そして、ナギサが熱愛を噂された日の夜。ミカとは毎日お茶会をしているから、今日とてミカの部屋に行かざるを得ない。
まあ、忙しいからと断ることもできるが……それはなんだか嫌だった。
「……」
ナギサは憂鬱気に自分で淹れた紅茶を口にする。憂いに満ちたその顔は絵になるが、まあミカにはそんなものは通じない。
心配に思うのをおくびにも出さずに、少し嫌味な笑顔を浮かべてトークする。
「んー。なんか、今日の紅茶はちょっと渋くない? 茶葉は同じものだし、変な保管もしていないし。ええと……これはあれだね、カップを温めるの忘れたんじゃないかな」
「……ええ。そうだったかもしれません」
ミカに茶化されてもナギサは心ここにあらずで紅茶を口にする。味など分かっていない様子だ。
「むむー。ナギちゃんが私を無視するよー。こんなこと……まあいつものことだけどさ。でも、自分の失敗を黙殺するのはよくないと思うな。失敗はちゃんと受け止めなきゃ先に進めないよ? 偉い人に意見できる子もそういないんだから。それこそ紅茶と言いながらコーヒーを飲ませても指摘できる子なんてあまり居ないんだからね。私は試したから知ってる」
「はい。ええ、ミカさんのおっしゃることももっともかと」
完全に聞いていないその様子に、ミカは子供っぽく頬を膨らませる。
「ぶーぶー。ナギちゃん、前は私のことをミカちゃんって呼んでくれたのに。一度近づいてくれたナギちゃんの心がまた離れた気がするよ。ううん、諦めちゃダメよミカ。ナギちゃんの冷たい心も、寄り添ってあげれば氷が溶けていくんだから。だから、ね。もう一度ミカちゃんって呼んでよ。この紅茶も我慢して飲んであげるからさ」
「ああ、もう! うるさいですね。人が深刻に悩んでいるのに横でペチャクチャペチャクチャと! そんなに口を開くのを我慢できないのだったら、その小さくて愛らしい口を、私の唇で塞いであげましょうか!?」
空気を読まずにしゃべり続けていたミカに向かって、小さく怒鳴るナギサ。けれど、さっきまで考えていたのは他ならない彼女との熱愛の噂である。
つい、唇を奪うと……そんな言葉がぽろりと出た。
「え……あう。えっと……」
ミカは意味が分からない、とぽかんとした後たっぷり5秒はその言葉の意味を考えて。そして、意味が分かると赤面した。
かばうように自分の唇を塞いで、しかし逃げようとも抵抗しようともせず椅子に座っている。
「あ……! い、いえ。これは……その」
ナギサもまた顔を真っ赤にしてそっぽを向く。押せば行けそうな雰囲気ではあるが、ナギサだってそこまで思いきれない。
そもそも恋人になりたいと思ったこともないはずなのに。
「あの。えっと……ナギちゃん。私ね、好きな人が居るの」
「うぐっ! そ、それはもしかして」
「あはは。分かりやすいってよく言われるよ、先生のこと。でもね、勘違いしないでほしいのは私はナギちゃんが嫌いなわけじゃないの。ううん、違うね」
「違う?」
ミカはかばうように口に置いていた掌をどける。そして、身体から力を抜く。抵抗なんてしないよ、と。
「ナギちゃんがしたいなら、いいよ」
「私が……そうしたいなら?」
「うん。ナギちゃんは、私にしたいことをなんでもしていい。キスでもいいし、裸に剝いて何をするにしても……私は受け入れるから」
「な……なあっ!?」
「――」
ミカが目を閉じる。本当に、なんでもしてよいと。まあ、ミカの腕力ならどうにでもやり返せるが、抵抗する気があるならこんな真似はしない女だ。
「ま、まったくもう。ミカちゃんは何を考えているんですか? そんな、女同士なんてことはしません」
「そう? 別にえっちなことでも、あるいは殴ったり撃ったりでも好きにしてくれてよかったのに」
ふふ、と今度はミカが憂鬱そうに笑った。
「なんでもしてくれると言うなら、勉強してください。あと、書類仕事」
「かふっ。べ、勉強と書類仕事だけは勘弁。もう十分すぎるほどやったようー」
ナギサの方から茶化すと、いつもの空気になった。安心できる雰囲気で、どちらからともなくやわらかい笑みをこぼす。
「ふふ。まあ、ミカちゃんはそういう人ですからね」
「ナギちゃんは鬼だね」
「あなたを次期ホストに相応しい人にするため、私は鬼になることも辞しません」
「うう……藪蛇ぃ」
ミカが肩を落とす。そして、どちらからともなく笑いだして。
「ふう。ですが、悩んでいたのは本当ですよ?」
「どうかな? ナギちゃんってたまに変なこと考え込むから」
「おほん。……これはあなたにも関係があることです」
「およ。無理やりシリアスな雰囲気に切り替えたね。まあ付き合ってあげよう。なんの話かな」
ナギサが深刻そうな顔を作る。まあ、身もふたもないことを言うミカに青筋が浮かびかけているけれど。
よっぽど口を塞いでやりたいが我慢する。キス、なんてできるわけもないし。
「あなたにも無関係のことではありません。……最近のトリニティは何かおかしいと感じませんか?」
「……おや。なんのことかな」
「とぼける気ですか?」
「というか、連邦生徒会長が居なくなってカイザーも元気に悪だくみしてる。この状況で変なことが起こらないわけないよ。うちはキヴォトス最大級のマンモス校、トリニティだよ。信用できるものがあるとすれば、正義実現委員会くらいじゃないかな。それとも、ナギちゃんはパテル派を信用してる?」
「それは……まあ、反論はできませんね」
「でしょ? どいつもこいつも悪だくみばかり。シスターフッドなんて信用するわけがないし、救護騎士団だって怪しいものだよ」
「……話を逸らさないでください。それでも、と言う話ですよ。ミカさんがおっしゃられたのはいつもの陰謀です。トリニティに、もしくはティーパーティーに害を成そうとするならば対応は必要ですから」
「ふむん。まあ、続けて?」
「始めはエデン条約の反対派がキヴォトス全土の波乱に乗じて過激になっただけだと思っていました。そんな勢力は条約さえ成れば解散するような些末事と切り捨てていました」
「ま、実はエデン条約については私も言いたいことはあったしね。でも、ま――飲み込めないほどじゃない。旗印もない反対派なんて潰せるでしょ? 今はツルギちゃんとハスミちゃんとも仲良くしてる。背中を刺される心配がないから動きやすいもん」
ミカは思ってもいないことを言ってナギサを煙に巻こうとする。なにせ、ナギサが感じ取ったきな臭い感じはミカ当人の暗躍に他ならない。
それも全ては当人で抑えれば良い話だった。何も未来を変える必要はない。結末のそのあとを少し変えればいい。
そうすれば、ナギサは馬鹿なミカのために権力を失って救護騎士団だのシスターフッドだのに悩まされる――その未来を変えられる。
――ハッピーエンドまでの道筋はすでに描いている。ナギサには、何も知らせる必要はない。
「ええ、そう思っていました」
「……? どういうことなの」
「まさか、気付いていないとでも? ミカちゃんが戦っている敵はそんなものではないのでしょう。私ではその尻尾を掴むことも出来ていませんが」
「――ッ! それは……でも、そんなことはナギちゃんは気にしなくていいんだよ。全部、私のせいだから……」
ミカは目をそらす。彼女とセイアを傷つけたこと、それは自分の罪だから。敵と戦うことは自分の役目だと思っているから。
「そんなことは言わないでください。そもそも、ミカちゃんがやらかして私が後始末をするのはいつものことでしょう。……叱ってくれるセイアさんが、今は居なくても」
「……それは。でも……でも、最後には……」
ナギサは震えるミカの手を取る。
「私は、必ずあなたの敵を倒します。まだ何も出来ていませんが、けれどあなたが安心して日々を送れるように」
「――違うよ、ナギちゃん。私は……私は、ナギちゃんのことを……」
「ええ、不安に思うのも当然です。……トリニティには既にスパイがもぐりこんでいる。その方を捕まえないと、いいえ黒幕をどうにかしない限りあなたに安息は訪れないのでしょう」
「それは……それは、そうかもしれない。あいつを……倒さないと。だけどね、スパイって言っても……それは。違うんだよナギちゃん。そんなことをしては……」
言葉がつっかえつっかえのミカ。とうとうえづくように言葉が出てこなくなる。
「大丈夫ですよ、ミカちゃん。私がついています」
「……ナギちゃん」
ナギサが席を立ち、そっとミカを包み込む。そして、そのままベッドに倒れこんでミカの頭を抱きしめながら髪を撫でる。
「私がスパイを見つけ出します。そして必ずや、その裏に居る者まで処理しましょう。そう、最悪の手段を使ってでも……!」
「ナギちゃん!? 違う、違うんだよ。私は、ナギちゃんにそんなことをしてほしいわけじゃない。罪人は私一人で」
ぎゅう、とミカの頭をその胸に包み込んでその先を言わせない。
「大丈夫、大丈夫ですよ、ミカちゃん。全て、私の方でどうにかしてあげます。あなたは、次のホストとして相応しくあることだけ考えていれば良いですから」
「……違うの。私が本当に欲しいのは、ナギちゃんとセイアちゃんが笑っていられる未来。本当は権力なんて要らなかったはずなのに」
「はい。はい、分かってますよ。スパイの候補は3人まで絞れています。正義実現委員会の人質の候補も見つけていますが……それは考える必要があるでしょう」
「……コハルちゃんのこと?」
「ご存じでしたか?」
「とても良い子だよ。それに、ヒフミちゃんも、アズサちゃんも。ハナコちゃんは……よくわからないけど、それでもトリニティを壊そうとしているわけじゃない」
「――それでも、私はトリニティを守るために彼女達を犠牲にします」
「そう。そうだよね、あの子たちは悪くない。だけど……そうしないといけないんだね」
ナギサはミカの頭を撫で続ける。少しは救われてほしいと、そう思って。
「ミカちゃん? どうしましたか」
「でも、悪いのは全部私だよ。私の……せいで。私のせいで全部が狂った。みんなが苦しい思いをする。ナギちゃん、ヒフミちゃん、コハルちゃん。……それとアズサちゃんにハナコちゃんも」
「ミカちゃん。そんな一人で気負わないでください」
「……ナギちゃん。先生を、シャーレを使えば手続きを飛ばして退学にできる。もしもの時は、もろともに」
「……良いのですか? 先生に迷惑をかけてしまうことになります。それに、彼女たちも……」
「それでも、必要なことだから」
「そうですか。では、その通りに。先生をトリニティに呼んでも良いのですね」
「うん。そろそろ時期だから」
「……時期、ですか。思えばセイアさんはよくそのようなことを言っていましたね。未来予知の奇跡があるからこそ、過去のように未来を語っていました」
「そうだね。懐かしいね。セイアちゃんはいつでも皮肉気で、でも間違ったことは言わなかった」
「私は……必ずあなたを守ります。ミカちゃん」
「私は、絶対にあなたを後悔なんてさせない。ナギちゃん」
ミカからもぎゅっと抱き返して。
「「――」」
しばしの間、互いの体温を感じていた。
「それでは、私はそろそろ失礼することにしましょう。お勉強、ちゃんとするのですよ」
「あはは。落ちこぼれないくらいは、ね」
「まったく、ミカちゃんは仕方ないですね。では、また明日」
「また明日、ナギちゃん。……ふふっ」
「どうしました?」
「また明日。なんてことはない言葉だけど。とても嬉しい言葉だなって」
「そうですか。では、もう一度言いますか?」
「ううん。1日に1回でいいよ。それ以上は、意味がないから」
「では、おやすみなさい」
「おやすみ、ナギちゃん」
名残惜しく、けれど別れていった。
そして、見回りをしていたティーパーティの女の子は目撃してしまう。ナギサの出てきた扉の隙間から、部屋の中を。
いや、見られてまずいものが置いてあるわけがない。
――見たのはベッドだった。
そう。ナギサが入ってきたときにはきれいに整えられていたはずのそれが、乱れていた。何をしていたのか、想像を働かせるには十分なほどにしわくちゃになったベッドを見てしまったのだ。