「いらっしゃいませ! お一人様でよろしいでしょうか?」
「ああ」
「かしこまりましたぁ! それではカウンター席へどうぞ!」
結論から申し上げると、昨日会った女子高生エージェントの和服ウェイトレスは高級スーツに身を包んだブルースを何の疑問も持たずにスマイル満点で迎え入れてくれた。
カウンター席に案内され、奥にいる大柄な男性が優しく微笑んでただいらっしゃいとお辞儀する。
「······こちら、メニューになります」
「ああ、ありがとう」
そして、メニューを渡してきてくれた黒髪の少女もブルースのことをただの客人として迎え入れる。ただし、その顔が若干引きつっているように見える。
治安を守るものとして、影に潜みつつ監視する彼女達は隠密のスペシャリストである。従ってどんな場所であろうとも、背景に溶け込み、息を殺し、そして標的を排除するという訓練を受けている。
が。
顔色を見た感じ、彼女はどうやら新人アルバイトっぽいので、接客マニュアルと人体破壊の急所術以外の出来事に対応するだけの力を学んでないのかもしれない。
客人であるブルースに素っ気ない態度でメニューを渡してきた。
「初めてのお客様にはブレンドかエスプレッソがオススメですけど、うちは何だって美味しいですよ!!」
だからだろうか?
彼女とは対照的に陽気な態度で接してくる赤い和服の子は、そんな彼女をサポートするように営業スマイルを維持している。
不自然な愛想笑いではないことから、それが彼女の素なのだろう。
いいセンスだ。
誰に対しても笑顔を絶やさずに接してくれるだけで好印象を持てる。
ブルースはカウンターに腰かけたまま店内を見回す。
(······ただの喫茶店にしか見えないが)
表面だけ見れば普通の下町喫茶だ。
客が入るようなスペースであるから店内には監視カメラは設置しておらず······いや、もしかしたら小型の隠しカメラはあるかもしれない。店内のあちこちに置かれている観葉植物の中にとか、柱の陰にわかりにくいようにつけられている可能性がある。
日本を武力で解決するような連中だ、その可能性は捨てきれない。
しかし、目でざっと見ただけでは一息つくための場所にしか見えない。
全体的に和をイメージした店内は西洋人であるブルースからすればとても魅力的に見えた。何より、内装が凄く綺麗だ。下町にある喫茶店なのにゴミ一つない。ゴッサムではあまり見られない光景だ。
都会にあるチェーン店以外は大体劣悪な環境の店しかないのに、日本は治安がいいからか清潔さを保っている。
素晴らしい。
あとでレビューして星を五つほどあげよう。
と、ブルースが店内をざっと見ていると、
「あの······」
「うん?」
赤い服の子がこちらをぼんやりと見つめていた。
こちらの視線に気付くと、目をパチパチと開いて閉じてを繰り返して質問してくる。
視線をブルースの瞳に固定して、
「どこかでお会いしたことあります?」
唐突だった。
素人からすれば新手のナンパ術にしか聞こえないが、声色と目線を意識して聞けばそれが冗談でないことはわかる。彼女の目はブルースの瞳を常に捉えていた。しかし自信がないような口調から、自分の正体には気付いてないみたいだった。
何故そんなことを聞いてきたのかブルースはわからなかったが、彼の顔色は変わらない。
若干訝しみの入った声で聞かれたブルースは、平然とした態度で首を振って答える。
「いいや? 多分人違いじゃないかな?」
「ですよね! すみませんこんな質問をして。どこからどう見ても初めてのお客様なのに」
「いや、構わないよ······でもよく僕が初めてだとわかったね。来店した客の顔を全員覚えてるのかい?」
「ん~、まあそれもありますけど」
でも、と彼女は一拍置くと、
「そんなカッコいいスーツを着こなせる人、リコリコのお客さんにいたらきっと忘れるはずないですから」
「······」
それだけだった。
彼女のその小さい声に、思わずふっと笑ってしまった。
「そいつは嬉しいね」
ブルースも短く答えた。
と、ブルースはメニュー表をテーブルの上へパタンと倒すと、隣に立っている彼女にもわかるように料理の写真の一点を指差す。
のんびりと物を食べてる場合ではないのだが、何も頼まないで居座ると目立ってしまうし、何よりルール違反だ。世間話をするだけならどこか他所でやれと指摘されるかもしれないので、ブルースは無難に普通のコーヒーを頼んだ。
「これにさせて貰おうかな」
「はい! かしこまりました!!」
彼女はブルースの固い指の先を視線で追って何を注文するのか確かめると、カウンター奥にいる男性に伝える。
「珈琲一丁入りました!!」
店の雰囲気に合ってない伝え方。
ラーメン店主のような彼女の言葉に、カウンター奥でカチャカチャと食器を並べていた男性が呆れた表情でコクン頷くと注文の品を出す準備に取りかかる。
「おいおい、久々に期待が持てる男が来たわねぇ~!」
「······またかミズキ」
なんかタチの悪い酔っぱらいみたいな顔でブルースのことを見てくる人が赤い服の子の肩に頭を乗せている。
ブルースは気付かれないように横目でチラリと見るが、すぐに後悔した。
「あ! 見た! 見たよあの人! 私のことを見たってことは絶対私に気があるよ!! 間違いねぇッ!!」
自信満々にメガネが光る。
わずかな視線も逃さない洞察力は認めるが、その才能を別のことに使って欲しいものだ。様子を見た感じ正気ではなさそうだ。彼女達と同じように色違いの制服を着ているが、あの女性は仕事をしているのではない。
獲物を狙う目付きでこちらを見ていた。
明らかに絡まれたらめんどくさくなる予感しかしない。女性の手には日本酒の酒瓶が握られている。それからわかる通り、彼女は現在無敵状態だった。
多分、酒の力を借りたこの女は今なら大企業の社長だろうが日本の総理大臣だろうが、誰に対しても猫のように喉をゴロゴロと鳴らすだろう。
万が一にもあんなのに絡まれたら、それこそ朝になって酔いが覚めるまで延々とトラブルに巻き込まれ続けるに決まっている。
「うわ!? 刺激臭すごッ!!」
「んだとこらーっ!! こちとら男に恵まれてねんだぞボケこらっ!! ようやく私を孤独から解放してくれる人材が現れたかもしれないんだぞ!? 今のうちにアピールしとかないとそこらの女に抜かれちまうだろうがぁ~ッ!!」
「聞いてないしそんなこと。まずそのアルコール臭なんとかしろよ。話はそれからだろ」
「くっそ朝から飲むんじゃなかったわ! でも今の状態なら誰にでもアタックできそう!! もしかしたら成功するかも!?」
「余計無理だろ」
「なにおぉぉぉおおう!?」
「こら、うるさいぞ二人とも。仕事中だということを忘れるな」
程度の低い口喧嘩を止めたのはカウンター奥からコーヒーを入れてきた男性だった。
「それより二階の備品のチェックは済ませたのか千束。やっておけと言っただろう」
「へーい」
「ミズキはとにかく酒を抜け。客の前でみっともない姿を見せるんじゃない」
「ぐっ!!」
ぶーぶーと文句を垂れながら引き下がっていく二人を見て重たいため息をつく男性。カウンターの側に立つと、彼はお見苦しいところをお見せして申し訳ないと詫びを入れると、コーヒーの入ったカップをブルースの前に置く。
「どうぞ、コーヒーです」
「ありがとう」
ブルースはコーヒーをすする。
慣れ親しんだ味に加えて、日本の独自の技術が取り入れられている。世界全土で変わらない味というのは便利ではあるが、そこにオリジナリティを入れることで更にパワーアップする。
海外出張多めな国際的サラリーマンっぽい格好をしているブルースは、そのコーヒーの独特な香りと風味を楽しんでいた。
もっとも、悠長に食事を楽しんでいる状況ではないことも理解している。
彼はコーヒーを楽しむ振りをしながら、目の前にいる男性に話しかける。
「日本は良い国だね。僕の国とは違って温厚だし、日本人のみんなも他所から来た僕に対しても優しいし、治安が良いというのも納得だ」
「ハハッ、そう言っていただけると日本に住んでいる者としてとても嬉しく思います。ここへは出張か何かで?」
「まあそんなところかな。かなり長く滞在することになりそうだからね、仕事もしつつ、暇ができたら日本の文化に触れてみたいよ」
何気ない会話を楽しんでいる中、ブルースは彼にこう聞いた。
「ところで、聞きたいんだけど」
「? はい?」
「この喫茶店って、他の場所にもあるのかい?」
普通の質問にも聞こえるが、ブルースは遠回しに『基地はどこにある?』と聞いている。
エージェントである彼女達が働く店、どう考えても怪しすぎる。表向きは何の変哲もない和風喫茶だろうが、ここは恐らく彼女達の組織が持つ基地のほんの一部。日本という国を監視するために、このような店が他にも各地にあるのかもしれない。
そこを拠点にして広い範囲を監視している、とブルースは思っていた。
さすがにストレートに聞くのは論外だ。
だから何気ない会話を装って基地の場所を問い詰めたわけだが、男性は首を横に振って否定する。
「残念ながらここだけです。二号店とか出せたらいいなと時々夢見てますが、うちは見ての通り客の出入りが少ないので、結構ギリギリの中でやってるんです」
「······そっか」
それは残念だ、と言うかのように感情のない笑みのままそれだけを聞くと、ブルースはコーヒーを一気に喉の奥へと流し込んでいく。
「コーヒー美味しかったよ。ご馳走さま」
そう言って伝票の上にお金を置く。
レジはカウンターの向こうにあるので、支払いはその場で済ませるのがこの店のやり方なのだろう。
今日得られる情報はここまでだ。
敵情視察は継続的に行うもの、長居していくつも質問したり観察してたら逆に怪しまれる。初めてこの店に入って馴れ馴れしくしてたら、嫌なお客様だと思われる可能性もある。
彼はただ、カウンターの机の裏に静かに電子顕微鏡サイズの録音機だけを設置すると、ブルースはカウンターから立ち上がって、
「また来るよ」
「ああ、お待ちしております」
それだけを言って店を出ていこうとする。
彼女達のアジトはわかった。あとはそこから銃の行方を追えばいい。有益な情報を常に手に入れるために、彼女達の会話を拾わせて貰う。何気ない会話でも、国を守る組織なら日本国内の裏の社会情勢を知っているはず。彼女たちにとって、闇に葬るべき悪が一体どういうものなのか聞かせてもらおう。
フォックスの開発した盗聴機なら、どんな探知機にも引っかからないし、肉眼でも見つかりっこない。
今日の目的を果たしたブルースが店の外に出ようとしたとき、
「あ! お帰りですか~?」
二階からそんな声が飛んできた。
振り返り、視線を上に向けると、そこにはあの少女達がにっこりと見下ろしていた。二階から落ちないように設置された柵に手を置いている少女に向かって、
「ああ、とても良い店だね。短い時間だったけど、すっかりここが気に入ってしまったよ」
「よかった! またのご来店をお待ちしてます~!!」
「ありがとうございました」
赤い服の子が手を振って見送ってくれる。それに倣って青い和服の少女も立ち上がると一礼する。
ブルースはそんな彼女達に微笑んで、
「ああ、また寄らせてもらうよ······千束ちゃん」
慣れ親しんだ友人かのような距離感でそれだけを言うと、彼はそのまま店を後にする。
彼女たちの居場所がわかっただけでも十分な収穫だ。後は、彼女たちとどう協力するかにかかっている。敵対する意思はないということをアピールするために、まずは話が通じそうな彼女の家へとお邪魔しようと思う。頭の中で常に計画を立てているブルースは、外に出る前にもう一度千束の姿を確認する。
扉が閉まり、互いの姿が完全に見えなくなる。
そんな彼女は、自分の名前を呼ばれたことに対して首を傾げている。
「あれ? 私名前言ったっけ?」
「店長が話したんじゃないですか? 騒がしくしてすいませんって」
「おぉん!?」
◇◆◇◆◇
閉店したら帰宅。
それが基本のこの社会。
バイト生活をしている女子高生でも、夜の十時はさすがに勤務外だ。
街灯が遠くの地平線まで微かに照らし出し、爽やかな微風が千束の住んでいるマンションの裏の小径を吹き抜けていった。
「あ~、ゴミ出しめんどくさ~い」
誰もいない夜道で呟く千束の声は誰の耳にも届かない。
何しろ、このマンションに住んでるのは千束だけなのだ。秘密組織の最高エージェントである彼女は貴重な人材。よって、襲撃されても平気なように隠れ家を本部からいくつも支給されている。ここはその一部。
DAの息が掛かったこのマンションは忍者屋敷の如く仕掛けが満載。普通の住民が住むには殺傷力が高すぎる。
訓練された人間でなければ住むことは許されない。
千束は今日まで溜まったゴミをビニール袋に入れて手にぶら下げたまま立ち止まり、星空が広がる夜空を見上げた。こういう静けさが好き。現在進行形で何も起きていないと実感できるからだ。
日本を平和に保つために明日も頑張ろう! と意気込んだ千束は、ゴミを指定のゴミステーションに置いてさっさと部屋へと戻ろうとすると、
「嵐が来るな」
平和な静けさを台無しにする変声された低い声。
それだけで声の主がわかり、千束が呆れたようにため息をついて振り向くと、昨日会った黒ずくめの男が街灯の上にしゃがみこんでいた。
「ちょっとぉ~? さすがにそれは引くよぉ? 正義のヒーローが女の子の家までつけてくるなんて、感心しないなぁ~?」
「······」
などと呟くがバットマンはなにも答えない。
千束はやれやれと笑って肩をすくめると、溜まったゴミを捨てるため金網製のゴミステーションの蓋を開けて、何気ない世間話をするかのように喋り出す。
「あなたが銃の密輸業者を勝手に捕まえたせいで、私の仲間がイラついてるみたい。面目丸潰れだって」
「君達の正体を知りたかったからな。まだ始まりに過ぎない」
今までろくに反応もしなかった黒ずくめの男がようやく会話に応じた。のろのろと口を動かして、千束を見つめる。
真っ黒に染まった瞳。
その奥にあるものがなんなのか史上最強とまで言われた彼女でも掴めない。
その瞳を、彼女は何の敵意もなく笑いながら見つめている。無意識の中で、彼は自分達の敵ではないと悟ったのだろう。
だからこそ、彼は彼女の前に現れた。
彼女は信頼できる奴だと信じたからだ。
「連中は荷を二つに分けていた。取引相手に渡ったのは半分だけだ」
「知ってる。残りの半分は私達の組織が押収したみたいだから。たった百丁しかなかったらしいけどね」
「それでいい。これ以上被害が拡散しないなら」
そんな言葉を聞きながら、千束は表情をわずかに固くした。余裕をぶっこいている彼に警告してやろうと思ったのだ。
彼女は本部から共有された情報を脳裏に浮かべ、指摘する。
「上の人達はあなたを捕まえるために特別部隊を編成してるって。あなたのことを危険人物だと考えてるみたいだよ、
「······君はどう思う?」
素性が既に割れていることに対して特に興味を示さないバットマンは、むしろ彼女の個人的価値観が知りたかった。話が通じそうな彼女に信頼されてるなら、どうにかなりそうだと考えている。
千束はゴミ袋をゴミステーションに放り込み、金網の扉を閉じると、
「私は別にそうは思ってないかな? 目的が同じなら、むしろ協力関係でいたいかも」
しかし、それは独り言だった、
目の前から忽然と姿を消すのが唯一の特技とでも言うかのように、彼の姿は既にそこにはなかったのだ。少し古くなって点滅する街灯だけが彼女を見下ろしている。
千束はちょっと後悔しながら。
「あー······でもやっぱり間違いかも」