イザナギが天に上って1500年ほど。俺の尻尾がとうとう九本になった頃に、ようやくイザナギが帰ってきた。
そのときはもうほとんどの禍物の姿は消え、妖怪が世界主流の異形となっている。ちなみに妖怪とは人間の呼んでいた呼称だ。俺も彼らだとか異形だとか言うのは分かりにくいので、妖怪に統一することにした。しかし妖怪とは、なかなか言いえて妙ではないか。妖しき怪異とな。まさに人間側からすればそんなところだろう。
今の地上をイザナギが見たらどう思うだろうか? 妖怪の出現に困惑するか、禍物の消失に驚愕するか、予想通りの結果に満足するか。
それはともかく、突然俺の家にやってきたイザナギは一人の少女を連れてきていた。髪や顔はイザナミさんに似ているが、雰囲気というかそういう感覚的なものはイザナギに似ていた。髪は頭の横で二本に縛っており、この時代にはそぐわないが、彼女にはとても似合っていた。
「久しぶりだな、ウカノ」
「…ああ、本当に久しぶりだ。千五百年ぐらいだったか、結構長かったな」
最低でも千年、とは言っていたが、振れ幅五百年は長すぎる。そう思った俺は、少々不機嫌さを混じらせながらイザナギに暗に理由を聞くと、イザナギは渋い顔をして言った。
「回復は予想通り千年と少しで完了したのだがな。しかし少々仕事が溜まっていたようで、上の連中に引き留められておったのだ…あそこは人は多いのだが怠け者も多い。時折我らにしわ寄せが来るのだ」
「なんだそりゃ。天界の癖に世知辛いな、おい。怠け者が多いって、天人の気風か? 高貴なお人は仕事はしませんってか?」
「どうだろうな…しかし地上人は勤勉であるのに情けない。それでウカノ、ずいぶんとまた尻尾の数が増えたのではないか。それいったいどうなっておるのだ」
「俺に聞くなし。俺だって知らんよ。まぁどうせ九本で頭打ちだろ」
現代で聞いた話では九尾の狐が最多だったはずだ。十尾だとか聞いたことないし。あれ、そもそも俺は妖怪九尾に分類されるんだろうか。反霊気というか妖気?は持ってるけど、元は禍物だしな。
「ほんとだ、すごい! ねぇねぇ、その尻尾私に触らせて?」
と、イザナギと話していると、イザナギが連れてきた例の少女が口を出してきた。イザナミさんとは違いずいぶんと活発そうな子だ。別にイザナミさんが暗いと言ってるわけじゃないが。きらきらとした目を向けている先にあるのは無論俺のもふもふの尻尾である。とっさに俺は尻尾を背中にかばった。しかし、九本だ。俺の小さな身体では隠しきれない。擬態して隠してしまえば良かったのだが、そのときの俺は慌てていて思いつかなかった。
「おいイザナギ、誰だこの娘…ってぎゃあぁぁぁ! ひっぱるな! 痛い、痛いって!」
その少女は瞬間移動のごとき速さでイザナギの後ろから俺の横に移動すると、俺の尻尾をもふり始めた。それも、それがあまりに熱烈であるために、少しひっぱられて正直痛い。強烈な痛みよりも、こういう地味な痛みのほうが存外響くものだ。
「む、すまぬ。…こら! 勝手にそういう事をしてはならぬと、いつも言っているだろう!」
「だって父様!」
『父様』だって。なんだか親子みたいだな。もしかして、もしかするのだろうか。
イザナギは少女を引き剥がすと、少女の腕をつかんだまま再度俺の前に立った。少し尻尾の毛が持っていかれたが、笑って許すのが大人げあるだろうか。
「すまなかったな、ウカノ。この娘は我らの娘、アマテラスという。補佐はイザナミのはずだったのだが、しばしの間地底から動けなくなってしまったのでな、代わりに連れてきたのだ。が、イザナミに似て可愛いものが好きでな。それにイザナミと違って遠慮せぬから困っておるのだが…というわけで犠牲になってくれんか」
「嫌じゃ!」
神が『人柱になってくれ』とか冗談じゃなさすぎる。しかし、アマテラスか。こちらではアマテラスはカグツチの姉になるのだろうか? ずいぶんと子供っぽいが。とはいっても、流石神の一柱といったところか、持っている力は大きい。まぁ、俺よりも幾分か大きいというぐらいで、イザナギとは比べるべくもないが。
イザナギはアマテラスを俺のほうへ少し押し出した。
「アマテラス、彼女はウカノミタマだ。地上にいる間は世話になるだろう」
「はじめまして! アマテラスです! よろしく、ウカノミタマちゃん!」
「ウカノでいい。そして『ちゃん』をつけるな」
世話になるっつっても、俺は大して何もしたことないけどな。イザナミさんの封印式の時にちょっと手を貸したぐらいで、あとはイザナギの家でごろごろしていたぐらいか。そういえば、イザナギはどこに住むのだろうか? 前住んでいた場所は、千五百年経った今でさえぺんぺん草一本生えていない。神殺しの炎はどうやらあの場所の生気すら焼き払ってしまったらしい。はて、あの場所に生物が蘇るのはいつのことやら。
「よろしくね、ウカノちゃん! 尻尾と耳触らせて!」
「聞いてやしねえ。それと触らせるのは嫌だ、お前引っ張るもん。俺だって痛いんだよ」
「うむ、それではウカノ、我は丁度いい土地を探してくるからな。この辺りは森ばかりで少々我らには不便なのだ。というわけでだ、アマテラスのことはしばらく任せたぞ。終わったら迎えに来るのでな」
「へ? …世話になるってそういうことか! おいイザナギ! 俺を円形脱毛症にするつもりかっておい、行くな!」
訴え虚しく、イザナギは俺とアマテラスを置いてどこぞへと飛び去っていった。その場に残ったアマテラスは、止めていたイザナギがいなくなればもう歯止めは効かないわけで。
「ウカノちゃん!」
「どぅぁ! 結界!」
「え? はぶっ」
襲いかかってきたアマテラスを遮断結界で物理的に止めると、俺は溜息をついた。落ち着いた俺は尻尾や耳を隠せることを思い出し、耳も、尻尾も九本全て擬態して隠してしまった。アマテラスは『あー!』とか言いながらしょぼんとしていたが、罪悪感は大して感じない。イザナミさんとの人徳の差を思い知るがいい、小娘! …俺のほうが年下だろうか。まぁいいや。
「はぁ…とりあえず、上がってけ。前、茶の木に似たものを見つけたからな、茶ぐらいは出そう」
「あ、うん!」
そういうと、アマテラスはおとなしく俺についてきた。尻尾や耳の絡まないアマテラスはずいぶんと素直だった。
ちなみに、俺の家は昔に建てたものとはもう違う。何度か壊したりして建て直してきたが、これは何代目だろうか。どちらにせよ、普通に建っている間は俺が組成式を固定しているため、腐ったり劣化したりということはなく、自然に朽ちたものはひとつとしてない。昔は低気圧や強風に破壊されたこともあったが、結界を使えるようになってからはそんなことも一度もない。
今の家の構想は純和風といった感じだ。
俺は引き戸をからからと開けて、アマテラスを中に入れた。アマテラスは和風の家が珍しいのか、ずいぶんときょろきょろしていたが。
イザナギがアマテラスを迎えに戻ってきたのはそれから三週間ほど経ってからだった。その間俺の精神力はアマテラスの苛烈な攻めによってがりがりと削られ、最終日にはせめてアマテラスが尻尾を乱暴に扱わないことを条件に妥協したぐらいだ。しかし、その特訓?のお陰か常時結界を張り続けていられるようになったのは幸いである。
アマテラスの帰った後に、俺が少しくたびれた尻尾の手入れをしていると、小さなはげを見つけて涙したのは蛇足である。次の日には元に戻っていたので結果的には俺の精神はぎりぎりで平穏に保たれていた。
そして、俺はこんなことはこれで最後だと思っていた。
イザナギの定住地が決まってからはむしろ、頻繁にアマテラスが俺のところに遊びに来ることや、イザナギの地上における魂循環システムや彼岸づくりなどの仕事をなぜか手伝うことになるなどは、この時の俺は知る由もない。
それでも、そんな日々に不満を感じなかったのは、何だかんだいって俺が彼らのことを好いていたからだろう。
騒がしい毎日だろうと、充実しているというのならば、それはきっとこれ以上ない幸せなのだ。
なんだか短いな…