門の様に半円を描く文言を口ずさむ。五回、十回、三十回、七十二回と。
『縛につきし時』と『解き放たれし時』。この二つに当て嵌まる物ですぐに思いつくのは砂や水などの『流体』と何らかの形で繋ぎ留められた『生物』。どちらもコップに瓶、箱や犬小屋の様な入れ物に入っている状態と出ている状態が当て嵌まる。だがそこから続くその『何か』を形容する文言全てに当て嵌まる物を選び出さなければならない。選択肢の数は膨大だ。
『流れ、零れ、露と消えん』という事は、『流体』、それも『液状の物』だ。とりあえずこれで選択肢はざっくり半分に減った。
答えは『薬液』か?薬は容量、分量と言う縛、制限を守れば病を癒して命を救うが破れば物によっては毒となって死を招く。それは一応悲劇と言えよう。貴賎は材料の状態や作り手などの要因を総合した、全体的な質の善し悪しで分けられるし、水分を含んでいる以上、徐々にだが蒸発だってする。
だが否である。薬液は『欲を滾らせ、怒りを煽る』事はしない。滋養強壮剤や精力剤が当て嵌まるかもしれない。それらを声に出して回答したが、何も反応が無い。恐らく不正解。
『牛乳』?違う。
『汁物料理』?違う。
『
また一頻り考えながら文言を口ずさむ。八十一回、九十三回、百六回、百二十二回。
そこで閃く。答えは『酒』だ。入れ物に入っている時もあれば、入っていない時もある。値段が高い物もあれば、二束三文で買い叩かれる安物もある。飲み過ぎて前後不覚となった奴はとんでもない事をしでかし、誰ぞに降りかかる悲劇を生む。そして酒は飲んだ者の気を大きくしたり喧嘩腰にさせたりする。蒸発も当然する。それこそ水よりも速く。酒は百薬の長と言う言葉がある通り、一部の薬は酒に混ぜたり酒その物を材料にした例もあり、命を繋ぐ。当然、飲み過ぎれば死ぬ。
だが否である。無反応だ。試しに持っていた小さい酒瓶の中身を残らず岩肌にぶちまけてみたが何も変わらない。これも不正解。
「こんな長丁場になるならもっと糧秣を持ってくるんだったな」
馬の世話はしておくし、歩ける距離だからと馬は村長の馬房に置いて行ったままだ。他に答えがあるか馬を問い質してみたいが、それも出来ない。農産物が村の収入となっている以上、畜産動物は少なくとも自分よりは歓迎されるだろう。自分がここで頭を抱えて悩んでいる間、ブラッシングだけでなく穀物やビールなどを馳走されているんだろうなと勝手に考える。羨ましい限りだ。
ビールは飲まなくはないが、こういう時はワインが無性に欲しくなる。それもトゥサン公爵領で作られた物が。白ワインは港にある屋台の物が美味い。焼き魚と合う。だが一番はやはり赤だ。中でも香辛料と混ぜて軽く温めた温葡萄酒は、肉料理に合い、ウィッチャーの好物の一つである。特にほんのり赤身が残り、ナイフを入れた時に血と肉汁が皿に流れ出るミディアムレアの焼き加減が――
「これだ!」
そうだ、これだ!
ウィッチャーの脳裏で、答えがはっきりと像を結んだ。敵がいるかどうかも構わず、閃きが口をついて飛び出る。
答えは――『血液』である。
人の血筋は貴族や平民といった貴賎で分けられる。
解き放たれた時、つまり流血沙汰は悲劇と言える。
怒れば滾った血は頭に昇り、情欲に突き動かされれば局部に降りる。
今まで試みた回答同様、血も液体であり、流れ、零れ、蒸発すれば露と消える。
縛についた血、つまり体内を巡っている間は生を得るが、体外に流れ過ぎれば、どんな生き物でも例外なく死に至る。
剣術の稽古をしながら繰り出される謎かけを答える、複数の事を同時に考えながら体を動かす久しく忘れていた訓練があったが、あれが一番嫌いだった。いや、と言うよりは剣術と言う得意且つ好きだった物に対するやる気が苦手な謎かけが生み出す消極性に相殺され、後者が徐々に競り勝っていた。知恵比べを仕掛けて来るモンスターなどいないのだから。精々が酒の席での賭けの対象にするのが関の山。
少なくとも、今までは。
「帰ったら謎かけの本でも探すか」
またここまで時間を無駄にさせられてしまう場面に出くわすかもしれない。時間が惜しい依頼を受けた時につまらない立ち往生をするなどまっぴらごめんだ。
短剣をブーツから抜き取って掌に軽く傷をつけ、それを刻まれた文字に叩きつける。
「汝求むる物、それ即ち『血液』なり。
そう唱えた刹那、岩と岩が擦れ合う耳障りな音と共に、半円の中心部が持ち上がり、下へと続く広い階段が現れた。引きずられた事によって伸びた血痕と土を踏み締めたアウルベアの足跡に塗れた階段が。
月明かり出入り口付近だけがぼんやり見えているだけで奥は真っ暗だ。一応今のままでも視界は確保できているが、その範囲も限定されている。雑嚢から『猫の目』の霊薬を抜き取って呷り、剣を抜いて踏み込んだ。忍び足で石階段を踏み締めるも、微かな筈の足音がいやに響く。
階段は下に伸び続け、螺旋を描いておよそ二階分降下して大きな部屋に繋がった。だだっ広いその地下空間は地上までが吹き抜けとなっている。獣と血、野草と腐った肉などの様々な悪臭が入り混じり、ウィッチャーは顔を顰めた。五感が鋭いのも考え物である。
階段の下には壁に据えられた金輪とそれに続く太い鎖が二本。獣臭さの根源はここだ。何より地面に散乱して踏み潰された羽毛や砕けた小骨がある。つまりアウルベアは野生ではなく、飼いならされていて、あの村を襲ったのも飼い慣らした何者かが狙ってやったと言う事になる。
動物の血液は勿論の事、人間、特に女子供の血や骨は様々な術に用いられる。魔術師は勿論のこと、その他の知性を持つモンスターなどにも。
勿論、第一人者の
脇の平たい石の上は何らかの祭壇だろうか、獣や人の骨で作った装飾品や生皮に刻み込まれた幾何学的な模様が真鍮製の椀や書物、長い包丁にも見える短剣などと一緒に陳列している。ゴブリンシャーマンがトーテムを更に発展させた物かもしれない。だが祭壇の横の棚を見てその可能性は限りなくゼロになる。瓶詰めにされた臓腑や手足、髪の毛がそれぞれ何かしらの液体に漬けられて保存されていたのだ。
一番大きな物には胎児が一人、丸ごと入っていた。襲われた家族の末っ子だろう。
ゴブリンスレイヤー曰く、ゴブリンは物を作るという発想は無い。無いなら無いで何らかの方法で奪って調達すればいいと考える。トーテムならともかく、棚を作るような事は無いし、食料を保存するなどと言う考えも持たない。
「まさかまたアレじゃないだろうな・・・・・・?」とウィッチャーは独り言ちるが、嫌な事に関しての勘は人一倍冴えている自覚がある為、高確率でアレだと直感する。妖婆だ。その考えは部屋の中心に据えられたウィッチャーの腰までの高さがある大きな脚付きの鍋で確信に変わった。悪臭の大半はゴポゴポと音を立てて茹るそこから来ている。
妖婆と会敵したのは名主との一件が初めてだが、前回は幸い屋敷一つに容疑者の範囲が限定されていたから早期解決に至った。だがあれだけ規模が大きな村となれば一人では追跡しきれない。少なくともこの塒を捨てた様子はまだ無い。となれば家移りを実行する前にここで掃滅せねばならない。
理想を言えばアウルベアと妖婆は各個撃破したい物だ。獣使いと獣をセットで倒すのは中々骨が折れる。加えてそれぞれに効く剣を両方使わずに済む。ゴブリンスレイヤーが使うような摺り上げた物での二刀流ならまだしも、自分が使うのは長剣だ。出来なくはないが確実に立ち回りが面倒になる。
正面玄関同様、またどこかに謎かけを解いて開く魔法の扉がどこかにあるんじゃないだろうかと考えるが、それらしい物は見当たらない。これはいよいよここに泊まり込んで寝ずの番をする事になるのではないかと思った直後、真鍮製の椀が見えない投石機で射出されたかの如くウィッチャーの頭目掛けて放たれたが、背中付近の空間が青白く光って明後日の方向へと跳ね返る。
敵の姿は見えない。ならば見せなくとも倒せるように立ち回るだけだ。
ウィッチャーは階段まで後ずさり、駆け足で登り始めた。一階分上がった所で
とりあえず先制の初撃は食らわせられた。後は一旦外に出て野戦に持ち込む。
少なくともそれが当初の計画だったが、最後の一歩を踏み出して外に出た瞬間横殴りに吹っ飛ばされた。迫りながらも鼻腔をつく獣臭。アウルベアだ。予め印を結んでいたのが功を奏して致命的な怪我は負わなかったものの、一対多で立っていない状態と言うのは非常にまずい。
更にアウルベアの前足が二度、三度と振るわれ、ウィッチャーは転がりながら距離を稼いで身を躱し、ようやく片膝立ちになって不意打ちを食らわせて来た相手の全体像を捉えられる。
アウルベアの番いが一組と、その一頭の上に座る、山羊の様な捻じれた角を生やした大の男程の上背のあるボロボロの修道服を着た老婆。月明かりに照らされて見えるその目は熾った炭火の様に赫々と怒りに燃えていた。
「おのれ人間、よくも我が妹分を殺してくれたな」
しわがれた声からは滴るほどの憎悪と怨嗟が混じる。見ると両手にはそれぞれ長柄のピッチフォークと鎌を持っていた。
「申し訳ない・・・・・・とは言えん。こちらも仕事なのでな。それに一家丸ごと殺してしまってるから、レイスやボッチリングが後々残る様な真似をされちゃ迷惑だ。ああ、そうそう、もう一人穴倉の中にいたが、そっちも多分死んでるぞ。生きてても手足の一、二本は吹っ飛んでるからまともには動けない。妖婆は三人寄って
「あ・・・・・姉上!そい、つは、もう二度呪文をっ・・・・!あと一、二度凌げば殺せる!」
椀を投げつけたであろう二人目の妖婆が足を引き摺りながら隠し通路の出入り口に現れる。だが満身創痍だ。左腕は肩の付け根から無くなっており、髪も焼け焦げて頭皮が剥き出しになっている。顔の大半は焼き潰されていた。辛うじて開いている右目が許すまじとウィッチャーを睨むが、当の本人はコキコキと首を鳴らすだけで目もくれない。
「ほう、生きてたか。だが、何を勘違いしているかは知らないが――」
「
戸口の妖婆は指が欠けた右手をウィッチャーに向けて伸ばし、詠唱を完了する。
「行けぃ!!」
角付きの妖婆はアウルベアの脇を踵で蹴り上げ、番いと共に突撃する。呪文が使えなければこの物量に単独で押し勝つ事など不可能。左右に避ければアウルベアと妹が迎撃し、上に跳ぼうとすれば自分が鎌とピッチフォークで叩き落す。逃げようとしてもアウルベアの総力とは競えない。開けた平野で四対一。地の利、数の利はこちらにある。
――勝った!
だが満身創痍故の妖婆は理解していない。ウィッチャーが操る魔法、『印』には詠唱など必要が無い事を。
剣を抜いたウィッチャーは悠然と雑嚢から『ペトリの魔法薬』を抜き取って飲み干すと、左手を後ろに引きつけた。そして十分に近づいた瞬間、最大火力で
突撃の出鼻をくじいた所でウィッチャーは剣を左に持ち替え、右手に銀剣を抜く。当然、狙うは手負いの妖婆。呪文も唱えずに術を行使した事に度肝を抜かれた彼女の反応は一歩遅く、再び掲げた右手を切り飛ばされ、心臓を貫かれた。最後に首を刎ねて死体を階下に蹴り落とし、未だ立ち上がれないアウルベアに向き直って喉を貫き、捻って掻き切る。とどめにその傷を踏みつけ、思い切り体重を乗せる。大きな枝が折れる様な音と共に頸椎が破断し、アウルベアは動かなくなった。
これで一対二。相手方の数の利が傾き始めた。血を拭い、銀剣を一旦しまうウィッチャー。
「残り、一人と一頭。お、声も戻ったか」
『ペトラの魔法薬』の効果が切れるまではまだ数舜残っている。
しばらくはそれを右に左に避けていたウィッチャーだが、彼女が乗っていたアウルベアが視界から消えている。
まさか逃げたのか?だとしたら時間は掛けられない。あの村は見張りこそあるがアウルベアを倒すには装備が不十分だ。隙をついて一撃を入れようと剣を振るおうとしたその瞬間、左側から岩のように重い羽毛の壁に倒され、のしかかられた。
鋭利な円匙や槍の穂先を思わせるような巨大な嘴が顔面をぶち抜かんと突き下ろしてくる。ぎょろりとした双眼は瞬き一つせず、攻撃をやめない。
「そのまま食い殺してしまえ!」
この重量は撥ね退けられないし、ブーツの短剣にはこの体制では手が届かない。これだけ接近されていては剣も使えない。両手はアウルベアの頭を押さえつけるので手一杯な為、印も結べない。
再びアウルベアの嘴が迫り、それを喉に届く寸前で受け止めるウィッチャー。
この状態で弄せる策はたった一つ。失敗すれば最悪印を結べなくなるかもしれないが、やらねば死ぬ。意を決し、拳を固めると、嘴の間に割り込ませ、一気に肘まで押し込んだ。押し込みながらも指が潰れる前に印を結び、再び
破裂したカボチャの様にアウルベアの後頭部が吹き飛び、頭蓋の欠片に血と脳漿が雨あられと降り注ぐ。腕を抜き取り、完全に死骸の体重がのしかかって動けなくなる前に飛び退く。
「さて、これで正真正銘、お前一人だ」
ぴくぴくと鼻が、こめかみが怒りで引き攣るが、思考が出来ないほど頭に血が昇っているわけではない。この剣士は間違いなく強い。それもあれほどの劣勢をひっくり返す程の手練れだ。ならばとるべき行動は一つ。
逃走だ。妹分は残念だが、やはり己の命には代えられない。
だが、それを許す程ウィッチャーも消耗してはいない。剣を拾い上げ、左手の動作を確認する。指が多少引き攣るが、閉じたり開いたりなどの動作は問題ない。走る妖婆の後を追い、逆手に持った剣を力一杯投げつけた。回転し、重力に従って放物線を描くその剣は夜の闇に溶け込んだが、しばらくしてからぎゃっ、と声が遠方で聞こえた。
「妖婆はやはり嫌いだ」
銀剣を抜き、仕上げにかかる。
ウィッチャーが討伐の証を携えて依頼を出した村に戻ったのはまだ日の光も出ていない早朝だった。見張りの者達が即座に門を開け、血に塗れたウィッチャーを招き入れる。村長の
「それで?」
「アウルベアは倒した。二頭な。重かったから死体は持って来れていないが、代わりにこいつを持って来た」
そう言いながら、妖婆二体の首を掲げて見せる。未だ切り口から赤黒い血を滴らせる凄惨なその相貌に、村長以外の者は顔色が一気に悪くなった。
「こいつらは妖婆だ。アウルベアを操っていたのはこいつらだ。だが殺した。奴らの隠れ家は痕跡が途切れたあの岩の中にある」
事のあらましを話しながら、ウィッチャーはそれを見張りが使っている焚火の中に放り込み、簡潔な報告をする為に村長の家まで戻った。
「まさかよりにもよって妖婆とはな。それも二人も・・・・・・」
「とある名主を毒殺しようとした妖婆を含め、三人。これで
「それで・・・・亡骸は・・・・・?」
「ああ、あった。既に奴らに解体された後だったからもう原形は留めていないから、踏み込むなら覚悟をしておけ。それと、中にある物をいくつか持って行く。アウルベアだけではなかった以上、不足分を補填したい」
「勿論構わんよ・・・・・ありがとう、本当に」
「気にするな、これが仕事だ。ああ、それと確認なんだが、死んだ一家の末っ子は名前を付けられていたか?」
「名前?ああ、その筈だ。当時は生まれてから三ヶ月と少しだったからな」
「ならいい。手厚く埋葬してやれ。火葬が望ましい」
ボッチリングを始末する為にここに戻りたくはない。
「そうするよ。二階の客室が開いている。好きに使うと良い。水とタオルも用意させよう。何か食うか?」
「頼む。それと、アウルベアの死体を持って帰る為の荷馬車が二ついる」
武器屋の翁の鼻を明かしてやれるまたとないチャンスだ。どんな驚く顔を見せてくれるか、今から楽しみだ。
次回は一話挟んでからお待ちかね(かどうかは知りませんが)ゴブリンロード戦です。これも前編・後編に分かれるかも?