アドマイヤベガIF ~もしも妹さんが生きていたら~   作:トマリ

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忙しく、前回の話から非常に間が空いてしまい申し訳ありません。少し路線変更があったのと文字数の都合から後半が少し駆け足気味になっています。

おそらく次のお話で終わりですので、もう少しだけお付き合いいただけると幸いです。





姉妹のファン感謝祭:トラブル

 

 ───アドマイヤベガがカレンチャンとゾウのマスコットを落としたことに気づくより少し前

 

 アドマイヤベガとCurrenが談笑していたのとはまた違う場所に位置するベンチにて。

 

 

「はむっ……はむっ……」

 

「おーおー、よく食べるねぇお嬢ちゃん……」

 

 

 アドマイヤベガの妹であるアドマイヤリラは、ついさっき出会ったばかりの少女に苦笑いを向けていた。その瞳は完全に呆れたものである。

 しかし、少女の方はよほどお腹が空いていたのか、アヤリの視線など意に介さずソフトクリームを食べ続けている。……一応元々はアヤリが買ったもので、そこから譲ってもらったものであるのにも関わらず遠慮なしだ。

 まぁある意味このあたりは見た目通りの子供らしいが。

 

「んー……私もあんま人のこと言えた義理じゃないけどさ、お嬢ちゃんあんまり警戒心なく知らない人にホイホイ近付いたり、迂闊に食べ物もらったらダメだよ?」

 

「ふぇ?」

 

「今回はやさしーやさしーお姉さんだったからいいけどぉ……もしわるーい人だったら、お嬢ちゃんそのまま連れ去られてたかもなんだよ?」

 

「……ひぇもっ、ほねえひゃやひなかっふぁしっ、おあかふいててがあんできな」

 

「はいはい口に物入れたまま喋らないのー。ちゃんと飲み込んでから喋りなさい」

 

 おっ今の『お姉ちゃん』ぽかったかな、と心の中で自画自賛しながらアヤリはティッシュで少女の口許を拭いてやった。

 さっきまでクリーム部分に挑戦していたと思ったが、少女はもう〆のコーンへと差し掛かっていた。口許を拭かれ、バリバリと音を立てて口の中のコーンを飲み込んでから、少女は改めて話すために口を開く。

 

「……でもお姉ちゃんそんなことしなかったし、おなか空いててがまんできなかったんだもん」

 

「そうかもだけどさぁ……はぁ」

 

 苦笑の形を変えぬまま言うアヤリ。……ふと、日頃自分を見守ってるときの姉もこんな気持ちなのかなと思った。

 まぁいっか、とその思考は一旦打ち切り、改めて目の前の少女を見つめる。六歳ぐらいと見えるそのウマ娘は、少し青みがかった髪の毛をサイドテールにして、いかにも子供っぽいオーバーオールを着ていた。

 

「それで改めて……えーっと、ごめん、お嬢ちゃんなんて名前だったっけ?」

 

「……キャンサー。リクキャンサー」

 

「そうだ、リクキャンサーだ。じゃあ一先ず『キャンサちゃん』って呼ぶね?」

 

 少女、改めキャンサーが頷いたのを確認してからアヤリは言葉を紡いでいく。

 

 

「えーっと、さっき聞いたお話を纏めるとぉ……キャンサちゃんは一歳上のお姉ちゃん……『リクエリアス』ちゃんとはぐれちゃって、迷子になってたんだよね?それで姉を探してさ迷ってる内にお腹が空いて、つい私の元に来ちゃったと。これで合ってる?」

 

「……ちがう」

 

「あれ、違った?さっきそう言ってなかったっけ?」

 

「……わたしじゃなくて、迷子になってるのはエリアスお姉ちゃんの方だよ」

 

「ああ、そういう……」

 

 

 思わず呆れてしまった。

 追求を避けるようにキャンサーはプイっと視線を逸らしてしまう。……おそらく初対面のウマ娘への若干の見栄というか照れもあるのだろう。子供的には大事なところなのだ。

 

「じゃあ……迷子のお姉ちゃんがどこ行ったとか、心当たりはない?」

 

「……ぜんぜんない。たくさん、歩きまわったけど」

 

「んー、それはそれは……」

 

「……エリアスお姉ちゃん、しょっちゅう迷子になるから、私はずっとこまってるの。……お姉ちゃんが心配で」

 

(お姉ちゃんが、心配ねぇ……)

 

 アヤリはリクキャンサーの体をよくよく観察してみる。

 ……すると、小さなウマ耳はヘナリと垂れているのがわかるし、短い尻尾も不安を表すように太もものあたりに巻き付けられている。手だって微かに震えているし、顔も涙が滲みそうなのを我慢している表情というか、涙腺決壊五歩手前のような感じだった。

 口の中でだけため息を吐く。

 

 

(まったく。……ホントはお姉ちゃんとはぐれて自分が不安でたまらないくせに。変なとこで意地張るんじゃないよもう……)

 

 

 そんな彼女を見ていると、アヤリはふと子供の頃の記憶を思い出した。

 

 まだ自分がキャンサーと同じぐらいの歳、姉と共に近くの公園の夏祭りにいった時のことを。

 

 

 

 

 

 いつも宿題だ明日の用意だかでうるさいお姉ちゃんが、その日は珍しく自分の誘いに乗って一緒に夏祭りに来てくれたのだ。

 それが嬉しくて仕方なくて、ついアヤリは姉の制止も聞かずあちこち走り回った。

 

 そうして気づいたときには、自分は公園で一人ぼっちになっていた。

 

 隣にいたはずの姉は姿が見えない。回りにいるのは自分より大きい知らないヒト。耳に届くのはその知らないヒトが話している声や、題名も知らない音楽ばかり。

 

 それを認識した瞬間に、あれだけ楽しい場所だったはずの公園が、一気に怖い場所に思えてきた。

 

 喉が干上がって声が出せず、かといって怖くて動くこともできず、幼いアヤリはその場でうずくまって声もなく泣くことしかできなかった。

 

 その肩に手が置かれたのは、ほんの一分後だった。

 

 心臓が止まりそうになる。

 もしもパパ以外の、知らない男のヒトだったらどうしよう。ここよりもっと怖いところへ連れていかれてしまうのだろうか。

 そう思いながら顔を上げたアヤリの目に映ったのは───

 

 

『はっ……はっ……やっと、見つけたっ……。もうっ、はぐれたなら大声でお姉ちゃんを呼びなさいよっ……!お姉ちゃんっ、はっ、あなたがどこ行ったのか、本気で心配してっ……!』

 

 

 肩で息をした、公園中を駆けずり回って自分を探してくれていたらしい姉だった。

 

 

 

 

 

「ようし。じゃあキャンサちゃんのお姉ちゃん、このお姉さんが一緒に探してあげる」

 

 

 そこまで思い出すと、アヤリの口は勝手に動いていた。

 とっくにソフトクリームを食べ終えていたらしいキャンサーが、「ふぇ?」と首を傾げる。

 

「…いいの?」

 

「もちろん! はぐれちゃった姉妹は一刻も早く再会すべきだよ!……お互いに、心細いだろうからね」

 

「……ほんとう?」

 

「ほんとほんとっ! どのみち、ここでキャンサちゃんをほったらかしたら、後々夢見と寝覚めが悪くなるからねっ!」

 

 頷く代わりにキャンサーは目を光らせ、尻尾を一度波打たせた。

 ……完全に窮地に現れた味方を見るような目である。やはり言葉と裏腹に内心では寂しさで一杯だったのだろう。

 さすがにこんな場面でも意地を張るほど子供ではないらしい。

 

「……お姉ちゃん、ありがとう」

 

 日頃からよくしつけられているのか、リクキャンサーは丁寧に頭を下げた。

 それに胸を叩いて応えると、アヤリはキャンサーの手を引いて立ち上がらせた。

 

「いいってことよ! そうと決まれば行こっか……あ、そういえばまだ私の自己紹介はしてなかったっけ。えっとね私は……」

 

「……知ってる。お姉ちゃん、テレビのニュースとかでよく見るもの」

 

「えっ、ホントに?? な、なんかそれは照れるなぁ~! いつの間にか私もすっかり有名ウマ娘になっちゃったみたいで~!」

 

「アダマヤリラお姉ちゃん、すっごく強いってテレビでいってた」

 

「アドマイヤリラね。なんかそれアバタケダブラの派生魔法みたいになってるから」

 

「あとアダマヤリラお姉ちゃんのお姉さんのアドマイヤベガっていうウマ娘もしってる」

 

「……なんでそっちはちゃんと言えるの?……いや言い間違えてたらそれはそれで怒ってたけどさぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……というわけで。

 アヤリの方は子供特有のぬくぬくの手の体温を感じながら。すれ違う一般の人に『えっあのアドマイヤリラの隣にいる子誰!?』、『もしかしてアドマイヤ姉妹の新しい妹!?期待の二つ星の幻の三人目!?』とか言われながら見知らぬ少女の姉を探すことになってた。

 

 

「───へぇ。キャンサちゃんとそのエリアスちゃんって、誕生日は一日違いなんだ?」

 

「うん、だからパパとママは二人まとめて祝うようにしてるのっ。ケーキ二つも買ってきてくれて」

 

「お~! それは楽しそうだね~!」

 

「それだけじゃなくてねっ、去年のお姉ちゃんの誕生日っ、私もプレゼントあげたのっ。折り紙で作ったしゅりけんっ!」

 

「へぇ~! それはお姉ちゃん喜んだんじゃないの?」

 

「すっごく喜んでくれた!!」

 

「そりゃそうだよ~! 良い妹だなぁコイツ~! 私も見習わないとね~!」

 

「えへへへ……! 今度アダマヤリラお姉ちゃんにもあげるっ」

 

「ほんと? 嬉しいな~!」

 

 アヤリが頭を撫でてやると、リクキャンサーは子犬のように嬉しそうに目を細める。……どうやら子供特有のチョロさと、同じ『妹』ということもあってかこの短時間ですっかりアドマイヤリラに懐いてしまったらしい。

 アヤリの方も、実家には弟がいることもあって妹でありながら『姉』としての振る舞いも手慣れたもののようだった。

 ……ちなみに呼び方の方は、どうも子供にとって五文字以上のカタカナは呪文とほぼ変わらないらしく、何度訂正しても『アダマヤリラ』になるのでもうスルーした(何故か『アドマイヤベガ』は言えるのだが)。

 と、そこでまた不意にリクキャンサーが口を開く。

 

「……ねーねー、アダマヤリラお姉ちゃん」

 

「んー、どしたのー?」

 

「アダマヤリラお姉ちゃん、これからなにかに出るの?」

 

「え?」

 

 首をかしげると、キャンサーはアヤリの体をつま先から頭まで見直す。

 

「だってお姉ちゃん、とくべつな服きてるもん」

 

「特別な服……? あぁ、勝負服のことね。そうそう! お姉ちゃん午後からウマ娘対抗障害物レースに出るんだー! 『シリウス』とか『黄金世代』の人たちと戦うんだよー! よかったらキャンサちゃんも見ててねっ!」

 

「……? 『しりうす』とか『おうごんせだい』はよくわかんないけど、わかった! 楽しみにしてる!……あれ?だとしたらお姉ちゃん時間だいじょうぶなの?」

 

「うん? うーん……まぁ大丈夫大丈夫~! ちっちゃい娘はそんなの気にしなくていいんだよ~!」

 

「よかった~!」

 

「うんうん!……それよりも、件のエリアスちゃんは見つかった?」

 

「……くだん?」

 

「ああ、えっと……ごめん忘れて。リクエリアス姉ちゃんは、いた?」

 

「……いない」

 

「そっかー……まぁ探してればいつかは見つかるよ!」

 

 ……表面上はにぱっと笑いながらも、内心アヤリは汗を流し始めていた。

 リクキャンサーと歩き始めてなんやで十分ほど。

 頬を掻きながら、さっきからアヤリはキャンサーから聞いた特徴と一致するウマ娘を探しているが……しかし周りには見たことないような、さっき見たようなニンゲンとウマ娘しかいない。

 

 そこから次いで、この短期間で何度目かになろうかという気がする時計へと目を向ける。

 ……これからアヤリが出場することとなるレースまでの時間的猶予も、もう限界になり始めていた。

 いや、厳密には時間自体はあるのだが。しかしこの後自分の姉も探し出し、それから会場へ行って準備して……という時間もあるのだ。そのあたりも加味するとそろそろ向かわないと間に合わない。

 

 

「午後からの障害物レースっ、そろそろ始まるっけ!?」

 

「だねー先行っとこっ! 良い場所取られちゃう!」

 

「あの『覇王ズセクステット』と『黄金世代』の因縁の対決! しかもそこに『シリウス』まで入ってくるんだろ!? もう楽しみで仕方ないってー!」

 

「『期待の二つ星』の二人三脚も気になるよなー!姉妹だからきっと、息のピッタリの走りを見せてくれるんだろうなぁ……!」

 

 

 ワクワクした声と笑顔の人たちが近くを駆けていく。皆午後からのアヤリが出る障害物リレーを心待ちにしているようだった。

 ……彼らはまさか、その『覇王ズセクステット』の一員であるアドマイヤリラが、こんなところで姉とはぐれて更に別の娘の姉を探しているとは思いもしないだろう。

 

(困ったな……)

 

 日頃は何も考えてなさそうにおちゃらけているアヤリだが、さすがに危機感や状況把握能力ぐらいはある。

 このままでは本当に間に合わない。間に合わなければ、オペラオーたちを始めとしたチームのメンバーや先刻のファンの人たちにも迷惑をかけてしまうし……当のリクキャンサー自身も責任を感じてしまうだろう。

 

 よって、叶うなら迷子の姉探しはこのあたりでドロップアウトして、キャンサーは迷子センター的なとこに預けたいのだが……。

 

「…………」

 

 ……一度捜索を引き受けてしまった手前、そして何より『姉とはぐれた妹』の気持ちをよく知っているアヤリとしては、なんとしても姉と再会させてやりたいと思ってしまう。

 

 二者択一……というほど重いものではないが、かといって本人的にはすぐに決断できるものでもない。そしてこうして悩んでる間にも時間はどんどん過ぎていく。

 

(どうしよう……)

 

 気つけばアヤリまで迷子になってしまった妹のような、暗い顔になりかけてしまっていた。しかき不思議そうなリクキャンサーの視線を頬に感じて、いけない、とアヤリは頬を叩く。

 幼いウマ娘は……というかこれはウマ娘などに限らず、小さい子は姉や兄、母など……『自分より大きい人』の機敏は意外と敏感に感じ取っている。だから不安な状況だろうとその『大きい人』が大丈夫そうにしていれば安心するし、逆に悩ましげな顔をしていればより不安を強めてしまう。

 姉がいたことがあり、そして弟がいるアヤリには手に取るようにわかる心理だった。

 

(……とにかく、早いところリクエリアスちゃんを見つけるしかないっ)

 

 ウマ耳をピンと立て、目を凝らし、アヤリは視界のあらゆる部分に注意を払う。

 

 

「なぁ、ついさっきCurrenのウマスタグラムが更新されたんだけど見た!?」

 

「見た見た~! すごく意外な組み合わせのツーショットだったよね!?」

 

「気難しくクールな姉キャラと小悪魔な妹キャラ……く~推せる~!」

 

「カワイイカレンチャン! カワイイカレンチャン!」

 

 

 すれ違うニンゲンやウマ娘がそんなことを言っている。平時ならば耳を掴まれたであろう話題だが、このときのアヤリは非常に集中していたためほとんど興味を惹かれなかった。

 

 キャンサーから聞いていた情報を脳の真ん中に浮かべて、その情報と一致する姿が無いか間違い探しの絵を見比べるように注意深く探していく。

 

 と、まさにその時だった。

 

 

「……ん?」

 

 

 ふと、時間が止まったように思った。

 アヤリの視界に、あるものが映ったのだ。

 

「ね、キャンサちゃん」

 

「なぁに? アダマヤリラお姉ちゃん」

 

「足、ちょっと開いてみて」

 

「……足?……こう?」

 

 突然の指示に不審そうな顔をしながらもキャンサーは大人しくストレッチの一幕の時のように足を開いた。その瞬間狭い足の間に、アヤリは頭を突っ込んだ。

 キャンサーの口から「ひゅっ」と空気が漏れる。

 

 

「お、お姉ちゃんっ??」

 

「ようし、行くよキャンサちゃん。私の髪を……いやまぁ、この際耳でいっか」

 

「耳?」

 

「そそ。お姉ちゃんの耳を握ってて。ハンドルみたいに。ちゃんと握っといてよ?」

 

「……こう?」

 

「んふぉくすぐったい……。よし、じゃあ行くよ。せーのっ……!」

 

 

 アヤリがそう言った瞬間。

 ふわり、という浮遊感がキャンサーの体を包み込んだ。

 あれだけ近かった地面が一気に遠くに感じられる。

 肩車された、とわかったのは、その感覚が父親にされた時のものと酷似していたからだった。

 興奮でキャンサーの目に星が輝く。

 

「わぁ~! すごいすごい! たっかい!」

 

「んっふっふ~! すごいでしょ~」

 

「お姉ちゃんまわってっ! ぐるぐるしてっ!」

 

「こら、ウチの弟と全く同じ反応するんじゃないの」

 

 そう言いながらもアヤリは肩車したまま二回転だけしてやった。さっきまで沈んでいた空気が少しだけ明るいものになる。

 一時期だけ女子高生と同じ目線になれて、その場の景色を一望できたことに少女はキャッキャとはしゃいでいるようだった。

 そして、本来ならアヤリも楽しくなって、この少女を更に喜ばせてやろうと、これまた弟にやってるのと同じように『よっしゃ次は五回転だー!』とか言ってやるのだが……実は、そもそもアヤリが肩車をしたのはこうして遊んでやるためではなかった。

 

「あー……じゃなくて、あのねキャンサちゃん」

 

「なぁにアダマヤリラお姉さん」

 

「えっと……いい痛い痛い、ちょ耳引っ張らないでって。……えっとキャンサちゃん、あっちの方に木がたくさんあるの見える?あっち中庭っていうところなんだけど」

 

「きー……? あ、見える見えるー!」

 

「そっか。んじゃあ、その木の中での一番高いのを見てみてほしいんだけど」

 

「いちばん高いき?」

 

「……お姉ちゃんね、あの娘に直接は会ったことなくて確証が持てないから、確認して欲しいんだけどね……」

 

「?」

 

「あの木に登ってるちっちゃい女の子……服装とかから察するに、キャンサちゃんのお姉ちゃんじゃない?」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あの娘、どこ行ったのかしら……)

 

 

 同時刻。

 Curren……いや、カレンチャンとの奇妙な邂逅と写真撮影を終えたアドマイヤベガは、引き続き妹を探していた。

 時間の猶予はもうほぼない。かといって、ここで焦ってしまうと見つかるものも見つからない。

 心に言い聞かせながらアドマイヤベガは普通よりは大きい耳を立ててあちこち見回す。

 そんな時、

 

 

「───にしてもアドマイヤリラさん、もうすぐ出番だろうに、あんなところにいて大丈夫なのかな?」

 

「んー大丈夫なんじゃない?」

 

 

 磁石で引き寄せられたように、アドマイヤベガは声の方向を向いた。

 すぐさま話していた人物へと当たりをつけ、その人物へ大股三歩だけで近づく。

 

 

「ちょっといいかしら?」

 

「でもさぁ───ってうわぁビックリしたぁ!?……ってえぇ!? アドマイヤベガさん!?」

 

 

 その人物は急に誰かが近づいてきたことに驚き、更にそれがスターウマ娘だったことにひどく驚いた。……無理もないだろうが、今のアヤベにはそのリアクションの時間すらも惜しい。

 

「私、今リラを……アドマイヤリラを探しているんです。あの娘がどこにいたか、見たんですか?」

 

「はっ、ははは、はいっ! みみ、見ましたけどぉ……?」

 

「どこにいましたか?」

 

「ひひんっ! なな、中庭ですぅ! 中庭のっ、いちば、一番高っ、木のところですぅ!!」

 

「中庭の一番高い木のところ……?」

 

 何故そこに?と一瞬疑問に思ったが……会えばわかるとアヤベはすぐに結論付けた。

 今必要なのはWhyではなくwhereだ。

 思わぬ収穫をくれた一般の方に、アヤベは丁寧に頭を下げた。

 

「ありがとうございました。それでは」

 

「あああのっ! ちょ、そういえば、待ってください!」

 

「はい?」

 

 申し訳ないがサインやら写真やらは後にして欲しい。

 言われたらそう答えようと思いながらアヤベは振り返る。その人物は口から飛び出しそうになっていたらしき心臓をようやくお腹に戻しながら言った。

 

 

「アドマイヤさんのところって、実は三人姉妹だったんですか!?」

 

「……なんの話ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当たって良かったというか、当たって欲しくなかったというか。

 遠目にアヤリとリクキャンサーが見つけたウマ娘は、まさに二人が探し求めていたウマ娘だった。

 

 

「エリアス姉ちゃーん! おーいっ!」

 

 

 件の木の元にたどり着いたリクキャンサーは精一杯叫んだ。

 突如背中にかかったその声に、木に登っていたウマ娘の耳がピコンと動いた。

 枝分かれした部分の枝に腰を落ち着けて、木に登っていたウマ娘は引き寄せられたように地面の方を向く。

 

 

「えっ……キャンサー!? キャンサーなの!? 良かった~! あなたどこに行ってたのよ!? お姉ちゃん心配して……た……?」

 

 

 果たして、そのウマ娘はやはりリクキャンサーの姉にして探し求めていたウマ娘であるリクエリアスだった。事前にキャンサーから聞いていた、青みがかった短髪やキャンサーのと色違いのオーバーオールという特徴も一致している。間違いないだろう。

 キャンサーの呼び掛けに、エリアスも声を弾ませていたが……しかしその声は、視線がアドマイヤリラの方に移るにつれて尻すぼみになっていく。

 どうやら妹の隣に何故かいる見慣れない(彼女らの歳からすれば)大人のウマ娘を不審に思っているようだ。……こんな時に言うのもなんだが、その顔は妹のキャンサーとよく似ていた。

 

「キャンサー、その人は……?」

 

「わたしの方もお姉ちゃんをずっと探してたんだよー!このアダマヤリラ姉さんといっしょに!」

 

「あだまやりら……?」

 

「アドマイヤリラ、ね」

 

 苦笑いして訂正しながらもアヤリもなるべく警戒させないように声を張る。

 

「ごめんねー! この娘があなたとはぐれて心細そうにしてたから、つい放っておけなくて! 二人が再会できたならお姉ちゃんももう戻るよー!」

 

「……そうだったんですか。ありがとうございます……」

 

 一先ず悪い人ではないと判断してくれたのか、リクエリアスは律儀に頭を下げてくれた。……木の上で。

 

「ところで……えっと、エリアスちゃんはなんで木登りなんかしてるのー?」

 

 次いで気になっていたことを問いかけると、エリアスは

 

「……あれが」

 

 と、木の枝と平行に腕を伸ばしてとある方向を指差した。キャンサーとアヤリは地面から木へ、そしてエリアスがしがみついている枝から腕の先へと目線を三角飛びさせる。

 その先には……

 

 

「……猫?」

 

 

 思わず呟いたのはアヤリだった。続いてキャンサーも「ねこちゃんだ~!」と頬を緩ませる。

 二人の言葉通り、エリアスがいる枝の進路の先にいるのは、とある三毛猫だった。

 

 おそらくたまたま学園に迷い込んだ野良猫だろう。しかし、その体長はリクエリアスやリクキャンサーでも容易に抱き抱えられそうやほど小さい。

 目も青いし、まだ子猫なのだろうか?

 

 

「たまたま木の傍を通りがかったら、この子が木の上で寂しそうににゃあにゃあ鳴いてて……受け止めようとしても降りてこないから、こうやって、直接っ……」

 

「あー……」

 

 

 好奇心の赴くまま登っていた内に降りれなくなってしまった、というところだろうか。子猫は今もまるで母猫を呼ぶように鳴きながら枝の上で震えていた。

 

「かわいそうだったから……たすけてあげたくってっ」

 

「なるほどね……」

 

 そういうのは『かわいそう』と思う人は多かれど、実際に木登りしてまで助けようとする人はあまり多くないだろう。彼女の優しさにアヤリは素直に感服した。

 ……が、それはそれとしてこの状況はあまりよろしくはない。

 ウマ娘とはいえ、(推定)七歳の女の子が木登り。うーむ。

 リクキャンサーにその場から動かないように言ってから、アヤリはなるべく子猫を刺激しないように木に近付く。

 

「エリアスちゃんっ! 事情はわかったから一回降りてきてっ! 木登りは危ないから!」

 

「だいじょうぶだよっ! わたし木登り得意だし!」

 

「うーんそういう意味じゃなくてねぇ……」

 

 どうやらアヤリの姉とは違い、リクエリアスという姉は随分わんぱくで元気の良いウマ娘らしい。

 頬を掻きながらリクエリアスを探していたときとは、また別の意味で弱った顔になった。

 

 実は今猫が登り、またエリアスもよじ登っているこの木は、中庭にある木の中でも一際大きい。そして同時に、木の中でも一際老木なのだ。

 

 樹皮は剥がれてささくれているし、枝もパキパキと音がして折れやすくなっている。台風が来る度にこの木が倒れてしまわないかと密かに不安がっている生徒もいるほどだ。

 そんな木に登っていくなど……。

 

 ウマ娘の体は確かに頑丈だが、体が成長する前の幼い頃だとまだ並のニンゲンぐらいの耐久力しかない。つまり落ちれば普通に大ケガもあり得る。

 そんな木の上に長時間いられると見ているこっちの寿命が縮みかねない。むしろよくあそこまで怪我の一つもせず登っていけたものだ。

 しばし考えた後、アヤリは

 

 

「わかった、猫ちゃんは代わりにお姉ちゃんが助けるから! だから一旦降りてきなさーい!」

 

「えっ、お姉ちゃんも木登りできるの?」

 

「まかせんしゃい! こう見えてもお姉ちゃん、子供の頃は結構得意だったんだよ?」

 

「…………」

 

 リクエリアスはまだイマイチ信用できなさそうに猫とアヤリを交互に見つめていたが……。勇ましく登りつつも、やはり心のどこかでは怖くもあったのだろうか。

「……わかった」とエリアスは素直に了承すると、登る時の映像を逆再生したようにゆっくりと木を降りていこうとした。

 ……これであとは自分が無事に猫を助け出せば、ここの問題は解決でき、リクエリアスとリクキャンサーも心置きなく再会できる。

 それで自分も自分の姉を探す作業に戻れるだろう。

 

 グダグダだった歯車がようやくカチリと合いだしたとアヤリは感じていた。

 

 

 その時だった。

 

 

 びゅう、と風が吹いた。

 

 

 一瞬だけ。冬の風を思わせるような強い風。

 綿毛が飛んでしまいそうな、思わず体の芯から震えてしまうような、そんな風だった。

 

 

 そしてそれは猫にとっても同様に感じられた。

 

 

 

「あっ!」

 

 

 

 叫んだのははたして誰だったか。

 突然吹いた風に驚いたのか、折れそうな枝の上で震えていた子猫が、にゃあと目を見開いた。

 

 そしてその拍子に、しがみついていた枝から足を滑らせ、そのままずり落ちてしまう。

 それに気づいたリクエリアスがほぼ反射的に身を乗りだし手を伸ばす。

 

 もっとゆっくりと進むはずだった距離が一瞬で縮まる。短い手を懸命に伸ばして……リクエリアスはなんとか子猫を掴み抱え上げる。

 

 だがそのせいで今度は彼女の態勢が崩れる。しっかりと巻き付いていた体が滑り、枝から離れ───

 

 

 

「あっ───」

 

 

 

 キャンサーが思わず口に手を当てる。

 スローモーションに感じられる時間の中、リクエリアスはゆっくりと木から落ちていった。頭を真っ逆さまにして。

 そしてそのまま、固い地面に体をしたたかに打ち付け───

 

 

 

「危ないっ!!」

 

 

 

 その前に。

 考える間もなくアドマイヤリラは走り出していた。

 

 走り出し、そのままリクエリアスの真下に自分の体を滑り込ませた。

 

 

 ドン、と音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アドマイヤリラの担当トレーナーが、同じく担当であるアドマイヤベガからのSOSメッセージを受け取ったのは、数分前のことだった。

 彼女自身のスタンスから、アドマイヤベガからのLINEメールは基本的に簡潔で淡白なものである。

 

 だが、今回のメールはそういったものとは違うように思えた。

 

 

『リラが大変なの。早く中庭に来て』

 

 

 そのメールからは、切羽詰まったような様子を感じられた。

 一も二もなく、トレーナーは一言言ってから傍にいた同僚の元を離れ中庭を目指した。人の合間を縫い、途中で何人かにぶつかってしまいながらもなんとか走る。

 そうして、追いLINEされた文章に書いてあった、中庭で一番の老木があるとこにやって来ると……

 

 

「あ、アヤベさんのトレーナーさんっ! こっち! こっちですっ!」

 

 

 トレーナーに真っ先に反応したのは、『覇王ズセクステット』の一員であり白いおでこが眩しいクラス委員長、ナリタトップロードだった。

 何故彼女までここにいるのかと思ったが、どうやら彼女もアドマイヤベガからのLINEを受け取って駆けつけたらしい。

 

「私の元にも突然アヤベさんから連絡が来て……アヤベさんとアヤリちゃん、さっきまではぐれてたらしいんです。それで、ついさっきアヤベさんがやっとアヤリちゃんを見つけられたらしいんですけど……」

 

 そして、頬に汗を浮かべているトップロードの傍らに───

 

 

「ッ……痛ッ……」

 

「大丈夫? リラ……」

 

 

 トレーナーを呼び寄せた張本人であるアドマイヤベガと……右足を押さえて苦悶の表情を浮かべているアドマイヤリラの姿があった。

 何が起きたのか。突然の光景にトレーナーの頭は混乱しそうになる。

 

 

「お、お姉ちゃん……!」

 

 

 混乱する視界でふと見てみると、アヤリの近くには小学生ぐらいと見えるウマ娘が二人いた。

 二人とも姉妹なのか顔がよく似ている。どちらの娘もアヤリを心配そうに見つめており、片方の娘は胸に子猫を抱いているようだった。

 震えたその娘たちの声に気づくと、アヤリは無理をしたように笑った。

 

 

「そんな顔しなくて大丈夫だって二人とも!」

 

「で、でも……」

 

「それより、猫ちゃんとエリアスちゃんは無事?怪我とか無い?」

 

「う、うん。大丈夫……お姉ちゃんが受け止めてくれたから……」

 

 

 エリアス、と呼ばれた方のウマ娘が遠慮がちに頷くと、胸の中にいた子猫も「にゃあ」と元気よく鳴く。

 エリアスと違って猫は腕の間から元気にすり抜けて地面に降りると、改めて礼を言うように尻尾を一振りしてからどこかへ去ってしまった。……あの先に親猫がいるのだろうか。

 

「アダマヤリラお姉ちゃん、足は……」

 

 ふと、エリアスと呼ばれた方とは違うウマ娘……サイドテールの方のウマ娘が心配そうにアドマイヤリラに手を伸ばす。だがそれをアヤリはやんわりと払うと、

 

「ほらっ、キャンサちゃんまでなんて顔してんのっ!」

 

「で、でも……」

 

「エリアスちゃんは無事!猫ちゃんも無事! 私も、無事! キャンサちゃんはエリアスちゃんと再会できた!……ほら、全部綺麗に解決したじゃん!」

 

「お姉ちゃん……!」

 

 にぱっとアドマイヤリラが笑いかけると、小さな姉妹もつられたように、固まっていた表情を少しずつほぐしていった。

 ……ここらでようやくトレーナーも状況が飲み込めてきた。たぶん、何かしらこの姉妹が危機に陥ったところを、アドマイヤリラが必死に助けたのだ。

 

 ……自分の身を省みず。

 

 そう分析するトレーナーの横で、アドマイヤリラは姉妹に人差し指を立てた。

 

 

「……今回は怪我なく終わったから良かったけど……エリアスちゃん、次はこんな危ないことしたらダメだからね? ちゃんと大人の人を呼ぶんだよ?」

 

「うん……わかった」

 

「それからキャンサちゃんも。子猫のために体張れるぐらい優しいお姉ちゃんなんだから、今度ははぐれたらダメだよ? ちゃんとついていくんだよ?」

 

「……うんっ!」

 

「よしいい返事!」

 

 

 にぱっと笑うと、アヤリは送り出すように姉妹の背を軽く叩いた。

 

 

「うわっ」

 

「じゃあ早く行った行った! お祭りはまだまだ続くんだから、こんなとこにずっといないで、もっと色んなとこで楽しんでおいで!」

 

 

 叩かれたリク姉妹は少し体勢を崩す。

 二人はしばらく本当にこのまま去っていいのか不安そうに顔を見合わせていたが……アヤリが口角を上げて手を振ると、やがて二人も頬をほころばせて、

 

 

「おねえちゃん、ありがとーっ!」

 

 

 と笑い手を振って二人で歩いていった。

 

 

 アヤリは笑顔のまま手を振り返していた。

 

 

 そして、やがて二人の背中は群衆に紛れて見えなくなる。

 

 

 

 それを確認すると───

 

 

「ッ……いっ……たっ……!」

 

 

 糸が切れたように、アヤリはその場にうずくまった。慌ててトップロードとトレーナーが駆け寄り、アヤベは「……やっぱり」と呟きアヤリの足に触れる。

 足に触れただけでアヤリの口許は歪んでいた。

 

「お、お姉ちゃん……」

 

「リラ。ちょっと右足の靴とか、諸々脱いでみなさい」

 

 数刻ぶりの再会を喜ぶ間もない。

 アヤリの動きを待ってられないのかアヤベは手慣れた手付きで妹の靴を勝手に脱がせていった。

 

 そうして露わになったアヤリの足は、

 

 

「……うわ、腫れてるな。しかも結構ひどい」

 

 

 思わず顔をしかめそうになるトレーナー。

 足首の部分が風船でも埋め込まれたように大きく赤く膨らんでいた。……アヤリの顔から察するに、どうも軽く指で押されるだけでも激痛が走るらしい。

 かなり酷い捻り方をしてしまったようだった。

 

 ……大方木から落ちそうになったリクエリアスを助けようと滑り込んだ際、無理な体勢で彼女の体を受け止めてしまい結果足首を捻ってしまったのだろう。

 

 ……本来、落下してくる人を受け止めようとすると、二階程度の高さからでも両腕が骨折すると言われている。

 アヤリがウマ娘でありアスリートであったから足を捻る程度で済んだというか……むしろアヤリにも重症が無かったことを僥倖に思うべきだろう。

 

 ……が、そんなのは今のアヤリたちには重要ではなく……大事なのは『怪我をしてしまった』という事実である。

 

 

「とにかく移動しよう。ここにいたまんまじゃ目立つ。ほら、肩を貸すから……」

 

「いや、大丈夫だってトレーナーさんっ……一人で、立てるからっ」

 

 

 肩を貸そうとしたトレーナーをアヤリはなんとか振り払った。「え?」と戸惑うトレーナーを他所に、アヤリはなんとか一人で元通り立ち上がろうとする。

 ……が、その足首の腫れ方で何事もなく立ち上がるのは不可能だと誰の目にも明らかだった。案の定、足を踏ん張るだけでまた彼女は「痛っ……」と顔を歪める。

 トップロードが思わずというように口を開いた。

 

 

「だめですよアヤリちゃん無理に動いたら!……トレーナーさん、こんな状態じゃアヤリちゃんはとても走れませんし、走らせるわけにはいきません」

 

「そうだね……これじゃあ……」

 

「……午後のレースは無理そうですね……。私、レースの担当の人に事情を説明してきますっ!」

 

 

 さすがは委員長と言うべきか。テキパキと話をまとめると彼女はすぐに駆け出そうとする。だが、その委員長の肩は他ならぬアヤリによって掴まれた。

 

「だめっ……! 怪我は報告しなくていいよトップロードさんっ……」

 

「あ、アヤリちゃん!? どうして……」

 

「……だ、大丈夫、大丈夫だから……レースまでもう時間もないんだし、そんなことやってる暇ないって……」

 

「……まさか、そのままレースに出るつもりですか!? ダメですって!」

 

「そ、そうだよアヤリっ!……残念だけど、そんな状態で走れるわけがない」

 

 アドマイヤリラの意図を察したトップロードが断固反対し、トレーナーも横から叫んだ。

 アスリートだとかレースウマ娘だとかを抜きにしても……ウマ娘の足は非常に繊細だ。

 不調があるならすぐに安静にしていなければならないし、もしここで無理を押して走れば……レースウマ娘として無視できない怪我へと悪化してしまうかもしれない。

 そんな危険を許すわけにはいかない。……言ってしまえば、午後からのレースはただのお遊びなのだ。

 こんなお遊びでアドマイヤリラほどのスターウマ娘が大ケガをしてはシャレにならない。……本人の気持ち的には残念だが、午後のレースはアヤリは辞退するべきだろう。

 ……なのだが、何故かアヤリはアヤリで譲ろうとしない

 

 

「でもっ……でも、もしここで私が怪我で抜けちゃったら……そうなったら、実際午後からのレースはどうなっちゃうの……?」

 

「どうなるって……」

 

 

 アヤリの言葉にトレーナーは顎に手を当てる。

 ……こう言ってはアレだが、当然ながら今日のような行事のレースは出場ウマ娘の一人が怪我をした程度では中止にならない。

 その分ハンデをもらうことになるか、急遽代役のメンバーを立てて走ることになるか……。

 今はレース開始直前。もう代わりのメンバーを探している暇はないだろう。だからとりあえずはアドマイヤリラを抜いてレースに臨むことになるのは確定だが……

 

 

「そうなったら……もう私たちのチームは『覇王ズセクステット』じゃなくなっちゃうじゃん……」

 

「────」

 

 

 その場の全員が、虚をつかれたような表情をした。

 このときのアヤリの脳裏に浮かんでいたのは、お祭りの最初や、キャンサーの姉を探してる途中に聞いた、色んな人たちの声だった。

 

 

「前々から『覇王ズセクステット』と『黄金世代』と『シリウス』がぶつかり合う、みたいに宣伝してて……その勝負を、皆楽しみにしてくれてたのに……!」

 

「…………」

 

「私が怪我しちゃって……その分のハンデだったり『覇王ズセクステット』が五人になっちゃったり……! そんなことになったら、きっと皆ガッカリしちゃうじゃん……! 今日の一大イベントで、皆ずっと楽しみにしてて、色んな人が準備もしてたのに……私が不注意で怪我しちゃったせいで、全部台無しになっちゃう……!」

 

「そんな、アヤリさんだけのせいじゃ……」

 

「もしどこかでエリアスちゃんとキャンサちゃんが知ったらきっと責任感じちゃうだろうし……。今日はせっかくのファン感謝祭なのに……! ファンの皆には、勝負にケチがついたりすることもなく、最初から最後まで楽しいまま今日を終えて欲しいのに……! 私のせいでそれが崩れちゃったりしたら、嫌だよ……!」

 

「アヤリ……」

 

 

 それは、日頃応援してもらっている側としての願いだった。楽しい雰囲気を自分なんかの怪我を気遣う形で崩したくない、そんな願いだった。

 だからアヤリはコトを大事にしたくないのだろう。このまま、何事も起きなかったかのように走って、何事も起きなかったようにレースを終えたいのだろう。

 

 その気持ちはトレーナーたちの心を打ったが……しかし。

 それでも許せないものは許せないと、トレーナーは一歩前に出る。

 

 

「……確かにアヤリの気持ちは、痛いほどわかるよ」

 

「……トレーナーさん」

 

「けどだからといって、アヤリをこのまま走らせることはトレーナーとして許されない。もしこれでアヤリが怪我を悪化させてしまえば、それこそ僕や覇王ズセクステットの皆が悲しむことになっちゃう」

 

「うっ……」

 

 

 泣きそうな顔になるアヤリ。自分がより深い怪我をしてしまったときの、メンバーの顔を思い浮かべたのだろう。

 その顔を見るとトレーナーも辛くなってくるが……だがそうするしかない。

 

 

「……やっぱり、素直に運営の人たちに言おう。大丈夫、事情を話せばファンの皆もきっとわかってくれるから───」

 

「待って」

 

 

 だがその時。

 

 それまで流れを静観していたアドマイヤベガが、不意に声をあげた。

 顎に手を当て、目を閉じた状態で。

 

 

 

「……要は」

 

「え?」

 

「あなたが怪我をしたことが運営やファンの人たちに気づかれないようにして、かつ何事もなくレースが進行できればいいのよね?」

 

「お、お姉ちゃん?」

 

「そうよね?」

 

「そっ、そうだけどっ!」

 

 

 

 有無を言わさぬような圧にアヤリはコクコクと頷いた。それを受けてアヤベはまた考え込んでるような間を作る。

 

 

「……もしかしてアヤベさん、どうにかしてアヤリをレースに出すつもり?この足じゃとても走れないと……」

 

「……いえ、違うわ。こんな状態のリラを走らせられるわけないじゃない」

 

 

 トレーナーの予測を否定すると……やがて、アドマイヤベガは

 

 

「……仕方ないわね」

 

 

 と小さく呟いた。

 

 

 

 そして、アドマイヤリラへ向けて静かに掌を差し出した。

 

 

 

 

 

「リラ。あなたの耳カバーと勝負服、貸して」

 

 

 

 

 

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