手を離した。
その行動の意味がわからないアヤリは、ただ首をかしげるだけである。
代わりにアヤベが『アヤベ』の前へと戻ってきた。
「……いいの?」
『……うん。だって、この娘はあなたの妹だもの。私の妹じゃない』
「……そうね」
『それに、呼ばれてるから』
『アヤベ』はそこで大きな耳を後ろに向けると、困ったような顔をした。
『私の世界から、「アヤベさん」って、誰かがずっと呼んでるから。そろそろ帰らないと』
「……そう」
すると、今度はアヤベの背中に声が掛かった。
「あ、見てお姉ちゃん!なんかこっち出口っぽいよ!ねぇ、お姉ちゃんってばー!!」
『……あなたは、妹に呼ばれてるみたいね』
「……えぇ」
『「あの娘が生きて幸せになっている世界がある」ってことが知れて良かった。……そして、その世界であの娘を幸せにしてくれている存在は、間違いなくあなた。その時点で私は、あなたには感謝してもしきれない』
「……うん」
『……妹のこと、頼んだわよ』
「あなたも……そっちの世界のトレーナーや、皆のこと。……それから、Currenさんのことも。お願いね」
言って、握手をして、二人の姉は背を向け声の方へそれぞれ歩いていった。
その後、目が覚めた。
目を開けて視界に入ってきたのは、いつも通りの朝だった。
隣で珍しく早起きしたアヤリは、『なにか変な夢を見た気がする』と言っていた。
……本当に、変な夢だった。
だけど。
「ちゃんと、任されたから」
アヤベは改めて、愛する妹を抱き締めた。