第二話「我、天元の花を目指す者也」
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「いやー、やっぱり山は良いわー!」
霊峰。遥か高みを保ち続ける巨大な名もなき山。
誰一人として立ち入る事を許されず、誰一人として生きて帰る事が出来なかった危険地帯。
その山を、その霊峰を、黒鉄天華は登っていた。
否、もう彼女は『黒鉄』ではない。絶縁を言い渡されてしまった以上、もう彼女は黒鉄家の人間ではないのだ。
だが、彼女は己を黒鉄天華であると言い続けている。
曰く、『名字無くなったら弟達と繋がれないじゃない!』との事だ。あいも変わらずブラコンシスコン拗らせてやがる。
笠帽子を被り、とても特徴的な服装の彼女は、正しく『漂流者』。
この世界を漂い流れる旅人―――もとい、宮本武蔵にそっくりだ。
「山登りなんて久々だけど、やっぱり楽しいものよね! よく一輝と一緒に修行しに行ったのが懐かしいわー……あぁ、寂しいです」
山を登りながら、がっくりと大きく肩を落とし、どんよりとした雰囲気を醸し出す。
黒鉄家から絶縁を言い渡され、最後に黒鉄王馬と死合をして勝利し、各地を旅し続けて早数ヶ月。
ブラコンシスコンである彼女にとって、家族―――弟と妹のみ―――と別れる事は辛く悲しい事だった。耐え難い苦痛だった。
数ヶ月という長い期間、旅としてはそこまで長いとは言えない期間ではあるが、しかし彼女にとっては、家族に会えぬ数ヶ月など幾星霜の時にも等しいのだ。
「ふー…でも、流石にそろそろ割り切らないとかな。このまま私情に流されてても、頂には至れない。そもそも私は、まだ『無空』にすら達し切れてない訳だし」
無空。それは剣者が到達する最高の位。究極の境地。
数少ない剣聖の一人として数えられ、新陰流の開祖として有名である「上泉信綱」の弟子の一人である「柳生石舟斎宗厳」が流祖を務めた柳生新陰流の極致たる水月に相当する位。
宮本武蔵が到達した境地。天眼を開眼する以前から、既に到っていた彼女だけの世界。
空位を目指す以前に、まずはその無空の境地に到達する事が出来ていなければならない。
黒鉄天華が目指すは『空位無天』。空位と無空―――その両方を収める事こそ、彼女の目的だ。
その為にも、まずは無空に到達する事から始めなければならない。
「さて、と! 取り敢えず、雑念を払う為にも素振りしますか!」
霊峰の山頂へと辿り着き、絶景を眺めながらぐーと凝った背を伸ばす。
剣の修行に雑念は不要。雑念を払うに必要なのは剣を振るう事による精神統一。
それ即ち、剣禅である。
腰に差した愛刀の大刀へと、手を伸ばした―――その時に。
何かで風を振り斬られた音が響いた。
「―――!?」
咄嗟に、腰を落とす。自分の頭が有った場所を、横一閃で何かが空振った。
ばさり、と。被っていた笠が無残にも真っ二つに斬り裂かれて、ふわふわと宙を漂いながら地面に落ちていく。
死んでいたかもしれない恐怖から来る冷や汗が、額から流れた。
(危なかった…! あと少しでも回避が遅れてたら―――首が飛んでた!)
地面を蹴り、何者かから距離を置いて振り返る。
それは―――影だった。全身が黒い靄に覆われた、人の形をした一体の影。
羽織の様な影、袴の様な影、刀の様な影、男の様な影。その外見から判断するならば、恐らく侍。
そして―――先の不意打ちから判断して。
(恐らく、いや間違いない―――目の前に居るこの影は、明らかに“剣の道”を極めてる!)
目の前に立つ影は―――自分よりも格上だ…!
大刀と小刀を抜き、『第五勢』で構えを取る。
流れるままに戦っても勝てる相手ではない。勘でこそあるものの、否、勘であるからこそ、それは確実だ。
本気で挑まねば、本気以上で挑まねば―――有るのは、死のみだ。
「でも、だからこそ丁度良いか―――二天一流、黒鉄天華。尋常に、参るっ!」
二刀を構え、颯爽と駆け出して間合いを詰める。それに応じる様に、影もまた一刀を構える。
真っ直ぐに、影の首へと狙いを定めて大刀が振るわれる。
が、弾かれ、流される。
弾かれる事を予期していたが如く、斜め下から影の体を斬り上げようと小刀が迫る。
が、流され、弾かれる。
白鉄が凌ぎ合う。
幾度にも振るわれる剣線、幾重もの太刀筋。
振るっては弾かれ、弾かれては流され、流されては振るい、弾かれては突きを繰り返す剣戟。
火花を散らし合う刀と刀。
弾かれ、影の鋭い一閃が服を掠る。
流され、影の疾い一刀が頬を掠る。
「シィっ……!」
数十回にも及ぶ天華の踏み込み。
剣豪として申し分ない剣の腕を持つ彼女の大刀と小刀による隙のない連撃を、影は難なく捌いて反撃する。
天華の腕は決して悪くはない。ただ、彼女が相手取っている影が桁違いの実力を持っているというだけ。
二天一流。二刀流。一方が対処されれば、もう一方で不意を突ける剣技。
たった一本の刀だけで二本の刀を捌くには、それこそ剣士として高い技術が要求される。
それを弾く、流すを幾度も繰り返すとなれば、それこそ剣豪か剣聖の域にでも達せねば難しい。
影の相手は魔力無しでAランクの魔導騎士を何度も負かした剣の天才。
武芸百般に秀でずとも、前世の生涯を剣に降り注いだ彼女の剣は決して脆くはなく、強いものだった筈だ。
だが―――それでも、まだこの影には足りない。
「くっ…! これは手厳しい!」
距離が開く。攻め合いに休憩が挟まる。
血が流れる頬を腕で拭い、汗をかきながら静かに影を見据える。
影は構えを外し、トントンと肩に反りを当てながら、余裕を醸し出して彼女を待つ。
その仕草は、まるで笑いながら「疲れたか?」と言っている様にも見えた。
(強い…あれは完全に、剣士として完成してる人の腕だ。私の剣が掠りもしない。)
剣先が影の体を捉えはする。捉える事までは出来る。
だが、そこから先にはどうやっても進めない。
あと一手が、どうしても欠けてしまう。
隙を突いたと思った連撃も、一撃を弾いて間合いを外れたと思った一刀にまた弾かれて反撃を喰らうばかり。
(となれば―――狙いは一つに絞る。一気に攻めず、一つ一つを斬って着実に追い詰める―――!)
目を見開き、“結果”を視て捉え、構える。
天眼。それは、「目的を果たす力」と言われる魔眼の一種。
一つの事柄を成し得ると決めたら、その成就のために全身全霊を傾け、必ず達成する。
自己の全存在を視線にのせ、目的を投射するものとも言える。
彼女の場合、『その場所を斬る』ことにのみ天眼が向けられる。
相手の右腕を斬ると決めたが最後、あらゆる手段で以て右腕を切断する。
無限あるべき未来を、『たった一つ』の結果に限定する、極めて特殊な魔眼である。
「この剣、見切れるか―――!」
再び、影へ攻め入る。
剣士にとって、刀を握る上で命たるは利き手。
己が扱い慣れた手で剣を握り、振るうからこそ万全を手に入れる。
故に、天華が狙うのは影の右腕。影の利き手を斬り落とし、その力を根っこから削ぎ落とす……!
二刀の切っ先が、しつこく影の右腕へと襲い掛かる。
だが、それでも影は二刀を弾く。
あらゆる手段を講じて右腕を切断しようとする天華に、影は一刀だけで抗っている。
(ウソでしょ、めっちゃ見切られてる…どんだけ強いの、この人は…!?)
一刀で弾く。大刀の軌道が逸らされる。
一刀で流す。小刀の軌道が外される。
弾かれ、流され、弾かれ、流され。
幾度となく繰り返される攻防戦は、着実に天華の剣と精神を削っていた。
違和感が体を蝕む。
結果を限定しているのは此方の筈なのに、しかし何故だか、相手の方が結果を限定している様な気がしてならない。
此方の方が―――鎖で縛られている様な。
『―――!』
弾かれる。
右腕を狙った大刀と小刀、その両方が強く弾かれ、天華の態勢が崩れる。
影が踏み込む。
大きく振り上げられた一刀を見詰め、天華は理解する。
(同じだ―――)
道理で、拮抗する筈だ。
天眼と天眼。互いに開眼し、互いに己が未来を限定していたのだ。
(間違い、ない―――この人は、)
一刀流の剣聖。ただ一振りで事を終わらせる剣技の持ち主など、世に一人しか居ない。
戦国の時代において、宮本武蔵よりも先に剣聖の称号を得た男。
一振りで勝敗を決し、宮本武蔵の攻撃を鍋の器だけで防いだとされる男。
「―――――――」
名を呼ぼうと、口を開けば。
一刀が、天華の体を斬り伏せた。
にやり、と。黒鉄天華は、笑って二刀を握り締めた。
『戦闘続行』。とても意地汚い。自分が勝つ為ならば奇想奇術、死んだふりすらお手の物。
剣士と剣士の戦いにおける勝利とは、自分が勝つ事。
最終的にどんな手を使ってでも自分が勝てば、それで良い。
敵を斬った時に生まれる、僅かな隙。
自分が勝った事を確信した時に得られる充足感から生じる油断。
「狙いは最初から首一つ! その首落とす為なら、女の肌の一つや二つくらい捨て去ります!」
視点を右腕から首に切り替えて―――大刀を、振り抜いた。
天華の体によって刀を封じられた影は、最期に「見事!」と、確かな言葉を発して。
その首を、斬り落とされた。
「危なかったぁ…いや、流石―――」
その影の名を、
その亡霊の名を、
生涯無敗の剣聖と呼ばれた男の名を、
―――塚原卜伝と云う。
黒鉄天華(むくう)
絶縁を言い渡され、世界を旅する女剣士。またの名を女武蔵。
とある霊峰にて“剣聖の影”との戦い、無意識の内に無空へ至る。
“剣聖の影”
生涯無敗の剣聖と言われた男、塚原卜伝の影。もしくはシャドーサーヴァント。
本来のステータスより下がってはいるものの、それでも前世で二天一流を完全に修めた天華を上回る実力を持っていた。