アドマイヤベガIF ~もしも妹さんが生きていたら~ 作:トマリ
その日、その時。
そのレース場には、世界中の観客が集まってるような錯覚を覚えそうになった。
G1レースだということを加味してもこの盛り上がりは異常なように思える。試合の開始前から客席は満員であり、パドックが行われるのを今か今かと待ちわび多種多様な歓声が上がっていた。
それほどの会場の熱も、人によっては当然だと言うかもしれない。
何故なら今日のこのG1レースには、あの姉妹がついに同時に出場するのだから。
これまでに『期待の
姉は一年前にデビューを終えて今は覇王や怒涛と共に第一線で走り、妹の方も『双子のウマ娘は大成しない』と昔ながらのジンクスを叫ぶ者からの逆風に吹かれながらも、先日初の重賞勝利を成し遂げ、ついにこのG1にまで駒を進めた。
アドマイヤベガとアドマイヤリラ。
この姉妹の対決が、ついにG1の大舞台で始まるのだから。
そんな観客の声も遮断できるほどの防音性があるウマ娘用控え室にて。
トレーナーは担当ウマ娘の一人であるアドマイヤリラの元にいた。彼女を椅子に座らせ、蹄鉄や脚の最終確認を済ませていく。
「……ねぇトレーナーさん、お姉ちゃんの方は良いの?」
トレーナーに触らせていない方の脚を邪魔にならない程度にぷらぷらと動かしながら、アヤリは言った。
「うん。先に行ったんだけど……『私はいいからあの娘の方を見てあげて。何かヘマしてるといけないから』って追い返されちゃったよ」
「あははっ、信用ないなぁ私」
にぱっと笑う彼女。
……アヤベと違って、アヤリにとってはこれが初のG1レースだというのに、彼女は完全にいつも通りの、リラックスした状態だった。
てっきりもう少し緊張しているかと思われたが……。
「いやいやトレーナーさん、これでも私緊張はしてるよ?」
軽く手を振るアヤリの下で、トレーナーは左脚のシューズの確認を終え右脚に取りかかる。
「え、そうなの? そんな風には見えないけど」
「そんなわけないよ! 今までテレビやお姉ちゃん越しでしか見なかったレースに出るんだもん! そうでなくてもG1なんてレースウマ娘の、正に登竜門みたいなもんだしっ、緊張してるよ! ……でも」
「でも?」
「今は緊張よりも、ワクワクが勝ってるから♪」
「……なるほど」
そりゃそうか、とトレーナーは納得した。
今日は姉妹の特別なレースの日であり……今日のレースは姉妹だけの時間。
この日のためにアヤリは頑張り続け、無事にこの日を迎えることができたのだ。
それは、彼女の努力をアヤベの次に間近で見ていたトレーナーにとっても感慨深い。彼女には今日のこの光景を余すことなく、全身で感じて欲しい。
そのためにも自分はできることだけをやって、さっさと引っ込んでおくべきだろう。
そう思いトレーナーは入念にシューズを点検する作業へと戻った。
「……やっと、この日が来たんだねぇ」
トレーナーに向けたものではないだろう。
控え室の壁を見つめながら、アドマイヤリラは独り言つ。
その言葉にトレーナーが顔を上げた拍子に、彼女が今着用している、余裕を持ってレースの数ヵ月前から発注していた勝負服が目に入った(……といっても『型』を流用したものだったから、納品は早めに済んだが)。
アドマイヤリラの勝負服。
それは、青系統の服に白いネクタイという、全体的にアドマイヤベガの勝負服と同じような物だった。
しかし、よく見ると細部が異なっている。
アドマイヤベガが左手に装着していた腕輪と指抜きグローブのような物は外されており、同じく左肩にあった小さいマントのようなものも取っ払われていた。それから服やスカートにあしらわれていた装飾も一部無くなり、または簡略化されている。
結果として、元から大人しめのアドマイヤベガの勝負服より更に落ち着いたというか、なんとなく質素になったような印象を受けた。注文をつけたときのアヤリ曰く、『こっちの方がスッキリしてて動きやすいし、肩のはヒラヒラしてちょっと邪魔』とのこと。
……やはりいつぞやのお出掛けの際の私服同様、性格に反して彼女は意外と地味な装いを好むらしい。
姉とはまた違う魅力が出て似合っているから良いのだが。
(……しかし、なんというか)
見れば見るほど、トレーナーは首を捻ってしまう。
アドマイヤベガの勝負服と似ているようで違うその勝負服は……どこか不思議なデザインだった。
数ヵ月前にアヤリによって初めてデザインされたものであるにもかかわらず……見つめているとなにか、記憶を揺さぶられるような気がした。
……自分は、どこかで……もっともっと前に、このような勝負服を見たことがある。
そんな風に思わせられるものだった。
どこで見たのか、何で見たのか、ほとんど思い出せないのだが……。
……順番としては、アドマイヤベガの勝負服を流用し、アドマイヤリラの好みで諸々をオミットする形でこの服は完成したのだが。
どちらかと言うとこの順番は逆で、アドマイヤリラの勝負服を元に色々アレンジして、アドマイヤベガの勝負服が出来たと考える方がしっくり来るような───
「トレーナーさーん?手が止まってるよ?どうしたの?」
不思議そうなアドマイヤリラの声で、ようやくトレーナーは我に返った。
なんでもないと首を振り、妙な思考を急いで頭から追い出す。
いけない。姉妹で感性が似ているのだから、服がある程度似通るのは当然だろう。
こんな時に、卵が先か鶏が先かみたいなくだらないことを考えている暇はない。
所謂『デジャブ』なんていうのは、大半がただの見当違いだ。早く忘れよう。
「ん。特に問題はなかったよ」
「ようしっ! じゃあ、そろそろ出陣しようかなっ!」
数分経って点検を終えると、ぴょんっと擬音が出そうなほどの勢いでアヤリは椅子から立ち上がった。
「その調子だと、コンディションも大丈夫そうだね?」
「とーぜん! 絶好調も絶好調! むしろお姉ちゃんのコンディションが大丈夫か心配する余裕まであるよっ! 今日はお母さんや可愛い弟たちも来てくれてるからね、最高の走りをしないとっ!」
ぶんぶんと腕を回すアヤリからは、(正確にはあるのだろうが)やはり緊張の色は見受けられない。
トレーナーは満足そうに頷き、机に広げていた諸々の道具を片付けていく。
すると、そんな彼に対しアドマイヤリラはビシィ!と念押しするように指差した。
「トレーナーさんっ! ここまで一緒に歩んでくれたトレーナーとして、ちゃんと見ててよ? 私の……いや、私とお姉ちゃんの走りをっ!」
その声に、トレーナーは動かしていた手を止めてから、ゆっくりと首を縦にした。
「……わかった。ちゃんと見る。見届けるよ」
「ようしよろしい♪ ……んじゃ、行ってきますっ!」
「うん。行ってらっしゃい!」
にぱっと嬉しそうに笑うと、アドマイヤリラは手を振りながら控え室を後にした。
その様を見てから、トレーナーは急いで片付けを済ませ、階段を駆け上がり客席に向かう。
人の波を掻き分けながらどうにか席に座れた時には、既にパドックは始まっていた。
G1レース。中距離、天候は晴れ、ターフは絶好の良馬場。
1番人気、アドマイヤベガ
2番人気、アドマイヤリラ
そんな声が響くパドック。
二人の夢の実現まで、あと───
物心ついたときから、私の前には姉の背中があった。
とあるG1ウマ娘と、そのウマ娘のトレーナーとの間に生まれた姉妹。
姉がアドマイヤベガで、妹の私はアドマイヤリラ。二卵性双生児で、共に星座に関連した名を持つ姉妹。
それが私たち。
物静かなお姉ちゃんと、元気のある私。
生まれてから、何をするにも、どこへ行くのにも私はお姉ちゃんと一緒だった。仲も良かったし、なんとなくそうするのが当然のようになっていたから。
同じことをして、同じものを見て、同じように育った。
私たちの見た目はよく似ていた。……いや、『似ていた』なんてレベルじゃない。
二卵性双生児は一卵性双生児と比べると『意外と似てない』ことが多いらしいけど……私たちの場合は鏡合わせのようにソックリだった。
というか、いつぞやから私たちは姉妹で反対の位置にお揃いの耳カバーを着け始めたから、その状態で向かい合えば私たちの間にはまさに見えない鏡が見えたことだろう。お母さんはともかく、お父さんなんかは未だに私たちが無言でいるとパッと見分けがつかないぐらいだ。
……だけど、私とお姉ちゃんには、決定的に違う部分があった。
『あ、そうだ。アヤベ、アヤリ、ちょっと来なさい』
『……ん』
『なぁにお母さん?』
『そういえば、今日は学校でテストがあったって聞いたわよ。二人とも何点だったの? はい、まずはアヤリから』
『ぎくっ。うっ……ごっ、52点……』
『あら……もっと勉強しなさいアヤリ……。アヤベは?』
『……89点』
『まぁ! すごいじゃないアヤベ!』
『……別に。簡単な問題しか出てこなかったし』
『さすがねぇアヤベ! それに引き換えアヤリはもう……今日はオヤツ無しね』
『なっ、お母さんっ!? そんな殺生なぁ~! 日々の楽しみなのに~!』
『私が何度も「勉強しなくていいの?」て聞いたときに「だいじょうぶだって~!」て笑ってたのはアヤリじゃないの。なのにもう……せめて再テストで60点は取りなさい。それまでオヤツは没収ね』
『そっ、そんなぁ~! ……お、お姉ちゃんっ!!』
『……自業自得よ。諦めなさい、リラ』
『うぇぇぇーーん!!』
……私は、お姉ちゃんよりも遥かに劣っていた。
生まれてからずっと、何をするにも一緒だったけど。
物事において、私がお姉ちゃんよりも上手く出来た試しはなかった。
勉強はもちろん、子供の頃にやったコマ回し大会でも、調理実習でも、裁縫でも、スポーツでも。
そして、走りでも。
元気だけが取り柄の私と違って、冷静でクールなお姉ちゃんは何でも卒無くこなすことができた。対して私は不器用で、教えを理解することが難しかったから、何をやっても上達が遅かった。
子供の頃から、いつも自分より完璧なお姉ちゃんを見せつけられ、その度に黒いものが心に積もっていった。
……生まれた時間がほんの少し違うだけなのに。なんでこんなにも差ができてしまったのだろう。
なんで私はお姉ちゃんのようになれないんだろう。
なんでお姉ちゃんだけがなんでも上手くいくんだろう。
なんで────
……幼い私にとって、お姉ちゃんは『姉』であると同時に、『高過ぎる壁』でもあった。
……恨めしかった。
正直な話。これまでお姉ちゃんを憎んだことが一度もないといえば……残念ながら嘘になってしまう。
彼女の圧倒的な強さは……私にとって自分の存在意義を奪いかねない、妬ましい、目の上のたんこぶそのものだった。
お姉ちゃんなんていなくなれば良いのに。
なんて思ったこともあった。
……だけど。
『はぁ……オヤツ食べたかったなぁ……』
『……リラ。リラっ』
『えっ、お姉ちゃんっ?』
『しっ、声が大きい。……ちょっと、こっち来なさい』
『なによ……』
『……はい。さっきお母さんが焼いてくれたオヤツのクッキー。一緒に食べましょう』
『……え?』
『ほら、早く。見つかったら私まで怒られるから』
『……お姉ちゃん、なんで?』
『なにが?』
『だって、それ……お姉ちゃんがもらったヤツじゃん……』
『そうだけど』
『……別に私に気を使わなくても、一人で食べればいいよ……。それはお母さんが優秀なお姉ちゃんのために焼いたヤツなんだから、お姉ちゃんが食べればいいんだよ……』
『…………』
『なのになんで……』
『なんでって、リラと二人で食べた方が美味しいからに決まってるからじゃない』
『……え』
『……ていうか別に、仮にあなたも良い点を取ってて二人でクッキーをもらったのだとしても、私はいくつか譲ってたわよ。私はあんまりお腹空いてないし。あなた、クッキー大好きだったでしょ?』
『……すき』
『だったら、二人で食べない理由はないでしょ。あなたが喜んでるなら、私はそれで良いし』
『…………』
『……まぁ、あなたがいらないんだったら私は一人で食べるけど』
『い、いやっ、いる! 食べたい! お姉ちゃんとっ!』
『声が大きい。……じゃあ、はい』
『あっ……ありがとうお姉ちゃん! はむっ……んー! 美味しいっ!!』
『こら。「早く」とは言ったけど、そんな一気に食べないの。喉に詰まるわよ』
『……えへへっ』
『……そんなに美味しかったの?』
───そりゃ妬ましかったし、羨ましかったし、いなくなっちゃえと思ったことだってあったけど。
それだけじゃなかった。
それ以上に、お姉ちゃんは優しかった。
美味しいものはいつも半分こしてくれたし、怖い夜は一緒に寝てくれたし、私が怪我をすれば真っ先に駆けつけてくれた。
私のせいでお姉ちゃんが貧乏クジを引かされることもあって、迷惑をかけることだってあった。だけどお姉ちゃんはそのことに不満なんて見せずに、いつも私のことを見守ってくれていた。
私の中のつまらない劣等感なんて吹き飛ばすほどに、たくさんの楽しい時間をお姉ちゃんは私にくれたんだ。
だから、私はお姉ちゃんのことが好きになっていった。
そう考え始めると、お姉ちゃんの妹として生まれることができたのが、嬉しく思えてきた。
なんでも出来る立派な姉が、誇らしく思えてきた。
こんなお姉ちゃんがいるのだから、精一杯楽しまなきゃと思った。
そうして楽しんでいる内に。
いつしかお姉ちゃんは私の『憧れの人』で、『目標』になった。
本心から、私はお姉ちゃんを超えたいと思うようになった。
お姉ちゃんの背中を追いかけて、同時にその背中に守られながら、私はここまで走ってこれたんだ。
だから私にとってお姉ちゃんは、高過ぎる壁であると同時に……暗闇の中でいつまでも輝き続けてくれている、一番星のようだった。
物心ついたときから、私の背中には妹の視線があった。
私……アドマイヤベガには双子の妹がいる。
妊娠六ヶ月あたりで少しゴタゴタはあったそうだけど……様々なことが重なった末に無事に生まれることができた妹。
妹であるリラ……アドマイヤリラの存在によって、私は『姉』としてこの世界に生を受けることになった。
私とリラは、どこへ行くのにも一緒だった。……正確には、どこへ行くのにもリラがついてきた。
彼女は……とても危なっかしい娘だった。
元気が有り余ってて、迂闊で、バカで。
私がどれだけ事前に注意したとしても、ちっとも聞かずに突っ走って。
それで困ったら『おねえちゃんっ! おねえちゃんっ!』と助けを求めてくる。
……ウチはお父さんもお母さんも仕事で忙しかったから、必然的に妹の面倒を見るのは私の役目になっていった。
……リラには、何度も手を焼かされた。彼女が泣くせいである程度の理不尽を押し通されたり、彼女のせいで私が痛い目を見たことだってあった。
我慢の限界を越え、本気でムカついたこともあった。
……けれど。
『おねえちゃんすごーい! もっかい! もっかい走ろっ!』
『おねえちゃんっ! つぎはどこへつれていってくれるのっ!?』
それと同時に、いつも自分の心に正直に生きて、こんな凡庸なウマ娘である私のことを慕って、称賛してくれて、健気に後ろをついてきてくれるリラのことが私は可愛くて仕方がなかった。
目を離すとケガするし、距離を取ると寂しがって泣き喚くリラを、放っておけるわけがなかった。
ある意味では、惚れた弱みというか、手のかかる娘ほど可愛いというヤツか。不平不満があっても、少し経てば不思議と許してしまえた。
そしていつも明るいリラは私の精神的支柱で、彼女の笑顔があるから私は辛い道でも歩くことができた。
リラの期待を背負った、彼女の人生の水先案内人として、恥じないように道を踏み外さないように頑張らなければと思った。
時々、そんな彼女の期待を疎ましく思うこともあった。
『ねぇお姉ちゃんっ! なんで皐月賞負けちゃったのぉ!?』
『……仕方ないでしょ。それがレースの世界だわ』
『あんな……なんだっけ、ていえむおぺらおー、だっけ?あんなウマ娘に負けちゃうなんて~……!』
『……走る前に、ペースを狂わされたのよ。訳のわからない言葉で……』
『あー、なんかライバル認定されてたねー。お姉ちゃんをライバルにしたいなら私を通してもらわなきゃ困るのにぃ……。うーん、いつも通りのペースならたぶんお姉ちゃん勝ててたと思うのになぁ~……』
『そんなのわかってるわよ!』
『うぇっ……』
『っ……ごめんなさい。今日は遅いし、私もイライラしてるから。もう寝るわ』
『う……私こそ、ごめん。悔しかったから、つい……』
『……なんで走ってないあなたが悔しがってるのよ』
『だって……お姉ちゃんが「三冠バ」になるところ、見たかったんだもん……。お姉ちゃんがG1を勝ったら、私はもう天にも昇るぐらい嬉しいし……』
『……簡単に言ってくれるわね』
だけど、やっぱり。
『やったっ! やった、やった、やったー!!』
『……いつまで喜んでるのよ、リラ』
『そりゃ喜ぶよぉ! だって、お姉ちゃんが勝ったんだもんっ! G1で!! 日本ダービーで!! 「ダービーウマ娘」になったんだよ!? むしろもっと喜ぼうよお姉ちゃん!!』
『……もう充分喜んだわよ』
『それにそれにっ!お姉ちゃんから皐月賞を奪ったあのにっくきテイエムオペラオーや、トップロード委員長にも雪辱を果たす形で勝てたしねっ!』
『……別に、皐月は元々私のものだったってわけじゃないけど』
『私のお姉ちゃんを奪おうとしたあのオペラオーとかいう若造には、今度偵察も兼ねて「お話」しにいくつもりだけどぉ……その前にスッキリする光景が見れて、いやー嬉しかったよお姉ちゃん!!』
『そう……ていうか、オペラオーと話しにいくつもりだったの? ……止めはしないけど、気を付けなさいよ……』
『やっぱり私のお姉ちゃんは……さいっきょおだーーっ!!』
『もう……恥ずかしいから……』
それでもやっぱり、私の勝利を共に喜んでくれる彼女の存在は嬉しかった。
……だが、それらと同時にリラは……私の立場を脅かしかねないウマ娘だった。
リラには、私以上にあらゆる面で才能があった。
たぶん、本人は気づいていない。そしてその才能も、おそらくまだ半分も目覚めていない。
しかし、もしその才能が目覚めれば……彼女はすぐに私をも凌駕するウマ娘になる。……人によっては、ピンと来ないかもしれない。
だが、私はリラのそういった場面を何度も見てきた。そもそも彼女は基本バカだけど、別に地頭が悪いわけではない。
所謂、平時の学習スピードはやや遅いが、コツさえ掴めば一気にステップアップできるような……たとえ連敗の最中にいても、何か切っ掛けさえあればすぐに連勝できるような、そんなウマ娘なのだ、彼女は。
子供の頃のテストだって。
あのリラが52点を取ったテストの再テストだって、前日にあまりに泣きつかれたから渋々私が軽く───本当に軽く計算のコツを教えてあげただけで、何か合点がいったらしい彼女は、そのまま再テストで81点を叩き出して帰ってきて母親と私を驚愕させていた。
彼女の伸び代は、本当に凄まじい。
だから私なんてふとした拍子にあっさり追い抜かされても、なんの不思議もなかった。
片時も気が抜けない。いつ
本当は、子供の時からずっとそういった危機感を私はリラに抱いていた。
だから、私は今日までひたすらに努力を重ねていた。
私にはリラのような爆発力は無い。一段ずつ、努力を積み立てていくしかない。
リラが一気に階段を抜かしても追い付かれないように、日頃から彼女より先を歩いていなくちゃならなかった。
きっとリラからは、私は『なんでも卒無くこなすクールな姉』とでも思えていたのでしょうけど。
本当は、余裕がないのは私の方だった。
ねぇお姉ちゃん。
私、子供の頃からずっとお姉ちゃんのことを尊敬してたし、誇らしい姉だとも思ってるよ。
だけどね。
いい加減お姉ちゃんの背中ばっかり見るの、私飽きちゃったんだ。
たまには私が背中を見せたいし、お姉ちゃんの前を歩きたいんだよ。
そして今、やっとお姉ちゃんという壁のてっぺんに手を掛けられるところまで来たんだ。
もう少しなんだ。
憧れのお姉ちゃんを超えたい。
それが私の願い。
だから─────
悪いけど。
追い抜かすなんて私が許さない。
あなたが慕っているウマ娘が、あなたより弱いんじゃ話にならないでしょ?
『姉』として、私は常にあなたの先を歩いていなければならない。
あなたにとっての『誇れる姉』でいなければならないの。
昔も、今も。
そしてこれからもずっと。
私はあなたの中の
それが『姉』として生まれた者の運命。
そして、私自身の誓いなのだから。
だから─────
「今日こそ勝たせてもらうよ、お姉ちゃん」
「負けるわけにはいかないのよ、リラ」
レースの火蓋は、静かに切られた。
その日のレースは、想いの強かった方が勝利を掴んだ。