天使の兄で、魔王の弟   作:神谷九十九

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きくりアルコール

 

 最近、音楽に対する忌避感が薄れつつある。俺が音楽を失い塞ぎ込むようになったあの日は、もう二度とベースに触れることはないと思っていた。

 しかし今では、ギターヒーローや結束バンドに影響を受けたり、姉さんが協力してくれたりする中で、少しずつ俺の音を拾い始めている。

 結局まともにベースも弾けない体たらくではあるのだが、そんな現状を変えてくれる可能性がある人物に心当たりがあった。正確に言えば思い出した。先日のぼっちちゃんの吐物で連想されたあのベーシストだ。

 吐物で連想されることから察せられるが、ちょっとアレな人だ。いや、ちょっとじゃなくてかなりヤバい。酒好きなのはいいが、常に酔っ払っていて吐きまくるのだ。そして吐いた分また酒を飲む。流石に心配になって酒を減らすように言ったのだが、逆に俺が大量に飲まされた。あの時は本当に死ぬかと思った。

 何故そんなに飲むのか聞けば、嫌なことを忘れるためだと言う。幸せスパイラルだなんて呼んでいたが、闇が深そうだったので突っ込まないでおいた。今思えば、あの時大量に飲ませたのは、俺にも嫌なことを忘れて幸せになって欲しかったからなのだろうか。…いやそんなわけないな。一人で飲むのが寂しいだけだろう。

 ここまでならちょっとで済んだ……多分済んだのだが、問題はライブである。観客に酒を吹きかけたり歌詞をとばしたり…顔面を踏みつけたときは流石にドン引きした。泥酔しながらライブするせいで機材を壊し、弁償で金欠になると酒代をせびる。何度か奢ったが返ってきたことはない。

 こんなダメ人間でも、音楽に関しては非常に頼りになる。それこそ、滅茶苦茶なライブをしていてもチケットノルマを余裕で売り捌けるくらいには、人気があるのだ。このダメ人間が率いるバンド──SICKHACKは。

 大衆にうけるものでもないが、俺は初めて聞いたときに、ギターヒーローのときと似た衝撃を受けた。惹かれるという点では同じだが、心を揺らすというより掴むような、奇妙な感覚だった。ギターヒーローが自分から近づきたくなる光なら、SICKHACKは向こうから引き摺り込んでくる闇だ。そしてそれに身を任せたくなる魅力がある。

 そんなこともあり、現状の改善のために頼ろうと思い至ったのだが、ダメ人間部分が強すぎて躊躇っている状態だ。こちらから連絡しようものなら、それはもう嬉々として応えてくれるだろうが、絶対に酒は飲まされるし奢らされるしダル絡みされる。また吐物の処理だなんてしたくない。

 普段から酔っ払っているせいで周りからぞんざいに扱われているので、結構ちょろいところもあるのだがそれ以上に面倒くさい。出会ったばかりの頃にベースを褒めたことがあったが、それで調子に乗って甘えるように酒代を要求してきたときは三歩程距離を離した。無意識に防衛本能が俺の足を動かしていた。

 ここまでを踏まえた結論として、やはり現状のまま姉さんを頼ることに決めたのだが…噂をすれば何とやら。丁度良くて悪いこのタイミングで、そのベーシストから連絡がきた。なんとも言えない気持ちで画面に表示された『廣井きくり』の文字列を眺め…ため息をついて通話に出ることにした。

 

 

 

 

 電話で指定された公園に行くと、ベンチで大量の酒を飲む酔っ払いを見つけた。帰りたくなってきた。公共の場で何をしているんだ。子供が泣くぞ。

 正直、非常に近寄りたくないのだが、呼ばれた以上は話しかける必要がある。周りに誰もいないことが不幸中の幸いか。重い足取りで公園に入り、鼻を刺激する酒の匂いに顔を顰めつつ声をかけた。

 

「お久しぶりです。廣井さん」

「ひさしぶり~元気してたぁ?」

「はい。最近は割と元気ですかね」

 

 近づくのを躊躇う程の酒の匂いが、廣井さんが吐く息によりさらにキツくなった。酒飲んでないのに酔っ払いそうになる。

 相当飲んでるな…やけ酒か何かか?

 

「前会った時より随分良くなったみたいだね」

「…そうですか?」

「お酒でも治らなかった君の性根が、少しずつ矯正されてるようでお姉さん嬉しいよ」

 

 出会って早々酷いこと言うなこの人。否定はしないが。あと俺に飲ませたのに性根どうこう関係ないだろ。

 無言で酒を渡してくるな。飲まないから。顔に押し付けるな。やめっ…全然やめないなこの人!?

 仕方なく酒を受け取りつつ要件を聞くことにする。…もしかして、こういうとこで甘いからダル絡みされるのか?

 

「で、なんで呼んだんですか?話だけなら電話でいいですよね?いきなり公園に来いとだけ言って切るのやめてください」

「それでも来てくれる後輩くんは優しいね~」

「その後輩くんってのなんですか?大学違いますよね」

「え~ダメ~?大学違っても人生の先輩だよぉ。名前は嫌なんでしょ?」

「……まぁ、そういうことなら後輩くんでもいいですけど」

 

 廣井さんに人を気遣うことができたのか。何も考えず適当に喋ってると思ってた。そんな良心があるなら金返してくれ。

 

「後輩くんを呼んだのはね~今ちょっとお金がなくて困ってて…」

「また金ですか。まだ返されたことないのに」

「いや~ははは……」

「笑いごとじゃないんですけど」

 

 この人の中には酒とベースと金しかないのか。俺はなんで一瞬でもこんな人に頼ろうと思ったんだ。もう千円だけ渡して帰ろうかな。

 

「あのね、さっきピンクのギターの子と路上ライブしたの。その子からライブのチケット買ったら、帰りの電車賃なくなっちゃって…」

「え、まさかぼっちちゃん?」

「やっぱり知り合い?チケットにスターリーって書いてあったから後輩くんに電話したんだよ~あの子ぼっちちゃんって呼ばれてるんだ~」

 

 なんということだ。あの陰キャコミュ症が酔っ払いと路上ライブだって?信じられない。これは成長と呼んでいいものか…

 ぼっちちゃんに悪影響がないといいが…まさか飲まされてないよな?流石に未成年に飲ませる程バカではないはず…多分。

 

「それでね?スターリーに貢献した私に電車賃と…お酒も欲しいかな~なんて……」

「……はぁ。わかりました。一軒だけ奢ります」

「やったぁ~また一緒に飲めるね!」

 

 また甘やかしてしまった。こうして喜ばれるとどうにも……

 今更取り消すのも無理だし、今日は飲むか。コンビニ寄って消臭買おう。虹夏に酒くさいとか言われたら泣く。

 

 

 

 

 適当に近くの居酒屋に入る。特に理由はないが、いつも最初は梅酒を頼んでいる。つまみは唐揚げにした。

 

「梅酒か~変わらないね~」

「まぁ変える理由もありませんし」

「……最近何か良いことあった?」

「なんですか急に」

「いや~性根が矯正された理由が気になって」

 

 まだ性根どうこう言ってるのか。そんなに酷いか?…酷いか。姉さんに迷惑かけてばかりだし。

 何かあったかと言われると…ベースを弾いたことか。まともには弾けていないが、姉さんのおかげでまたベースに触れた。自分にとってはかなり大きな一歩だと思う。

 

「俺のベースの話ってしたことありましたか?」

「ん~?昔やってたってことだけかな~」

「じゃあ、そこから少し話しますか。ベースやってたのは中学の三年間だけでした。バンドも組んで、毎日楽しく過ごしていたと思います。でも、三年の文化祭ライブでメンバーと喧嘩してベースを辞めました」

 

 懐かしいな。あの頃はまだ純粋で、ずっとベースを弾いてるものだと思ってた。三年で辞めるなんて想像もしてなかった。

 喧嘩したメンバーとは精算以来会ってないが、今偶然会ったらどうなるのだろう。俺はあいつらにもう何も思うことはないが、向こうはまだ気にしているのだろうか。

 

「喧嘩してバンド解散~ってことならわかるけど、なんでベース辞めちゃったの?一人でもベースは楽しいよ~」

「俺もそう思って、解散後にベースを弾いたんです。それが最近あったことにも繋がるんですけど、聞くに堪えないというか、酷い演奏だったんです。楽しいと思えなくて、音に悪感情しか乗らない状態で。それが嫌でベースを辞めて塞ぎ込んでた時もあったんですけど…まぁいろいろとあって、最近もう一度だけベースを弾いたんです。酷い演奏のままだったけど、ちょっとは前に進めたかなって」

「へ~いろいろも気になるけど…私と初めて会ったときはまだましな方だったんだ?」

「あぁ……そうですかね。解散したばかりの頃は家族と目を合わせない程でしたし。音楽自体から離れていた気もします」

 

 仮面で隠しているのをましと言えるかはさておき、廣井さんと会った頃には、音楽を聞くことに抵抗が無くなっていた。自分の演奏は嫌いでも音楽は嫌いじゃない…思えばこれも姉さんが気付かせてくれたんだよな。

 

「重度のシスコンな君に、家族と目を合わせない時期があったんだね~結構意外」

「まぁ…否定はしません」

「私も君のベース聞いてみたいな~今から弾けない?」

「え?普通に無理ですけど。そもそもベースありませんし」

 

 姉さん以外にあんなベースは聞かせられない。現状の改善をこの人に頼るなら聞かせるべきだろうけど、どうにもなぁ…

 そういえば、家族以外に中学の話をしたのは初めてだ。なんで話せたんだ?無自覚に俺の心の整理ができているのか、廣井さんに特別な何かがあるのか…酒の勢いかもな。

 いっそ俺も泥酔してベースを…?いや、やめよう。絶対にこの人のようになってはいけない。虹夏に嫌われるようなことはもうしたくない。

 

「ベースなら私の"スーパーウルトラ酒呑童子EX"が…」

「どこにあるんですか?」

「…え?…………あ~公園に置いてきたかも~」

 

 適当だな。相棒じゃないのか。もっと大事にしてやれよ。名前長いし。

 そこそこ飲んだしもう帰ろうか。駅に行くついでに公園に寄ってベース拾えばいいだろ。

 

「そろそろ帰りますか。会計して来るので外で待っててください。ベース拾って駅行きましょう」

「え~もう帰るのぉ~飲み足りな~い」

「奢ってるだけ感謝してください。ほら立って、歩いてください」

 

 駄々をこねる廣井さんを引っ張って店を出る。本当に面倒くさいなこの人。ベースと顔以外良いとこないぞ。甘やかす俺も悪いけど。

 こんなダメ人間なのに、何故か嫌いにはなれない。やはりこの人に特別な何かがあるのか、俺がおかしいだけなのか。

 

 

 

 

 ベースを拾って駅に向かう道中、前を歩く廣井さんが急に立ち止まって振り返った。見る物を吸い込むようなぐるぐるとした瞳と目が合う。こちらを見透かすような、仮面の奥を掴まれたような感覚。そうだ。この目だ。初めて会った時から、俺はこの目に──

 

「帰る前に一つだけ言っておくね。──君の敵は誰だ?」

「俺の…敵……」

「しばらく一人で考えてみてよ。時間はたっくさんあるから。じゃあね~」

 

 そう言って、廣井さんは帰っていった。俺は少し呆然として、また歩き出した。考えるのは後にしよう。今は速く帰って虹夏と姉さんに癒されたい。酔っ払いの相手は心身共に疲れる…そういえばあの人、今日は吐かなかったな。

 

 

 

 

 帰宅後、連絡を忘れていて虹夏に怒られた。ごめんなさい。

 

 

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