東方空狐道   作:くろたま

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捜し者は誰ですか 白狐です

 

 

神和ぎの女性、名前はタクリと名乗ったが、私は彼女に連れられて山の頂上へと続く石段を上っていた。ウカノミタマはこの山の頂上に住んでいるらしい。あまり麓に直接来ることはないそうだが、人と交流がないわけでもないようだ。

 

私はここに来るまでにもタクリに色々話を聞いていた。

まず私は、森で倒れていたところを里の人に助けられたらしい。それに関しては感謝が尽きない。あのまま放っておかれたり、万が一にもちょめちょめな展開になっていれば、私はもう生きる事を止めていただろう。それほどあの時の私は疲れていた。

 

そして困ったことに、非常に困ったことに私はあることの確信を深めていた。今私が居るこの時代のことだ。案の定、この時代は私の知る時代の過去にあたるようだ。私が初めて目を覚ました時に見たタクリの家も別に特別ボロイわけではなく、この時代の標準なのだ。むしろ他の里と比べればこの辺りは進んでいるらしいが。

大昔に飛ばされたことなど初めてではないが、しかし問題はこれが現実だということ。以前はあくまで夢の中であったし、そこにいた人外、妖怪もこの時代に出会った化け物と比べれば可愛げがあった。そうでなければ、私もあそこまで取り乱しはしなかったはずだ。何よりもこの現実感が私を蝕み苛む。本当に、夢だけだったら良かったのに。

 

…? そういえば、私はどうして人にも追いかけられたんだろう。妖怪なら分かるけど、人に追いかけられる謂れはない。ましてや槍やら弓やら向けられるなんて。

あぁ、よくよく考えてみると、私の着ている服は彼らと比べるととても異質なものじゃないか。だから彼らは過剰な反応をしたのだろう。きっとそうだ。

 

それはともかく、不幸中の幸いだろう、この里の人に拾ってもらったことは。当座の安全は確保できたし、それにここの神様とやらにも会える。八方塞がりだった現状を打破できるかもしれないし、もしかすると元の時代に帰れるかもしれない。白い狐、それは私にとって吉兆の証だ、と思う。得体の知れない“声”を信じているかたちになっているが、それでも私には良かった。少なくとも、タクリから聞くウカノミタマの話には悪いものは感じられない。

 

それほど詳しくは昔の話も伝わってはいないようだが、先刻タクリが言ったように千年以上前に彼女の先祖はこの地にやって来たという。当時は百人にも満たない集まりで、しかも元いた地を追い出されて死にかけていたそうだ。そこでたまたま辿り着いたのがこの地で、そしてその頃から様々な作物が植わっていて、飢えに耐えかねた人々はそれに手を出したとか。しかしその作物は実はウカノミタマのもので、勝手に獲った人間に一度は怒ったが、理由を聞くとそれを許したばかりか、土地すら与えてくれたらしい。それが、今人々が住むこの地のことだ。

 

神との古い盟約に従い、定期的に獲れた作物を上納しているが、それも全体の収穫量と比べると微々たるものだ。そしてウカノミタマの加護のためか、凶作になることもあまりないという。

 

それと人との交流の話だが、もっぱら人が山の上に行くことの方が多いらしい。先のように作物を納める時や、神和ぎの修行など、頻繁にあることではないが。他に、里の人間では手に負えない病が発生した時も、社にお参りに行く事がある。なんでも今里にある薬を作る技術は昔々にウカノミタマに教えられたものが大半で、そしてそれに留まらずありとあらゆる薬の知識をウカノミタマは持っているとか。

 

これらの話から分かることは、ウカノミタマは非常に寛容で、かつ人間に甘いということだ。そしておそらく数多の知識を有している。きっと、私の願いが無碍に扱われることもないだろう。

 

…それにしても、この石段はどこまで続いているのだろう。そもそも、昔の高床式倉庫程度の家しか作れない人達がこんな綺麗な石段を延々と作れるだろうか。

 

「この石段は、あなた達が作ったの?」

 

「いいえ。初代様がここを上って、初めてウカノミタマ様のところに行ったという話が残っていますから、おそらくは最初からあったものと思われます。もしかすると、田畑同様ウカノミタマ様が作った物なのかも知れません」

 

「そんな…そんな昔に、それにまだこんなに綺麗なのに…」

 

どう作ったのかはまるで分からないが、隙間なく組まれた石段は、麓から途切れることなく続いている。石段の造りはどこまでもぶれることなく、無骨ながら一つの秩序を思わせた。植物など苔の類に侵食されていることもなく、かといって風雨にさらされて朽ちているという風でもなく、年代を感じさせない様を呈している。

このようなものを今よりさらに前の年代に作り出すとは、“神”は伊達ではないということか。技術力も馬鹿に出来ない。

 

と、そうこうするうちにようやく石段の終りが見えてきた。山の頂上であり、そして石段の終りには石で出来た鳥居があったのだ。その鳥居はそれほど大きいものではなく、2~3m程度のものだった。削りは粗く、かろうじて鳥居と分かる形のもの、これまでの石段とはかなり意匠が違う。

 

「これも、ここの神様が…?」

 

「いえ、こちらは私達の先祖が作られたもののようです。神域への入り口であり、外界と隔て、あるいは閉ざす、門としての意味合いがあるそうですが…私も詳しくは」

 

そう言いながら、タクリは鳥居の前まで歩いて行った。そして鳥居の一歩手前で立ち止まると、静かに両手を合わせ、ゆっくりと頭を下げた。

何をしているかは、聞くまでもない。この作法は現代日本にも残っていたはずだ。この時代ならば、本当の形で存在しているだろう。郷に入りては郷に従え、私も倣わないわけにはいかない。

私はタクリの仕草を真似ながら、頭を垂れた。

 

「失礼いたします。……さ、行きましょうか」

 

直にタクリは頭を上げて、鳥居をくぐった。私も下げていた頭を戻して、タクリの後につづく。

 

と、鳥居をくぐった途端に、周囲の空気が一変した、気がする。

境内、といえばいいだろうか、広いその空間には石段に続く形で石畳が敷かれ、その先には大きな社があった。そこが、ウカノミタマの住む屋敷なのだろう。石畳以外の場所にはふわふわとした芝生がひかれ、また隅には小さな畑もある。

そして驚いたことに、そこにあった屋敷は現代の、いわゆる日本家屋に通じる雰囲気があった。より快適に、より機能的に改良されたその姿は似ても似つかぬものではあるが、それでも私は屋敷を見ていると懐かしさを感じる。まるでここだけ現代に戻ったかのような。

 

タクリは、少し屋根のせり出した入り口らしき場所に下がっている紐の前まで歩いて行った。そしてその前で立ち止まると、また手を合わせてお辞儀をした。今度はその後、二度ぽんぽんと柏手を打ち、そして最後にもう一度頭を下げる。一つ一つの動作はとても丁寧で、かつ洗練されていて、何度もそれらを繰り返してきたことが分かった。

 

それで全ての礼が済んだのか、タクリはぶら下がっている紐に手を伸ばすと、それをついと引っ張った。

 

シャーーーン

 

澄んだ音が、辺りに響き渡る。不快感を微塵も感じさせないその透明な音色は、体の隅々まで響いているようだった。どうやら、物理的な音だけではないらしい。涼やかなこの鈴の音には、不思議な何かを感じさせる。神秘的な何かを。

 

鈴を鳴らした後、私達はしばらく引き戸らしい入り口の前で待っていた。それほど大きい戸というわけではないが、それでも何故か威圧感がある。そのせいでどうも近寄りがたい。タクリもそうなのか、戸からは数歩退いて離れていた。

 

不意に、音もなくスッと目の前が引き戸が開く。

その戸を開け、外に顔を出したのは紅の少女だった。とても整った顔立ちをしており、こちらを見る紅い眼差しには幼さが見える。そしてその頭の上では、二対のふさふさとした獣の耳がぴくぴくと動いていた。

 

「紅花様…。ご機嫌うるわしゅう…」

 

私の隣にいたタクリは、紅い少女を見るとペコリと頭を下げてそう言った。少女がウカノミタマで、違う名前で呼ばれているのか、それても少女はウカノミタマではないのかそれだけでは判別できない。

少女はタクリを瞳にうつすとニコッと無邪気に笑い、戸をさらに開けて外へと出てきた。身体の全体が見えてようやく分かったが、頭頂にある獣耳だけでなく、彼女の背後にはもっふりと九本の紅い大きな尻尾が揺らめいている。よく見なくても分かる。それらは間違いなく狐の尻尾だ。

 

「タクリだったの。どうしたの? 何か用?」

 

「はい、いいえ。ウカノミタマ様にお会いしたい…という方をお連れしました。お目どおり願えますでしょうか…?」

 

「お母さんに? もしかして、そっちの?」

 

ちらと、もう一度私の方に少女の視線が向けられた。先と変わらない紅い瞳、だが、その瞳孔は獣のように縦に割れ私を見つめている。私は、何か気に触るような事をしただろうか。とても警戒されているような気がする。

 

「はい、彼女です。先日、森の中で倒れていらしたのは、里の方が見つけられたようで…、私のところで休んでいただいていたところでした」

 

「ふーん」

 

「は、はじめまして」

 

じろじろと紅い瞳で見つめられ、徐々に居心地が悪くなってきた。タクリが心配そうにしてくれていることが唯一の救いか。

と、少女の視線が私の胸の辺りに向けられる。

 

……ちっ

 

舌打ちされた!?

少女の挙動に少しどきどきしていると、少女はぷいっと顔をそらしてしまい、着ている衣服の袂から一枚の札を取り出すとそれっきり黙ってしまった。

 

「か、彼女は、何をしているのかしら?」

 

私は少し動揺を露にしながらタクリに聞くと、タクリはこう言った。

 

「ウカノミタマ様と話されておられるようです。直に通していただけますよ」

 

「あの紙は…?」

 

「あれは式紙といって、術を行使する際に用いるものです。紅花様が今使っておられるのは通信に関するものですね。私達神和ぎも、少しは扱えますよ」

 

「式紙…術…? それは――」

 

「お母さんが通していいって。あ、でも私は用事があるから、これから出かけるの。案内はタクリに任せるの。お母さんは奥の間にいるから、まっすぐ行けばいいの」

 

タクリの言う“式紙”や“術”なるものについて聞こうとした時、丁度少女がこちらを向いてそう言った。当然、話も途切れてしまう。気にはなったが仕方がない、また聞く機会もあるだろう、と私は思い口を閉じた。

 

「かしこまりました…。お気をつけて」

 

「それ、お母さんにも言われたの。私が危なくなることなんて、そうないの」

 

ぷっと頬を膨らませて少し機嫌を損ねたように少女が言う。その様子はとても子供らしいものだった。それを受け、タクリは少女に深々と頭を下げる。

 

「そうですね。失礼いたしました。それでは、行ってらっしゃいませ、紅花様」

 

「うん、行ってくるの」

 

とっとっとと、スキップするように軽やかに私達の間をすり抜け、少女は境内の真ん中に来ると同時にとんとつま先で地を叩いた。するとふわりとその身体が浮かび、九本の尻尾もそれに追随するように宙でゆらゆらと揺れる。

ふと少女はこちらを振り向き、目を丸くして少女を見ていた私とたまたま目が合う。一瞬だけ紅い瞳が私を見つめていたが、ほどなくべーっと舌をつき出したかと思うと、びゅんと紅の軌跡を残して凄まじい速度で青い空へと消え去ってしまった。

 

タクリがそれに驚いた様子はない。どうやら日常茶飯のことのようだ。

 

「さぁ、参りましょうか」

 

「え、えぇ」

 

タクリは少女の消え去った方へ一つお辞儀をすると、踵を返し戸の開いた入り口の方を向いてそう言った。何事もなかったのように冷静なタクリに戸惑いながらも、私は中へ入っていくタクリの後を追いかける。少なくとも、今の私にはそれしか出来ないのだ。

 

 

屋敷の中はやはり日本の様式に似ていて、床が地面より一段高くなっていた。そこはまさに玄関で、言うならば土間だ。そこには既に小さな草鞋が一足、綺麗に並べられて置いてあり、ここで履物を脱ぐのだという確信を強めさせる。

 

「ここで、履物を脱いでください。決して土足で上がりこんではいけませんよ」

 

「ええ、分かってるわ」

 

タクリにもそう言われながら、私はかなり草臥れてしまっている靴を脱いだ。ぼろぼろで、今にも破れてしまいそうなそれを、私は少し切ない気持ちで見つめる。むしろ、失くさなかったことが幸いなのだ。そう思うようにして。願わくば、一つも私としての証を失いたくはなかったのだ。それがたとえぼろぼろの靴だったとしても。

 

「奥の座敷はこちらです」

 

屋敷内は広く、通路は三本に分かれていたが、タクリはためらいなく真ん中の一番大きな通路を歩み始めた。その後について歩いていると、この屋敷の色々なことに気づく。広い通路の脇には進む度に障子戸や板戸があり、部屋がいくつもあることが分かった。また天井も存外高く、ジャンプしたところで到底届きそうにない。タクリのいた家とはまるで違う。そしてこの廊下だ。歩いているとよく分かるが、板の軋みがまるでない。材料はどれも麓の人里の家と変わらず木だろうが、それで作られた床は現代のもの同様平たく、とても綺麗に出来上がっている。またニスかワックスか、それに類するものが塗られているのか、とてもつるつるとしており、この時代のものとはまるで思えない。まさに、この屋敷だけ別世界だった。

 

私は目に映るものにいちいち驚き、きょろきょろとしながらタクリの後をついて行った。と、タクリが不意に口を開く。

 

「ウカノミタマ様はとても気さくな方ですが…くれぐれも失礼のなきよう」

 

「え、えぇ、分かってるわ」

 

急に話しかけられたので、少しどもりながら私は答える。…どうせなら、もう少しウカノミタマ様のことについて聞いておいた方がいいだろう。万が一にも予想外のことがあって、無礼な真似をしでかしてしまえば本気でやばい。それはもう色々と。

 

「その…、昨日も聞いたような気がするけれど、ウカノミタマ様って、どういう方なのかしら?」

 

「そう、ですね。お姿は、紅花様にそっくり、瓜二つといってもよいでしょう」

 

なら、ウカノミタマ様も少女の姿をしているということなのだろ。そういえば、先ほどの紅花様と呼ばれていた少女は『お母さん』と言っていた。母娘(おやこ)、なのだろうか。

 

「ただ…、その、ウカノミタマ様の口調には驚かれるかもしれませんね。私も時折申し上げているのですが、一向に直してくださらないのです」

 

ふっと、小さな溜息とともにタクリはそう言った。何か問題があるのだろうか…なんだろう、凄く気になる。

 

「私の口からはこれ以上は…。お会いすれば、直ぐにでもお分かりになるでしょう。さぁ、着きましたよ。ここが奥の間です」

 

そう言うと、タクリは一つの障子戸の前で立ち止まった。…いや、というより立ち止まざるを得ない。何せその障子戸の部屋で通路は行き止まりになっているのだから。そこは入り口である障子戸からしても、他の部屋より一際大きい部屋だった。そして、障子を透かして障子戸の向こうから光が射しているのが分かる。これは太陽の光だろうか。

 

タクリは障子の前に身体を横にしながら膝をつき、障子の向こうに声をかけた。

 

「ウカノ様。タクリでございます。お客様をお連れしました」

 

「いい、入ってくれ」

 

程なく障子の向こうから聞こえたのは、先ほど聞いた紅花という少女と全く同じ声だった。いや、全く、ではないだろうか。紅花のものは感情豊かだったのに比べ、こちらは、冷たくはないが感情の乏しい、とても涼やかな声だった。

 

「はい。それでは、失礼いたします。……どうぞ」

 

タクリは障子の向こうからの声に一際厳かに答え、音もなくするりと障子を開いた。そして私の方を向き、小さく手を動かして部屋の中へと誘う。私は緊張しながら、敷居を踏まないように慎重にまたいだ。…この時代にはないはずの礼儀作法だが、それでも礼を尽くすべきだと私は考えていた。

 

…部屋の中は予想通りとても広く、畳何畳分かなどはすぐに数えられなかった。いや、というよりこの座敷は畳敷きだったことに少しして気がつく。何度も私を驚かせてくれる屋敷だと、私は思った。少し高い天井に、そして二面ほどを壁に囲まれ、一面はさきほど私が入った障子戸のある方だ。残りの一面は外に向けて開かれ、太陽の光があますことなく部屋の中へと降り注いでいた。その光景だけで、言葉に出来ないほど神々しい。

 

そして部屋の真ん中にあるのは大きな木で出来たテーブルがあった。高さは卓袱台ほど、しかしそのどっしりとした重厚感は広い部屋の中でも圧倒的な存在感を醸し出している。外見はとても無骨な代物だが、それに高い技術が使われていることは見れば分かる。何せ、そのテーブルには継ぎなどは全くなく、一本の巨大な木から作られたことが見て取れるからだ。

 

だが、そのテーブル以上に存在感を放つ存在が、テーブルの側にいた。

 

それは大きな瓢箪に上体を預けるようにして寝転がっている、真っ白な少女。

絹のような白い髪を惜しげもなく畳に散らし、三本の白い尻尾もだらりと床に垂らしている。その顔はなるほど先ほどの紅花と瓜二つ、というより同一だった。しかし彼女の方は、先の声同様無表情で私を見つめている。

 

彼女は気だるげに寝かせていた顔を持ち上げ、口を開いた。

 

「よぉ。お前さんか? 俺に話があるというのは」

 

小さな口が綺麗な声で、しかし男のような言葉を紡いだ。同時に金色の二つの眼が、わたしを容赦なく射抜く。

 

その鋭い目つきに押され、私の身体で何かが駆け抜けた。目の前の少女の神威に畏怖しているのか。そうだ、目の前のこの少女こそがこの地の神なのだ。

そして私は悟る。彼女こそ、私が捜していた“白い狐”なのだと。

 

 


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