そして、ミカはベッドの上で目を覚ます。
「……負けた?」
ロールケーキを口に突っ込まれて気絶するとか、記憶から削除したい黒歴史確定だ。どんな負け方なのだ、あれは。
言い訳をしたいけど、聞いてくれる人がいるわけもない。
「――」
何秒か虚空を見つめて、自分の中でなかったことにする。
おのれカイザー理事、ナギちゃんの前で気絶するようなダメージをよくもぶちこんでくれたと八つ当たりして今後のことを考える。
いや、そのとき既に完治していたが。
「うん。まあ最終的には予想の範疇かな。あのナギちゃんが実力行使するとは思わなかったけど、監禁されたときのための準備はある。”前”は……うん、あの時も失敗からだったっけ」
とりあえず切り替えることにした。前回はアリウスによるナギサ襲撃についていって負けたから牢獄に囚われた。時系列的にはもっと後になる。
ただ、今回はかなり表立って動いていたし先生との関わりもある。前と同じになるはずと何も考えていなかったわけじゃない。この牢獄は”前”のとは違う場所だけど、仕込みはしてある。
「というか、これ……偉い人用の奴じゃない? ツルギちゃん用……もとい、強い人を閉じ込めておくためのじゃないよね。まったく、ナギちゃんも何を考えているんだか」
壁をこんこんと叩く。音がこもっている、ちゃんとした防音が入っている分硬いがそれだけ。これなら苦労せず破れそうだ。
「――」
まず、扉を開けてみるが案の定鍵が掛けてある。中でも外でも鍵がなければ開けられないタイプだ。
まだ蹴り開けるような時じゃない。次は部屋を調べて監視カメラがあるか調べる。
「……ないね。けど、見破りやすいカメラと違って音ならどうにでもなる。私でも見逃すことはあるよね。……ねえ、”ヒナちゃん”?」
深刻そうに呟いた名は意味ありげだ。そして、それはもちろん意味ありげなだけだ。特に何かの意味を籠めた訳じゃない。
けれど、ミカを知る者にとっては大ごとだ。ゲヘナの風紀委員長をちゃん付けで呼ぶなど、それは天地がひっくり返ったよりも驚くべきことだろう。
「…………うん、何の反応もない。誰も聞いてないね。ま、誰か聞いてるなら私が起きた時点で誰か来てるだろうしね」
とりあえず部屋に仕掛けられたものはないと結論を出した。ならば……後は闇の中で動くだけだ。
牢獄に閉じ込められることは予想していた。だから、準備はしてあるのだ。
「机から扉と逆方向に3……4歩。ここだね」
何の変哲もないタイル、そこに爪をひっかける。別に大した力は必要ない、すでに切れ込みが入っているのだ。
ひっくり返すと、くり抜かれた中にスマホが入っている。もちろん裏工作の賜物だ。
「うん。気付かれてないね、ちゃんとある」
スマホ一個あれば何とでもなる。まあ、ティーパーティーの権力を剥奪されればできることは少なくなるが……
ネットにアクセスすると情報が目に入る。権力は失われていないことは確認できた。一通り目を通して、更に情報を集めるように指示を出しておく。
「……さてさて。あまり問題はないかな? ナギちゃんも甘いよねえ。部屋に閉じ込めるだけで私の動きを縛ろうと思うなんて。ちょっと部屋を見てみようかな」
1時間ほどかけてとりあえずやるべきことを終えたミカは、一旦おちついて部屋の中を見まわしてみる。
物音を隠すために付けておいたテレビ、その向こう側にはガラスの机とふかふかのソファがある。他にも高級で洒落たダイニングテーブル。ちょっと軋むが、しかしまあ普通に高級品の域に入るベッドもある。天井にはシャンデリアがつり下がっている。それと白いオフィスデスクが壁に向かっている。
一言で言えば、そこはただの高級ホテルだった。ただ、鍵が内側にはないのだけが違う。
「ま、少しは休ませてもらおうか……な? え?」
何気なく目を向けたオフィスデスクの上、そこに古ぼけたハンカチとちゃちなアクセサリーが置いてあった。
価値などなさそうな安っぽいそれ。だけど、ミカにとっては何よりも大事だったはずの。
「これ……ナギちゃんとセイアちゃんからもらった……! 良かった、私のところに戻ってきてくれた……!」
走り寄り、それをかき抱いて大切に抱きしめる。失くしてしまったと思っていた。それが返ってきたのだから。
「……誰か、来た」
涙を拭って、扉の方を見る。さすがのミカにも足音で主を判別するような忍者みたいなスキルはない。
取り澄ました顔をして、ダイニングテーブルに座っておく。テレビも消しておいた。
「おや、もう起きていましたか。もっと寝ていても良いのですよ」
扉を開けたのはくすりとほほ笑んだナギサだった。
「……ナギちゃん。何の用? 私を笑いに来たの?」
「思ったよりもミカさんが元気そうで安心しました。……笑うなんてことしませんよ。何か不足なものはありませんか?」
楚々とした動作で、ナギサはミカの向かいに座る。護衛は居ない、舐めているのかとミカは目を吊り上げる。
「あは。ナギちゃんもお優しいことだね。スマホを奪ったくらいで私を何とかできると思った? それだけじゃ私を止めることなんて」
「……え?」
ナギサが心底不思議そうな顔をする。ミカは不穏なものを感じた。いや、悪い予感と言うか……恥をかきそうな。
「起きた時、スマホを持ってなかったから。それに、スマホを取り上げられた上にここに閉じ込められれば何にもできない……普通はね」
「いえ……ミカさんのスマホなら……そこに」
言い訳のように早口でまくしたてるミカに、ナギサはオフィステーブルを指差した。
「え?」
「あら? 私のアクセサリとセイアさんのハンカチがありませんね。そちらしか目に入りませんでしたか?」
「……あ」
顔が赤くなっていくのが分かる。スマホはハンカチがあった場所のすぐ横に置いてあった。
つまり、テーブルの上を確認したことはバレていて。自分のスマホにも気付かないほど夢中になったのを悟られた。嬉し泣きしたのも、取り繕って隠せたと思ったのに。
「ふふ。初めてのプレゼントは特別なものですよね」
ナギサはティーカップを取り出して並べていく。
「何それ? 安っぽいカップ、ナギちゃんの趣味じゃないよね」
「ふふ。あなたから貰ったものですよ。まあ、そこもご愛嬌と言うことで。今日はこれを使いましょう」
ふわりと優し気な笑みを浮かべて、ポッドのある場所に向かう。ミカを運び込む時にセットされていたのか、お湯は既に沸いている。
「ナギちゃん自ら淹れてくれるの? 最近は、あまりそういう機会もなかったね」
「ええ。連邦生徒会長の失踪以降、キヴォトスが荒れて……私もこんなにゆっくりと時間を使うこともできませんでしたから」
「今はいいの? 私なんかに構ってる場合じゃなくない?」
「そんなことはありませんよ。一番大切なのは、あなたと居る時間ですから」
「……ッ! それ、殺し文句? 私って、もしかして口説かれちゃってるのかな?」
「な……ッ! そ、そんなことする訳ないでしょう! あつっ!」
動揺したナギサの指にお湯がかかる。
「もう、何やってるの。ナギちゃんってば、そそっかしいなあ」
敵意に近い表情を浮かべていたミカだが、だんだんほだされて昔のような緩やかな雰囲気になっていた。
お湯がかかったナギサの手を取って、口に含む。
「……ミ、ミカさん?」
「あは。このくらいならツバつけとけば治るよ。大した傷じゃない。……あ、でものこるような傷は駄目だよ。ナギちゃんがお嫁に行けなくなっちゃうからね」
「何の話ですか、もう。ミカさんは席についていてください」
「うん、そうするね」
カチャカチャと、ナギサが紅茶を準備する音が響く。ある種、のんびりとした空気は二人の間には久しくなかったものだ。
「ねえ、ナギちゃん。私があげたカップ、三つあったよね」
「ええ、三組のカップです。もちろん持ってきていますよ」
「じゃあ、セイアちゃんの分も用意してあげてくれないかな?」
「ですが、セイアさんはもう。……いえ、分かりました。セイアさんの分も用意しましょう」
「うん、ありがと」
そうして、三つの席と三つのカップが用意された。
そして、改まってみると。
「……」
「……」
沈黙が降りる。けれど、嫌な沈黙ではない。まだ確執は埋まっていない。ミカはナギサに何も話していないし、ナギサだって何かを解決できた訳ではない。
何も変わっていないのに……
「こうやって、穏やかな時間を過ごすことは久しくなかった気がします」
「そうだね……ナギちゃんも私も、とっても忙しかったからね。それに、各派閥のホストとしての責務もある。昔と同じように、なんてできない」
「はい。こんなふうに二人切りになることなんてできませんでしたし」
「二人だから……か。ナギちゃんは私をどうするつもりなの?」
「どうもしませんよ。今まで通り、ホストの仕事を全うされてください」
「でも、私ここから出れないよね?」
「はい。ミカさんはここで安全にゆっくりと休んでいただければと」
「……仕事はするんだよね」
「ええ、何日も仕事を休まれてやり方を忘れたなんて言われても困るので」
「ナギちゃんのおにー……」
「お勉強もしっかりとするんですよ」
「ひー。おに! あくま!」
「ふふ、なんとでも言ってください。ミカさんの頭が悪くないのは知っています。ですが、勉強をサボれば相応しい成績は修められません」
「……はぁ。仕方ないなあ」
一通りじゃれ合った後、ミカはナギサと目を合わせる。
「ねえ、ナギちゃん。何も聞かないの?」
「話してくれるなら聞きます。……話していただけるまで、待ちますよ」
「優しいね、ナギちゃんは」
「ミカさんと付き合うなら、これくらいでなくてはいけませんからね」
くすくすと、からかうような笑みを浮かべる。邪気のない、こんな顔は久しく浮かべていなかったものだ。
その顔を見て、ミカはなんだか安心してしまう。
「……」
「ミカさん? こういうときは軽口の一つも返していただきませんと……」
「……ごめんなさい、ナギちゃん。……全部、私のせいなの」
「――」
神妙にミカの話を聞く。ミカが暴走を始めた日、未来の記憶を見たあの日にミカは取り乱してナギサに謝った。
今度は、しっかりと正気を保ってのことだ。あれでは、謝っただなんて言えないから。
「うっ。ううう……」
「大丈夫ですよ、ミカさん。私は怒っていません。ミカさんが迷惑をかけるのはいつものことですから」
「酷いよ、ナギちゃん……今はまだ、何も言えない。でもね、大丈夫だよ。今日のは、ただのまねっこ。でも――いつかまた、三人でお茶会をできるようにするから」
「……はい。楽しみに待っています」
そっと目を伏せて、俯いて涙を流すミカの頭を撫でた。
暫しと言うには少しだけ長い時間それを続けて、ナギサは仕事があるからと帰って行った。
そして、ミカは泣きはらした赤い目で3つ目の席を睨みつける。
そこには何も感じない。だけど、そこにはセイアが居る。そういうことにしたから。冷めてしまった紅茶の水面が僅かに揺れた。
――まっすぐに見て、話しかける。
「ねえ、セイアちゃん。第5の古則〈楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか〉――昔、あなたが教えてくれたこと。答えの出ない問いがあったね」
その瞳には意思がある。たとえ傷つこうと、そして何を犠牲にしようと突き進もうとする”意思”が。
けれど、ミカは最初から何も変わってなどいなかった。貫こうとする意思がある、セイアを殺してしまったと思ったときには暴走してしまったけど。けれど、ひと時も立ち止まってなどいなかった。
「私が答えてあげる。そう、ここが楽園だよ。証明? そんなもの簡単だよ。私はこんな
す、と目を細めた。挑むように、託宣のように口にする。
「『はい、ミカ様。ここが楽園です』――ってね☆」