今日は日差しは暖かいものの風が強く吹いており、最近にしては珍しく少し肌寒く感じる。
春過ぎということもあって長袖もそろそろ暑いかなぁと思っていたのに、こういう日があると体調を崩す子も出てきそうだ。
脳裏によぎったのはツルマルツヨシちゃん。
今日もまた重装備になっていないだろうか。
「そうだ、ビーフシチューでもつくろうか」
こういった日は温かいものを食べるに限るし、なぜビーフシチューかと言われれば、先日タイキちゃんがバーベキューをやったときに余ったからと牛肉のブロックをお裾分けでくれたからである。
だいたい1キロぐらいあるんじゃなかろうか。
そんなことを思いつつ冷蔵庫を開いて他の材料を取り出していく。
玉ねぎ1つ、にんじん1本、葉っぱを除いたセロリ1本、にんにくを3欠け。
トマトペーストはあるけど店で出すものでつかうから、代わりにトマトジュース200ミリリットルを使用。
赤ワインを200ミリリットル、チキンブイヨンもないから顆粒コンソメをお湯で溶かしたものを500ミリリットル。
デミグラスソースは冷凍のパックをだいたい400ミリリットル使う。
市販の缶詰めでも良いけど、缶詰め独特の匂いが移ってることがあるからできるだけ冷凍のものの方がいい。
と言うことで作っていこうと思う。
ーーー
まず初めに野菜の大きさが均一になるように、玉ねぎは3cm大、にんじんは厚さ1cmのいちょう切り、セロリは3㎝大、にんにくは半分に切る。
次に牛肉を5〜6㎝ぐらい大きめに切り、塩、こしょう各適量を片面にふったら上下を返し、同様に塩、こしょうをふって下味をつける。
その後フライパンにサラダ油適量をひいて中火で熱し、肉の表面を焼きかためるイメージで全体にしっかりと焼き色をつける。
すると長時間煮込んでも形が崩れず、肉の存在感が際立った仕上がりになり肉の旨みがしっかりと閉じ込められるのだ。
そうしたら肉はいったん別皿に取り出して火を止める。
フライパンに赤ワインを入れ、フライパンに残った肉のうまみを赤ワインで洗うように溶かしておく。
これはあとで使うので捨てずに置いておく。
人サイズで4、5人分の分量であるため深さ15センチ程の鍋を用意し、サラダ油適量をひいて強めの中火で熱し、先程切った玉ねぎとにんにくを入れて塩を小さじ二分の一ほどふる。
塩を振ることで玉ねぎから水分が出るため焦げないように気をつけながら炒めていく。
玉ねぎが透き通ってきたら中火に落とし、にんじん、セロリを加えて、鍋底に焦げつかないように木べらでかき混ぜながら、野菜全体にツヤが出るまでしっかり炒める。
トマトジュースを加えて酸味を飛ばすイメージで加熱し、野菜にしっかりなじませ、全体がなじんできたらフライパンの赤ワインを加え、水分が半量程度になるまで弱めの中火で煮込んでいく。
ここにチキンブイヨンの代わりの顆粒コンソメとデミグラスソースを少しづつ加えながら味を見つつ、中火でひと煮立ちさせる。
そしたら置いておいた牛肉と香草を加えて、さらにひと煮立ちさせてアクが出てきたら取り除き、弱火にして2時間ほど煮込んでいく。
2時間待ったら鍋から牛肉と香草を取り出し、野菜とソースをこし器に上げてレードルでつぶしながらスープをこしていく。
野菜は2時間も煮込んでいるためとてもやわらかく簡単にこすことができ、香草は一緒にこしてしまうと香りが強くなりすぎてしまうので、必ず取り出すのを忘れないこと。
最後に鍋に牛肉を戻して粗熱がとれる程度に1時間以上おいて、味を落ち着かせれば完成だ。
ーーー
「って、そろそろお昼にするにはいい時間か。
バケットでも焼いて食べようかね」
ーカランッ!
そんなことを呟きながらバケットを切り分けてレンジに突っ込んでいたら、勢いよくドアが開かれた。
しかし、今日はまだ看板を準備中から営業中に変えていないのだが。
そんなことはお構いなしといった様子でドアの前には、枝を咥えて鼻に白いテープを貼り、雰囲気も相まって何処となく番長感のあるトレセン学園の制服を着たウマ娘が立っている。
彼女はナリタブライアン。
決して番長などではなく、トレセン学園の生徒会副会長だ。
もう1人の副会長であるエアグルーヴちゃんは業務に精力的だが、ブライアンちゃんはよくサボってるらしい。
けどまぁ、それでも副会長を続けられているのはやる時にはしっかりとやっているからなんだと思う。
というか、なんらかの悪行で追われていたゴールドシップを現行犯でとっ捕まえにきた事があるし。
でも今日は誰もきていないし、何か用でもあるのだろうか?
だいたいなんらかの要請だったり説得に来るのは、会長のルドルフちゃんの方なのだけど。
「ん、いらっしゃい。
ご覧の通り誰もきてないけど、何か用事かい?」
「用というか、飯を食べにきたんだが?」
「…え?表の看板、準備中になってなかった?」
喫茶店に来たんだからと、さも当然のことのように言い放ったブライアンちゃんの言葉に一瞬戸惑ったが、チンッとレンジが鳴り我に返った。
そのままバケットを取り出しつつ、表に出て看板を確認してみる。
…おかしいな、営業中になってるわ。
とりあえず今日の営業は昼過ぎからだから準備中に直しておくとして。
「ごめん、たしかに営業中になってたわ。
けどまだなんの仕込みもしてなくてね。
ビーフシチューでよかったら食べてく?」
「…いいのか?見た限りそれはアンタの昼飯じゃないのか?」
「ま、2人分の量はあるから平気平気。
それに、こっちの不手際で腹ペコの子を空腹のまま返すのは嫌だし。
とりあえず用意するから座ってよ」
ビーフシチューを円形のグラタン皿に掬い入れ、軽く焼き目を入れたパケットを皿に乗せ、カウンター前に座ったブライアンちゃんの前に置く。
付け合わせにブロッコリーとかでも茹でようかと思ったけど、そういやこの子野菜全般嫌いって姉のハヤヒデちゃんから聞いたな。
…ビーフシチューの中に思いっきり野菜入ってるけど大丈夫か?
「…いただきます」
「ん、悪いけど俺も食べさせてもらうね」
そんなことを思いつつも自分用のビーフシチューを皿に掬い、焼いたバケットを千切ってシチューにつけて食べる。
うん、ほのかに酸味を感じるけどそれ以上に肉と野菜の旨みが強いかな。
ごろっとした肉もほろっと柔らかくとろけるよう。
あ、でもなんか足りないと思ったら角刈りポテトとチーズ乗せてないや。
そんなことを思いつつ、ブライアンちゃんの方を見てみれば千切ったバケットをシチューにつけて食べているところであった。
俺も食べてみた感じ野菜の食感等はないし、味としてはデミグラスソースが強いがどうだ…?
「…ふむ、美味い」
どうやらお気に召したようでよかった。
これで食べれないって言われたらバケットにガーリックバター塗って焼いたものを出すか、お裾分けでもらったお肉を焼いて出すところだった。
割とお肉の方はブライアンちゃんは喜びそうだけど。
っとと、いけないいけない、シチューが食べれるなら聞いとくべきか。
「ブライアンちゃん食べてるところ悪いんだけど、角切りポテトって食べれる?
ここにポテト入れてチーズかけて焼くつもりだけど、どう?」
「…問題ない、私も頼む」
「あいよ、んじゃちょっとお皿持ってくね」
冷蔵庫からグラタン用の角切りポテトとチーズを取り出して、シチューの真ん中にまぶすように入れてチーズも全体にふりかける。
そしてチーズが溶けるまでオーブンでブンする。
レンジは焼き上がり音がチンッだからレンチンだけど、オーブンの焼き上がり音はピーだからオーブンでピーするとかオーピーじゃないのは不思議だよね。
まぁ、オーブンでピーしますとか言われたらなんの伏せ字?と思わなくもないし仕方ないのかな。
などと考えていればピーと鳴り、取り出してみればいい感じにチーズが溶けていた。
「はい、熱いから火傷には注意してね。
スプーンも置いとくよ」
俺のシチューも同じようにオーブンで焼いて、チーズを混ぜ合わせてバケットと共に食す。
うーん!濃厚シチューにチーズポテトの暴力。
「…なぁ、今は営業中じゃないんだよな?」
「ん?まぁ、そうだけど。
あ、このビーフシチューはメニューに無いし、ただの昼飯だからお代はいらないよ」
「いやそうじゃない。
単にアンタの話を聞いてもいいのかって思ってな」
「俺の?…まぁ、別に構わないけど」
アドバイスとかだったら返事に困るところだったけど、俺の話ならまぁ困ることは何もない。
既にブライアンちゃんがトゥインクルシリーズを引退して、ドリームトロフィーリーグに移籍しているからアドバイスとか今更感だしね。
というか俺の話なんて聞いてもなんの面白みもないとおもうのだけど。
「この店『八本脚』の由来は、現役の時のアンタが芝もダート関係なく走れる上、短距離から長距離、なんなら脚質も逃げから追込までいける変幻自在の脚をしていたからって言うのは本当か?」
「あーまあ、そうだな。
なんか空とかも走れるんじゃないかと言われたけど、流石にそれは無理だからね」
俺は脚がついてればどこでも走れるし、適正距離というものもいまいちよくわからない。
脚質もまぁとりあえずゴールが決まってるなら、それに合わせればいいだけだから一応全部いけたり。
そんな事もあって脚が8本あるんじゃないかとまで言われたことがある。
そこから店名にしたのは、そんな脚をしていて現役時代に好き勝手に走っていた事もあって、好き勝手に営業しますよという意味だったりする。
現に今日もなんの報告もなしに昼過ぎからの営業にしているからね。
「それは信じていないから大丈夫だ。
あんたが強すぎるが故に回避が相次いで、最高グレードのG1レースが成り立たなくなったって言うのも本当か?」
「それも本当だね。
あの頃はトレセンの活気も低かったし、勝てないレースには出ないのは当然って感じだったからねぇ」
クラシック三冠に春シニア三冠に秋シニア三冠。
これらは流石にレースは成り立ったんだけど、確かスプリンターズステークスと安田記念とフェブラリーステークスが最低人数5人に届かなくて成り立たなかったんだよね。
そのかわり俺が出ないG2以下はいつもフルゲートで、抽選漏れすらあったと聞くし。
あの時は同期のセキトと2人で笑い合ったもんだ。
最近だとマルゼンちゃんが似たような境遇になってて、年甲斐もなく飛び入り参戦していいかって問い合わせようかと思ったっけな。
流石にやめたけども。
「そうか。
次にアンタが教え子と並走していた時、現役の時と何一つ変わってなかったという噂がある。
そうなると、アンタはピークを維持し続けているということだが」
「…ま、そう思うならそう思ってくれていいかな。
というかあの子と走ったのなんて、ほんとデビューしたばかりの最初の方だけなんだけどね?」
「ふん…やはり今も伝説の脚は健在か。
なら最後に素直に聞くがどうすればアンタとやりあえる?」
「ん?そういった話は引き受けないことにしてるのは知ってるよね?
いや、今はいいか。
単純に人目がつかない場所を用意して、競った事を口外しないことを誓えるんなら予定をあわせるようにはしてるぜ?
というか、なんならルドルフちゃんはそれでわからせてるから」
有名になりすぎたせいで今も走れるとなると、URAのお偉いさんとかが厄介で面倒くさいんだよね。
そういった事情を汲み取った上で、俺と競いたいと願って真夜中の誰もいないトレセンのコースを押さえたルドルフちゃんとはやり合ったことはある。
まぁ結果は俺の全勝。
『絶対の皇帝』だろうが『八本脚』には届くことはなかったよ。
「ま、これは今営業外だから言えることだからもちろん内緒ね。
ついこないだのファン感謝祭で俺を呼んで競い合いたかったのはわかるけど、場を整えてくれればいつでも可愛がってあげるから」
「ふっ…それは楽しみだ。
サイボーグに芦毛の怪物、ルドルフに姉貴も私の渇きを癒すのにはとても良かったが、そんな連中を軽々しく捻れるほどの力を持つアンタならさぞかし渇きも癒えるだろう」
心から競うことを楽しみにしているのか、笑みを浮かべるブライアンちゃんをみて、俺も釣られて笑みが浮かぶのをかんじる。
引退してからというもの、こうして喫茶店の店長をしているものの走ることは今も好きだからね。
それに現役のときは完全に恐怖の対象としてみられてたし、こうして挑みにきてくれるのは嬉しくあったりする。
だからこそ競うときは全力で相手をしてあげるんだけど。
「…とりあえずご馳走様。
さっきお代はいらないと言っていたが本当にいいのか?」
「ん、お粗末様。
構わんよ、こっちの不手際だしこれメニューにないから値段もないし。
ま、さっきの話だけど予定さえ言ってくれれば合わせてあげるから」
手を合わせて一礼したブライアンちゃんの皿は綺麗に完食されており、野菜嫌いと知っている為作った身としても喜ばしい限り。
ハヤヒデちゃんが来たらレシピでもあげようかな?
野菜を食べさせるために形がわからなくなるまで煮込んだカレーという形で食べさせてると聞いたし、多分似たようなものだけど。
「そうか。
それじゃあ予定を組んだらまた伝えにくる」
「ん、いつでも待ってるよ。
あ、でもこういう話は営業中はしないから次も準備中の時にね」
出ていくブライアンちゃんを見送って皿を片付ける。
多分近いうちに舞台を整えてくれるだろうし、準備ってわけじゃないけど偶には外に走りに行こうかなぁ。
今日はなんの仕込みもしてないし、そうしよう。
何故か立て看板が営業中に変わってたし、風が強いから倒れたのを誰かが立て直してくれたのかねぇ?
そんなことを思いつつ看板を店の中に入れて、ドアの前に置く。
本日の営業は臨時休業。