東方空狐道   作:くろたま

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十二本脚の闇蜘蛛

 

 

「あんな化物、どうしろってのよ。あんなものが出てくるなんて予想できるわけないじゃない」

 

眼下にどっしり鎮座する異形を見やり、途方に暮れた様子でてゐが呟いた。既に例の落とし穴がやぶられた時点で、てゐの打つ手はない。もともとあれはノリで作ったような、彼女にとっても望外の罠だったのだ、次策はまったく用意していなかった。

 

「あれは、生物じゃないな」

 

「へ? なんで。あれ、ちゃんと動いてるじゃん。生き物じゃないならなんだっての?」

 

てゐの呟きに眉をしかめたままのウカノが答え、それにてゐは疑問だらけの顔で返した。ウカノの言ったこと然り、そして自身の言った事とはまるで無関係の事を返されたのだ、首を傾げもする。

異なる表情で浮遊する二人の眼下では、黒い靄を絶え間なく噴き出す異形がぎしりぎしりと唸っている。硬質に見えるその身体は、少し動くだけでも節々で軋みを訴えていた。だがその身体には一寸の損傷もなく、視覚で確認できるだけでも五体満足に見える。

 

その様子を冷めた目で観察しながら、ウカノは言葉を続けた。

 

「中身がない、まるで空っぽなんだよ、あれは。魂だって入っちゃいない……あれは、アイツじゃない、粗悪な紛いもんだ」

 

ウカノの言葉の後半は独り言で、ほとんど口の中で収まったために、てゐの耳で拾えたのは前半だけだった。どちらにしろ言葉の意味が詳細には伝わらず、てゐは首をかしげる。長く生きているてゐとて、かろうじて『魂』という概念を知っていてもその詳しい特性までは知らなかった。ましてや、『中身』とやらがどう生物云々に関わるのかあの言葉だけで理解できようはずもない。

 

「あのさー…あんたの言ってること、なんか自分だけで完結してない? あたしに言ってんのなら、もっと分かりやすく言ってよ」

 

てゐは口を尖らせながら言った。こちらの反応を窺うように情報を出し惜しみしているようなおかしな狐の少女のことも彼女には気に入らなかったが、それ以上に、先の見えない今の状況や得体の知れない化け物のことが彼女の心中をさらに波立たせていた。

 

そんなそわそわとしているてゐをよそに、ウカノの方はといえばせっつくようなてゐの口調を気にした風もなく、半ば無意識に先ほど自身が言ったことを補足するように言葉を紡ぐ。

 

「生物の定義って言えば、やっぱり生きてることだよな。けどそれだと、生きてるって何?みたいな話になる。これは結局俺の私見になるが、俺は生物が生物たらしめるのは、個々の意志の有無だと思ってる。知能の低い獣にだって、本能が、感情がある。立派な生物だ。が、今あそこで蠢いているやつは違う。なぁ、立て板に垂らした水が下に滑り落ちるのを見て、『この水は生きている』と言うか? あれも同じだ、成り立ちや法則が違うだけで、受動的にしか動いちゃいない。中身がないってのは、そういうことだ。今回のは魂云々以前の問題だし、そっちは置いとこう」

 

てゐは少し眉をしかめた。しかし首をひねりしばし沈黙する。

 

「…つまり何。あの化け物にはこの竹林を荒らす意志はなくて、ただ結果的に荒らされてるだけってこと? ふざけんじゃないわよ。というより、そもそもあれの意志の有無だとか、見てるだけなのになんで分かるのよ」

 

「見慣れてるから、かね」

 

「あんなのがごろごろいたらそれこそ“悪夢”だわ」

 

見慣れている、ウカノの言うそれは無論彼女の使う式神のことだ。紅花をつくる過程で生み出された式神達は、ほとんど意志を持たずウカノに道具として使われている。時折自分と同じ姿で唯々諾々と自分に従う式神に複雑な思いを抱きながらも、ウカノはそのことについては割り切っていた。

 

黒い異形ともっとも印象が被ったのは、昔紅花が暴走させた式神である。制御を外れ動き回っていたあれは、しかしその行動はどこまでも機械的だった。自身の意志など微塵もなく、自分の機構が働くに任せ暴れ回る。その式神の持つ独特な冷たさは、今眼下にいる黒い異形の持つ雰囲気ととても似通っていた。

そして“眼”で見通す限り、あの黒いものは魂を持っていない。あれが、自身の古い知り合いと同一でないことは確定的だった。

 

と、突然思考を邪魔するように黒い何かがウカノ目掛けて飛んできた。反射的に手でそれを払いのけるが、べたりと肩辺りまで何かが張り付いてしまう。少し不快な気分になりながらウカノが視線を動かすと、それがあの異形から伸びていることが分かった。

 

「きもっ、何それ!…ちょっと離れなさいよ、あたしにもつくじゃない!」

 

「酷いな。多分、蜘蛛の糸的なものじゃないか。何かに染まって未知の物体になってるが。いや、というより蜘蛛の糸を真似てるのかな」

 

自身に付着した不快な代物を分解させようとした時、単なるたんぱく質の固まりじゃないことに気づいたウカノが、ちゃっかり身を引いていたてゐに向かってそう言った。

なにか真っ黒い要素が、ただのたんぱく質の真似をしておかしなダークマター的なものと化している。しかしどんな代物であろうと、そこには存在するための法則が存在する。ウカノは改めて蜘蛛の糸の紛い物を構築している式を読み取り滅茶苦茶にかき乱した。

 

さらさらと消えていく黒いものに目を丸くし、しかしそんなことよりも、とてゐが異物を放ってきた異形を指差しながら少し声を荒げた。

 

「この際生き物だろうが、化け物だろうが何でもいいわ。それより! どうすんのよアレ!」

 

「被害が拡大する前に壊すよ。このまま行ったら俺の縄張りも荒らされそうだし。それにここで見失ったら次はいつ見つかるか…」

 

「負ける未来しか見えないんだけど。もう逃げていい?」

 

「竹林荒らした狼藉者を懲らしめようという心意気は?」

 

「勝算が見込めないと判断できた時点で、折れたわそんなもの。あたしはあたしが一番大事なの」

 

「そかそか。んなら勝算があればいいんだな」

 

冷静に戦力を分析しながら結論を出したてゐに、ウカノは小さく肩をすくめ首を振る。そして実体化させていた尻尾を三本まとめて霊体化させた。

 

その途端身を包む開放感、そうしてそれに乗せて、抑えていた力も同時に開放させる。

ウカノにとって最も効率よく力を振るえるのは、尻尾だけを霊体化させている状態である。全身を霊体化させていればむしろ物質界への干渉力を著しく欠き、かといって全身を実体化させていると魂が器という殻に閉じ込められ力を出しにくくなる。

ちなみにこのことは、時折自分の本体は尻尾なんじゃないかと悩む原因の一つにもなっていたが。

 

「は…。あんた、神の眷属とかそういうのだったの? 道理で“その筋”のお話を知ってるわけだ。妖怪の中にもそういう変わり者が極稀にいるって聞いたことはあったけど…見るのは初めてだわ」

 

ウカノの中で膨れ上がったのは妖力と、神力。てゐはその神力を借り物だと思いそう言った。実際は自前なのだが、異なる質の力を同時に発生させているという考えはそもそも彼女には浮かばなかった。

てゐの言う神の眷属とは、その立場ゆえに動きにくい神が他に干渉しやすくするために、その神の代行となるべく契約し力を与えられた存在のことを言う。聞こえはいいがその実は小間使いであることが多く、大抵は人間や動物がその対象なのだが、たまに妖怪を使う者もいる。

神に討滅を指示されたの?だとか、何で尻尾が消えてんの?だとかてゐの中で疑問が出てくるが、しかしそれが口から発せられる前にウカノの言葉がそれを遮る。

 

「なぁ、あれに効果あるような罠、まだあるか?」

 

「ないわよ…。あんなのに効くような罠、冗談じゃなきゃ作らない――ぁ、あ~、そういえば、一応使えそうなのが一つあったわ。罠じゃないけど」

 

けど、果てしなく使いにくいわよ。と補足し説明するてゐに、ウカノはそれでもいいやと頷いた。

 

「そうか。悪いけど、それでちょっと手伝ってくれ。正直俺一人じゃやばそうな相手だし、とは言ってもここで逃せない。やる時は君に任せる」

 

もうゆっくりしてられないとばかりに少しまくし立てながら言い切り、ウカノはてゐの返事も聞かず黒い化け物に向けて降下した。化け物は糸を飛ばした時からがさがさと快活に動き始めており、そのことがウカノを少し焦らせたのだ。

 

「はっちょっまっ! ……あーもー、適当すぎんでしょうが!」

 

そんなウカノにてゐも文句を言うが、すぐに意味の無いことと悟りウカノの降りた方向とは別方向へと身体を向けた。

 

「いっそのこと、このまま逃げてやろうかな…あいつなんかむかつくし」

 

 

 

 

ぱすっ ぱすぱすっ

 

軽く、気の抜けた音が幾度もウカノの耳に届く。これではまだポップコーンがはじける音の方が景気がいいじゃないか。そう心中で悪態をつきながら、強力な妖力弾を右手に凝集させる。

 

鈍重に、どしどしぎしぎしと動く黒いものに近づいたウカノが最初にしたことは、小手調べとばかりに妖力弾をばらまくことだった。しかし、その弾幕は全てそれの纏う靄に阻まれ、身体に当たることすら出来なかった。

 

「っ!」

 

数より質、二手目は一点集中の妖力弾を放つ。果たして、それはぼすっと最初とは違う音とともに靄に突っ込んだ。しかしそれと同時に見る間に妖力弾の力は失われてゆき、最後に小さな力のものが本体に届きはしたものの、外殻に阻まれ少しのダメージも与えられなかった。

あまりにも不自然な力の減退を目の当たりにし、ウカノはひとつ舌を打つ。

 

「喰われた、か」

 

考えてしかるべきだった。少し視線を巡らせて見れば、黒い靄に触れたものがぐずぐずと形を崩してゆく。ごっそりとは喰われてはいないが、在るだけでこうして浸蝕されていくのはよろしくない。そもそも、自身の追っていた足跡にそういう跡があったことを、今更ながらにウカノは思い出していた。

 

パキ ゴキ

 

突然聞こえた異音に、はっとウカノは黒いものに視線を戻した。それと同時にウカノに高速で迫る黒い巨大な鎌、ウカノは反射的に式符で左手に巨大な“手”を作りそれを防いだ。

ガッとぶつぎれた音とともに弾かれる黒い鎌、ウカノはそれが飛んできた方へと目をやった。

 

ウカノと黒いものの距離はおおよそ15mほど、それゆえウカノは油断していたとも言える。鈍重な動きをしていて、そして脚もそれほど長くないそれの攻撃がすぐにこちらに届くはずがないと、判断してしまったためだ。

が、その鎌状の脚の一本は、その距離を埋めてしまっていた。

 

「もう形も、お構いなしか…!」

 

パキ、ゴキゴキ。

先の異音の正体が、今度はウカノの目の前で展開される。地を踏みしめていた脚の一本がその異形の逆関節などお構いなしに気味が悪い光景を見せながら持ちあがり、そして距離が開いた場所にいるウカノに届くように、殺意に満ちたカタチへとその姿を変えてゆく。

 

しかしそこに殺気など微塵もなく、ただ目の前に何かを排除するだけの凶器が機械的に、無造作に振るわれた。

 

ガギィィッ

 

ウカノは今度は右手に形成した“手”でその鎌を払いのける。そうして、間髪入れずに再び振るわれた最初の鎌を、これまた左の“手”で防いだ。そしてまた逆の鎌が。次の鎌が。そのまた次も。

その間にもパキパキという音が響き、宙に浮かぶ狐を落とす凶器が徐々に増えてゆく。

 

そのまま押し切れるのは敵わない、その上回を追う毎に“手”が削れてゆく。こうして落とされるわけにはいかない。

急遽鎌をかわし、後ろへと下がりながら、今度は左手の式符を解体し、それらを黒いものにまるで砲弾のごとく飛ばした。式符は赤い軌跡を描きながら、その全てが高速で黒いものに殺到する。

ボンボボンと連鎖的に幾つもの爆音を響かせながら、爆炎が黒いものを包みこんだ。靄に式符が喰われる事を懸念し早めに破裂させたため、さしたるダメージは受けていないだろう。

 

ウカノはそんな事を考えながら、右手の式符を解体しそれらで頭上に術式を組み立てた。そして残りもので円陣を組み、それらをいくつも自身の前に羅列させる。

その姿は、いつかの戦神相手に使ったような巨大な砲門とほとんど同一のものだった。

頭上の術式がチカチカと明滅するとともに、それは凄まじい勢いで辺りの、そしてウカノ自身の禍気を吸い上げ、そして砲門へと惜しむことなく装填してゆく。

 

「ギギ■■ギギギ■ッ」

 

ごばっ、と集合する禍気を察知したのか、黒いものが爆煙を掻きわけ再びウカノの視界に現れた。

 

その瞬間、今まで明確には見ることの出来なかった異形の姿がウカノの目に映る。

その姿は、“全身真っ黒で、鋼のような剛毛がびっしりと生えており、全体的には『ずんぐりむっくり』という印象を与えた。”

 

「…っ!」

 

爆発によってか、一時的に纏っていた黒い靄が晴れ、はっきりと黒いものの姿を見ることが出来た。そして一瞬その姿にウカノも息を呑む。

その姿は、まさに禍蜘蛛(マガラゴ)、である。

 

八つの黒紫の目はどこを見ているのか分からないが、しかしその全てが残らず濁りきっている。身体には八本ではなく十二本の脚がついており、さらに先端には鋭い鎌がついている。そしてそのうち六本が無理やりに形を変え、ウカノを狙っている。

冷たい黒紫の複眼と目が合い、ウカノの中の何かが一気に冷めた気がした。こいつは、禍蜘蛛というより闇蜘蛛という方が相応しい。ウカノは拳を握り締め、沸き立つ感情を内に抑え込む。お熱い関係など築けそうもなく、むしろ絶対零度の壊し合いが、その瞬間改めて幕を開いた。

 

「存分にっ、喰らえっ……!」

 

ウカノが、殺意の塊、砲撃『大禍鬨』の引き金を引いた。

対する闇蜘蛛はどういうわけかそれに向かって、いや、ウカノに向かって地を蹴る。

景色を歪めていた禍気は一斉に極太の光線へと姿を変え、闇蜘蛛に向けて発射されたのは、それとほぼ同時。

 

そしてその姿が再び靄に覆われるのと、砲撃が激突したのもまたほとんど同時だった。

 

ゴオオオオオォォォォォォォォォォォォッ

 

以前使ったものほどではないものの、それでも有象無象を軽く蹴散らすほどの威力の砲撃。辺りを気にする余裕はほとんどなく、飲まれた竹は根付いた地面を離れ宙へと消えた。

だが、それほどの砲撃でありながら、闇蜘蛛の身体がそれに飲み込まれることは無かった。

 

上空から見れば、あるいはその光景は滝の中にある岩にでも見えたかも知れない。この時、闇蜘蛛の巨体は豪快に砲撃を二つに割っていたのだ。

太い光線が闇蜘蛛を起点に二股に分かれ、辺りを蹂躙してゆく。そしてその激流に晒されながら、なおも闇蜘蛛は前へ前へと脚を動かした。靄は禍気を次から次へと喰らい、しかし喰いきれない禍気が闇蜘蛛の外殻を削っている。だが、致命的なダメージなどまるでほど遠く、この攻撃自体が無駄であることにウカノは気づいた。

 

「ちっ!」

 

舌打ち一つ、術式を全てキャンセルする。すかさず後退しながら一度地へ降り、そしてその勢いのまま思いっきり地面を蹴って後ろへと飛んだ。

 

ヒュウッ ゴッ

 

次の瞬間には六本の鎌がウカノのいた場所に振り下ろされ、地を次々に穿った。

そして闇蜘蛛はそれには留まらず、他の六本の脚を動かし後退したウカノの後を追った。

 

(妖力、禍気は相性が悪い、と。どうっすかね…)

 

一方ウカノは自身に迫る闇蜘蛛を見つめ、不愉快な気持ちを同居させたまま、しかし存外冷静に状況を見極めようとしていた。

とんでもなく硬い堅牢な外殻に、触れるものを喰らい削ってゆく黒い靄。その二層に阻まれ妖力、禍気はまるで通じない。理不尽なほどの防御陣である。が、それでもウカノには次策はあった。

妖力禍気が無理ならば、残りの神力で

 

(いってみるか)

 

ウカノは禍気、妖力を仕舞い、神力を主体に体外へと放出した。神力はそれほど頻繁には使わない上に、戦闘に使うのはそれに輪をかけて少ない。ウカノは感じを確かめるように出したり引っ込めたりを二、三度繰り返す。

 

それらも一瞬のこと、ウカノは浮いていた身体が地に着くと同時に、弄んでいた神力を丸めた。そして再び後ろ向きに地を蹴り、それとは逆の方向、なおも迫る闇蜘蛛に向けて数十個の神力弾を放った。

 

清廉な光をたたえ輝く神力の弾幕は、刹那のうちに闇蜘蛛との距離を埋める。そして、それらの弾はウカノの目論見通り、闇蜘蛛と外界を隔てていた黒い靄をほぼ削られることなく突き破った。淡い白色の軌跡が黒い靄を切り裂き、その向こうにある闇蜘蛛の外殻に着弾する。

パァンッパァンッと断続的に破裂音が響き、黒いものを飛び散らせながら数十の神力弾がその役目を果たしてゆく。いくつもの弾幕が直撃してしまった闇蜘蛛の外殻は傷つき、部位によっては抉れてすらいた。

 

が、闇蜘蛛自身はそれに堪えた様子はなく、歩みはまるで止まらないままウカノへの邁進を続行した。

後ろ向きに後退するウカノに、それを追いかける闇蜘蛛。闇蜘蛛が攻撃を受けダメージを受けたにも関わらず、その構図はまるで変わっていない。そして忘れそうになるがここは竹林である。つまるところ、竹を避けながら移動するウカノと、竹をへし折りながらお構いなしに驀進する闇蜘蛛ではどうも分が悪い。空を飛べばいいのかも知れないが、それでも万が一を考え闇蜘蛛からあまり離れることは避けたかった。

 

「………!」

 

後退を続けていたウカノが今度は神力を通した式符で“手”を作った。そして急に後退を止めると、逆に闇蜘蛛の方へと真正面から飛びかかった。

待ちうけるは悪夢のような巨体と、六本の歪な鎌。

瞬きすらする暇も許されず、ウカノ目掛けて六本の鎌が同時に振るわれる。が、ウカノは予定調和とばかりに自身の二本の“手”を三本三本、合計六本に分割し鎌を迎え撃った。しかし巨大な一本の“手”ですら十分とは言えない鎌相手、さらに細分化させた“手”で相手をできるわけがない。拮抗は一瞬、六本の“手”は鎌を少しだけ止めて、そして呆気なく元のバラの式符に戻り辺りに散らばった。

 

だが、その一瞬こそがウカノにとってはこの上ないほどの好機だった。

 

ウカノは舞い散る式符に目もくれず地を蹴り、その一瞬止まった六本の鎌の間をすり抜け跳び上がる。そのまま闇蜘蛛の上を抜け、そして重力で落ちるのも待っていられないとばかりに空を飛び闇蜘蛛の後ろを取った。

 

ウカノは今度は後ろを振り向こうとする巨体を目にうつし、闇蜘蛛がそうしている隙に少し腰を落とし全身に神力を漲らせた。中でも右手には集中的に神力を籠める。時間にしてみればコンマ数秒にも満たない。だが、弾幕を撃つでもなく強化をするでもなく、はち切れんばかりに限界まで凝縮された神力が今か今かと解放を待っていた。

 

「――――ふっ」

 

はち切れんばかりに漲る神力の影響か、まるで空気のたくさん入った風船を手放した時のように、ウカノが射出される。およそ加速時間などなく、飛び出した時点で既に最高速。

そもそも闇蜘蛛との距離はそれほどなく、瞬く間にその距離を埋めたウカノは、まだ振り返りきっていなかった闇蜘蛛の胴体に向けて右拳を振りかぶった。闇蜘蛛の纏う靄が阻もうとするも、ウカノの皮膚は傷つけど皮肉にも致命傷にはまるで遠い。そんな淡い障害などモノともせずに、ウカノの右拳は闇を裂き闇蜘蛛にたどり着いていた。

 

ガツッ

 

そんな音が、闇蜘蛛の外殻と拳の間で鳴った。籠めた神力、また速度から考えても軽すぎる音で、闇蜘蛛もまるで傷ついた様子はない。

 

「――――」

 

いや、そもそもその当てた拳はウカノにとってはまだ過程に過ぎなかった。

 

闇蜘蛛の身体に拳をぶつけ、ウカノは次の動作に移るまでの間に時間が停止したような感覚に身を浸していた。それこそ、拳が当たったにも関わらず身体の勢いはまだ止まらない、それほど小さな細かい時間。拳と身体が連鎖的に止まるまでの、その間隙。

 

「――――喰、、、らえ!!!」

 

身体中の神力をその勢いに乗せ、右手の神力ごと右拳を媒介し、闇蜘蛛へと一息に撃ち出した。

二段階の射出。一点集中の、内部破壊がウカノの目的だった。

 

「ギ、ギ■、ギィィィィィィィィィィィ■■■■■■■■■■■■■■■ッ」

 

打ち込まれ、体内を蹂躙する神力に、たまらず闇蜘蛛は金属を擦りあわせような悲鳴を響かせた。後ろ半分はノイズばかりなせいで、とても耳障りなものにウカノには感じられたが。

それに間髪を入れずにボンッという音ともに、ウカノが拳を当てた反対側の闇蜘蛛の胴体が弾け飛んだ。黒いものがそこから大量に飛び出し、辺りに攪拌してゆく。

 

ウカノはばたばたと暴れだした闇蜘蛛から素早く飛びのき、少し息をついた。

 

「やっぱり、止めはこれになるかな……」

 

少し呟き、ウカノは絶対零度の表情で無慈悲に指を持ち上げた。

それに反応し、幾枚もの式符が宙を舞う。それはウカノの袖からではなく、闇蜘蛛の周囲からだった。そう、先刻散らばった“手”の成れの果て、使えなくなる前にばらし、伏せておいた式符だ。

それらは遠慮呵責一切なく暴れる闇蜘蛛の周囲を飛び回り、そして複雑な図形を描きながら囲い込む。それを完了すると式符は各々淡く光り、それぞれの式符同士で線を結んだ。

点は線に。線は面に。面は結界に。

なおも暴れ身を捩る闇蜘蛛を余所に、本気で対象を消し去るつもりの捕殺結界が闇蜘蛛をその内へと閉じ込めた。

 

そして、ウカノは結界を発動させるべく結界のスイッチに意識を向け、

 

「死―――」

 

 

ギュ ゴゥッ

 

 

しかし結界を発動させる直前、その一瞬で、唐突に発生した黒い竜巻が結界を吹き散らし粉々に破壊してしまった。本格的に発動する直前の捕殺結界、拘束効果こそあれど、それを上回る力に晒されれば壊れゆくのは当然の流れだった。そうしてばらばらになり、力を失った幾枚もの式符が今度こそ地に堕ち、そしてその形すらぐずぐずと失ってゆく。

 

「ぇ?」

 

天と地、まさに一瞬で変わってしまった状況に、ウカノの思考が停止する。

それと同じように、闇蜘蛛が回転を停止させた。一段と濃い黒い靄も、それにつられ少したなびきながらも竜巻を止める。闇蜘蛛が身体を捻っていたのは、苦しみ故ではなくこの布石だったのだ。

そうして今度は脚を折り曲げ、前傾姿勢を取り――

 

「!?!?!?」

 

ウカノにまともに見えたのはそこまで。闇蜘蛛の姿が霞み、次の瞬間には銛状に変わった脚に腹部を貫かれ、何mも運ばれて最後には地面に磔にされていた。何のことはない、闇蜘蛛が『もの凄く速いスピード』で近づきウカノの腹をそのままの勢いでぶち抜いただけだ。そして、他の鎌で手足を縫い付け、巨体もそのままのしかかり身動きがとれないようになっている。

そう、まるで、先ほどウカノ自身がやったことの再現のようだった。

ウカノが常時身体に張っている結界も、紙同然に破られていた。顔はかろうじて自力で避けていたものの、しかし時間の問題かも知れない。

 

「ご、、ごぶっ」

 

肉体の仕組みに沿い、収まらなくなった血が口から溢れだした。久しく忘れていた熱い感覚が腹の辺りで蘇ってきている。

痛みなど、今更ウカノの精神を苛むことはなかったが、しかしこうして靄の近くにいすぎるのは危なかった。ましてや闇蜘蛛の身体が体内まで入り込んでいるのだ、そうして入った靄が万一魂の方にまで影響が出ては事だ。一応能力で無力化することは出来ても、それでもこのまま貫かれたままなのはよろしくない。

どてっぱらに風穴を開けたままウカノは思考する。

 

 

鈍重を装っていたのはブラフか。いや、まだ本調子じゃなかったのか。しかし、紛い物と侮りすぎた、オリジナルには及ばずとも、今の俺には十分過ぎる。というか顔ぶち抜かれたらかなりやばくないか。

いや、今はそんなことはどうでもいい。

身体の修復。まずはこいつの銛、鎌を抜いてからか。

霊体化して脱出。鎧脱いでこの靄の中に生身の魂を晒せというのか。博打すぎる。

式符、いや、式玉を使って一旦こいつの身体ごとどかす。いや、手足が動かせないしその上丸ごとのしかかられてるせいで取り出すのに時間かかりそうだ。

 

……あれ。俺結構やばげ?

 

 

そうウカノが思った瞬間、凄まじい衝撃と轟音とともに闇蜘蛛の身体が大きく傾いだ。

 

 


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