突然のことだった。
「三代目様が、火影を引退ですか?!」
波風ミナトは三代目火影、猿飛ヒルゼンの孫弟子にあたる。
ミナトの直接の師匠は、伝説の三忍に数えられる自来也だが、彼の代名詞と言える飛雷神の術の習得には、ヒルゼンを頼った部分も大きい。
そんな尊師が火影を引退するという報。
それはミナトにとっても急であり、驚くべきニュースだった。
「年齢という面ももちろんあるが、上層部で此度の大戦の責任を取るべきという動きが強まっておってな。特にダンゾウらはあの和平条約に不満を持っておる」
「そんな! 確かに戦況は木ノ葉に有利でしたが、もはや限界でした。あのまま続けていても、勝者のない戦いになるだけです。それを……」
「もちろんその通りじゃ。だが、そうは思わん者もいるということ」
そもそも条約自体も木ノ葉上層部が協議の末、一致して合意したもので、三代目火影であるヒルゼンだけの責任ではないだろうに。
それをいまさら蒸し返すとは、政治的パワーバランスというのは複雑なものらしい。
しかし、それなら次の火影にはいったい誰が、と考えたところで、ミナトの耳に入ったのは、彼にはヒルゼンの引退にも増して意外な言葉だった。
「ワシはおぬしを次の火影に推薦するつもりじゃ」
「自分を、ですか?!」
「意外か? ミナトよ」
「ええ。何というか、自分より上の人が木ノ葉には何人もいますから。それに自分はまだ……」
「若すぎる、か?」
言い淀んだミナトの言葉を、ヒルゼンは補った。
自身が火影になることに否定的なミナトの言い分とは真逆に、ミナトが火影を目標としていたのは周知の事実だ。
アカデミー時代から口にしていたし、同じ火影を目指す夢をもっていたクシナと結婚してからは、彼女の夢を継ぐとして、その思いをより強固にしている。
それでもミナトはまだ、本当の意味で火影を目指すための行動には身を移していなかった。
その理由は若さだ。
ヒルゼンの孫弟子ということからもわかるように、三代目と自分では世代が大まかに二つも離れている。そのため、ミナトには、その間にいる実力者が四代目を担うべきという意識は強かったのだ。
加えて、先ほど話に出たダンゾウといった権力者を御すには、まだ力不足なのではないかと感じている面もあった。
「はい。そういう意味なら、自来也先生や綱手様が適任ではないかと」
「あやつらは火影の座を固辞しおった。火影には火影になる意思がある者にしか任せられん。残る大蛇丸には、……ワシはあやつに里をよりよくできるとは思えん」
「では、フガクさんはいかがでしょう。うちはフガクです。兇眼のフガクの名前は里の内外で知られています」
それでも他の忍の名を挙げようとするミナトに、静かにヒルゼンは首を振った。
「ダンゾウをはじめ、うちはの者を目の敵にしておる者は多い。それに知っての通り、うちはマダラの生存の事実は重い。マダラに操られている者が、未だにうちはに紛れていると考えている上層部の人間は少なくないのじゃ」
忍の神と謳われた初代火影、千手柱間に匹敵し、なおかつ木ノ葉に対する明白な脅威でもある、うちはマダラ。
彼が生存しているという事実は、二代目の秘術を利用して判明したことだ。
里の人間には決して他言されないが、うちは一族に対する二代目の本来の計画を実行に移せず、いまだに半ば孤立させている元凶はここにあった。
「うちはも同じ木ノ葉の里に生きる仲間。それに、何もマダラに操られうるのはうちは一族の者だけではないでしょう」
「その通りじゃ。初代様の頃より続く、うちはと里の軋轢。それを正すにはよいかもしれぬ。だが……」
ヒルゼンの返答は否定的だった。
平和な時代となれば、うちはの先の戦時の活躍は霞んでいき、やがて大きな問題となるかもしれない。仮に今回、三代目火影の名でうちは一族の者を推薦したという事実があれば、それだけで当分の蟠りは収まる。
しかし、それを押してでもヒルゼンには譲れないものがあった。
ミナトは、自分に火影の座を打診したというヒルゼンの決断からそれを理解し、口を噤んだ。
火影とは、一つの問題を解決するためだけに選べるほど、容易い地位ではないのだ。
「ダンゾウの推す大蛇丸を火影とするのだけは、何としても避けねばならん。そのためには、上層部にとって一遍の瑕疵もない優れた忍が必要なのじゃ」
里の暗部にはそれほど深く関わっていないミナトの耳にさえ、ダンゾウや大蛇丸といった忍の非道な行いは届いていた。しかし、そんな大蛇丸が十分に候補になるほどに、第三次忍界大戦の傷は深く、そして木ノ葉の闇に連なる権力もまた深く根付いているのだ。
ミナトは自分の立ち位置を正しく理解していた。
ヒルゼン派ともいうべき木ノ葉の穏健派の政治派閥には、自分をおいて火影に薦められる人材は他にいないこと。
そして自分には、火影になるという決意が求められていることを。
「のう、ミナトよ。おぬしは大戦の英雄なのじゃ。先の大戦で、おぬしほど名を馳せた忍は、他におらん。ワシ以外にも、おぬしに救われた多くの者がおぬしを火影にと望んでおる」
波風ミナトは英雄だ。
他国からは木ノ葉の黄色い閃光と恐れられ、自国では人望を備えている。
それゆえに、彼は求められているのだ。
木ノ葉隠れという里の、力の象徴にして、団結の象徴である火影に、と。
「戦乱の明けたこれからの新しい時代には、それにふさわしい、古くからの因縁にも血筋にも囚われない、新しい時代の火影が必要なのじゃ。ミナトよ。どうか、引き受けてはくれまいか」
ミナトは一度目を瞑り、手を握り締めて決意を新たにすると、口を開いた。
「……わかりました。その話、お受けします」
─◇─
火影就任が決まったミナトはいよいよ忙しくなった。
当然というべきか、メシナの修行を見る時間など、あるはずもない。そのためメシナは、今日も一人で修練場に来ていた。
しかし、その日の修練場はいつもと違った。
入口にメシナと同年代と見える少年が三人でたむろしていたのだ。
いや、正確には違う。集まっていたのは二人で、もう一人は彼らに絡まれただけである。
「エリート一族のスカシ野郎が! お前らの敷地があるんだからそっち行ってろよ!」
「そうだ! 帰れ帰れ! ここはオレたちがずっと使ってたんだ!」
喧嘩なんてしょっちゅう見るというほど木ノ葉の里は荒れていないが、それでも喧嘩というものは、まだ幼いメシナでさえ何度か見てきている。おおむね、関わらない方が身のためであるということも知っていた。
一つ、よく見るそれと異なることと言えば、同世代の間での喧嘩はメシナも初めて見るものだった。
ただ、もしそれだけであれば、メシナはいつものように、なるべく目を合わせないようその場を離れていただろう。
しかし、その時、メシナの頭をかすめたのは、父親のことだった。
父は、近々火影という里のトップに就任するのだという。
自分はその、火影の娘となるのだ。
メシナ自身はまだその規模感を正しくは認識していないが。どこに行っても里の人々が自分の父について口にしているというその事実が、何かおおごとになって称賛されているという漠然とした印象をメシナに与えていた。
また実際にメシナを見る目も変わった。多少目立つ赤髪というだけのただの少女だったメシナには、羨望に近い目を向けられるようになった。
そうして形作られた火影の娘というメシナの新しいアイデンティティが、火影の娘が諍いを見過ごしていいのかと、青い正義感となってメシナを過ったのだ。
一方で、メシナは喧嘩の原因が、ある種の迫害であることを理解していなかった。
生まれ持った才能が重要となる忍の世界がゆえの、力を持った人間への嫉妬、力を持った血筋への積もり積もった嫉妬。
それらは、集団意識という微かな免罪符を得るだけで、強固にそして悪辣に顕在化してしまうのだ。
しかし迫害など、はたから見ている人間にはくだらない諍いに見えるものだ。
しかも今回は二人で一人に言い寄っているというのだから、余計に不公平感を覚えるだけ。
そうなると、メシナに残るのは、一方的に相手に突っかかる二人への嫌悪感のみである。
ゆえに、子供らしい正義感と、子供だてらに感じた不平感をもって、メシナは割って入るという選択をした。
それが後々に渡る大きな選択だったとも知らずに。
「ちょっと、アンタ達。エリートだか敷地をもってるだか知らないけど、同じ里の仲間なんだから、里の修練場を使うのだって自由のはずでしょう?」
「はぁん? なんだオマエ」
「知らねぇのか? こいつ、うちはの連中なんだぜ。自分とこの修行場所があるくせに、こっちにまで出張ってきてるんだ」
突っかかられていた少年は、黒目に黒髪で、背中には紅白の団扇の模様を背負っていた。その特徴は典型的なうちは一族のものである。
うちは一族といえば、木ノ葉の里でもエリートとして認識されている。
噂に名高い写輪眼だけではなく、生来の才能にも優れるものが多く、一族として幻術に体術、忍術すべてに秀でている。
中でも特筆すべきは火遁と幻術で、遁術でも殺傷力の高い火遁は先の大戦でも猛威を奮い名を馳せた者が多い。写輪眼を使った幻術は、同じ写輪眼を持つ者にしか破れないとまで称されている。
そんなうちは一族は、千手とともに木ノ葉の創設に深く関わった一族としても高名だ。
そのため、警備部隊という要職が一族単位に与えられている。仮に落ちこぼれであっても、戦場の弾除けなどにはされず、比較的安全かつ名誉ある職に就くことができるのだ。
「だから、明け渡すって言っているだろ」
うちはの少年は淡々と答えるが、その態度は二人の少年の反感を買うだけだった。
しかし、そんなことは気にも留めず、痺れを切らした少年は踵を返して背を向けた。
「こいつ、ナメやがって!!」
背を向けたことを無防備とでも思ったのか、突っかかっていた二人のうちの一人が、いつの間にやら握っていた石を放り投げていた。
さすがは忍者を目指すだけはある、とでも褒めればべきか、正確に頭部という急所をとらえていた石は、しかし、当たることはなかった。軽く首を傾けるだけで、うちはの少年は避けてしまったのだ。
石が意味をなさなかったといって、他に有効な手段を持っているわけでもなく、二人が選んだのは数で勝負するというものだった。
されどそのことごとくを、後ろに目でもついているのかという動きで避けていく。
うちはの少年の鮮やかな動きに気を取られ、石を投げるというあってはならないような危険行為に、ようやくそうだと気付いたメシナは、石を投げ続ける二人を止めようとした。
「ちょ、ちょっと!」
「うるせぇ! 邪魔すんなよ!」
そのときだった。
投げられた石を、それまで無抵抗だったうちはの少年が突然、軽々とつかみ取ると。急に反転し、腕を振りかぶった。
明後日の方向に投げ返されたように見えた石は、空中で飛んできていた石の一つを迎撃し。さらに、まさに今、もう一つ投げようとしていた手の中の石を弾き飛ばした。
なんとなく態度からもわかっていたが、あのうちはの少年は二人とは格が違った。
まだ4つも数えていないだろう歳で、あのレベルの技巧。下手すれば、大人になってもできない忍さえいるだろう。
自他ともに認めるような才能を持っているメシナなら、今から真似しろと言われてもできるかもしれない。それでも、この構成をあの瞬間に思いつき、実行できる胆力はまだメシナには備わっていない。
なによりも、あの超然とした性格だ。悟りを開いた仏僧のように、すでに至るべくして達観している。
同い年でも、自分とは違うものを、より優れているものを持っているかもしれない、
メシナにとって、うちはの少年は初めて意識した人間となったのだ。
奇しくも、うちはの少年にとってもメシナは、他の大多数と価値観を異とする存在となった。
彼女は、少年にとって初めて見た、里と一族を分け隔てなく見ることのできる人間だったのだ。
そのうちはの少年の名は、うちはイタチといった。