その施設は衛星にも映らない。
よくアメリカのとある場所には秘匿性高い実験や研究、もしくは宇宙人やUFOなどの調査を行うために、ネットのマップや衛星写真にも映らないエリア51とかなんとかいう都市伝説的な場所があるというが、この地がまさにそうだった。
そこで行われているのは研究や実験なんかではない。
しかし、いずれにしても何らかの機密事項が施設内に存在することから、施設の敷地周辺には電気の通った柵で囲まれており、立ち入りはもちろん撮影も一切禁止されていて、これを無視して進んでその施設に足を踏み入れてしまった場合は、不法侵入者として見なされて問答無用であちこちに設置されているガトリングガンで蜂の巣の刑にされる。
まさに要塞。
関係者でなければ出入りどころか知ることすら許されない最硬の要塞だった。
そんな、エリア51を優に追い越すステルス機能を誇る山奥の施設の中に、一人の女子高生は立っていた。
名前は、春川フキ。
リコリスと呼ばれるエージェントの中でも最高のクラスの称号を与えられた数少ない優秀な人物。ファーストは少数精鋭であり、その位置にたどり着く者は本当に少ない。
理由は、その前に大体みんな死ぬからだ。
彼女達の仕事は、治安維持。
日本という国を平和な空間で満たすために全国各地にエージェントを配置し、犯罪が起きないように常に影で見張っている。犯罪が起きそうになればすぐ出動、そしてそのまま帰らぬ人となるケースが多い。
治安維持を目的で発足した組織。犯罪の取り締まりなど、『命』をかけた仕事をするその集団は、まさに死と隣り合わせの日々を送っていた。明日自分の命があるかわからない毎日を過ごすエージェントたちは、昇進のためならば自分を犠牲にする。
それで存在価値を見出だそうとしているのかもしれない。生まれたときから一人ぼっちで生きてきた彼女達は、なんとか生きる理由を探そうと躍起になっている。
人は自分の存在を証明したがる。
近頃は承認欲求のために自分の人生を賭けて行動を起こす者達が多く見られるが、彼女達にとっては任務遂行だけがこの醜い世界での唯一の慰めだった。結果による評価、それを求めて彼女達は行動する。
よって、大体は死に急ぎという結果になることが多く、ほとんどのエージェントが下っ端のクラスのまま亡くなってしまう。
そんな中でも生き抜いて最高の地位の称号を得たエージェント、フキでさえ、目の前の光景は何度見ても慣れることが出来なかった。
室内に漂う緊張感は、責任感が強い彼女を苦しめる。
今目の前にはこの組織の実質的なトップの楠木司令がいる。報告書を眺めている彼女は、目付きを鋭くして資料を眺めている。
なんか、その目付きだけで人を殺せそうだった。
人を刺し殺せそうな鋭い眼光を資料に向けながら、彼女は言う。
「全く許されんな。わざわざ他国からやって来て日本の犯罪を勝手に解決するなど、自警団のつもりか?」
「······」
「何の関係もない部外者が我々の国で好き勝手に制裁していると考えるだけで虫酸が走る。なんとしてでも捜し出して、この国から追い出して一面からも追い出せ」
楠木は手に持っていた報告書資料と、今朝発行された日本の新聞をデスクに叩きつけてそう言った。
『闇社会にコウモリの制裁?』
と書かれた新聞を見たフキは、叩きつけられた紙の音を聴いて肩をビクンとさせる。
春川フキは、恐い。
楠木司令の眉間にしわを寄せる姿を見るのはこれが初めてだ。
殺人を許可した集団のトップにいる人間。
その座に立つものの在り方を見て、これほどまでに人としての人格を歪めてしまうのかと思うと、それがとてつもなく恐い。
フキは黙って、その新聞の記事を眺めた。
コウモリの制裁。
先の読めない暗闇へ突撃する類いの緊張がフキの背筋を走り抜ける。心地よくはないが、もはや手慣れた感覚だった。
目の前で起きた光景が焼き付いている彼女は司令の命令に頭を下げながらも、思わず息を呑み込む。
情け容赦のない戦闘を行う怪物を目にしたフキは、それを相手にするのを恐れているのだ。
銃を手にした連中を素手だけで無力化した。武器を用いないと誰にも敵わない彼女達がどこまで通用するかわからない相手。
下手すれば、反撃する隙も与えられず一方的に蹂躙されるかもしれない。
フキは無意識の中で生存本能が働いたのか、恐る恐るといった感じで念のために司令に聞く。
「しかし、そいつが捕まえたのは今回の銃取引に関わっているかもしれない奴ですよ? 銃の行方は結局掴めませんでしたが、銃の出所がわかったのはそいつのおかげでもあります」
「こいつを放っておけば、我々DAの沽券に関わる。
司令が睨み付けた。
その眼光に冷や汗をかきながら頷くフキは、これ以上は何も言えなかった。
はい、と。
掠れたような声で返事をするフキは、顔には出さないものの異常な恐怖心に蝕まれていた。
死と隣り合わせ。
詰まる所、彼女達はいつもそんな仕事ばかり任されていた。
◇◆◇◆◇
日本の春はとても心地良い。
普段夜行性である彼でも、それはわかる。
ブルースは隠れ家として使っているホテルの一室で、ベッドに座り込んでいた。少し固めのベッドに寝ぼけながら腰を預けている理由は単純で、遅めのモーニングコールがわざわざ海外から送られてきたからだ。
時差なんて一切関係ない。
全世界の時刻を常に把握している優秀な執事の声は、相変わらず堅かった。
「コウモリは······夜行性なんだ」
『コウモリはそうかもしれません』
と、手に持っている電話からそんな声が届いた。
『ですが半隠居人の真似事をしている億万長者にしましても、昼の三時は少々遅うございます。何度も電話をかけたのに出られないので心配しました。所謂時差ボケ、というものでしょうね。二重生活の代償、といったところでしょうか』
「まあ、それで日本の人々に僕の存在を知ってもらえたなら光栄だ。日本はどうやら、僕らの街には一切の関心を持ってなかったみたいだからね」
『派手に報じられてますよ。旦那様のお芝居公演はたいそう印象的なものだったようで』
「芝居とペテンは大きな武器だよアルフレッド。まだ手始めだ」
頭の中で的確に分析を行いながら、同時に携帯電話で話をするブルース。通話相手は少し笑いながら話しかける。
『面会不可能な立場を利用しているのでアリバイについての心配はないでしょうが、ブルース・ウェインとしての顔は世界中に広く知れ渡っております。もしあなた様のことを知っている者が現れた場合、どう言い訳するご予定で?』
「人違い、って言えばみんな信じてくれるよ。ほら、世界には自分のそっくりさんが三人はいると言われているだろう? 少し格好を庶民的にすればみんな僕の正体には気付かないと思うよ」
『そう上手く誤魔化せますかね?』
「心配しなくてもなんとかなるよ」
ブルースは適当な感想を漏らしながら、ベッドから立ち上がって背筋を伸ばす。そのまま前へと倒れ込み、腕立て伏せを二秒に一回のペースで行いながら止めずにそのまま答えた。
「日本、はッ! 都合の悪いものは世間には晒さない。僕の存在すらなかったことにされるかも、ねッ!」
力みすぎた声でそう答えると、電話越しのアルフレッドはため息をつく。その声には気付いていたものの、彼は体を鈍らせないように筋トレに集中する。
その時だった。
携帯電話とは別に、ホテルのベッドサイドに備え付けておいたパソコンから解析結果を知らせるベルが鳴った。
ブルースはそちらを見る。
パソコンの画面に映し出されているのは、座標。日本列島の中に二つの赤い点が入った図が映される。
それは合図だった。
一つはここからかなり離れているが、もう一つは凄く近い場所を示している。
彼は昨日の時点である計画を立てていた。この国で女子高生を演じているエージェントと接触した場合、彼女達の居場所を特定するためにGPS発信器を着けた封筒と犯人を渡した。
横浜で密輸をしていたボスの服にミクロサイズの発信器を取り付け、その場にいた髪型が特徴的なエージェントの少女に譲り渡した。そしてそこから離れた場所、東京都内のある場所で人質を取っていた連中のそばにいた女の子達には、銃の出所が収められた写真が入った封筒を、発信器付きで投げ渡した。
計画的に悪を殲滅する彼が、無償で情報を渡すはずがない。
情報というのは凄く価値があるもの。タダでくれてやるわけにはいかない。
それ相応の対価を貰わないと割に合わない。
よって、彼女達には内緒でそれぞれに発信器を取り付けさせて貰った。結果、彼女達にバレることなく居場所を特定できたわけだが。
「······場所がバラバラだな」
『まずは一番近い場所を訪ねてみては? もしかしたら有益な情報を得られるかもしれません』
「奇遇だねアルフレッド、僕もそう考えていたところだよ」
彼の執事であるアルフレッドは、ご主人様の計画をよくは知らない。そして、具体的に知らなくても察することはできる。
長年彼に仕えてきたアルフレッドは、ご主人様の考えなどお見通しだった。
『くれぐれも、接触する際は一般人として接するように。ブルース・ウェインがお忍びで日本にいるとバレてしまったら、本当にウェイン家の遺産が全て失われてしまうかもしれません』
「誰に向かってそんな心配をしているんだい?」
携帯電話からの声に、ブルースは突き放すように言った。
「闇を味方につけた僕に死角はないよ。そういう気遣いは不要さ」
通話を切ると、ブルースは携帯電話を適当にベッドに放り投げた。
後ろを振り返らず、彼はクローゼットへと向かう。
その中には上品なスーツがかけられているものの、日本人からすればそれを着込んだ姿は単なる外回りのサラリーマンにしか見えない事だろう。
◇◆◇◆◇
「······ここが、彼女達の基地なのか?」
ブルースは発信器が示した場所で足を止めた。
起きたのが凄く遅かったこともあり、空は夕焼けに染まっている。そんな燃える夕焼けに照らされ、彼女達がいるであろう建物は彼を待ち構えていた。
不規則な形をした一軒家、と表現して良い。
しかし、その家があまりにも不自然だった。
外から中の様子が見えないように、窓ガラスは全てステンドグラスだった。しかも、その家の出入り口には『OPEN』と書かれた板がぶら下げられている。何の変哲もない家に見えて実はエージェントの秘密基地だと思っていたのに、実際はただの『喫茶店』だったという真実に、ブルースは唖然とする。
カモフラージュで喫茶店に見せているだけなのだろうか、とブルースは疑心暗鬼な目でその店を眺めているが、第三者から見れば店内に入ろうか迷っている人見知りなお客様にしか見えない。
「ま、それは僕の方も同じか」
自分だって身分を偽ってここにいるというのだから、とでも言うかのように口の中でそう呟いてから改めて『喫茶リコリコ』と書かれた看板を眺める。
こうして見る限り、想像してたような『秘密組織の秘密基地』という常識外れなイメージは湧いてこない。
そこにあるのはあくまでごく普通の喫茶店だ。
時折出入りする客達を見ても、やはりおかしな所は見られない。
「考えていても仕方ないね、動かなければ有益な情報は得られない」
目立ちすぎるコウモリのスーツを脱いだ億万長者は、ある程度は一般人の振りをする。
覆面調査が初めてではないにしても、スーツを脱いだ彼は無力と言っても良い。スーツがなければ彼は非力なただの人間、素の状態で暴れまわることは許されない。
あくまで、海外出張でやって来たサラリーマンという人間を演じなければ、自分の正体に気付かれるかもしれない。
ブルースはしばらくその何の変哲もない怪しげな喫茶店を見上げていたが、やがて息を抜いたように首を横に振った。
「さて、行こうか」
自分に言い聞かせるようにブルースは小さく言った。
ブルースは無言で喫茶店の扉を開ける。
扉を開ければ取り付けられたベルがカランカランと鳴り、
「「いらっしゃいませ!!」」
と、木製のドアをくぐり抜けても、そこにあるのは普通の光景だった。
日光を多く取り入れて、そしてその光を和らげるために全体的にステンドグラスの多い店内。店員のための、そして国を守るエージェントとしての施設ではなく、これから一息つこうというお客様を引き付けるための場所なので、飾りが豪華になるのも無理はない。
ふわりとしたコーヒーの香りが漂う店内。
その中心に立っていた赤い和服を着込んだ少女と、両サイドに髪を纏めた青い和服の少女が、億万長者らしくない地味な高級スーツを着たブルースを迎えてくれた。