俺がこの未来都市を見つけてから五年後、イザナギは宣言どおりに天界へと帰っていった。五年程度は、俺達にとってはそれこそたいした期間じゃない。だからか、イザナギとの別れもずいぶんとあっさりとしたものになった。イザナギが行くことを惜しんだのは無論俺だけでなく、多くの人間がいたが、イザナギは派手なことを嫌ったために盛大な送別会などは無く。俺とも二言三言言葉を交わしたぐらいだ。
アマテラスはまだ地上にいるものの、彼女もあと数年もすれば天界に戻るそうだ。『天岩戸』はやはりオモイカネに任せるとのこと。
ちなみに俺とオモイカネは相性がよかったのか、最近はオモイカネのところに入り浸っている。
「G-97からG-283までお願い。詳細はこの紙に書いてるから」
「へいへい」
俺はオモイカネの差し出した紙を手に取り、試験管群に手を伸ばした。
俺が最近はオモイカネのところに入り浸っているのは、こうしてオモイカネの仕事を手伝うためだったりする。はじめて会った時にたまたま見せることになった俺の能力が、彼女のニーズに合致したらしく、彼女からの協力要請がアマテラスを通して俺のほうに来たわけだ。躊躇いなく妖怪に何かを頼むところ、オモイカネも本当にいい性格してると思う。
俺にもメリットがあったので快く引き受けたのだが、しかし何分オモイカネの仕事量は多すぎた。だから、俺がこうして忙しなく働いているというわけだ。
五年が経って、オモイカネはまた成長していた。既に俺との身長は比べるべくもなく、また胸部も張り出してきた。人間って成長早かったんだなぁ。
「どうしたの?」
「オモイカネも昔はあんなにちっちゃかったのになぁ…今ではこんなに可愛げがなくなってしまって…」
「あなたは最初に会ったときから私より小さかったでしょう。それに私達人間からすれば成長しない妖怪のほうが不思議よ。それと胸を睨むのは止めてくれない?」
「はっ。俺がでかい胸を欲しがっているとでも? 残念ながら、俺も自分の身体にそこまでのこだわりはない」
「そうよね…大きい胸なんて邪魔だし、肩が凝るし、およそデメリットしかないわ」
「今お前は全俺を敵に回した」
「めちゃくちゃこだわってるじゃない!」
とは言ったものの別にでかい胸が欲しいわけじゃない。ただなんとなくまな板を見ていると砂丘ぐらいは欲しいとか思わないか? いつからこんなこと気にするようになったんだろうなぁ。精神は男のままのはずなのだが、俺は妙にこの身体に適応している。おそらく、男からそのままこの身体になっていれば、こう簡単には馴染めなかっただろう。しかし、この身体になる前に狐の身体のスパンがあったことが幸いだ。なにぶん狐の身体しかなかったときは、ついてるかついていないかより、動物の身体に慣れることのほうが重要だった。
「出来たぞ、97~283。えーと、次はCの方をやればいいのか?」
「ええ。…相変わらず馬鹿みたいに早いわね。しかも不純物一切なしって…。いちいち反応物を推測、生成物を分離抽出とかやってた私が馬鹿みたいじゃない。それだけ手間をかけても、不純物がいくらか混じるのに」
「そっちの方が正道だろ。俺のは正直邪道だぞ。あんまり楽には慣れるなよ、応用が効かなくなるぞ。…あぁ、オモイカネの能力ならそれも無意味か?」
オモイカネの能力は『あらゆる薬を作る程度の能力』。
物理的に作れるものであれば、材料さえあればどんな薬でも作ることが出来るらしい。例えば、以前作っていたがん細胞を過程はどうあれ結果的に駆逐する薬とか、もう謎過ぎる。がんって遺伝子疾患じゃなかったっけ…。
さらに俺がいることで、自然界にはありえないような組成の物質を作ることもできるので、オモイカネの能力の反則ぶりに磨きがかかっている。そのうち不老不死の薬でも作るんじゃないだろうか。
「あなたの能力のほうが大概反則でしょう…。意味不明の構造をした石を持ってきたときは気が狂いそうになったわよ」
「あれか。あれは失敗作だな。もう少しで成功しそうなんだが…」
「何が?」
「できたらオモイカネに見せる。それまでは言えないな」
首をかしげるオモイカネをよそに、俺はCの試験管を仕上げた。この後はスサノオのところに行くつもりなので、あまりのんびりはしていられない。
スサノオは存外忙しい。いや、おそらくツクヨミが一番多忙なのだろうが、彼とは接点がないのでどうでもいい。とにかく、スサノオが時間を取れることはあまり多くはない。だからこそ、遅くなるわけにはいかなかった。
俺は仕上げた試験管を置き、オモイカネへと声をかけた。
「んじゃ、俺はそろそろ行くわ」
「ええ、今日もありがと。スサノオ様によろしくね」
「ういうい」
この都市に来て俺が一番頻繁に通う場所はオモイカネのところだが、その他にも時折通う場所がある。それが、スサノオのところだ。
最初は、スサノオの腕鳴らしに誘われたのが始まりだったが、あれよあれよと言う間にその交友は今まで続いている。最近では彼女の副官、タケミカヅチとも模擬戦をやっているほどだ。ちなみにタケミカヅチも俺が妖怪だということは知っているが、特に文句はないらしい。彼も、いわゆる強者なのだ。
「おーい、スサノオ。…あれ、どこか行ってたのか?」
「あ、こんにちは、ウカノさん。ええ、街の近くまで妖怪が来ていましたので、追っ払ってきました。例の『蜘蛛』です」
真っ黒な戦闘装束を身に纏い、黒い大剣を背負って歩いていたスサノオに、俺は声をかけた。その身体には木の葉などが付いていて、そしていつもは櫛の通ったつややかな髪も少しほつれてしまっている。さらに、彼女のそばにはタケミカヅチも付いていたのだからなおさらだ。
精悍な顔つきの、中年に入る前の青年、といった感じの男がタケミカヅチである。極限まで鍛え上げられた細マッチョ。理想的なその肉体は、戦闘においてもその見た目を裏切ることはない。そして、タケミカヅチはどちらかと言えば寡黙なタイプの人間だった。話を振られなければあまり口を開くことはない。
例の『蜘蛛』…マガラゴが来たということは、二人だけで行ったのだろう。一般兵の未来的武装な光線銃ではあの身体には傷一つつけることはできないのだ。
彼女も、そしてタケミカヅチも銃を使わずに剣を使っているのは、ただ単純にその方が強いからだ。禍気は、人間の外見を大きく変貌させることはないが、進化を早めたり、こうしてたまに異常な能力を持った人間を生んだりする。おそらく、禍気が今以上に薄れてしまってもこれがなくなることはないだろう。
さて、二人と戦ったマガラゴだが、今回も死んでしまっていることはないだろう。普段マガラゴと話し?ている俺だからこそ知っていることだが、実はマガラゴは、人間に対する感情は種族の確執程度のものしか持ってはいない。ようするに、マガラゴは必要以上に人間と敵対することはないのだ。
それが分かっているのかスサノオもタケミカヅチもマガラゴを殺すことはない。マガラゴが死んでしまえば、頭がよくなったとはいえお世辞にも人間ほどではない妖怪達が無秩序に動き出してしまうためだ。今でこそマガラゴが頂点に立つことで纏まってはいるが、それが居なくなってしまえば? 人間に対し個人的な感情を持たないマガラゴのようなものが、また上に立つとは限らない。もしも人間に対し憎悪を持つものが立ってしまえば…行きつく先は泥沼だろう。
二人は相対するマガラゴの態度から、なんとなくそこは察していた。
「ツクヨミはどうしてるんだ? 相変わらず妖怪に手を出してるのか?」
すると、スサノオの端正な顔が嫌そうに歪んだ。彼女にしては珍しい面だが、スサノオとツクヨミの相性は実はとてもよろしくはない。この二人は、アマテラスが間に立つことでようやく纏まっているようなものだ。二人だけで一つのテーブルにつくことは、まずありえない。アマテラスが天界に戻った後はいったいどうするつもりなんだか。
「どうやら、そのようです。ウカノさんが来られてからは減っているのですが。勝手なことはほどほどにして欲しいものです」
ふぅ、とスサノオは不愉快そうな表情で悩ましげに息を付いた。ツクヨミの私兵は誰もが一般兵だ、スサノオやタケミカヅチのような単体で妖怪を蹴散らせるような者はいない。そのため狩られているのは、力の弱い小妖怪ばかりだが、それでも妖怪側に不満が出てくるのは当然だ。
今回マガラゴが街の近くまで来ていたのも、そういう不満を払拭するためだろう。
確証はないが、二人が動かなければマガラゴは街へと本格的に侵攻していたはずだ。結局、事なきを得たわけだが。
「ま、それなら今回は模擬戦無しだな。また暇が出来たら呼んでくれ」
「あ、すみませんウカノさん…通信符をいただけませんか? 戦いの最中に紛失してしまったんです…」
「ん、ああ分かった」
頭を下げるスサノオに、俺は袖から出した、いくつもの短い線で出来た記号が書かれた短冊大の紙を一枚渡した。
『式紙』。
決して大層なものではない、紙に術式を打ち込んだだけの単純なものだ。力さえ注げば誰でも使える上に、俺にとっても術式をショートカットできる便利な代物である。未来のアニメとかに出てきた御札を参考にしたのだが、存外にうまくいった。欠点は、妖気タイプと霊気タイプがあることだろうか。残念ながら二つともに対応した式は作ることは出来なかった。
ちなみにスサノオに渡したものは、通信符の名前そのままに離れた場所にいる相手と会話ができるものだ。ただ、この式紙では出力があまり高くなく、あまりにも隔たりがあると効果を発揮することは出来ない。
ゆくゆくは、この式紙の性能を上げることと、式紙よりも上位のものを作ることが目標である。実はこの目論見は、未だ完成こそしていないものの、五年前に神気が使えるようになったことでかなりの進歩を遂げていた。
「ありがとうございます」
「今日はもう戻るわ。また暇が出来たらその式紙で呼んでくれ。タケミカヅチもまたな」
「はい。お気をつけて」
「…ああ」
スサノオのにこやかな声とタケミカヅチの重厚な声を背に、俺は街を出て森へと戻って行った。街の近くの森が、ぼろぼろになっていたが、おそらくあそこがマガラゴと二人の激闘地だったのだろう。
街を出た後の俺は、マガラゴのことが気になり彼を探していると、俺の家の前で座り込んでいる巨大な蜘蛛を見つけた。その脚は三本ばかり折れてしまっている。
が、マガラゴにとっては外傷は重傷とはなりにくい。特に脚ともなると数日後には再生しているほどだ。あな恐ろしきは妖怪の再生力。おそらく人間とは違い、妖怪はその器ゆえに肉体の欠損を空気中にある禍気で補えるためなのだろう。
俺がマガラゴの前に降り立つと、ガサゴソと彼は小さく動いた。その様は巨大蜘蛛なのに何故か微笑ましい。
そしてその日は、最近発生している解決しなければならない問題諸々にめそめそと嘆く、意外と繊細なマガラゴを慰めることになるのだった。
俺としては、こういう時は酒だ! なのだが、生憎彼の身体というか口は酒を呑むのには適していない。結局俺がしたのは一人で瓢箪に口を付けながら、ぐちぐちと愚痴るマガラゴに相づちを打つぐらいのものである。