東方空狐道   作:くろたま

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神話の兎はなに見て跳ねる

 

 

竹、といえば、古くから日本で親しまれているというイメージがある。竹の特性上大抵群生しており手に入りやすく、また削る・曲げるなどの加工がしやすい。繊維の方向がはっきりしており、それに沿った方向には細かく割りやすく、様々な道具に使われてきた。また実際に、かの「古事記」や「万葉集」などの古文にもこれに関する記述が残されている。あるいは文を読み、頭の中にその時代の背景、情景を浮かべることで、竹は古めかしい印象が持たれているのかもしれない。ただ、竹は本来は帰化植物だと言われている。農耕技術や漢字同様、古代中国から伝来したものではないかと。

 

しかし日本古来の植生かどうかはともかく、やはりその歴史は古い。現代の主要な一種とされるマダケも七世紀ごろに日本に来たという説がある。古事記もそのあたりのことだと考えると、最低でもその頃には間違いなく竹は日本にあったのだろう。

 

「で、何でこの時代にもうマダケがあるんだろうなぁ」

 

ウカノは周囲を見回しながらつぶやいた。彼女の周りにあるのは10mを軽く越え、20mの高さはあろうかというマダケの太い節くれだった茎ばかり。太陽の光が絶妙に入り込むその深い竹林の合間で、ウカノはとぼとぼと歩を進めていた。

 

 

ウカノが半壊した人里を離れ、再び地面に刻まれた足跡を追いかけること数時間。相変わらず滅茶苦茶な蛇行を続けていた足跡だったが、それは今度は広大な竹林の中に消えていっていた。この竹林にいるのか、はたまた通過した後なのか…。そこがまるで地表の見えない竹林であったことが災いし、地上近くで調べる羽目になったのだ。それでも結局見失ってしまったが。それは決して彼女がずぼらだったわけではなく、またもその足跡が前触れなく中途で消えてしまったためだ。

 

しかし、ウカノが今こうしてとぼとぼと肩を落として切なげに歩いているのは、決して足跡を見失ったからではない。

 

「口寂しいな…」

 

頭上高くに生い茂る笹を見上げ、愚痴をこぼす。

自身の屋敷を発って早数日、今ここにいるウカノは例の酒瓢箪を持っていないために、しばらく酒に口をつけていなかった。こうして現在テンションが駄々下がりしているのも、そんなウカノ御用達の嗜好品を欠いているせいだったり、本拠地の屋敷では本体?が紫と酒盛りをしているせいだったりする。本体に戻れば結局この苦悩も共有することになるのだが、それでも今現在こうして苦悩しているのはこちらのウカノだけである。

なんとなく腑に落ちないものを感じながら、ウカノは同じような景色がいつまでも続く竹林でただ淡々と歩を進めていた。

 

「ガァァァァァァァァァァァァッブギュッ」

 

と、そんなウカノに竹林の奥から唐突に襲い掛かってきたのは、四足の妖怪だった。ふさふさとした毛や尻尾、ぞろりと口に並んだ牙など、身体が大きすぎることと目が四つあることを除けば狼と見紛う姿である。だがその妖怪は、ウカノにその鋭い牙をつき立てる前に地へと倒れ伏した。いや、何かに押し付けられた、叩き落とされた、とでも言うべきか。妖怪の身体が地に付くと同時に、ボキリと骨の折れるような音までする始末。それほどの勢いだった。

 

「そもそも瓢箪が一つしかないのがいけないんだ。あぁ…でもあれは量産できないんだよなぁ…。酒虫在住の瓢箪なんてそうごろごろと転がっちゃいないし、そもそもあいつはそこらの酒虫とは違うし。あぁもう、ままならない」

 

だが、ウカノにはそれに反応した様子はまるでない。真横で起きたショッキングな出来事も一応意識内のことではあったが、優先順位は酒より低かったのだ。実のところ、このような突発的な妖怪の襲撃は竹林に入ってからもう幾度かあったことだ。最初のうちこそコミュニケーションを試みたウカノだったが、しかし彼らは錯乱状態にありウカノの言葉に耳を貸しはしなかった。何かに憑かれたように、ひたすらウカノに攻撃を加えてくるのだ。

 

倒れ伏し意識も飛ばしたらしい妖怪に一瞥もくれず、ウカノはさらに歩を進めた。

さて、そんな目にあいながらもウカノがこうして探索を続けているのには訳がある。妖怪に見られる異常、これに足跡の主の影を嗅ぎ取ったためだ。

妖怪はそもそも人間等の負の感情、恐怖の類と魂を核に生まれた、虚ろな生き物である。主体性こそ持ってはいるが、先の特性故に他の形のないものに染まりやすい側面がある。妖怪にとっては、自身より力の強い者の妖力や気で、強化・凶暴化してしまうことなどはままあることなのだ。

ただ、ここ竹林ではその状態が過剰に過ぎる。妖怪は、力と引き換えに知性を得た化生である。無論、力は強い者はとことん強いし、頭の悪い者はどん底に悪い、という妖怪も中にはいるが。しかし前述のようなイメージを持っていたウカノにとっては、ここで遭遇する妖怪に、太古の化物、禍物の面影を思わせた。

 

ウカノが着目したのは、これまでにない妖怪の反応、という点だ。それに合致するように、この竹林には例の空気の違和感が色濃く散布されている。残り香にしては、広範囲に高濃度で広がりすぎていた。黒とは言わずとも、灰色と判断するには十分の状況だ。

気配そのものは、ない。だが、なんとなくいるような気が、ウカノにはしていた。

それが、ウカノがここの探索を続けている理由だった。

 

「ようやくここまで来たんだ、さっさと見つけて、さっさと帰りたい…」

 

ぶちぶち一人で愚痴りながら、ウカノはなおも淡々と歩を進める。頭頂では白い耳がせわしなくぱたぱたと動いていた。

 

と、突然、踏み出した足に何かが絡まる。それはリング状になった縄のようなものだった。ひゅひゅっと一瞬で土の下から縄が持ち上がり、上へと何かに引っ張られる。縄の先、リングに絡まった足もろとも、だ。結果的に小さな身体は逆さまに、やすやすと吊り上げられてしまった。

古典的な罠ではあるが、その実非常に性質の悪い。足一本で吊り上げられるせいで、その一本にかかる負担は場合によっては深刻なものになる。さらに言えば、いろいろな部分が重力に引っ張られて、とても格好が悪いことにもなっていたりするわけで。

しかし屈辱的な状況にも関わらずその顔には変わりなく、相変わらず何の感情も浮かんではいない。ただ何も言わず、ぼやっと虚空を見つめ続けている。

 

「ん?」

 

「あはははっ、引っかかったわね! さぁ観念しな、あんたがこの異変の犯人だってことは分かってるんだからね!」

 

そうしてぶら下がったままぼんやりしていると、いずこからか一人の少女がやって来た。その体躯はウカノよりも小さく、白い簡単な服に身を包んでいる。頭にはふかふかした兎の耳のようなものがついており、その下にある顔は勝ち誇った表情をしていた。どうやらこのトラップを仕掛けていたのは彼女らしい。

 

「犯人?」

 

「そうよ! 最近、ここらの連中の様子がおかしくなってることよ。竹林の空気も悪いし。私の仲間もそろってくるくるぱーになっちゃったわ。…あんた、ここいらじゃ見かけない顔なのよ、つまりあんたが犯人だっ!」

 

トンデモ理論を展開しながら、うさ耳の少女はびしりと逆さまになっているウカノにむけて指をさした。犯人候補、とでも言うならば確かにウカノはこの場で最有力候補なのだろうが、しかし残念ながらウカノがここに来たのは今日が初めてだ。そのことを知らない少女に察しろ、というのは無理な話だが。

 

「最近って、俺がここに来たのは今日だぞ。君の言う異変?の時期にはちょっと噛み合わないんじゃないか?」

 

「う…き、今日初めて来たっていう証拠はないじゃない!」

 

「あー…まぁ、うん、確かに。…それで? 仮に俺が犯人だったら、君はどうするんだ?」

 

「もちろん、あんたを捕まえてぼこぼこにして、元に戻させるに決まってるわよ! この気持ち悪い空気もね!」

 

「ふーん」

 

ぶら下がったままの、ろくに身動きの取れない白狐を前にして、白兎はぐるぐると薄い胸を張りその場を歩き回る。少女の視点からすれば既に一工程目(捕獲)はクリアしており、あとはぼこぼこにして言う事を聞かすだけ、というところだろう。しゅっしゅっとシャドーボクシングをし始めた白兎を胡乱な目で見ながら、ウカノは溜息をついた。ふひひと悪そうな笑みを浮かべながら、少女が口を開く。

 

「ふっふっふ、さて、どうしてやろうかしら…そうね、毛を毟り取って皮を剥いで海水でも塗りこんでみるのも、いいわね。それから風通しのいい場所に放置して…あれ結構きついのよね~」

 

「グロいな。…それに、まるで体験したことがあるみたいな言い草じゃないか」

 

「あんた、随分落ち着いてるわね。ふん、ま、あるわよ。あたしがまだ妖怪兎になってないころに、性悪の神連中に騙されてね。あの頃のあたしは馬鹿だったわ」

 

苦々しげな表情で、少女はそう言った。そして、ウカノはそういう話には心当たりがあった。前世での知識にある、よく知られていた神話の一節である。

 

「もしかして、因幡?」

 

「は? あんたあたしのこと知って――」

 

ずんっ

 

と、その時地面が揺れた。相当重量の何かがどこかに落ちたかのような振動である。その拍子に、ぶらさがっていたウカノの身体がゆらゆらと揺れる。少女はハッとした顔をしてウカノから視線を外し、とある方向に目を向けた。

 

「そんな…あれに引っかかるやつがいるなんて。…こうしちゃいられないわ、早く確かめに行かないと」

 

そう言って、ウカノの方にはもう目もくれず、目を向けていた方向に一目散に走り去って行った。

 

「ちょっと待てぇ。…降ろしてけよな、まったく」

 

一人残ったウカノの声が、竹林の合間で寂しく響く。長時間逆さまになっていたウカノの色白の顔は、少し朱に染まってきていた。

ただ正直なところ、そもそもこの罠自体には拘束効果はなかったりする。空が飛べるのだ、足を吊り上げたところで、浮かび上がって足に絡まっている縄を解けばいいだけの話だ。

 

しかし、それでもなお罠に掛かったままでいたのは――妖怪兎の少女から情報を引き出すためだった。人は、自身が優位に立つと警戒心が緩み、情報を漏らしやすくなる。その心理は妖怪でも大差はない。普段迂闊な者ほどその傾向は顕著だ。

 

というよりも、そもそも罠には掛かっていなかったりするのだが。

 

「あぁ、まったくもって情けない姿だ」

 

「うるさい」

 

今まで認識阻害結界で兎の少女の目から隠れていたウカノが、ぶら下がっているウカノにしみじみとした口調でそう言うと、ぶら下がっていた方の…身代わりはぽつりと呟きながら数枚の式符に戻った。身代わりとは式神ほど高度な存在ではなく、それこそ何の力もない人形のようなものだ。応答したのも、ウカノの性格をコピーしプログラムされた受け答えに過ぎない。時折リモートコントロールにしていたこともあったが。使いようによってはとても重宝する代物で、ウカノは好んでこれを良く使っていた。

 

式符を袂にしまいながら、兎の少女の走っていた方に目を向けて少し考え込む。あの地面が揺らぐ少し前、ウカノはそちらの方向で何か巨大なものの気配が突然出現したのを感じ取っていた。それは、例の足跡が唐突に消えてしまったのと、まさに逆の現象だった。

無表情ながらも、しかしどこか笑っているような雰囲気で呟く。

 

「ようやく、見つかったのかな」

 

きしりと音を立てながら地面を踏みしめ、進むべき方向へとウカノは足を向けた。

 

 


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