お待たせしました。早坂との決着です。
早坂家の歴史は、四宮家にも劣らない程に古く長い。
長く名家として数えられ、繁栄を誇った華々しい家であった。
四宮家との競争において敗北するまでは。
四宮本家に近い家系はいくつかあるが、その中でも早坂家は最も四宮に寄り添った時間が短い家だ。
それに関わらず、常に四宮当主と距離が近いポストを受け継ぎ、現在、早坂家当主である早坂正人は現当主雁庵の秘書を務めている。
そんな早坂家を疎む者達は多く居たが、その優秀な血筋を前に物を言える者は少なく、グループ内での高い地位に長く立ち続けている。
愛は、産まれたその瞬間から四宮家に仕える人生を運命づけられていた。
いずれ仕える事になるであろう、未だ見ぬ主人の為に、徹底的に礼儀と作法を叩き込まれた。
四宮総司、四宮かぐや。
その二人の名前を愛が知ったのは5歳の時だった。
愛は生後しばらく、総司とかぐやと共に育てられた為、正確には思い出したというのが表現としては正しいか。
『総司とかぐやの信頼を勝ち取り、一挙一動を報告しろ』
この一言から、早坂愛と四宮総司、四宮かぐやの関係は始まった。
当時、早坂家は雁庵の意向により、長男である黄光に従っていた。
早坂の娘である愛にとって、当時の黄光は、誰にもとって代えられない主人であった。
二人の起こした失敗、興味を示したもの、何を嫌がるのか、友人関係、好きな人、大事なもの、失いたくないもの、兄妹の生活全てを、愛は黄光へ報告し続けた。
『嬉しいわ!そうだったらいいのにってずっと思ってたの!』
愛が近侍となると知ったその時、満面の笑顔でそう言ってくれた少女を、愛は裏切り続けた。
『お前はかぐやの事だけ考えて、かぐやを守ればいい。俺には構うな』
口は悪いけど、何よりも妹を思う少年を、愛は裏切り続けた。
『早坂、あやとりは出来る?』
『いえ』
『それなら教えてあげる!』
少女はあやとりが好きな事。
『おい』
『どうかなさいましたか』
『次はもっと唐辛子を入れるよう料理長に伝えろ』
少年は辛いものが好きな事。
『ねぇ…。どうして早坂は一緒にご飯を食べないの?』
『えと…、そういう決まりですので』
『総司はご飯の時あまりお話してくれないから寂しいの。早坂も一緒に食べましょう?』
『ノリが悪くて悪かったな』
少女は存外寂しがりだという事。
『総司様!?その手はどうしたのですか!』
『犬に嚙まれた』
『犬!?』
少年はあまり動物に好かれない事。
何度も、何度も、何度も、少年と少女に仕えたその日から、愛は二人を裏切り続けた。
『かぐや様は本日、ご友人達と一緒に花火を見に行っていらっしゃいました』
嬉しそうに語った、掛け替えのない友人との思い出も。
『総司様は本日、生徒会で楽しそうに仕事をなされていました』
自分とは比べ物にならない激務の中で、限られた安らぎの一時も。
仕事は辛かったが、耐えられた。何故なら、早坂愛は、四宮総司と四宮かぐやが大好きだったから。
どれだけ辛い思いをしても、二人と過ごす時間は、早坂愛にとってこれ以上なく楽しかったから。
だからこそ、一人になった時、大好きな二人を裏切っている自分を殺したくなるほど嫌いになった。
『総司様には…、どうやら、恋人がいらっしゃるようです』
だからこそ、心の奥底で秘めていた恋慕の先にいた少年が、自分以外の女性を愛したその事実は、愛の胸を容赦なく引き裂いた。
鼠──────その一言を向けられた瞬間、私は何故か安心したんだ。
可笑しいよね。だって、大好きな人を裏切っていた事がその張本人にバレたっていうのに。
だけど、これで終わったんだと思ったら、もうこれ以上、この人を裏切らなくていいんだって思ったら、胸の奥底がほんの少しだけ軽くなった気がした。
「いつから…気付いていましたか」
場所は屋上。話をしようと総司様に連れられたそこには誰もおらず、沈みかけた太陽に照らされながら私は総司様へ問い掛けた。
「初めから─────と言いたい所だがな。お前の隠蔽は完璧だったよ。親父に後継者の指名を受けるまでは、お前を疑いもしなかったよ。…疑う必要もなかったからな」
総司様は、四宮家内のポストになんて興味はなかった。それが変わったのが、御当主に次期後継者として指名を受けたあの日からだ。
あの日から、総司様は周りを疑わざるを得なくなり、それこそ一時期はかぐや様との交流すらもなくなった。
口は悪くとも他者を思い遣れる優しさを持った総司様にとって、周りにある全てを疑わなくてはいけないあの日々は、心を擦り切らしていった。
優しい光を宿していた瞳が、少しずつ他者を恐れさせる黒に染まっていくのが見てとれた。
「…私が裏切り者だと気付きながら、泳がせていたという事ですか」
「お前をひっ捕らえるのは簡単だが、そうすれば兄上はまた代わりの奴を俺に差し向けるだけだからな。なら、気付いてないフリをして泳がせる方が賢いとは思わないか?」
総司様のその言葉は、非の打ち所がない程に正しくて、残酷な程に私の心を引き裂いた。
総司様にとって、私は─────
「貴方にとって、私は黄光様を追い込む為の手段だったって事ですか」
総司様は何も言わず、ただ私を見るだけ。その反応が、私の言葉が正しいという事を裏付けていた。
私はそう思っていた。だってそうでしょう?総司様が裏切り者を許す筈がない。私への裁きは後回しにして、自分の利益の為に私を有効活用した。
その方が、自然だ。
「やっぱり、そう思うか?」
「…え?」
「初めはそうだったんだがな。一緒に過ごす内に、お前も身内の一人として捉えるようになった─────っていうのは、やっぱ可笑しいか?」
まさか、あの総司様がそんな甘い考えをするなんて、微塵も思いもしなかった。
だけどこの人は、自嘲の笑みを浮かべながら、確かに言った。
総司様は身内に甘い。かぐや様は勿論、自分を疎んでいるにも関わらず、兄である黄光様や雲鷹様にも、基本的に総司様は非情になり切れない。
ただし、総司様が身内として捉えている人数は限りなく少ない。
父と、一人を除いた兄弟達。そして、友人である生徒会メンバー達。
今まで総司様が出会って来た多くの人達の中で、十人にも満たない、たったそれだけの数の中に、気付かぬ間に私も加えられていた。
「正気、ですか?」
「一人になる度に俺とかぐやに謝りながら泣いてる姿を見たらな。俺も鬼じゃないし」
「っ──────」
私は総司様が好きで、かぐや様も好きで、二人と一緒に過ごす時間が堪らなく好きで、だから、一人になると二人を裏切ってる罪悪感に押し潰されそうになって、涙が止まらなくて。
そんな自分を見られていた事に、途轍もない羞恥を覚える。
「変態っ!すけべっ!すけこましっ!」
「理由と経緯はどうあれ覗き見したのは認めるから変態とすけべは良いとして、すけこましは可笑しくないか?」
「いいえ、可笑しくなんてありません!貴方のその優しさのせいで、今、貴方の目の前にいる女がやられてしまってるのですから!」
一度点った火は止まらない。どころか、点火した炎はブースターの如く私を更に勢いづかせていく。
「他人に興味ない振りをして、そうやって誰も気付かない誰かの弱さを見つけて、優しい言葉を掛けて!」
『おい。疲れたのならとっとと休め。かぐやの前でその湿気た面を見せたら承知しないぞ』
この人はいつもそうだ。
私が見せまいとする弱さを簡単に見抜いて、言い当てて、そして優しい言葉を掛けるのだ。
「その癖、自分の弱い所は全く見せようとしないで!私も、かぐや様も、いつも貴方をどれだけ心配してるのか、知りもしないで!」
『何だ、まだ寝てなかったのか。…俺?他人の心配する余裕があるなら、明日の来客の対応についてでも考えておくんだな』
他人には優しい気持ちを向けて、自分に向けられればそれを拒絶し、一人困難な道に躊躇いなく飛び込んでいく。
そんな貴方の背中を見て、私とかぐや様がどんな思いをしていたか、この人は知っているのだろうか。
「シスコンの癖に!変な所でポンコツの癖に!動物好きなのに全く好かれる気配がない癖に!味覚ぶっ壊れてる癖に!」
「おい、いつから俺への罵倒大会になった」
総司様が何か言ってるが、聞こえない。
溢れ出した思いは、誰にも止められなかった。
「好きですよ!大好きですよ!初めは嫌いだったのに!かぐや様が焦がれる親からの愛を独り占めしていた貴方が大嫌いだったのに!…貴方と過ごす内に、貴方と言葉を交わす内に、私は─────貴方が大好きになっていました」
告白の言葉と一緒に、目から涙が零れる。
私は今、上手く笑えているだろうか。
…笑えていないんだろうな。下手糞な笑顔で、下手糞な告白で、恋路に悩むかぐや様に偉そうな事を言っておきながらこの様だ。
だけど、仕方ない。
「すまん。俺にはもう、愛を向けている奴が他に居る」
断られると分かり切った告白なんて、こうなるに決まってる。
うん、分かってた。断られるって、分かってた。だから─────お願い涙、止まって。
総司様の顔が苦しそうなの。私の所為でこの人をこれ以上、苦しませたくないから。
だから、止まって。笑って。この人の背中を押して。
「…ありがとうございます。ハッキリとフッてくれて」
「…あぁ」
総司様は何か言いたそうだったけど、ただ一言、頷きながら相槌を打つだけだった。
「私への裁量は全てお任せします。クビでも島流しでも、裏切りを体で清算しろという命令にも従います」
「そんな事しないからな?」
「ですが…、お願いです。かぐや様に全てを打ち明ける時間だけはください。それだけは─────どうか」
言ってから、腰を曲げて頭を下げる。
少しの静寂、その直後に吹き抜ける冷たい風。
総司様が次の言葉を発するまでの短い空白が、永遠にも感じられた。
「お前から、話すんだな?」
「はい」
「俺の手助けは」
「必要ありません」
「…そうか。それなら、好きにしろ。ただ─────かぐやと話すのなら、文化祭が終わった後を薦める」
総司様の了承を得て一息吐いたのも束の間、最後に付け足されたその一言に私はハッ、と顔を上げる。
「かぐやと話が終わったら、改めて話をしよう。俺とかぐやとお前で、これからについて。…お前がこれからどうしていきたいか、考えておけよ」
総司様はその言葉を最後に、私に笑顔を向けてから屋上を去っていった。
寒空の下、一人私は残される。
沈みかけていた太陽は話している内にすっかり沈み、辺りは夜の帳に包まれていた。
「…フッた女にそうやって優しくして。知りませんよ、総司様。あの人、相当嫉妬深そうなのに」
憎まれ言葉を叩く威勢のいい口とは反対に、私の目からはまた、涙が零れ始めていた。
「そういう所が好きだったんですよ?その優しさを先に向けられてたのは私だったんですよ?」
綺麗で可愛らしい人だった。
吸い込まれそうな天性の瞳と、仕草の一つ一つが周囲を魅せて吸い寄せる。
黄光様に命じられ、総司様の身辺を調査した時、私は星野アイとデートをする総司様を見つけた。
彼女と並んで歩く総司様は、見た事がないくらいに無防備な笑みを浮かべて、心の底からこの人を愛しているのだと、傍から見ていた私にまで伝わって来た。
『好きなら素直に告白するべきですよ』
私は昨日、かぐや様にこう言った。だって、現に私が素直に告白しなかったせいで、どことも知れない馬の骨に好きな人を搔っ攫われてしまったのだから。
「本当─────他人の事言えないなぁ」
涙は未だ止まらず。
だけど、自然と零れた笑みと共に、自嘲の言葉が漏れる。
好きなものを好きだという─────怖くて仕方がないけれど、怖がって尻込みした結果が今の私だ。
かぐや様には、こんな風になってほしくない。
「…帰ろう」
こんな所で落ち込んでいられない。私が背中を押すべき人は、一人じゃないのだから。
もう一人の主人が、好きな人の横で並んでいるその光景を思い浮かべながら、私も屋上を出て行く。
足取りはまだ重い。この失恋はきっと、しばらく引き摺る事になるだろう。
けれど、私が失ったのは恋心だけ。
かぐや様が居る。総司様も、また違った間柄としてまた関係を始められる。
「もっと良い男を見つけよっと」
その一言はただの強がり。フラれたばかりで、まだ気持ちを振り切れてない状態で、総司様より良い人なんて全く想像つかない。
だけど、いつか─────
何年後になるか分からないけれど、この失恋を吹っ切れたその時には、きっと─────!