清川シエルは破綻者である。
ゲヘナ領の出身、住みでありながら、トリニティの多くで信奉されている神々に仕える聖職者の一端を担う存在でもある。
加えて、銃や手榴弾などの火器兵器が一般的に横行するこのキヴォトスにおいて、彼女は特殊なサーベル…黒鍵や、キヴォトス外部にて八極拳と称されるそれらを中心として戦闘を行っている。
なぜ、彼女が現在の様に成ったのか…今回はそれに迫る。
清川シエルは捨て子である。
ゲヘナ領土に限りなく近い、トリニティ自治区の中の教会…その中の施設の一つである、孤児院で彼女は現在に至るまでの時を過ごしてきた。
また、彼女には名前がない。
現在名前があるにも関わらず名前がないとはどういうことかと問われるだろうが、それはその名が後付で与えられた名であるがゆえに起こる疑問である。
元々清川シエルと呼ばれる事となる幼子は、名前もなく、親もなく、ただ温かい布に包められトリニティの孤児院の前に捨てられていた子であった。
その孤児院を守っていたシスターは、その慈愛から彼女を捨て置くことはできなかった。
…例えその子が、ゲヘナの紋章を縫い込まれた布に包まれていたとしても。
シスターは誰に対しても優しく、寛容な人物であった。
例え自らの前にいる迷い子が、トリニティであれ、ゲヘナであれ、それ以外の荒くれであれ、迷い苦しむものであれば、彼女は手を差し伸べずには居られなかったのだ。
彼女はシエルに対しても、精一杯の愛を持って接した。
…が。
その場はトリニティの領内であり、その孤児院に居るものもまた、ゲヘナへの歪んだ理解を持つものも残念ながら少なくはなかった。
一部の子供達はシスターの優しさに当てられ、ゲヘナ出身であるシエルとも仲睦まじく接していた。
しかし、当然そうではないものも居た。
表面上を取り繕い裏で陰湿ないじめを行うもの、わざとらしく陰口を叩くもの、取り繕いもせず暴力や暴言を浴びせるものも、残念ながら少なくはなかったのである。
…が。
シエルは動じることはなかった。
初めに説明した通り、彼女は破綻者である。
それは、前述した普段の行いや武装などに限った話ではない。
彼女は、最初から破綻していたのだ。
シスターがどれほど愛を持って接しようと。
他の子供らにいじめを受けようと。
そして度々訪れる引き取り手の大人や学園関係者に薄気味悪がられようと。
彼女の心や表情が揺れ動くことはなかった。
…いや。
初めから揺れ動くような心など
少女はおかしかった。
シスターに抱き抱えられても、食事をしても、風邪を引いても、痛みを感じても。
彼女は反応の一つも上げることはなく、ずっと暗い瞳でぼうっと何かを見つめるように大人しく収まっているだけだった。
言われれば食事もしたし、勉強もした。
だが、ただそれだけ。
それ以外は、ただただ何かを見ているのかいないのか、何もせずに大人しく動かなかった。
…あの少女に出会うまでは。
それは、いつのことだったか。
ある時、ゲヘナ学園の車が、孤児院近くで故障し止まった。
その中から現れた、一人の少女。
『空崎ヒナ』と呼ばれるその少女に、後にシエルと呼ばれる名もなき少女は近づいていた。
「………」
「………?あの…」
「ああ、ごめんなさい…
もう、ダメですよ、お姉さん達に迷惑かけちゃあ…」
「………ヒナ、ちゃ」
「……………え?」
空崎ヒナは困惑を隠せなかった。
目の前の…名前も知らない(正確にはないのだが)、出会ったことすらないような幼子に、突然自分の名前を呼ばれたのだから。
「チッ…何でわざわざこの近くで事故なんて…」
「シー。相手はあの野蛮なゲヘナですよ?
聞かれてたら何をされるか…」
「ひゃあ〜怖い。だからゲヘナの野蛮人は…」
(…聞こえるように言っているくせに、わざとらしい…)
「もう、あの子達また…申し訳ありません、後で言って聞かせますので…」
「あ、いや、気にしないで…あれ?あの子」
「え?」
「……………」
「…っ。何よ。あいも変わらず薄気味悪い…!」
「ほっときましょうよ。どうせいつもみたいに黙ってボケッとしているだけでしょうし」
「…ないで」
「「……………え?」」
「…ヒナちゃんのこと、わるくいわないで」
「…え?」
「嘘、あの子が、自分から…」
「………」
自ら口を開いた。
言葉を発した。
間違いなく、自分の意志で。
赤子の頃から拾われて数年間、口の聞き方すら知っているのか怪しいと思った少女が。
紛れもなく、空崎ヒナを庇うために声を発したのだ。
同じ孤児院の少女は、数秒間の間、驚きで固まり。
顔を顰めたかと思うと、右腕を振り抜いた。
パシン、という音が響き、少女が倒れる。
彼女を叩いた少女は怒りで顔を顰め、息をフーフーと荒らげていた。
その様子を見たシスターは、慌てて倒れた少女のもとに駆けだし彼女を起こす。
そして、叩いた少女を睨みつけ。
「何てことをしているんです!!自分が何をしたのか分かっているのですか!?」
「何を…?目の前で敵を庇ったこの馬鹿な子を躾けてあげただけでしょう!
いつもいつも言葉だの優しさだの、そんなのもうウンザリなのよ!!」
「なっ…!」
「そもそも、ゲヘナ産まれだと分かっている子供を受け入れるシスターもシスターじゃない!
私達トリニティの中に、ゲヘナの野蛮な血を引く奴が居るなんて、想像しただけで…!」
シスターは絶句した。
彼女は自分なりに、子どもたちに真摯に向き合って来たつもりだった。
が、彼女は分かっていなかった。
長きに渡って染み付いた差別や偏見は、ただ教えただけで解消できるものではないと。
子供というものは、大人が思う以上に様々な知識を独自に吸収し勝手に育つものだと。
かつてこの孤児院を訪れていたトリニティ生徒の教育の中に、そういったものもあることをシスターは分かっていなかった。
「………」
「っ…!何よ、まだ何か言いたいわけ!?」
叩かれた少女は立ち上がり、再びトリニティの少女を見つめる。
そして…また言葉を発した。
「ヒナちゃんのこと、わるくいわないで」
「………!ねえ聞いた!?やっぱりこいつもゲヘナの人間よ!
大人しく猫被ってるだけ!いつ私達に牙を剥くか分かったもんじゃないわ!!」
「………そ、そうよ!!やっぱりそんな不気味な子供追い出すべきよ!!」
その少女達の声を皮切りに、他の子どもたちも次々声を上げていく。
シスターが慌てて止めようとするも、そんなものではもう止まらない。
ついに暴言を吐いたり、物や石を投げつけるものまで現れた。
「…っ。ちょっと、いい加減に…うっ!」
「うるさいわね!!ゲヘナの野蛮人はさっさと帰れ!!」
「ちょっと!あなた達いい加減に…!」
「シスターもそいつの味方!?もしかして、あなたもゲヘナの…!」
「……………!」
「何よあんた、まだ何がほっ!?」
「…え?」
その声は、誰の声だったのか。
殴られた少女か、それともシスターか、ヒナか、それ以外か。
少なくとも、腹を殴った少女…シエルで無いことは確かだろう。
更にシエルは、少女の顔面を殴って飛ばす。
少女は地面をゴロゴロと転がり、仰向けに倒れ伏した。
シエルはその少女に馬乗りになり、そのまま何度も何度も殴る。
「いっ、がっ!
あん、た、がほっ、こんな、ぎっ!こと、して…ぶっ!
や、やめ゛っ!?げぅ、ぶっ、ぐぶぇ!
ご、ごめ゛っ!!や、めでっ、おねがぁ!?」
「…あ、悪魔…」
「鬼の子よ…アイツは…」
孤児院に居た多くの少女、シスターですら。
シエルを恐れて近付けない。
「…もういい。
もう、大丈夫だから…ね?」
「………ヒナちゃん」
空崎ヒナ、ただ一人を除いては。
その後、後にシエルと呼ばれるその少女を恐れ、彼女に危害を加えようとするものは居なくなった。
その後、彼女を心配したヒナが、度々顔を出すようになったのも理由の一つだろう。
…が、数年後。
その少女は、全身に酷い傷を負わされ入院する事となった。
かつて少女に辱めを受けた(と思いこんで譲らない)トリニティの少女が、学園入学後に出来たコネや資金を利用し暴徒を雇って少女を襲わせたのだ。
少女は昏睡状態となり、ゲヘナ学園中等部であった空崎ヒナは激怒し、自身の権力や情報網全てを使い犯人を調べ上げ、自ら罰を下した。
余談ではあるが…ヒナが個人的に力を振るったのは、後にも先にもこの一度だけである。
そして、それからまたしばらく。
彼女は目を覚ました。
目を覚ましてからの少女は凄まじかった。
自らの膂力を更に効果的に発揮するための鍛錬を始め、更に勉学でも優秀な成績を収めた。
勿論以前の如く陰口を叩くものも居たが、言論でも力でも、瞬く間に彼女に組み伏せられた。
そしてやがて彼女は聖職者としての道にも踏み込み…ゲヘナ出身では異例となる洗礼を受け、『清川シエル』の名を与えられた。
そして、ゲヘナ学園中等部に入学した彼女は瞬く間にその才覚で上り詰め…中等部一年でありながら、『ゲヘナ学園風紀委員会委員長代行』という肩書を手にした。
また、これ程の忙しない日々を過ごしながら、幼少の頃より知り合った空崎ヒナとの交流は欠かすことはなかったという…
…あの日。
私がキヴォトスにやって来た日。
真っ暗な闇の中、僅かに見える何かの光を目指し、ゆっくりと歩いていた。
なぜ私はこんなところに居るのだろう。
なぜ私はこんなに必死に歩いてあるのだろう。
何も思い出せない。
…そうやってしばらく歩いた。
青髪の少女が、道の先にいた。
大丈夫か、と少女に手を伸ばす。
「…空崎、ヒナ」
少女に触れた瞬間、その名前が脳に浮かび、声に出た。
そして…少女のこと、私のことを知り、思い出した。
そして、私が何をするべきなのか、何となく理解した。
「…護って、あげて」
「…何?」
「わたし、きっと、貴方を待ってた。
私は、ヒナちゃんを護るために生まれたの
ただそれだけのために」
「…ならお前が護ればいい。
なぜ私に託そうとする。なぜ私を待つなどと…」
「分からない。でも、私には本当にそれだけだった。
ヒナちゃんを護るってことしか、私には分からなかった」
…少女は真っ直ぐな目でそう言い切った。
そして、続けざまに
「貴方も…そうなんだと思う。
ヒナちゃんを護るために…ここに連れてこられた」
「…私が…連れてこられた?」
「うん。
貴方、ヒナちゃんのこと知ってるでしょ?
ヒナちゃんがこの先誰と出会うのか…誰を好きになるのか…どんなことがあるのか。
…お願い。ヒナちゃんを助けてあげて。
私の身体も記憶も、全部あげるから」
少女は私に手を差し出す。
私は…迷うことなく手を取った。
それが私の起源。
少し脚色をつけて言うのならば…
清川シエル:オリジン
…今回の話は、そう呼ばせてもらうことにしよう。
また宗教絡みのネタを出してしまいましたが、作者はそっち方面にはまったく持って詳しくありませんのでお許しください…