その日の依頼を完了させたウィッチャーはテーブルに座り、昼飯を注文した。
先日の出来事は数多くある話の一つに過ぎない。
村人がドラウナーの群れを引き連れたウォーターハグに襲われ、池の底に引きずり込まれる事も。
軍がグリフィンを退治しようと動いた結果、番いの片割れのみを殺した挙句、卵まで潰して逆上させ、余計に被害を拡大させてしまった事も。
どこぞの魔術師が女の胎の子に呪いをかけて殺し、ボッチリングにしてしまう事も。
そしてあの時の様にゴブリンに慰み者とされた女がそれを儚んで地母神の神殿に入った事も。
人の一生を破壊してしまうような不幸な出来事など、この世には掃いて捨てるほどある。その中のいくつかを多少はマシな方向に軌道修正するのがウィッチャーの、そして冒険者の仕事である。
だがあの様な依頼は救いなど有って無い様な物だ。正直ああいう場合は一思いに息の根を止めてやるのも情けなのではないかと思う事もある。実際、人狼である事を隠し通していたとある土地持ちの長男が密会に来た村の娘を誤って食い殺してしまった時には自ら金と首を差し出し、ウィッチャーはそれを介錯したのだ。
一番外傷が少なかった女神官の方はまあ、大丈夫だろう。元々前衛に腰を据えるタイプでもない彼女の失敗はまだまだ取り返しがつく軽微な物だが問題は彼女の一党の生き残った二人だ。
あのまま腐り続ければ良くて地元に引っ込んで二度と冒険者などせず一生を終えるだろうが、悪ければ精神的に己を追い詰めて自殺、なんてことも有り得る。そうなれば化けて出るなんてことになるかもしれない。
「ウィッチャーは化け物退治だけするものだったんだがなあ・・・・・・」
化け物を退治し、金を貰い、後は黙って去る。それ以上もそれ以下もしないし、してはいけない。少なくともこちらに渡るまではそうだった。だがこちらでは討伐後の事後処理などもしなければいけない為、何かと人の世話を焼く事になる。師匠の世話も度々させられたし、一応の礼儀作法も仕込まれているからそれ程苦ではないのが幸いだ。
「ほい、旦那。今日のおすすめ」と女給が注文されたシチューの入った大きめのボウルとパンを置く。
「ああ、すまん」
「もう上がりなの?」
「いや、一応まだ仕事をするつもりだが、ちょっと考え事があってな。まあ個人的に悩んでるだけだ、そう気にしないでくれ」
「そお?じゃあいいけど。あとこれ、はい!ちょっとしたおまけ」
木製のコップを差し出した。レモンの切り身が水に浮かんでいる何の変哲も無い果実水だが、一口舐めてみると後から酒の辛い味が喉を焼いた。久しぶりに飲んでいないウォッカ、それも芋ウォッカの味だ。
「どお?美味しい?」
「ああ、これは中々行ける。もう少しレモンと、後は蜂蜜を一垂らし足せば更に美味くなるぞ。ああ、それと追加注文なんだが、川魚の蒸し焼きを一皿頼む。骨ごと食うから切り身にする必要は無いぞ」
「はいはーい!」
地母神の神殿は、神殿と言うよりは大きくも古ぼけた教会を改築した建造物で、屋根には三聖句を刻んだ地母神の紋章を記した旗がひらめいている。
井戸が表と裏手に合わせて二つあるほか、自給自足の為の畑もいくつかあり、修道服に身を包んだ男女がそれぞれ作業に勤しんでいた。
荷馬車の御者の表情は、女神官がたどたどしくも其処を取りまとめている司祭に事情を話す際も、去り際にウィッチャーに握らされた金を布施として納める時も、女達が荷台から下りるのを手伝う間も、終始変わらず暗かった。やはりこういった作業を生きている間に何度も経験したことがあるのだろう。正直今からでもどこぞの酒場に繰り出して、強い酒を一杯ひっかけてから早めに帰って寝たい気分であろう事は誰が見ても一目瞭然だった。
「大変な目に遭いましたね。でも、良く戻ってきました、それもこんなに多くの人を救って来たとは」
初老の司祭が労いの言葉をかけ、女神官は可能な限り居住まいを正し、帽子を脱いでお辞儀をした。
「い、いえ、私はその・・・・・・・ここにはいませんが、鋼鉄等級の冒険者の方が討伐を。私は依頼を受けておきながら殆ど何も出来なかったので」
「まあ、何はともあれ、皆が無事でよかった」
「皆では、ないんです」
その返事に、司祭は己の軽率な言葉を呪って目をきつく閉じ、舌を噛んだ。
ゴブリンの虜囚となった女は四人。その助けに向かった者も、四人。前者は生存四人、後者は己を含めて生存三人、死亡一人。
「失言だった、申し訳ない。ここには助祭や修道女達が寝泊まりしている部屋で空いたベッドが幾つかある。お仲間も一緒に、一晩ゆっくりして行くと良い」
「ご厚情に感謝します、司祭様」
俯く女武闘家と女魔法使いの手を取り、部屋に案内された。そこは寮の様に簡素なベッドが部屋の両端に一列になって並んでおり、丁度左側にある手前の三つが空いていた。
一党の二人がその一つに腰を下ろし、女神官も向かい合うように座った。そして緊張の糸が途切れた途端、女武闘家と女魔法使いは肩を抱き合い、人目も憚らずに泣き始めた。
冒険者と言う仕事には如何なる場面においても『自己責任』の四文字が悪霊の様にしつこく付き纏う。金が足りないのも、ポーションを買わないのも、身の丈に合った依頼を選ぶのも、敵の戦力を測るのも、未踏の洞窟に立ち入る際に編成や有事の際の立ち回りを考慮しないのも、全てが全て自己責任。
出来ない奴が悪い。知らない奴が悪い。
切り抜けられない奴が悪い。見抜けない奴が悪い。
しくじった奴が、悪い。
女神官が昔神殿で読んだ古い物語が一つある。とある
――お前も、なのか。
意識が薄れるなか、皇帝の口から漏れたそれが最期の言葉となり、物語は終わりを告げる。
友の姿を死に際に見た時の落胆の程は如何許りだっただろうか。だが、殺されたのは紛れも無くその皇帝が奸計を知らず、裏切りを見抜けず、窮地を切り抜けられずにしくじったからだ。
いつの世も騙される奴、確認しない奴、注意を怠る奴が負ける。負ける奴が馬鹿なのだ。そしてその敗北と言う名の負債は時に命を代償に払う事となる。
だが、と女神官は思う。あの落命した青年は、皇帝になる様な野心を持っていたわけではない。行軍中の会話から分かる限りでは、ひとかどの冒険者となり、更に家族に楽をさせる為の仕送りをしたい、と言う極めて単純明快な目標だ。それを野心と呼ぶにはあまりに乱暴過ぎる。そして、だからこそ、疑義の念を否めない。傍から見れば人並みの目標に邁進していたに過ぎない一介の冒険者の夢は神々が命諸共潰すに足る程の物なのか?そんなのはあまりに理不尽ではないのか?
分かっている。そんな問題の答えなど、神でもない自分が持ち合わせている筈が無い。
ならば探そう、と女神官はもらい泣きで流れた涙を袖で拭い、生き残った仲間の背に腕を回して抱き寄せ、己に誓う。少なくとも、自分が納得できる答えがどこかにある筈だ。この誓いを嘘にしない為にも、冒険者を続けなければ。
泣き疲れて眠った二人が目を覚ましたのは、まだ太陽が昇ってすらいない暗い日の出前の時間帯だった。女武闘家は未だに手に青年が身に付けていた、たすき掛けの帯を手に巻き付けるように握って放さない。血で汚れ、更に赤黒さが増したそれを手放してしまえば幼い頃に彼と過ごした日々を忘れてしまうのではないか。そんな根拠のない漠然とした恐怖があった。
ああ、昨日あんなに泣いた筈なのに、もう涙が込み上げて来る。
彼の両親に、どう説明しよう?
帰ってもどの面下げて生きていけよう?
髪を引き千切らんばかりに頭を掻き毟り、ベッドの下にある彼の遺品である剣を引っ張り出した。何の変哲も無い、未だに血脂に塗れた両刃の若干古ぼけた長剣だ。剣など振った事も無いが、見様見真似で何度か試してみた。
思った程ではないが、やはり殺傷に特化した道具故に相応の目方がある。使い方を学んでおくのも悪くはない。
――お前は二人を守ってくれ!
太ももを短剣で貫かれ、死に物狂いで群がるゴブリン達を切り払う彼の声が耳にこびりついて離れない。だがゴブリンにすら手こずっていた自分に果たしてそれが出来るのだろうか?
剣を一旦置き、父から学んだ武術の型をゆっくりと取り始める。足運びは勿論、姿勢、重心、果ては拳の握り方などの細部に至るまでに気を配りながら二度、三度と繰り返す。
拳打を繰り出す度に、あの気色の悪い黄色い目が脳裏にちらつく。
体を捌く度に、あの耳障りなゲタゲタ嗤いが蘇る。
蹴りを繰り出す度に、あのぶちまけられた血の匂いが鼻につく。
駄目だ、足りない。父から学んだ武術だけでは足りない。自分も幼馴染につられて冒険者の仕事に夢を見ていた節があったのかもしれない。勧善懲悪の英雄街道をただ真っ直ぐ突き進んで生きて行けると。
だが昨日の失策で痛い程理解した。今まで自分がしていたのは、知育や鍛錬としての
井戸水を汲んだ桶に頭を突っ込み、腹の底から力の限り叫び声をあげた。裂帛の気合いは泡沫の中に消えて行く。そして息が持たなくなった所で顔を上げ、新たに深呼吸をする。
「随分早いわね」
振り向くと、女魔法使いが眠そうに腫れた目を擦りながら眼鏡をかけていた。手櫛で寝癖のついた髪を梳かしている。
「早い時間に眠っちゃったからかな。そっちこそ、もう起きて大丈夫なの?」
「ええ、ウィッチャーさんに解毒してもらったから特に問題は無いわ。自分のプライド以外は、だけど」
女魔法使いは自分の見識の浅さをずっと恥じ入っていた。賢者の学院で学んだのだからいくらでも対処できるなどとんでもない思い違いをしていたのだから。今の自分は、この世界の事も、モンスターの事も、何も分かっていない。よしんば分かっていたとしてもその知識は浅く、未だ視野は狭い。
ならば学ぼう。息を吸うが如く知識を吸収し、息を吐くが如くそれを活かせる術を放出しよう。いつどこで何がどう役に立つか分からない。ならば目についたもの、気になった物は片端から調べ、理解するまで学ぶ。
命を救ってくれた女神官の様に神を信奉しているわけではないが、知識神も聖句がある。
学び、磨き、高めよ。
今はただそれを胸に、進むしかない。
「彼、幼馴染だったのよね。私の決めつけの所為で死んだような物よ。謝って済むような事ではないのは承知しているわ。でも、本当にごめんなさい」
「私こそ、前衛なのに殺されかけた貴方を全然守ってあげられなかったもの。私も、ごめんなさい。・・・・・・改めて、同じ一党としてやり直さない?」
「ええ。いいわ」
互いが互いに謝辞を述べ、固い握手を交わした。
今度こそ、上手くやろう。今度こそ死なず、死なせず立ち回る。
「そうは言っても、依頼は果たせなかったからお金はもらえないし・・・・・・」
「一か八かの賭けって言うの、本当は嫌いなんだけど考えはあるわ。私達を助けてくれた冒険者――ウィッチャーさんに弟子入りと言う形で一党を作るの。少なくとも、武術を身に付けている貴方なら得る物は多いんじゃない?私はそれを見て後衛の動き方を勉強するわ」
「でも、あんな凄い人が受け入れてくれる?」
ウィッチャーは確かに腕が立つし、その様子も存分に目の当たりにしたが、特に誰かを連れている様子は無かった。恐らくは単独での依頼遂行が主なのだろう。それに一人で出来る事をわざわざ複数人でしたいタイプとも思えない。報酬も分配するから分け前も減ってしまう。そんな彼が一党を結成しようと思い立つ確率は、少なくとも女武闘家からすればかなり低い。
「噂でしか聞いていないけど、あの人飛び級で白磁からいきなり鋼鉄まで上がった数少ない特例の冒険者で、仁も義もある寛容な人間性って話よ。確信はないけど、下手に上位の一党に縋るよりは可能性はある。駄目ならその時はまた考えましょう」
「皆さん、おはようございます!」
丁度、起きたら相談を持ち掛けようと思っていた女神官がいつもの服で二人に手を振った。
「お加減はどうですか?」
「平気。これも貴方のおかげよ。奇跡のおかげで命拾いしたわ。ありがとう、そしてあの時きつく当たってごめんなさい」
女魔法使いは女神官にお辞儀をした。
「い、良いんですよ、別に!あの時は――」
しかしその言葉を彼女はいいえ、良くないわと遮った。
「私が入り口から続く通路が一本道だと決めつけた所為で背後から奇襲を受けて、結果的に足を引っ張った。貴方は命の恩人よ。これから何か協力出来る事があったらいつでも言って。最優先で駆けつけるわ」
「私からもお礼を言わせて欲しいわ。足を引っ張ったのに治してくれたおかげで邪魔にならずに済んだ」
そしてゴブリンの慰み者にされることも回避できた、と女武闘家は心の中で付け加えておく。
「お二人はこれからどうするおつもりで?」
女神官の質問に二人は包み隠さず計画とすら呼べない博打の内容を話した。
「良ければ貴方も一緒に来て欲しいんだけど・・・・・・」
断られることは大前提の誘いだ。自分達から勧誘しておいて、勝手に自滅しかけたのだから当然だ。
「私は・・・・・・正直に言うと、お二人と一緒に行きたいです。けど、私も自分なりに進みたい道があって」
「進みたい道?」
「はい。この世界で恐らく一番多い怪物は、ゴブリンです。そしてそのゴブリンを退治する『最優』の冒険者が辺境の街にいると。今回の被害に遭った方々の様な犠牲者を救う為にも、勉強したいんです。でも初めて一党を組んだお二人と離れるのは、その・・・・・・・」
もにょもにょと目を伏せて女神官は言い淀む。
「そっか。優しいね、あんた。でも私達にそこまで気を遣う事はないわよ」
女武闘家の言葉に女魔法使いもその通りよ、と頷く。
「どうしても決められないなら、硬貨の裏表で決めるのはどう?偶然拾った命なんだし、また偶然に委ねればまた何かいい事があるかもしれないわ」