ウレシイ…ウレシイ…
これからも頑張ります
………シエルが眠りについて、早数日。
驚くほどの彼女の回復とは裏腹に、未だに目覚めの兆候すらない。
エデン条約の際の傷は、それほどまでに深いものなのか。
やはり人間の肉体とは分からないものだと、つくづく再確認させられる。
とはいえ、妙なことをすれば
「セナ部長っ!!」
「…病棟で大声は感心しませんよ。
それで、何か」
「も、申し訳ないです…そ、その!
清川シエルが…」
「…?」
「清川シエルが、病棟から消えました!!」
「…!?」
「既に、風紀委員会が現場にやってきています!
どうか、部長からも話を…!」
「…消え、た?」
「………何なんだ、これ…」
シエルの入院している病棟に駆けつけたイオリとチナツ。
そこで見たものは…適当に掛け布団が放り出されたベッドと、
「シエルのやつ、この天井から脱出したってのか?
でも、そんな…いや、あいつの身体能力なら…?」
「イオリ」
「あ、セナ…あの…」
「無理して何かを言わずとも大丈夫です、イオリ。
…何を言えば良いのかわからないのは、私も同じなので」
「だよ、な…」
「………」
「チナツ?さっきからその天井を眺めてるけど…どうしたんだ?」
「いえ、その…この天井の切り口、あまりにもきれいすぎる、と…」
「…切り口?」
「はい。
これ程の厚さの天井をきれいに円形に切り抜くなんて、人間業ではとても…先日のシエルの武器だと言われていたあの大剣でも…」
「………」
アリウス自治区、バリシカ。
そこで、とある戦いが繰り広げられていた。
かたや『崇高』へと至るため、切り離された世界で生きてきた者たちを手の上で転がし、とある生徒を沸として捧げようとする
かたやその大人に囚われた仲間を救うため、その卑怯な大人を許すことをせず抗う者たち…先生とアリウススクワッド。
「さあマダム、私はここだ!
命だろうとなんだろうと持っていくが良い!!」
「あああアアアア―――――――――――!!!」
「せ、先生、リーダーがぁ…!」
「くっ…先生、指揮を!」
「うん。犠牲なんかさせない…皆、行こう」
怒り狂うベアトリーチェ。
責任感からか、図らずもその注意を引き付ける錠前サオリ。
そしてそれを助けようと動く先生、戒野ミサキ、槌永ヒヨリ。
最後の戦いが、始まろうとしていた。
「…ッ!?」
何だ、今の。
幻聴か?
だが、何だこれは。
心の中に残って拭いきれない、この妙な不安感は。
『…!先生!』
(アロナ?)
『な、何か…何か、まずいものが…!』
(まずい、もの?)
『なんて言えば良いのか、分からないのですが…でも、でも…!』
(………?
…アレは!?)
ふと周囲を見渡す。すると
サオリのすぐ前の足元に、何かが蠢いて…!
「サオリっ!!」
「…なっ!?」
「ちょっ…先生!?」
「な、何を…」
咄嗟に、サオリを庇うように前に出る。
わからないけど…
BGM:『She rules the battlefield』
黒い汚濁の柱が立ち上る。
水柱から現れた少女一人。
影が少女の周りで円を描き、次々とそれらが衣服となり纏われていく。
二の腕まで届く長い黒手袋。
黒を貴重とした、青と銀の装飾の付いた姫君のようなドレス。
…たった一瞬、されど一瞬。
その僅かな間にその姿を捉えた全ての者が。
―――――――――――美しい、と。
その感情に、支配された。
そして、その感情は。
一秒と経たずに襲ってきた爆風に吹き飛ばされた。
「―――――――ッ!!」
『せ、先生…大丈夫ですか…?』
(………アロナ。
守ってくれたんだね…ありがとう)
『こ、このぐらい何とも…ううっ』
(アロナ?)
『ご、ごめんなさい、先生…
今の爆風を防ぐだけで、リソースが、もう…』
(………分かった。
暫く休んでて)
「………サオリ、大丈夫」
「せん、せい…
なんて、無茶を…」
「サオリだって…!
そうだ、ミサキ、ヒヨリ…!
アツコも…!」
「…こっちは大丈夫ですよ、先生」
後ろを振り向くと、
そこにはいつぞやのように障壁を展開していた、
「…セブン。
君が、二人を?」
「まあ、仮とはいえマスターの危機なので?
それより、も」
「…アツコ」
その方に目を向ける。
先程の爆炎で巻き上がった粉塵が少しずつ消え。
…眩い光の泡に包まれたアツコが、こちらに向かって緩やかに飛んできた。
「アツ、コ…アツコ!」
サオリの呼びかけに応じるように、泡がポン、と弾けて消える。
ゆっくりと落ちるアツコをサオリが受け止め、身体をゆすりながら呼びかけて。
「ん…う。
サッちゃん…?」
「…アツコ。良かった、本当に…」
…再開を果たしたアリウスを暫し眺め。
現れたアレに目を向ける。
…それは、ほんの僅かな間だが。
たしかにこちらを見ていた。
蒼く長い髪、獣のような紅い瞳。
見たこともないはずのそれに、酷い既視感を覚えた。
私は、アレを見たことがある?
いつ?どこで?どうして?
「―――――――っ、つ…!」
頭痛がした。
なぜだろうか。
アレの事を考えようとすると、ひどく頭が痛くなる。
…更に土煙が晴れた。
その向こうには、先程の爆風に巻き込まれたのであろうベアトリーチェ。
先程までの悍ましい姿のまま、全身をボロ切れのように汚しながら瓦礫の上に寝そべっていた。
「………が…ギ………き、サ、まァ………!!」
「――――――――」
「よ、クモ、わたシに、コんな…ァァァ!!」
ボロ雑巾のような姿で、激しく怒り狂うベアトリーチェ。
ユスティナ聖徒会の
「―――――――――――は?」
ベアトリーチェがこの上なく間抜けな声で一言、呟く。
無理もない。
十数体、先生との決戦に備え作り出した秘密兵器たるバルバラも含めた複製の全てが、彼女に数歩近づいただけで霧散したのだから。
「な――――――――あ?」
事態を飲み込めない。
急場しのぎとはいえ、顕現の能力は問題なく行使されているはず。
また数体、複製を顕現させ………
るより前に。
半分まで組み上がった肉体が霧散した。
「な、に?」
分からない。
何が起こっているのか。
私は力を手にしたはずだ。
全てを思いのままに操り…『崇高』へと至るもののはずだ。
実際、私は唯一の成功者なのだ。
運命という天秤は、私に傾くはずなのだ。
そうやって、ベアトリーチェは必死に現実を否定し、自らを哀れにも肯定しようとする。
だが、彼女は知らなかった。
彼女は『崇高へ至るもの』などではないことを。
彼女は『物語の主役』にも、『主人公の宿敵』にもなり得ない程度の存在ということを。
世界の要素一つ二つを贄としたところで…世界そのものを滅ぼしうる獣の前には塵芥に同じだということを。
「―――――――――」
「………!く、くァァァっ!!」
黒い姫君がベアトリーチェに歩み寄る。
近寄るなと言わんばかりに赤い光球を放つ。
…結果は複製と同じく。
彼女に近づいた途端、端から崩れ消えていく。
「――――――ッツ、アアアアアアアアアアアア!!!」
現実を必死に拒むよう、赤い光を、或いは複製を次々と姫君に向け放ち、けしかけ、その足を止めようとする。
結果は言うまでもなく。
近づくたび赤と青の光は消えていく。
コツ、コツと足音を響かせながら、ゆっくりと。
黒い姫君は異形に近づいていく。
「…こ、の、この、この、このォ!!
とまれ、止まれ止まれ止まれ!!
私はお前達などとは違う、ただ支配されるだけの、命令に従う先を見ることもできぬ愚か者とは違うのだ!!
私は超越者だ、貴様らよりも遥か高みの存在なのだ!!
貴様らのような矮小な子供など、本来ならば並び立つことすらおごがましいものなのだ!!
それを、こんな、こんな、こんなァ!!」
あまりにも傲慢に、あまりにも哀れに、異形は叫ぶ。
しかし、抗おうとすればするほど、振り払おうとすればするほど。
――――――――眼の前のそれに敵わないという現実が、ただ淡々と突きつけられ続けるだけだった。
「………舐め、るなァ!!
私は大人だ、『崇高』へと至るものなのだ!!
貴様ら愚かな子供とは、住む世界が――――――――」
パチン
黒い姫君が、ベアトリーチェに向けて指を鳴らした。
いつの間にか赤い光も青い兵隊も全てが消え失せ。
「―――――――――あ」
ベアトリーチェの半身は消し飛んでいた。
「―――――こ、んな、こ、の………」
最後の最後まで、眼の前の子供に憎しみを顕にしながら。
…異形は、その場に倒れ伏した。
「「「「「……………」」」」」
言葉が出ない。
自分たちが争っていた相手が、相応に苦しめられた相手が、呆気なく討ち果たされたのだ。
眼の前の姫君は、手をほんの少し、足をほんの少し動かしただけ。
まるで、気に入らないものを意思一つで消すことの出来る独裁者のように。
「………あれ」
姿が消えている。
今のは幻だったのだろうか。
それとも自分が目を離してしまっただけなのだろうか。
「あ」
居た。
いつの間にか。
探していたその少女は、眼の前に。
こちらを向いて、私を見下ろすように、私の前に立っていた。
そして、その顔は。
蒼く長い髪、紅い瞳。
私の知るその子とはかけ離れていたけど。
それは間違いなく。
「シエル」
だった。