しくじった。いや、それどころではない。今のこの状況は最早そんな次元を超えている。
失敗も失敗、これでもかと言うぐらいの
——ゴブリンなら何度も追い払ったことがあります!
——相手はゴブリンだぜ?力も知能も子供並みの怪物なんだから心配ないって!
そう言っていたのは、暫定的とはいえ駆け出し一党頭目の剣を背負った青年だったろうか。幼い頃より冒険者だった父より武術を学び受け継いだ幼馴染の娘と、都にある賢者の学院にて優秀な成績を修めて卒業した女魔術師、そして自分――地母神の神殿で育った、成人したばかりの女神官。
ゴブリンに腹を刺された魔術師に肩を貸して撤退する間に女武闘家が頭目の剣士と足止めをしている。だが、いくらなんでも想定していたよりも数が多い。多すぎる。いつまで遅滞戦線を張っていられるかなど最早時間の問題だ。
更に畳みかけて来る様に不運がまた一つ重なる。三度使える奇跡の内一つを消費して女魔術師の傷を治したものの、容体は悪化するばかり。早く洞窟を脱出したいのに、彼女の足がもつれて
女神官は前衛の二人がまだ健在かちらりと後ろを振り返ったその時、カァン、と鉄が何かにぶつかる甲高い音が洞窟に響き渡った。剣士の得物が洞窟の天井から下がる鍾乳石に引っかかって手から弾き飛ばされてしまう。
ゴブリンがそんな馬鹿をやらかした間抜けな
剣士の断末魔はあっという間に血の海に沈み、動かなくなってもなおゴブリンは彼の死体をいたぶる事をやめない。むしろ泥遊びをしている子供の様に嬉々として血や脳漿を浴びようと小躍りしている。
それが偶然目に入ってしまった女武闘家の蹴りが動揺で僅かに鈍り、どこから現れたのか、ホブゴブリンにその足を掴まれてしまう。当然、格闘戦においては重量と体格が勝る方に軍配が上がる。たとえゴブリン相手でもそれは例外ではない。ギリッ、と踝を掴んだホブゴブリンは愚かにも自分に手を上げた牝に立場を教えてやろうとそのまま壁面に叩きつけんと振り回す。
しかし、ひょう、と言う鋭い風切り音と共にその手は緩んだ。女武闘家はすかさず足を引き戻し、壁に肩をぶつけはしたが辛うじて受け身を取って立ち上がった。何事かと思った瞬間、ホブゴブリンはうつ伏せに崩れ落ちた。見ると、短い矢が眼孔を穿ち、後頭部まで貫いている。
「いざ帆を打て、舫い解け
船出の時ぞ!
灰の空と暗き海の地平線へ
ヤイサ、ホー、櫂を取れ、死に物狂い
ヤイサ、ホー、漕げや漕げ、囃子に合わせ」
歌が聞こえる。港や帆船の甲板で聞く様な労働歌だ。声の主は今その場にいる冒険者達の物ではない男の物である。手拍子の代わりに鉄同士がぶつかるカン、カン、と音が木霊する。
「ほの暗い奈落こそ船乗りの墓場
やれ沈ませてたまるか、と
回り踊る操舵輪
ヤイサ、ホー、取り舵だ、暗礁を避け
ヤイサ、ホー、面舵だ、横波を超え」
ゴブリン数匹が声のする方に向かって雑多な弓で矢を放つが、どれも碌に狙いをつけていないのか、はたまた武具の出来具合その物が悪いのか、明後日の方向を飛び、どれも声の主には届かない。近づくうちに、黄金色の猫のような眼だけが暗闇の中でぼうっとほのかに輝いた。
ひょう、とまた風切り音。二匹、三匹と、弓持ちのゴブリンが喉に、腹に鏃を受けて絶命していく。
そして両手に小剣と短剣を引っ提げたウィッチャーが獲物を見つけた毒蛇の様にゴブリン達に飛び掛かる。刺し貫き、切り裂く鮮やかな手際はまるで踊りながら家畜を解体しているようだった。
「もうだめだ、海獣が行く手を阻み
風が鳴き、船員泣き、
容赦なく襲い来る、が
ヤイサ、ホー、ヤイサ、ホー、櫂を取れ
ヤイサ、ホー、ヤイサ、ホー、舵を切れ
死ぬにはいい日だ、錨を上げよ!
死ぬにはいい日だ、海原へいざ!」
歌い終わる頃にはその場のゴブリン達は物言わぬ死体と化した。
ゴブリンの死体の脳を改めて刃で撹拌し、血に塗れた武器をその場に投げ捨てると、
「さっさと出ろ、
「あ、あの!こちらの方を助けてください!奇跡で傷は塞いだのに——」
「毒だな。口を開けさせろ。
「は、はい!」
ウィッチャーは指を女魔術師の首筋に宛がった。脈はあるが弱い。一応治癒、解毒、賦活と三種揃えておいて正解だった。この様子だと予想通り誰も水薬どころか毒消しの薬草の一つも持ち合わせていないようだ。
女神官が女魔術師の口を指先で開き、ウィッチャーはそこにポーションをゆっくりと流し込んだ。朦朧としていてもまだ意識は辛うじてあるのか、彼女はそれをできる限り飲み下した。
「もう一本だ。飲ませておけ。毒が消えても消耗した体力は戻らない。帰ったら受付のお嬢に感謝しておくことだな。冴えた勘の持ち主だ。駆け出しがゴブリン退治に勇み足で行くと言っていたから様子を見に行くように頼まれて来てみた」
「じゃあ貴方も、冒険者・・・・・・?」ふらふらと覚束ない足取りで立ち上がりながら女武闘家が掠れた声で尋ねた。
「あまり意味は無いが鋼鉄等級だ。ウィッチャーと呼んでくれ。さあ、自己紹介も済んだことだし、さっさとここを追ん出ろ。で、どぶ掃除でもしてこい。後は俺がやる」
余りににべもない言い方に女武闘家は反論しようと一歩踏み出すが、すとんとその場に座り込んだ。蹴りを放った足首が痛い。ホブゴブリンに捕まれて振り回された時に痛めたらしい。
「い、行きましょう」
女神官は再び奇跡を使ってその足を治し、女魔術師を助け起こした。たった今彼に、ウィッチャーに命を救われたのだ。こんな九死に一生の
守り、癒し、救え。これが地母神の三聖句。それに従って、今は生き残った二人を安全圏まで連れ帰らねば。
ゴブリンの死体から放った矢を回収し、それを手に持ったまま未だ未踏破の道へとウィッチャーは進んでいく。原形もとどめないほどにぐちゃぐちゃにされた死体が一つあったが、四人中三人の命は助かったのだから良い方だろう。
「認識票は後で回収するとして・・・・・・」クンクンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。
いる。女が。残りのゴブリンは散弾入りの爆薬をぶち込んで一網打尽にしようと思っていたが、虜囚がいるのならば、そうもいかなくなった。
「さて、どうするか」
人質は面倒な事に、当然盾に取られるだろう。爆薬が使えないとなればまずはゴブリンを人質から引き離すか、少なくとも無防備な状態に陥れる必要がある。久々に
少しずつ進んでいくと、闇の中で動きがある。ホブを倒し、残りは七。うち一つは呪文使いだ。まずは奴を潰さねば。しゃがみこみ、飛び出た岩肌にクロスボウを乗せて安定した射撃姿勢を取り、細く息を吐き出しながら引き金を引いた。
ひょう、ドスッ、バタリ。
慌てふためくゴブリンの声が聞こえる。用心棒に加えて群れの長まで失ったのだ、最早統制は崩れた。後は、撫で斬りにするのみ。
残るゴブリンは六匹。ウィッチャーは先程までの己の見立てを訂正した。
洞窟の入り口から少し離れた沢で、駆け出し冒険者の三人が座り込んでいた。洞窟を出てから今まで誰も一言たりとも言葉を発していない。そしてこの場で涙を流していない者は一人もいなかった。
女魔法使いは悔しかった。たかがゴブリン。そう思っていた。一本道を真っ直ぐ来たと決めつけた結果、背後を取られた。洞窟の入り口を目指している時に岩肌に注意を払わなかったが、帰る道筋で初めてその横穴に気付いたのだ。
何が賢者の学院の卒業生だ。何が秀才だ。結局何の役にも立っていないではないか!挙句、肝の小さいと思っていた神官と己より上の等級の冒険者にその命を救われる始末。あまりにも情けない体たらくだ。大人しく錬金術の研究なり何なりした方がいいのかもしれない。
女武闘家は、悲しみに打ちひしがれていた。覚えている限り、ずっと隣にいた幼馴染が死んだのだ。あっという間に。追い払ったことがあると豪語していたゴブリン如きに。挽肉の様に叩き潰された顔面、引き千切られ、断ち切られた手足。その凄惨な光景は今でも目を閉じる度にまだそこでその殺戮が繰り広げられているような錯覚に陥り、腹の底から胃液とさっき飲んだ水が込み上げて来る。
そして悔しかった。自分の技が、あの大きなゴブリンに通じなかった。父と共に足腰が立つ頃から武術の稽古を積み、彼の死後も欠かさず鍛錬を続けて来たというのに、後衛への奇襲を許し、足を挫かれ、壁面に叩きつけられて肩を痛めた。根本的に何の役にも立っていない。
——あの馬鹿が切り損ねても、ゴブリンぐらい私が殴り飛ばしてあげる。
ゴブリン以下の能力しか持たない自分が、よくもまあ、あんな大言壮語をかませたものだ!恥の上塗りが重なっただけではないか!田舎に戻って農業なりを営んで人並みの所帯を持って一生を終えた方がまだ誰かの役には立つかもしれない。
女神官はかける言葉が見つからず、ただ二人の同年代の少女達を見比べるだけだった。奇跡的にも自分は全くの無傷であの場を離脱する事が出来た。だが一人、守る事も、癒す事も、救う事も出来ずにその命を取り零してしまった。勿論彼女とてあまねく全ての命を救えると思うほど己惚れてはいない。
——だが自分がもう少し強く装備を整えるべきだ、別の依頼を受けてお金を貯めるべきだと皆を説得していれば・・・・・・
そう思わずにはいられなかったのだ。
しかし意を決して口を開いたところで枝を踏み折る音で、ぶわりと肌が恐怖で泡立った。もしやゴブリンの生き残りが、と音のした方向を見ると、ウィッチャーがゴブリンの虜囚だったであろう女性四人の裸体を毛布で隠しながら連れ出していた。そして肩には未だ血に塗れた若くして落命した冒険者を肩に担ぎ、彼が使っていた剣を腰に差している。
「神官のお嬢、手隙なら手伝ってくれ」
「あ、は、はい!」
よかった。虜囚達は無事だ。なら今はとりあえず体を拭いてやらなければ。ゴブリンに手込めにされた事はもう取り返しがつかないが、せめて身綺麗にするだけでもと錫杖を杖に立ち上がった。
女武闘家はふらふらと立ち上がり、その死体の方へと歩いていく。物言わぬ死体を揺り動かし、幼馴染の名前を呼んだ。しっかりしろ、起きてくれと。しかし当然返事など返って来ない。揺すり、叩き、耳元で叫んでも返ってくるのは木霊する嗚咽と、彼に謝る声、そして残酷なまでの冷たい沈黙だけだった。
「何でよ・・・・・何でもっと早く来なかったのよ!」
責めるのは筋違いなのは分かっている。分かっているが、彼一人だけが助からなかったなど不公平じゃないか。最早拳を握る力もないまま、ウィッチャーの胸を何度も叩く。お前さえ後少し早く来ていれば、と。
「お前達を守る為に最後まで戦った。そいつが何も思い残す事が無い様にしっかり礼を言っておけ」
ウィッチャーは腰の多少刃毀れした長剣を抜き、死体の上に横たえておく。
女神官はふらふらと歩いてきた女性四人を可能な限り介抱し、自分の外套も貸し与えた。意識はあるし命に係わる傷も無い。だがゴブリンがうら若き四人の乙女の心に残した傷跡は大きく、根深い。一生かかっても癒えるかどうか。実際その記憶が呼び覚ます苦痛に耐えられず、自ら命を絶ってしまう不幸な事もあるし、そうやって死んでしまった人の葬式にも立ち会ったことがある。
「あの、ウィッチャー、さん・・・・・・皆さんの事は地母神様の神殿までお連れしようと思います」
「よろしく頼む。そこの二人も連れて行くか?」
「はい、ひとまずは。その・・・・・・差し支えなければ、ご一緒していただいてもよろしいでしょうか?」
ウィッチャーは空を見て太陽の位置を確かめ、蹲って動かぬ二人の少女に目を落とす。自分もゴブリン退治の依頼が残っているが、まだ少し離れている。最近太り気味の馬の腹ごなしの運動にも丁度いいかもしれない。それに加えて乗り掛かった舟だ、一応最後まで見届けるけじめもつけておきたい。
「分かった。一応犠牲者は多めなのではと山を張っていたから、俺の後に荷馬車を出すように言っておいた。それまでここで待とう」
蛇足ですがウィッチャーが歌っていた歌も一から創作した物です。一部はミスター・セカンこと純・ゲバルの歌を参考にさせて頂きました。
死亡人数選定:D4を振った結果、1
死亡キャラ:D8を振った結果、2
青年剣士(1-2)、女武闘家(3-4)、女魔法使い(5-6)、女神官(7-8)
と言う事で今回のキャラ生死はダイスで決めました。四人全員を生かすのもいいかなーと思いましたが、やっぱり最低一人は教訓とするための贄になって貰わなければならない気がしました。