それが人生の転換点だった 作:ファンファン
あの日。あの話が起こった場所は施設前だったため、なんとか話を終わらせて家に帰ることに成功した。無理やりアイを帰らせたのだ。
その後は暫くの間、心臓がうるさ過ぎてまともに息ができなかった。窒息死にならずに済んで良かったと心から思う。まだ死ねない。
「はぁ……いや、絶対おかしいって。なんかあるって」
今日のアイの行動……というか、会ってから今の今までやっぱ全部おかしいだろ! アイってあんな積極的に来る子だったのか?! くそ、『推しの子』の知識が少なすぎて役に立たねぇ。あんなグイグイ来るのって他にいるか?!
積極がすぎる……元来の性格? だったら普段の学校生活があんな風にはならない。他の子はどうした。他の子は! じゃあ1人に入れ込むタイプか? 無いとは言えないが、過去の境遇と少しの『推しの子』の知識的に微妙だ。
特定の人物……それも、俺一人になる理由が分からない。興味を持たれたのは俺が変だということに気付いたとかで納得出来るが、距離が本当に近い。バカップルも一歩引くまであるぞ。
「……まあ、でもやっぱ……」
可愛いよなぁ。アイがあれだけ来る理由は分からないけど、別に問題も無い。今の俺の心がもたないのと、将来的にアイドルになった後に辛いだけなのだ。何かあった時そばに居られる理由にはなるし、救う準備もしやすい。
「アイドル、か」
もし、知識通りになるのであれば、アイはアイドルになる。何度か考えてはみたが、アイドルになること自体を止めるのは無理だろう。アイがそれをやり始めた理由は、きっとそう簡単に無くすことが出来ないものだ。
それに、仮に理由が無くなったとしても、アイはアイドルをやる。そんな気がしている。なにせ、そのために産まれたかのような才能を持っているんだから。
アイがアイドルになれば、俺はアイと会うことがほとんど無くなるだろう。アイドルというものは、とにかく大変で時間もかかる。学校すら毎日来れるかわからないんじゃないだろうか。義務教育だから中学までは何とかなるかもしれないが、そこまでだ。
その先は全くわからない。ただ、ゼロになってもおかしくはないということはわかっているつもりだ。アイドルと一般人。その開きは思っている以上に大きい。
「……寝よう。明日も学校だし、アイが来るのに遅く出る訳にもいかない」
……もし、アイがアイドルになったとして。釣り合いたいならそれ相応の位置にいないといけない。アイドルになった後も守り続けるなら、それ相応の距離にいないといけない。それなら、俺は──
☆☆☆
「おはよう青哉くん!」
「……おはよう、アイ」
いつも通りの一日の始まり。アイは元気に満面の笑みだ。昨日のことなんて忘れてしまったかのように。
昨日のあれが本当に無かったことになっている訳では無い。むしろ鮮烈に残っている。しかし、今の俺にそれをもう一度聞く覚悟は無かった。
「? なんかいつもより暗くない? 大丈夫?」
「……ああ、ちょっと寝不足で。アイは今日も元気だな」
「うん、ちゃんと寝てるからね。朝起きれなかったら青哉くんと一緒に行けないでしょ?」
「……そうだな。俺もしっかり寝るように気をつけるよ」
アイはほんとうにいつも通りだ。でも、言葉の節々に昨日の影がチラついてしまう。昨日のあの言葉、俺はなにか答えを出せるのだろうか。
☆★☆
「この前香山ちゃんがさ、給食食べる時にもう食べられないって言って全部隣の俵くんに渡してたじゃん? その理由、本当は重箱を早弁してたからなんだって!」
「……それ金山さんじゃない? それと田端。あと何もかもおかしくない? 俺がシェイクスピアの作品を原文で読んでる間にそんなことやってたの?」
「あれ、そうだっけ? ほら、私って人の名前覚えるの苦手だからなー」
「何回か聞いてるけど、もうそういう次元じゃなくない?! この前も樋口さんのこと日出口さんって間違えてたし、遠藤くんのこと遠投くんって間違えてたし……金山さんももう結構間違えてるよ」
「……そうだっけ? あと青哉くんも結構なことやってない?」
「そうだよ……俺は雰囲気であれを読んでるからいいんだ」
ふざけたやり取りを交わしつつ、アイの名前の間違えやすさを考えていた。
アイは人の名前を覚えるのが苦手だと思う。もう何回間違えたのか分からないぐらい間違えてるし、それを何度も正してきた。その効果が出ているかと言われれば黙秘だが。
「でも大丈夫だよ? 青哉くんの名前は、ちゃーんと覚えてるから」
「そう、だな。確かに間違われたことないな……」
アイがいつも通りに、しかし妙に目を引く言い方だった。でもその事より衝撃的なことがあった。
今の今まで気づかなかった。あれだけ間違えるアイが俺の名前は間違えたことがないのか。新発見で大発見なんだが……つまり俺は才能がある? なんの? 変人の才能か?
「でしょ? 私、人の名前覚えるの苦手だけど、才能ある人とか、覚えようって思った人は覚えられるようになってきたんだ」
「そうなんだな……同じクラスの人ぐらい覚えてあげなよ」
アイはドヤ顔でそう言ってるが、今の所俺以外に名前を覚えているのを聞いたことがない。
正直可哀想だよ……特に金山さん。あの子もう10回以上間違えられてるよ。逆に気に入ってるまであるよ? アイじゃなければ。
……うん、俺がなんとかするとも。矯正出来るのかどうかは別として。
「えー、これでも頑張ってるんだよ?」
「もちろんそれは分かってるし、無理強いはしないよ。アイが覚えたい人だけ覚えたとしても、俺がどうにかなるようにすればいいんだし」
「まーたそういうこと言う……でも、ありがとう」
「ああ」
そう言って、アイは優しく、どこか恥じらいながら笑った。
★★★
「ただいま……やっぱいないな?」
無事に帰宅したものの、家の中は一切明かりがついておらず、静か。誰もいない家だ。
こんな子供が1人で留守番。所謂鍵っ子……で通じるのか? とにかく、家の鍵を渡されてるだけの状態。一応世間的にはいるらしいけど。
俺は両親との記憶が無くなってるし、色んな記憶が入ってきてることもあって平気だが、普通の子供なら泣くんじゃない?
まあ、この鍵を渡された理由を覚えていないから分からないものの、最低でも家にいられない事情があってそうしてるんだから、本当なら説明があったんだろう。俺が無くした記憶にあるのかもしれない。
「ほんと、何の仕事してるんだか……」
未だに掴めていない両親の仕事。寝室やそれぞれの仕事部屋などは何故か鍵がかかっていて開かない。なんで? セキュリティなの? 一般家庭の部屋のドアには鍵がいるの?
窓からはどうかとちょっと外からやってみたが、しっかり遮光カーテンがかかっている上に窓の鍵もしっかり閉まっていた。
屋根裏や地下なんかが無いかと調べてみても見当たらない。間取りに不自然さも無いし、仕事部屋なんかに隠されていたら知りようもない。
「うーむ、機密性が高いのか? でも政治関係とかじゃ無さそうだし……」
正直お手上げだ。まだネットが一般に普及していない時代、図書館などで調べられる内容ではないし、そもそも本すら借りられない。図書館カードが無いし、保険証なんかも見たことがない。
……俺が俺だと証明できないとか、そんなホラーな展開になってきてる気はするが、要は両親が謎で、それを調べることが出来ないということだ。
「親戚……も聞いたことも見た事もないし、祖父母とかも知らない。もうここまで来たら本当は兄弟姉妹がいるとか言われても驚かないな」
少なくともこの家にはいない。だが、これだけ何もわからないんだから、そういう事が無いとは言いきれない。そんなこと言ったらキリがないから候補にはいれないけど。
「やっぱ放置するしかないか」
このままでは埒が明かないし、進展がありそうな手段も思い浮かばない。元々必須ではないということもある。ただ、自分と関係している人のこと……それも、実の両親のことぐらいは知っておいた方がいいだろうという判断だった。だが、これ以上こちらを優先する訳にも行かない。
「どうしたものやら」
これからはアイを最優先でいいだろう。というか、どう転んでもそれしかない。
俺がアイと出会い、記憶を思い出して考えたことは、アイを救うということ。何がそうなるかも正しくはわからないが、とにかくそれはやろうと思ったのだから。
そして、俺がアイと出会い、今までアイと接してきた中でたしかに俺として浮かんできたもの。アイを助けたいと思ったこと。
「俺がやりたいこと……」
今、俺自身が本気で言えるのはそれだけだが……その結果として、アイがいつも楽しく笑ってくれたらいいなと、そう思う。
そろそろゆっくり……日常とか。