東方空狐道   作:くろたま

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赤黒い地の底で

 

 

むき出しになったごつごつとした地面にある、巨大な皹割れたような空洞。その向こうにはコールタールのようなどろりとした闇が広がり、生者の侵入を拒んでいるようにも見える。そこから質量すら感じさせるほど濃密な『禍気』が、飽和状態をこらえるかのように漏れだしていた。

黄泉への入り口。生者でここに入りまともでいられるものは、それこそ地上では一握りだろう。なにせ死者でさえここの環境では変質してしまうのだ。

 

俺はこの場所を知らなかったためイザナギに案内されて来たのは、先刻のことだ。入り口から見えた中同様しばらく濃厚な闇が広がっていたが、もうしばらく奥へ行くと少しずつ闇が晴れていった。それでも薄暗く、むしろうっすらと見えるだけの周囲の風景には寒気すら感じる。赤や黒や茶や、そんな色が滅茶苦茶に混じったような地肌がむき出しになっている。第一印象は、汚染物質で完全に汚染された荒廃した大地といったところだ。以前俺が行った地獄も、この風景と比べればまだましだ。獄卒の鬼がいたぶんこちらより断然過ごしやすかったとも言える。彼らは人ではなかったが、ある意味とてもまっすぐな気性をしていて付き合う側としては気分が良かった。

 

しかしここはどうだ。濃密な『禍気』は目に見える風景すら歪ませているようで、ただただ禍々しい。そして身体に纏わりつきこちらの歩みを遅くさせた。かなり強力な部類の『禍物』である俺でさえ、あまり長くいると俺が俺自身でなくなってしまうだろう。

 

「…イザナギ、イザナミさんがどこにいるかは分かるのか? どうやらここの広さ、半端じゃないぞ。元が天界の反作用であることを考えると、それも当たり前か」

 

「ふ、我は長き時をイザナミとともに過ごしてきたのだ。我にイザナミについて分からないことなどは無い。…うむ、それほど遠くはない、イザナミも我に気づいたようだ。それに、どうやらまだ『イザナミ』のようであるな」

 

「だがここにくるまでも時間がかかったんだ。あまり、時間も無いだろう。急ぐぞ」

 

「うむ」

 

俺にはまったくイザナミさんの居場所が分からないので、俺はとにかくイザナギについて行くことしかできない。特にこの場所は『禍気』が濃すぎて、他の何かを感じるには俺の感覚は鋭すぎた。どれだけ嗅覚が優れていようと、激臭の中では役に立たないといったところだろうか。

 

 

「む」

 

しばらく行ったところで、前を進んでいたイザナギが止まった。てっきりイザナミさんを見つけたのかと思ったが、前にも、そして周囲にも誰もいない。ただ死の大地がどこまでも続いているだけだ。

 

「どうしたんだ、イザナギ。急ぐんだから、立ち止まってる暇はないだろ」

 

すると、イザナギは不思議そうな顔をして俺のほうを見た。そして前の空間に両手を伸ばすと俺にこう言ったのだ。

 

「何を言っているのだ。イザナミならここにいるであろう」

 

「え?」

 

首を傾げてイザナギが両手を伸ばしたところへと目を向けるが、そこにはやはり何もいない。訝しげな視線をイザナギのほうへと向けると、イザナギは反対に呆れたように言った。

 

「ウカノ。ヌシは『眼』を閉じているではないか…その状態で魂を見ることができるはずがなかろう」

 

「???」

 

そのイザナギの言葉にさらに首をかしげる。俺は今こうして眼を開いているはずじゃないか。

俺はもう一度イザナギの両手のあたりを眼を凝らすように見つめた。俺に分からないことを言っていても、基本的にイザナギの言っている事は全て正しい。なので俺はイザナギの言葉に従い、『眼』が開くようなイメージを浮かべるのだった。

 

すると、目に見える風景が途端に変わった。具体的に言えば視界が広がり、今まで見えなかったようなものが見えるようになった、という感じだ。後々気づいたことだが、どうやらこのときの俺は眼の擬態を外し、禍物狐としての眼に戻していたらしい。丸い瞳孔が縦に割れ、金色も増していたようだ。まさにイザナギの言うとおり俺は『眼』を閉じていたのだ。

 

その状態でイザナギの両手の先に見えたのは、漆黒と紅蓮が混ざったようなぼんやりとした光の塊である。さらに良く見るようにすると、それに重なるように半透明のイザナミさんの姿が視界に浮かんできた。

この環境にあって、イザナミさんは変わらず穏やかに笑っていた。赤い何かを大事に抱えるようにして。

 

ぱくぱくと半透明のイザナミさんの口が動き、それに合わせてイザナギが頷く。なにやら話しているようだが、俺にはさっぱり分からない。イザナギの顔が驚いたり暗くなったり複雑そうになったり嬉しそうになったりするのをただ見つめているだけであった。

 

二人の話に区切りがついたところで、俺はイザナギに何を話していたのかを聞いた。

 

イザナギが言うには、イザナミさんは既にギリギリの状態らしい。つまり、完全に変質し彼女の本質が暴走してしまうのも時間の問題だとか。なのでイザナミさんをここ、黄泉の奥に封印してしまうらしい。封印式には魂の浄化式も含め、長い時間をかけて歪みを戻し天界に戻すという計画だそうだ。…概算では億単位の時間がかかるらしいが。

因みに、二人の子、カグツチの魂はイザナミさんと一緒にいて、しかも融合しかかっている。それをゆっくりと剥がすことも含めての、気の遠くなるような時間の封印のようだ。

 

カグツチの名前は産まれる前から決めていたらしく、ここに来てようやくちゃんと名づけることができたと、複雑そうな中にも嬉しさを見せながらイザナギはそう言った。愛せるのか、と問うと、『我らが愛さなければ誰が愛するのだ』と当たり前のように言われてしまった。かくも深きは親の愛、とな。本当に、幸せ夫婦だよ、イザナギとイザナミさんは。あんなことがあったというのにな。

 

 

封印場所に選ばれたのは、イザナミさんと出会った場所からさらに少し行った場所。擂り鉢状に窪んだクレーターのような場所の中心である。

イザナミさんがそこに立つと、イザナギは地面に宙に、無数の線を描いていった。さらにはそれと符合するように何本かの短い線でできた記号をいくつも連ねてゆく。イザナミが教えてくれた封印式の術式であることに気づいたが、今までに無いほどにそれは強固なものだ。普通の術式に注げる力の限界値を桶一杯分とすると、これの限界値は湖ほどはあるだろうか?

 

その間俺はと言えば、状態ができるだけ進まないようにと簡易的にイザナギがイザナミさんの周囲に張った結界の補強を行っていた。力こそ注げないが、術式に干渉することぐらいは俺にでもできる。

イザナミさんはその様子を、にこにこしながら眺めていた。その間中もずっと、大事そうに何かを抱えているが、それが気になった俺は少し身を乗り出した。イザナミさんもそれに気づき少しかがんでくれる。

イザナミさんの腕の中にいたのは、一人の赤子である。紅蓮色の髪が既に生えていて、穏やかにすやすやと眠っていた。それを見て、俺は安堵するように息をついた気がする。どうやら幸せ夫婦の子供も、いつの日か幸せになれそうだと。

 

 

 

イザナミさんに少しだけお礼を言った後、俺は術式が完成したと言うイザナギについて窪地の外へ出た。これからイザナギが力を注ぐことでようやく封印術が発動する。

イザナギは術式を束ねるような場所に天之尾羽張を刺しており、それを中心に術式全体へと力を行き渡らせ行く。

その操作自体は非常に順調に進んで行き、何も無く終わると思われた。が、異変が起きたのは終盤にさしかかったころである。

 

「――――――!」 

 

身体を押さえて、イザナミさんが苦しみ始めたのだ。口からは音にもならない悲鳴が漏れ、俺達の目の前で何かがイザナミさんを変えていく。封印式には魂情報保存効果も仕込んであるようなのでイザナミさんそのものが消えてしまうことはもうないのだが、それでもこの様子を見ていて心中穏やかでいられるはずがない。

 

そして、その変化は直に臨界点を越えた。

 

 

「――――■■■■■■■■■!!!!!」

 

音にもならなかった悲鳴が、ある時を境に空気を揺るがす大叫声へと変わる。だがそれは到底人に発音できるようなものではない。それと同時にイザナミさんを中心に真っ黒な靄のようなものが噴出し、イザナミさんを覆い隠してゆく。そしてそれだけに留まらずイザナギの構築し完成しかけていた封印とぶつかり凌ぎを削る。見たことも無いほど強固だったはずの結界は、その黒い靄に押されぎしぎしと音を立てて軋み始めた。

 

「イザナギ!」

 

「……っ…っ!」

 

かなりまずい状況に思わずイザナギのほうを見るが、イザナギも脂汗を大量に流しながら力を止まることなくどんどん放出している。前代未聞の大封印なのだ、他にかかずらっていられる暇は無いだろう。しかし、封印はそれに構わずなおも軋みをあげる。黒い靄は完全に封印内を埋め尽くし、イザナミさんの姿は全く見ることができない。

 

「くそっ」

 

俺は封印術式に手を触れた。じゅっと、すさまじい熱さが伝わるとともに手が焼け爛れてゆく。しかし、俺はそれに構わず術式へと介入した。

確かに、この術式は今まで見たことの無いほど高度なものだ。イザナギにとっても最高のものを作ったのだろう。しかし、こと術式の構築技術ならば、『式』に特化した能力を持つ俺はイザナギの上を行く。

綻んだ部位を補強し、そしてより緻密に強固に術式を後付けで構築してゆく。今の状況で基盤の術式をいじれば、一気に崩壊してしまうだろう。だがその上から被せてゆくような形をとれば問題ない。

 

そして、どれほどの時間が経っただろうか。

 

イザナギと俺の疲労がピークに達した時、途端に封印が収束し始め、黒い靄も押し戻してゆく。そしてぎりぎりまで収束すると、封印から真っ赤な炎が溢れだし封印を覆っていった。炎は際限を知らないかのように窪地に溜まっていき、淵でようやく止まった。深紅の炎はまるで海のようにそこで波打っている。

 

イザナギも俺も封印が完成したことを悟り、深々と息を吐き出した。

 

 


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