うさぎがいた部屋 【TS文学が書きたい】   作:鮎彦

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第14節 加藤は跳んだ。

 加藤は跳んだ。

 しかし彼のその行動は当然予測された結果、つまり高い塔屋の上からそこに飛び降りれば足を挫かずにはいられないような屋上の固いコンクリートの上に落下するという結果、をもたらさなかった。

 加藤は浮いていた。

 浮いて、歩いていた。

 まるで薄氷の上を歩くような危うげな足の運びだったが、彼はたしかに空中を歩いていたのだ。

 その光景を目にした圭太は思った。

 これはナンセンスだ、と。

 トリックなどでは無い。

 加藤はただ純粋に宙に浮いていたのだ。

 こんな事態を前にした人間は普通、唖然としてその場で固まってしまうものだろう。

 しかし圭太はそうはならなかった。

 空中でふらつきながら圭太の方に振り返った加藤の、緊張に引きつりながらも明らかに勝ち誇ったような顔。

 その顔が圭太に驚きを上回る強い苛立ちを与えたのだ。

 なぜこの男はこんな勝ち誇った顔をしているのだろう。

 この男が何をしたというのだ。

 ただ単に浮いているだけじゃないか。

 そう思った瞬間、圭太はじりじりと後ずさりを始めた。

 やがてかかとが塔屋の端に達するや否や、一転助走をつけて加藤目掛けて跳んだ。

 圭太は空中で加藤にタックルするとそのまま彼の腰に腕を回してがしりと組み付いた。

 空中でしがみ付かれた加藤はさきほどと打って変わってうろたえ始めた。

 

「は、離せ」

 

 まさか飛び掛ってくるとは思わなかったのだろう。

 加藤は空中でバランスを崩して見苦しく手足をばたばたさせた。

 

「バカじゃないのか」

 

 加藤は罵る。

 

「バカはお前だろ。

 なに浮いてるんだよ」

 

 圭太も同レベルの言葉で罵り返した。

 

「圭太くん! 大丈夫?!」

 

 足元では委員長と先生が心配そうに圭太たちを見上げていた。

 仕方の無いことだが委員長たちはこの事態にどうしたらよいか分からずおろおろしていた。

 

「二人とも危ないから降りてきなさい!」

 

 先生も教師らしく呼びかけたが空中でもみ合う二人の耳には入らなかった。

 加藤は圭太を振りほどこうと激しく身をよじったが圭太はしぶとく相手にしがみ付いて離さなかった。

 

「は、離してくれ」

 

 やがて加藤は呻くように弱々しい声を上げた。

 

「じゃあ下に降りろよ」

 

「落ちる、落ちるから」

 

 圭太は彼が遂に観念したのかと思った。

 しかしその後も加藤は高度を下げようとせず空中でゆらゆらと不安定な浮遊を続けていた。

 

「早く降りろって」

 

 業を煮やし圭太は言った。

 ふと加藤の顔見上げてみるとその目は虚ろで額にはびっしりと脂汗が浮いていた。

 どうも様子がおかしい。

 

「落ちる、落ち……」

 

 消え入るような声で呟いた次の瞬間、加藤は上体を大きく揺さぶったかと思うと浮力を失って落下を始めた。

 もちろん圭太と美々面も一緒に。

 委員長が悲鳴を上げた。

 このままでは数瞬後には固いコンクリートの上に叩きつけられてしまう。

 手足が自由な圭太や加藤はまだよいが両手両足を縛られたままの美々面は危ない。

 そう思った圭太はとっさに加藤に抱えられたままの美々面に手を伸ばした。

 しかし手が届く寸前で加藤の腕から力が抜け、美々面は拘束されたまま空中に放り出されてしまった。

 次の瞬間、圭太の背中に強い衝撃が走った。

 一瞬目の前が真っ白になり、そしてすぐに背中の鈍い痛みと共に視界がはっきりとしてくる。

 圭太は起き上がるとすぐに美々面の姿を探した。

 美々面はすぐに見つかった。

 彼女は無事だった。

 頭も打っていなかったし、どこにも怪我をしていなかった。

 それどころか彼女は手足が拘束されたままなのにもかかわらず、器用にも、しっかりと足裏でもって着地していたのだ。

 驚くべきことだった。

 普通の人間には到底そんなことは出来はしない。

 動物的な反射神経にのみ成せるわざだと思われた。

 しかしそんな疑問も美々面が無事だったという喜びにすぐに上書きされる。

 

「よかった……」

 

 圭太は美々面に近づくと思わず両腕で抱き締めた。

 普段であればそんなことをすれば絶対に嫌がりそうな美々面だったが、今は安堵して華奢な身体を圭太に預けた。

 圭太は彼女の体が小刻みに震えているのに気付く。

 顔には表れないがやはり彼女も怖かったのだ。

 

「もう大丈夫だよ」

 

 圭太がそう声を掛けると、美々面はむーむーと唸った。

 

「あ、ごめん」

 

 彼女がまだ口を塞がれたままなことを思い出した圭太、慌ててガムテープを剥がす。

 テープが剥がされると美々面は大きく息を吸って、ひどく時間をかけて息を吐いた。

 美々面の体から徐々に震えが消えていくのを圭太は腕に感じた。

 ややあってから、美々面は口を開いた。

 

「けいた」

 

 彼女から名前を呼ばれたのはこれが初めてだった。

 

「ん?」

 

 圭太が聞き返すと、

 

「ありがとう」

 

 そう言って彼女は一瞬だけ笑った。

 

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