こちらの手違いで申し訳ない。
「ふむ・・・・・・」
下水道を松明の明かりを頼りにしながらウィッチャーは進む。
ギルドの宿に泊まった翌日、張り出された依頼書の中から目当ての物をいち早く掴み取った彼は害虫駆除を選んだ。害虫も害獣も、長い目で見ればモンスターの延長線で性に合っていると考えた結果だ。
既にジャイアントローチを二十体は剣の錆にし、ジャイアントラットも小振りな巣を見つけ、ある程度を
下水道と言う煙の逃げ場がない所で火を焚くなど自殺行為だと誰もが言うが、むしろ下水だからこそ、なのだ。死体をそのままにしておけばそこからまた菌が繁殖し、虫がたかり、そこからまたジャイアントローチが生まれ出る。それに火がある程度収まったところで
後で剣の刀身をウォッカか何かで洗い流して消毒しなければな、などと考えながらウィッチャーは先へ進む。未だにブーツに収めたままの短剣も使おうかと一考したが、やはり病原菌を持った相手を斬った際に飛び出る体液を避けられない距離まで詰め寄るのは嫌だった。慣れたとはいえただでさえ下水道と言う汚物塗れの環境にいるのだ。ウィッチャーは大抵の病気や毒に対する免疫が常人以上であるとはいえ、無用に危ない橋を渡る必要も無い。ここにはケィア・モルヘンの砦は存在しないのだから。
途中、硬い物を踏みつける感触があった。足を退けると、そこには自分と同じ認識票が落ちている。鋼鉄製だ。革紐は無くなっていて、形も踏みつけられたか噛まれたせいで多少ひしゃげてしまっている。一応持ち帰って見つけた事を報告しようとそれを懐にしまい込んだ。
こんな所で鼠や虫、更には病に蝕まれて最期を迎えるなど、さぞ無念だろう。死体が残っていなければ悪霊などに化けて出る事も無いのがもっけの幸いだ。
いや、しかしどれだけ遺体が残っているか、その比率に応じて顕現する力や能力の高さが変わったりするのだろうか?一考に値するし、朝餉の合間に目を通した怪物図鑑にでも記載すれば中々貴重な情報となるだろう。
角を曲がると、パリパリッとビスケットでも踏み砕くような音がした。足元に目を落とすと、ちょうど人骨の手を踏み砕いていた。肉は完全に腐敗したか食い尽くされており、衣服も原形を留めておらず雑巾にもならない程度の布切れしか残っていない。しかし辛うじて残っている胴体の、それもあばら骨の内側に鎖を通した白磁の認識票が引っ掛かっていた。注意深くそれを刀身に引っかけ、自分の方へ手繰り寄せてから先に進み、去り際に再び
「しかし、こんな下水でドラウナーが一体も出ないとはどういう事だ?」
思わずそんな言葉が声に出てしまう。勿論、あんな薄汚い化け物、出ないに越したことは無い。が、こうまで腐乱死体や水場があるこう言った場所は、絶好の環境と言える。閉所で獲物の逃げ場は少なく、しかも泳げる、陸地でも素早い。四、五体に群がられれば市井の人間や経験の浅い冒険者などあっと言う間に水中に引きずり込まれて食い物にされてしまう。
直後、メダルが震え始めた。咄嗟にウィッチャーは背負った銀の剣に手を伸ばし、ゆっくりと柄を握り締めた。一歩ずつ、骨を避け、朽ち果てた布地を避け、爪先から踵までを丁寧に下ろし、忍び足で進む。
一歩踏み出す度、第二の心臓の様にメダルが鳴動した。一旦松明を置き、ブーツの短剣を抜くと、鏡の様に磨き上げられた刃の腹で曲がり角の向こう側にある物を見る。
ブーツ一足分宙に浮くそれは女性の腐乱死体がそのまま幽霊となったような悍ましい姿の何かが屯しており、足元にはジャイアントローチもジャイアントラットも群れを成してその場を右往左往している。
最悪だ。悪霊の中でも一番始末に負えないタイプに出くわしてしまった。
疫病を振り撒き、病の元となる生き物をも従えるそれは
よりにもよって閉所で。だが会ってしまった以上、無視するわけにもいかない。こんな所でぺスタに殺されれば第二、第三のぺスタが時間の経過と共に生まれてくること請け合いだ。増えてゴブリンの様に群れを成した場面など想像したくもない。
油を入れた瓶のコルクを外して手近な布を注ぎ口に押し込んで油に浸してから松明で点火し、即席の火炎瓶を作った。三つ数えてから曲がり角から飛び出し、まず害虫と害獣の群れの渦中にそれを投げ込む。悪霊に火責めなど効かないが、狙いはもとより従えている群れの方であり、炎の壁があればおいそれとは近づけない。
もう隠れる意味も無くなってしまい、ウィッチャーは銀剣を抜刀、悪霊のオイルが入った瓶を傾けて剣の樋に沿ってそれを塗りたくり、刃全体に行き届かせた。
当然、ウィッチャーの存在を察知したぺスタは追ってくる。おまけに相手は実体が無く浮遊できる以上、足元の障害物など問題にはならない。出会ってしまったのは最悪だが、発見者が自分の様なウィッチャーであったのが唯一の救いだろうか。
能力の差はあれど、ぺスタは生前死んだ場所から遠く離れる事は出来ない。兎も角可能な限り離れてギリギリまで引きつけて奇襲を食らわせる、それが計画だ。
しかし、ぺスタによって操られているのか、はたまた単純によそから移動して来たのか、ウィッチャーの企みは進行方向から迫る新たなジャイアントローチの群れによって打ち砕かれた。更に運の悪い事に、
ならば、とウィッチャーは懐から爆薬の包みを取り出した。ウィッチャーの間では『竜の夢』と呼ばれる、可燃性の気体を辺りに放出する物だ。虫けら程度に使うには正直勿体無いというのが本音だが、挟み撃ちは己の命が勿体無い。即座に投擲してガスが充満する時間を稼ぐために背後に
陣に飛び込んだぺスタの動きはにわかに鈍り始め、ガスがある程度充満したのを確認した直後、
「ちゃっちゃと逝けよ、
未だ
戦闘は一旦終了した。ウィッチャーは壁に背を預けるとそのままずるずるとしゃがみこんだ。めまいと吐き気が突如襲い掛かり、咳き込み始めた。煙を吸ったのもあるのだろうが、知らぬ間にぺスタの病毒に犯されてしまったらしい。再び雑嚢を探り、円筒型の瓶を引き抜いて中身を空けた。舌が数秒強い酒を飲んだように痺れたが、薬が回るのを待つこと数分後、呼吸が楽になり、諸症状も徐々にではあるが引き始めている。
「これだから悪霊は嫌なんだ」
二体目に出くわさない事を誰ともなしに祈りつつ、ウィッチャーは立ち上がった。相変わらず蠢く鼠やゴキブリの音が絶えないが、最後の後始末が残っている。元来た道を戻るのは焼け焦げた死骸を辿ればいいだけの話で、大した時間もかからず最初にぺスタに遭遇した曲がり角に辿り着いた。
メダルがまだ震えている。
群れは操っていた主が失せ、更に火炎瓶で燃え続けた炎も相まって消えており、死体や死にぞこないの害獣たちが残っているだけだった。止めを刺しつつ進んでいくと、外套に身を包み、蹲った比較的綺麗に残った白骨体が目に入った。認識票は無い。恐らく大型のジャイアントローチに肉ごと食われてしまったのだろう。
短剣を抜き、てこの原理でそれをどかすと、埃と煉瓦の土に塗れた小さな木製の箱が現れた。鍵は付いていたのだろうが、もうとっくの昔に朽ち果てていて錠前としての用を為していない。木も腐っていて力加減を誤れば潰してしまっていたことだろう。
箱の中身には経年劣化で黄ばんだ折り畳まれた羊皮紙と巾着袋、そして漆を塗った木彫りの鳥が入っていた。注意深く羊皮紙を開くと、血をインクにして書いた字があった。
ただ一行、『箱の品を、家族の元へ』とある。
「安心しろ。きっちり送り届ける」
聞こえる筈は無いが、一応声に出してそう言ってやる。霊と言うのは無念ややり残したことがあって現世に留まっていることが群を抜いて多い。せめて今際の際の頼み事を聞いてやれば思い残すことなく草葉の陰から立ち去ってくれるだろう。
そういった呪縛を元から断ち、呪縛と成りうる物の芽を率先して摘むのも、ウィッチャーの仕事なのだ。
染み付いた下水の臭いを可能な限り井戸の水浴びで流し、髪も乾かぬうちにギルドの受付へと戻る。
「ウィッチャーさん、お帰りなさい。初めての依頼、お疲れ様でした」
「ああ。中々・・・・・有意義な仕事だった」
「そうですか、それは良かったです」
「報告する事が二つある。一つは、冒険者の遺品と遺書を見つけたから届けてもらいたい」
そう言いながら木箱に入っていた品と認識票をカウンターに置いた。
「死体の劣化具合からもう年単位の時が流れているが、これだけはどうにか無事に遺せたらしい」
受付嬢の笑顔が見るからに憂いで曇った。認識票に彫られた情報はまだ読み取れる。記録と照合すれば親戚縁者や近しい者の氏素性はすぐ分かるだろう。
「そうですか・・・・・・お届け、ありがとうございます。我々ギルドの職員が責任を持ってご遺族の方々にお送りします。二つ目の報告は何でしょう?」
「下水道で悪霊が出た」
憂いの表情が、驚愕に変わる。
「あ、悪霊!?」
「ああ。無論、始末したが――」
「ちょ、ちょっと待ってください!えっとぉ・・・・・」
他の男性職員に口早に何かを耳打ちすると、彼は頷いて奥の上階へと続く階段を登って行き、数分後に巻き羊皮紙数本を小脇に抱えて戻って来た。
「二階で詳しいお話を伺えないでしょうか?」
「承知した」
応接室に通された後に茶を出され、ウィッチャーは報告を始めた。受付嬢は黙って羽ペンを動かし、彼が言う事を書き留めて行き、時折補足の質問に答えてもらっては更に書き足すという作業が始まった。その隣には監査官の肩書を持つ別の職員が受付嬢と時たま顔を見合わせ、頷き合い、また書き足しが続く。
「一つ聞きたい。二人は何故そう何度も顔を見合わせて頷く?もしや恋人同士なのか?」
それを聞いた監査官は腹を抱えて笑い始めた。真顔で言ったのを冗談の類と受け取ったのだろう。
「え?ああ、いえいえ、違いますよ。これは事実確認の為に
そう言った術もあるのか、と得心がいったウィッチャーはなるほどと頷く。更にぺスタの詳細を事細かに話すと、二人の顔色と目つきが徐々に険しくなった。
「そのぺスタと言うモンスターは、もう現れないと考えてよろしいですか?」
「俺が倒した個体に限ればその通りだが、それ以外となるとどうだろうな。悪霊という物は基本やり残した事がある者や非業の死を遂げた者が成る。そうなるまでの期間も、情念の強さに左右されるからピンキリだ。が、その場合死んだ場所から一定の距離しか離れる事が出来ない。離れ小島の全体を移動できる個体もいれば、縄張りとしている屋敷の中から離れられない個体もいる」
「なるほど・・・・・お話は分かりました。ありがとうございます。下で報酬を受け取ってください。初心者の冒険者さん達にも伝達するように上に通しておきますので。もしまたぺスタが出たら、お願いしますね?」
「分かった。では、これで失礼する」