ウマ娘~come back to Derby~ 作:タンドリー
「おいツナグ!いつまでそうしてるつもりだい?アンタのトレーナーが呼んでるよっ」
栗東寮長、ヒシアマゾンが部屋の扉をノックする。けれども、部屋の主からの反応は返ってこない。何かを動かす物音だけが、廊下に空しくこだました。
「すまないねぇトレーナー。今日もこの通りさ」
『そうか……』
電話の奥で微かな溜息が聞こえた。弥生賞から数日。ツナグはトレーニングに一切来なくなり、こうして自室に引きこもるようになってしまった。心配になった流は本人に何度も電話をかけたが返事はなく、寮を訪ねても顔すら見せてくれない。彼女の寮長であるヒシアマゾンにも協力を頼んだが、結果はご覧の有り様であった。
『迷惑をかけて申し訳ない。また明日、頼んでもいいか?』
「お安い御用さ!こういう子たちの面倒を見るのも、アタシらの仕事だからねぇ」
『……ありがとう。よろしく頼む』
悲しげに礼の言葉を述べて、流からの電話が切れた。ヒシアマゾンはスマートフォンをしまい、もう一度扉を叩いてみる。やはり反応は何もなかった。
(ったく、アンタは本当にこのままでいいのかい?ツナグ)
「お昼は部屋の前に置いとくからな!絶対残すんじゃないよ!」
昼食用に作ったサンドイッチとメモだけ残して、寮長は部屋の前を後にした。
***
「はぁ」
今日何度目かの溜息をつき、流は天井を仰いだ。ツナグがトレーニングに来なくなった理由。それは彼も当然わかっていた。
(弥生賞での敗戦、そして皐月賞への出走が絶望的になったこと。この二つが、ツナグの心を折ってしまった)
コンディションは良好だった。想定通りにレースを進められ、最後に末脚も使うことができた。今できる最善を尽くしてもなお、届かない壁。クラシックという山の険しさと、自身のトレーナーとしての力量不足を改めて思い知らされる日となった。
(でも、落ち込んでばかりもいられない。もう二度と、自分が腐って手遅れになるようなことだけはしたくない)
流はツナグがトレーニングに来ない間もトレーニングメニューやレース映像を見直し、今後のプランを練り続けていた。しかし、どのレースプランにも自信が持てない。過去の失敗が何度も脳裏に浮かび、トラウマに怯えたまま今日も無意味な一日を過ごしてしまっていた。
(このままじゃ埒が明かない。一度外の空気を吸ってこよう)
トレーナー室を出た流は自販機で缶コーヒーを買い、その足で学園の屋上に向かった。扉を開けると、茜色の空が視界いっぱいに広がる。その美しさに目を奪われていると、一人のウマ娘がこちらを見つめていた。
「おや?珍しいお客さんだね」
「君は……」
モデルのようにすらりとした手足に、一点の曇りもない澄んだ空色の瞳。右耳にトレードマークの小さなハットを被ったそのウマ娘の名は、ミスターシービー。史上三人目のクラシック三冠を獲得した、偉大なウマ娘の一人である。その誉れ高き肩書とは裏腹に飄々とした性格の彼女は、レースも日々も自由気ままに生きる、天性の風来坊でもあった。
「すまない。ちょっと、気分をリセットしたくてね」
「別に謝る必要なんかないよ。
何の気負いもないシービーの言葉。雲をつかむような雰囲気の彼女が作り出す独特で、けれども爽やか空気が今の流には心地よかった。
「それよりキミ、本当にヒドイ顔してるね。何かあったの?」
「え?それは、その……」
風に導かれるかのように、流はここ数日、どころかこれまで抱えていた悩みの全てを話してしまっていた。それも、全く自分たちとは関係のないシービーにである。いや、むしろ関係のない第三者だったからかもしれない。口ずさむようにあふれ出てくる赤の他人の悩みや葛藤を、シービーは嫌な顔一つせず耳を傾けてくれていた。
「ふぅん、なるほどね。要するに、キミは自分を“縛り”すぎてるんじゃないかな」
「自分を縛る……?」
予想だにしない言葉だった。何を返していいか分からず言いあぐねる流を他所に、シービーが詩をそらんじるような気軽で続きの言葉を紡いでいく。
「『担当のコの意思を尊重する』。キミのトレーナーとしてのあり方は、すっごく良いと思うよ。それでこれからのレースプランを決められらずにいるのもわかる」
ここではないどこかを見ながら、彼女は語る。
「けど、“キミ”は“キミ”だ。担当のコと同じように、キミにだって意思がある。だから悩んでいるなら、今のキミの意思を、そのまま担当のコに伝えてみればいい。ウマ娘もトレーナーも、自分に囚われる必要なんてないんだよ」
刹那、以前ツナグの母親から伝えられた「お願い」が蘇った。年が明けて数日たったある日、二人でツナグの実家を訪ねた際に言われたことである。
《例えそれがツナグにとってどんなに過酷なモノでも。トレーナーさん、あなたがツナグにとって一番だと思う決断をしてあげてください》
ツナグの母親も、かつてレースに出走したウマ娘である。生涯成績は二戦〇勝。同じ競技者としてこの世界の過酷さと現実を知る彼女だからこそ言えた、トレーナーへの切なる願い。そして、たった今シービーから受け取った言葉。二つが自分の中に行き届いたとき、一筋の光が見えた。
(俺が、本当にツナグにしてやりたいこと。それは――)
気づけば、流は立ち上がっていた。西から吹く風を感じる体は、長いトンネルを抜けたような清々しさに満ち溢れている。生まれ変わった気持ちを噛み締めながら、隣に佇む彼女としっかり向き合う。
「ありがとうシービー。おかげで今やるべき事が見えたよ。だから俺――」
「うん、行ってきなよ。だってキミ、すぐにでも走り出したいって顔してる」
そう言ってシービーは、嬉しそうに目を細めた。流は三冠ウマ娘に深く頭を下げ、空のコーヒーを持ったまま飛び出していった。
「いいね、こういうのも」
大きな瞳に星空を目一杯映しながら、シービーもまたどこかへ出かけて行った。
その夜。トレセン学園生徒会長・シンボリルドルフの下にとあるウマ娘の捜索願が届けられたというのは、また別の話である。
次回は5月4日投稿予定です!